09

君が夏を連れてきた
 紐を通していく指先の滑らかさ、少し俯いた視線、深く切られた爪先。なんだか映画のワンシーンとも思うほどに綺麗で、そのくらい自分でもできるのに見惚れてしまった。「綺麗」、なんて訳の分からない言葉が口裏を突く。不思議そうに私を見上げた陣平に、フルフルとかぶりを振る。

「マジ、なんでいるの? ボーリング来ないって言ってたのに」

 確かに、萩原から彼は来ないのだと聞いていた。陣平は面倒くさそうに少し口を尖らせて、不満げな声色で言った。

「アイツが、うるせーんだよ。ちょっとくらい顔を出せだなんだって……」
「そ、そうなんだ。……ふ、そこくすぐったいよ」
「ちょっとくらい我慢してろ、お子ちゃまめ」

 私の踵やつま先の隙間を確認するように、彼は靴の上から指先を押し込んで確認していった。キツくないかと尋ねる声色が少し掠れて、ちょっとだけドキドキしてしまう。まあ、なんて愛想なく頷いてしまった。素っ気なく返した後、心の中で後悔する。親切にしてくれたのだから、もう少しパっと明るくお礼を言えば良いのに。

「来たならワンゲームくらいやっていきなよ」

 どっかりと椅子に座り込んだ陣平に、頬杖をつきながら提案する。しかし彼は気だるそうに欠伸を返すばかりだった。そんな調子だったから、私も彼の視線を追うように他の子のプレイを眺めた。萩原とペアを組んでいた女子がスペアを出して、大きな手のひらとハイタッチする。

 ふと、垂れた目つきがこちらを振り返った。萩原が「陣平ちゃん!」と愛想良く手を振る。陣平は鬱陶しそうに、猫かなにかを追い払うような手つきで、シッシとそれを振り払った。萩原はムっとしたように眉を顰めたが、私の姿を捉えるとニヤっと笑って自然な仕草でウィンクを飛ばす。

 ――あ、まさか陣平を呼んだのって、そういうことか。

 学校で、彼がやけにそのことを気に掛けていたのを思い出した。
 良かれと思って彼を呼んでくれたのだろうか。だとしたら有難いような、申し訳ないような。けれど実際に横で眠たそうにする彼の姿に私の心はちょっぴり浮かれてしまっていた。ボーリング関係ないじゃん、とか心の中でツッコミも入るけれど、そんなこともどうでも良いくらいだ。

「あれー、松田じゃん!」

 陣平のもう片隣りに、グループの中の女子が浅く腰掛けた。ピンクブラウンに染めた髪を高い位置で結った、活発そうな子だ。羨ましいほどの平行二重と、耳につけた蝶々のピアスが特徴的だった。

「なになに、今日はパスとか恰好つけてたクセに」
「うるせー。萩原がしつこかったんだよ、ゴチャゴチャ言いやがって」
「ふうん。あれ、二人は友達なの?」

 私と陣平の間に、手入れのされた指先が往来する。ぎくっと肩が強張った。友達というよりは親しくないような、けれど陣平から知り合いとかいう言葉を聞くのもショックだった。

「えーっと……なんだっけ、舞川ちゃんだっけ」
「ひなで良いよ」
「じゃ、アタシも京香で良いよ〜」
 リップで潤った唇がニコニコと愛想良く笑う。制服を思い切り気崩しているわけではないのに、ちらっと光るアクセサリーがお洒落だった。特に首元の重ね付けしたゴールドのペンダントが、健康的な彼女の肌の上で綺麗に反射している。

「珍しい。松田って他クラスの女子とあんま喋らないもんね」
「別に、自分から話しかけにいかねーだけ。そんなもんだろ」
「男同士でギャアギャアやって何が楽しいんだか、ねえ?」

 ねえ、と話しかけられて、私は曖昧に笑った。私も、さして男子と仲が良いほうではない。前の学校では中学から殆ど変わらない顔ばかりで慣れていたが、転入してきてからは程々だ。クラスの男子とも喋りはするが、積極的に話しかけにいくわけでもなかった。

「お前らだって女同士でキャピキャピしてんじゃん」
「だって、男子くだらないことばっかしてるでしょ。昨日も屋上から上靴飛ばしたくせに」
「ありゃ、都築が……」
「上靴に松田って書いてあんのに言い訳しててウケたわ」

 けらけらと腹を抱えた京香に、松田は眉を吊り上げて鬱陶しそうにうなじを掻いた。長い付き合いなのか――単に仲が良いのか、本気で嫌なわけではないのが、何となしに透けて見える。

「二人は二年生から?」

 と、そう聞いたのは失策だったろうか。いや、変な質問ではないはず。仲がよさそうだから聞いただけだもの。誰にする言い訳なのか、心の中でゴチャゴチャと考えながら曖昧に笑みを浮かべた。

「ううん、中学から。松田がもーっとチビっ子だった時ね」
「チビは余計」
「チビだったでしょ。中二まで一番先頭だったくせに」

 京香が笑いながら松田を叩けば、彼はわずかに幼さの残る頬を色づかせた。可愛い顔。つい横目でじっと見つめてしまった。その視線に気が付いたようで、陣平が「何だ」とでも言いたそうに首を傾げた。かぶりを振って、ボールを選びに行く。するとどうしてだか、陣平も後ろからトコトコと後を追ってくるのだ。
 試しに関係のない方へ歩いてみたが、やっぱり後ろをついてくる。不思議に思ってそろそろと振り返れば、彼はポケットに手を突っ込みながら首を傾げた。

「ボールそっちじゃねーだろ」
「あ、うん……」
「あと、すっぽ抜けるサイズ選ぶな。ちゃんと親指嵌めて確認しろよ」

 どうやら先ほど見た私の間抜けなボール捌きがさぞ心配であったらしい。並んだボールを眺めながら、これはどうだあれはどうだと提案された。話していると悪ガキっぽい雰囲気は拭えないのに、案外面倒見が良いのだと思った。

「……京香ちゃんは?」

 まさか一人だけ置いてきてしまったのだろうか。悪気はなくとも、それは感じが悪いような気がする。
 振り返って確認すれば、先ほどまで陣平が座っていた場所には既に他の男子が腰かけている。陣平も横目にそれを見ると「そんなの気にする奴じゃねえから」、なんて肩を竦めた。彼の選んでくれたボールを嵌めたり外したりを繰り返しながら、ふと横顔を見上げてみる。

「……いつだったの、成長期」

 私の言葉に、彼はボリボリと癖毛を掻いた。横から見ると、覗いた耳の淵が赤い。口をひん曲げて、私と反対の方向に顔を逸らした。それでも、耳は見えていたけれど。

「るせ、悪かったなチビで」
「そうは言ってないじゃん。私チビの陣平くん知らないし」
「アイツと比べれば小さいだろ」

 アイツ――というのは、萩原のことだろうか。確かに彼は同級生の中にいると、頭が一つ抜ける。スポーツの一つや二つしていると言われても疑問には思わないだろう。ただ、陣平が特別小さいわけでもなく、寧ろ平均よりは少し上のように見えた。余程、いつも隣にいるのだろうなあ。そう思ったら口角が持ち上がってしまって、陣平がム、としたのが分かった。

「――私はちょうど良いけどな、話しやすくて」

 ぽつりと呟いたら、陣平は何も言わなかった。頷くことも目に見えて怒ることもなかったから、もしかしたら地雷を踏んでしまったのではと一瞬不安が過る。しかしすぐに、彼は手に持っていたオレンジのボールを私に手渡して、後頭部を軽く掻いた。

「…………あ、そ」

 素っ気ない返事は、殆ど掠れてしまっていた。生意気そうな目つきが、やけに何度も瞬いた。
 ――うわ、か、可愛い〜……。
 ムスっとした態度が不機嫌なのか照れ隠しなのかは分からなかったが、胸がギュっと摘ままれるような心地がする。身長が高い人が嫌いなわけではないものの(寧ろ、芸能人は高身長のほうが好みだ――)、この時ばかりは彼が高身長でないことを感謝した。こんなの、ズルい!

「ひなちゃん、順番きたよー」

 ペアを組んでいた男子が、私のことを手を挙げて呼んだ。私は、陣平へ少しばかり後ろ髪を引かれながらも彼のほうに小走りで駆け寄っていく。そんな背中を、トン、と暖かな手が軽く叩いた。

「気張れよ」
「……キバレって……あはは、うん! オッケー!」

 頑張れ、とかじゃないのか、そこは。変な言い回しだなあと思いながらも、今度は自然に笑って頷けたと思う。ペアを組んでいた男子が「全部松田と萩原にとられるんだもんなあ」とブツブツ呟きながら眉を下げていた。何の話だったかは分からなかったが、もしかしたらボーリングの点の話かもしれない。私は「任せて」と拳を作って笑って見せた。
 その回は綺麗にストライクを出せたけれど、どうしてか隣にいる男子生徒の顔は晴れなくて、私は何か不味いことをしたかと頬を掻いたのだった。




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