13

 子どもたちは阿笠という老人と一緒に来ていたようだ。偶然なのかどうか、よく会うなあと思いながらも、席をくっつけて一緒にデザートを食べることにした。子どもたちとアイスを買いにいったが、沖矢は「甘い物は」と阿笠と席に着いたままだ。
 キラキラとした瞳が、俺はこれだ、アレだと話を膨らませている中で、コナンと哀だけは落ち着いた態度でメニュー看板を眺めていた。雰囲気が独特というか、大人っぽいというか――。マセているのとは少し違う気がする。思い返せば、クラスに一人いるような、物事を達観している子。そういう雰囲気に近かった。ユキも小学校のころは、独特の雰囲気があったからよく覚えている。
 まるで映画の中の相棒のように寄り添った小さな影に、私はそっと声を掛けた。

「哀ちゃん、この前はありがとうね」

 それは、以前掌を消毒してくれた時のことに対する感謝だった。哀はきつそうな目つきを少しだけ瞬かせると、フウと溜息をついて笑った。大人びた笑い方だった。
「良いわよ、そのくらい」
「ううん、哀ちゃんのおかげで落ち着けたし……」
「お礼なら、江戸川くんに言ったら」
 ノースリーブから飛び出た小さく細い肩を竦める哀に、私は目をきょとりと丸くさせた。江戸川――というのは、彼女の視線から察するに横にいるコナンのことだろうか。コナンは大きな眼鏡の奥の目をぎょっとさせて、アハハと頭を掻いた。私が見ても分かるくらいの愛想笑いだ。
「君も、ありがとう。この間はお世話になっちゃった」
「う、ううん! 全然そんなことないよ……生意気いっちゃって、ごめんなさい」
 何故か今までの雰囲気と一転して、急にあどけない口調を出す少年は、やはり不思議だ。まるで中身に大人が詰まっていて、わざと子どもらしくしているみたい――。検討外れのSFを考えながら私は少年に視線を合わせる。

「なんていうかね、私は怖かったから。コナンくんがちゃんと言ってくれたおかげで、一人誰かが助かったと思うと、すごいなって思うよ」
「……歩美から聞いたよ。お姉さんが守ってくれたって」

 くりくりとした瞳が、真っ直ぐに私を見つめる。
 やっぱり、不思議な雰囲気を持った子だと思った。言葉は幼くても、私よりよっぽど世界を知っているような――。明るい表情の中にある真実が、幼馴染を思い出させる。彼は、ニッコリ、と効果音がつくように口角を持ち上げる。


「それって、お姉さんの人を助けたいって勇気のおかげだと思うよ」


 ――コナンは、「ヒーローみたいだね」と続ける。ヒーローと呼べるほど、偉いものではない。あの時だって、ただ必死で――。一度は命を天秤に掛けてしまった。私がコナンの台詞に口ごもっていると、哀が横から口を挟んだ。
「いーんじゃない、素直に受け取っておけば」
「……でも、ほんとにそんな、格好いい理由で助けたわけじゃ……。私も危なかったから、ただ……」
「人を助けるのに理由なんていらないよ。助けることができたなら、それで良いんじゃないかな」
 ――人を殺す正当な理由なんてない
 一瞬、薄れる記憶のなかで聞いた言葉が頭を過ぎった。それはあまりに幼稚なようで、それでいて真理のような言葉だ。私は目の前にある少年の顔をまじまじと見つめる。口の端を軽く上げて、愛想よくしている少年が、まるであの日の誰か≠フ言葉に重なる。
「君って……」
 じい、とその顔を見つめた。
 彼はギクリと体を跳ねさせると、すぐに「って、小五郎のおじさんが……」と言葉を繋ぐ。こればっかりは私の勘だが、それは違うと分かる。無言のまま見つめあっていると、くいっと私の服を誰かが引いた。

「ね、お姉さんはどれにする?」

 歩美が、ニコニコと機嫌良さそうにアイスの看板を指していた。
「あ、うん……そうだね」
 くるりと向きを変えて、私もケースの中を覗いた。哀も私に並んで、ラズベリーにしようかな〜なんて話をした。歩美と並んでアイスを眺める様子は、小学生そのものだ。私も頬を緩ませて、アイスをオーダーする。零れないように、カップにしてもらった。

 ――まさか。まさか、ね。

 いくら大人びているといっても、相手は子どもだ。子どもの言葉が大人になると、意外にもぐさりと来ることはある。さっきのもきっとそれだ。それこそ、映画の中の話でもあるまいし。

 チョコレートのアイスは元太、バナナは光彦、イチゴは歩美。哀はラズベリーで、コナンはレモン。私がチョコミントを頼むと、「それ歯磨き粉の味がすんぜ」と元太が言った。その発言が可愛くて、私はケラケラと笑った。





 どうやら、歩美にはあの一件以来すっかり懐かれてしまったらしい。席に着くにしろ、彼女は私とコナンの間が良いと真っ先に告げた。子どもは好きなので、素直に好かれるのは嬉しい。ご機嫌にスプーンくわえる少女を頬杖をついた眺めた。
 クリっと丸い目に、ぱっちりとした睫毛。小さい鼻と、よく笑う口元。小学生とはいえ、さぞモテるだろうなあ。つやつやの髪を軽く指で梳いてみると、彼女は嬉しそうにはにかんだ。
 何より嬉しいのは、彼女が私の行動に応えるように好意を向けてくれていることだ。私がしたことは正しいと、その笑顔が肯定してくれているような気がした。

「そういえば……」

 歩美を見ていたら、ふと先日のことが思い浮かぶ。私が口を開くと、一同がばっと視線を向けるので、私は「あー、いや、その」とどもりながら続ける。
「結局、背が高い人なんていなかったなあ……って思って……それだけなんですけど」
「そうだよねー、百花お姉さんは魔法みたいに消えちゃったって言ってたし」
「どーせ見間違えたんだろ〜」
「あはは……まあそうなのかも」
 間違いなく見上げたのは確かだったので、もしかしたら近くで見上げたのを私が大袈裟に捉えてしまったのかもしれない――。そうでないと説明がつかないしなあ、ミントの清涼感をぱくりと味わった。


「いや、それは」


 と、誰かが話した。高い声だったような気がする。しかしすぐに声は途絶えてしまったから、軽く視線を泳がせると、咳払いが聞こえる。沖矢の方からだった。

「う、ウンッ。すみません、声が裏返ってしまって」
「え、い、今の声沖矢さんですか」
「はは、みっともないところをお聞かせしました」

 ぶっと私は噴き出して、口元を押さえる。なんとか我慢しようと思うのだが、肩が小刻みに震えた。失礼と分かってはいるのだが、あの高い声がこの男から出されたと思うと、腹が捩れそうだ。

「ふ、ふへ、あはは……ふ、フゥ〜……すみません……ふっ」

 収まりきらない笑い声をところどころに織り交ぜながら謝罪する。哀が、フっ、と私の笑いに続くようにして笑った。沖矢はその間真顔そのもので、それが益々私のツボを得てしまった。
「ふふ、アー……へへへ」
「笑いすぎでは……。とにかく、高槻さんの見た証言は間違ってないと思いますよ」
 私はぴくぴくと腹筋を引き攣らせながら、えっと顔を上げた。
「でも、犯人は別に高身長ってわけじゃなかったですよ。沖矢さんよりぜんぜん低かったし」
「身長、と言いますか。正しくはその時だけ、大きく見えたんです」
 沖矢は眼鏡のブリッジを中指で押し上げて、呆れたような声色をした。恐らく、推理力が足りないことへではなく、私の笑いが哀に伝染したことを嘆いているのだと思う。(――というか、そう願いたい)

「ほら、あの酒屋さん、荷物がたくさん置いてあったでしょう」
「ああ……まあ、そうですね」
「君はその手前でチラシを見ていた。商店街といえど、ちょうど搬入の時間で車通りも多かったので……犯人はその隙間を通ろうとしたんです。君と、車道の隙間を」
「隙間……通れば良いと思いますけど……」

 これは検討外れだっただろうか。悩ませながら言葉を選ぶと、ゆるゆると首を振られた。
「君の後ろには道が空いてなかった……。だから、彼は乗ったんです。路肩のブロックに」
 私は、思わずアっと声を漏らす。確かに、あった。歩道と車道の間に石ブロックが。あれなら、優に十センチ以上はあるはずだ。普通の成人男性が乗れば、私が見上げる形になっても可笑しくはないだろう。
「だから、私が振り向いた時には……」
「ブロックを降りていたんでしょうね。君は服装が印象づいていないようだったし、つい大男を目で探した所為で、その場から消えたように見えたんでしょう」
 成程、なんだか喉につっかえていた棘が取れたような気分だ。すっきりした気持ちでチョコミントを頬張ると、向かい側に座る沖矢が柔和な笑みを浮かべた。

「実際、あの場で指輪を渡していたらどうなっていたかは分かりませんから。見間違えて正解、じゃあないですか」
「……そうですね。怪我の功名ってことに」
「ふふ、そうそう」

 弱い冷房に揺れた前髪を軽く掻き分けて、沖矢が茶目っ気たっぷりに笑う。私もその顔を見ると安心できた。吊り橋効果というやつに近いのだと思う。最近の不安定な日常で、彼が傍らにいたから、心が勝手に思い込んでいる。――少しだけ、早く鳴った鼓動には勘違いだと言い聞かせて、私はスプーンを奥歯で齧った。