私のKitten!




 テキサスの冬は、寒暖差が激しい。
 日本でも二月にもなれば暖かな陽気であったり、北風が厳しかったりと少しずつ春へ足並みを揃えにいくものだが、ここの寒暖差はそんな生易しいものではない。真夏のような日差しが差し、半そでに汗を滲ませる日と、ダウンジャケットを羽織らなければ外に出れないような日がそれこそ一日おきに訪れる。今日は前者だった。半そでの制服を、家に帰ったと同時に脱ぎ捨てる。

「ただいまあ〜」

 奥の部屋まで届くように声を張れば、向こうからこだまするように「お帰り」と声がした。二人きりで暮らすには少しばかり広い一軒家、その声を頼りに彼の居場所を寝室と見定め、ぱたぱたと駆け寄っていく。

 ばん、と扉を大きく開け放てば、きら、と人工的な金色が靡く。私はそんな丸い頭のシルエットに向かって思い切り走り寄り、腕を伸ばした。男にしたって細い腰つきに抱き着くと、彼は一瞬驚いたようにしてから片眉を上げて笑った。

「あづかった……」
「確かに。明日は最高気温三度だってさ、ダウン出しといたほうが良いぞ」
「ほんと意味わからね〜! 風邪引いちゃうよ」

 とは言うけれど、こちらに住み始めてから風邪を引いたことは一度とない。それは目の前にいる男も十分承知していることだった。彼は苦笑して、「確かに」と相槌を打った。絶対そんなことを思っていないくせに、よく言うものだ。

 私はその汗で湿った体にぎゅうぎゅうと抱き着いて、このままベッドまで連れて行こうかと考えていた。眠たいし、かといって離れがたいし。いっそ一緒にベッドに入ってしまえば一石二鳥なのでは――と思ったのだ。


「あ、そういえば。今日は手紙が来てるよ」


 くだらないことを考える私の計画を知らずか見抜いてか、男――諸伏はデスクから一枚の封筒を拾い上げた。この住所をハッキリと知っているのは、ある一定の人間たちだけである。一応身を隠している身であるから、彼らもこちらに便りを寄越すとき、必ず何らかのカモフラージュをする。合言葉のように、その住所やメッセージのどこかに『0215』という数字を挟むこと――それだけが、互いの身分を証明するものだった。

 今日の手紙は、小包の中敷きの下に挟まっていたそうだ。ぺらりと便せんを開くと、ずいぶんと見慣れた文字が器用に並んでいた。――今回は、萩原のものだ。左手だというのに、ずいぶんと器用に文字を連ねている。私はその内容に目を通し、ふっと口角を持ち上げた。

 内容自体は他愛なく、近況やこちらの体調を気遣うような文脈が続いていた。松田の文は淡泊で、伊達はあまり周りのことを話さない。降谷は手紙という形を寄越すことは少なく、大抵差し入れのような物が送られてくる。だから、こんなふうに饒舌な手紙を送るのは、萩原しかいないのだ。

 ぺらりともう一枚の便せんを捲ると、しめくくりには何やら妙な文が並んでいた。

『ちなみに、この手紙を書いた日は二月二十二日。猫の日ってことだったので、二人におすそ分けです。どうぞ楽しんでね! PS:写真待ってる』

 ――猫の日か。
 二月二十二日、確かに、ニーニーと読めないこともない。相変わらず女の子の好きそうなイベントに目敏い男だなあと苦笑した。何をおすそ分けされたのだろう、諸伏に尋ねれば、彼はまだ目を通していないらしい。便せんを手渡して、私はそのうちに小包の中を調べることにした。

 ダンボールには、確かにちょうど菓子箱のようなものが入っていて、彼が言っていたのはこれのことだろうか。包みを解けば、そこには量販店で売っていそうな俗っぽい猫耳コスチュームが入っていた。猫型に胸元がくりぬかれたチューブトップと尾っぽのついた短パン、それから黒い猫耳に、ちりっとチープな音を立てる鈴のついた首輪のセットだ。

「あ、あいつくだんねーこと考えやがって……」

 してやったり顔でニヤニヤとほくそ笑む面長な顔つきが、今まさに目の前にあるように想像できた。可愛らしい外国の女の子が猫のポーズをして笑うパッケージを見つめながら、私はそれを取り出した。
 ちょうど手紙を読み終わったらしい諸伏がヒョコリと顔を覗かせる。そして私の手元にあるものを見た瞬間、彼はカっと顔を赤くした。そして言いづらそうに歯切れ悪く、こちらを指さす。

「……萩原が送ったのって、それか?」
「うん。馬鹿だね〜、ほんと」
「ハァ、なんていうか、アイツらしいっちゃらしいか……」

 へにゃりと、その吊り上がった眉が懐かしむように下がる。笑った瞬間に目じりにきゅっと寄った皺を見て、私は少し考えた。――猫、かあ。

「案外良いかも……」

 ぽつりと落とした呟きは、思いのほか二人しか存在しない部屋の中でよく響いてしまった。先ほど赤くなったばかりの諸伏の頬やら耳やらが、益々血を集めていってしまう。ツンと尖がった目つきの中で、瞳を丸くさせて私を捉えた。

「や、高槻さん……?」
「折角こうやって送ってくれたんだしさ……タダで返すこともないと思わない?」
「でも」

 食い下がる諸伏に、私は悪戯っぽく笑った。背後に立つ彼のほうをちらっと視線で振り向いて、口角を薄っすらと持ち上げる。出っ張った喉仏が、目の前でゴクンと鳴るのが見えた。そんな仕草の一つさえ、色っぽいと思った。

「今、可愛いって思ったでしょ」

 ニヤっとして揶揄って見せたら、諸伏は軽く額を押さえながら、咎めるように私を呼んだ。眩い夕陽は傾いて、この部屋をよく照らしつける。その反応を見る限り、恐らく諸伏も全力で拒否しているわけではあるまい。私はあと一押しと、後頭部をコテンと彼の肩口に凭れさせた。ぐっと薄っぺらな唇が言葉に詰まるのを下から見上げる。

「はー……可愛い……」

 正直グっと来た――私は今の表情を焼き付けておこうと瞼を閉じた。その瞬間に、頭上から冷たい唇がちゅっと小さなリップ音を立てて私のものに重なった。固い唇だ。その仕草に、ついにニヤニヤと口角が緩まっていくのが止まらなくて、私はぐるっと体勢を向きなおすと、もう一度下唇を小さく噛んだその口にキスをした。

 ちらっとキスしたあとの顔を見つめれば、彼は拗ねたように口元を僅かばかりに歪ませた。ぽりぽりと首筋を掻く、初めてキスをしたときよりも少し大人びた顔は、それでも相変わらず可愛くてしょうがなかった。

「ね、駄目?」

 これでもかというほどに女っぽい声で首を傾ぐと、諸伏は「あのなあ」とため息をついた。低い声は私にわざとしてるだろとか、そうやって言えば良いもんじゃないとか、説教を一通り終えると盛大なため息と共に視線を逸らす。


「駄目ってわけじゃ、ないけど……恥ずかしいんだよ」

 
 そう零した姿が愛おしくて、私は我慢できないままに彼の背を抱きすくめた。このムッツリ野郎、今に化けの皮を剥いでやる。触れた体温は、諸伏にしては暖かくて、彼がよっぽど熱を篭らせていたことを物語っていたのだった。




「安室さん、クール便で何か発注しました?」

 カランと軽快なドアベルを鳴らして、梓は小包を持ち店に戻った。確かに住所はポアロのもので、品物名にはアイスクリームと書かれていた。彼女にはとんと覚えがなく、同僚である安室に声を掛ける。安室は反射的に「いえ、特に……」と答えてから、はたとグラスを磨いていた手を止めた。

「ああ、僕でした。新メニューの開発にと思って取り寄せたんです」
「へえ、北海道からですって。楽しみにしてますね」

 どうぞ、と小包を手渡されて、安室は頷きながらそれを受け取った。先ほど業者から引き取ったばかりなのだろう、まだひんやりと冷たい空気を纏う小包を、じっと見つめる。

「良いねえ、アイス? まだちょっと早いような気がするけど」

 カウンターに凭れかかっていた長髪の男――萩原は、安室が持った小包をひょいと軽々覗き込んだ。今は三月の終わり、次第に暖かくなってきたといえど、まだ季節柄ではない。安室は軽く肩を竦めて、「こういうのはシーズン前に考えないと」と尤もなことを述べた。

「というか、萩原刑事。もうそろそろ休憩が終わるんじゃないですか」
「そういうなって透ちゃん。お、噂をすりゃあツレがきた」

 萩原がひらりと手を振れば、煙草を片手にサングラスがトレードマークの癖毛頭が入店した。後ろには、体格の大きな熊のような男を連れている。安室はその様子を見て、ジトっと目つきを鋭くしながら静かにため息をついた。

「日本の誇る警察官たちはずいぶんと――ず、い、ぶ、ん、と。暇なんですねえ」
「何イライラしてんだよ、バイト君。姉ちゃん、コーヒー二つ」
「はいはーい」

 萩原の傍らに腰を掛けながら、松田が二本指を立て梓に注文をする。安室は額を押さえながら松田の手元にある煙草を取り上げると「この席は禁煙なので」と、まだ吸いぶちの長い煙草を容赦なく灰皿に突き刺した。

「……あ、これ」

 険悪なムードなどどこへやら、何一つ気にしてもいない様子で、萩原が安室の持つ宅急便に目を凝らす。その郵便番号には、例の数字が羅列していた。安室はようやくのこと、そうだったと小包を解く。中身は品名通り、北海道ご当地のアイスクリームが入っていて、その下敷きに納品書に混じり手紙が一枚挟まっていた。

 その中身に、安室の目じりが柔く垂れた。
 便せんにある文字は間違いなく、過去には教場を同じくした同期――そして、幼馴染の命運を変えた恩人でもある少女の文字だった。(これが中々汚い癖字なので、彼はよく覚えていた。)

 安室の表情を見て、前に座っていた三人の男たちも少し和やかに口角を持ち上げた。――のは、束の間。その手紙を読み終えたと思えば、安室はにこやかに手紙を握りつぶしたのだ。

「あの女男……」 
「おいおい、何かあったのか」

 普段安室透でいる限り、滅多にその和やかさを崩さない優秀な男だ。伊達はそれが只事ではないのではと焦りを覚えて身を乗り出す。

「……いえ、大丈夫です。梓さん、すみません。僕少し暇を貰います」
「え、ええ。構いませんけど……どうしたんですか?」
「急にアメリカにいく予定ができまして」

 その言葉に、伊達らは顔を見合わせた。安室が握り捨てた便せんを拾い上げて、萩原はそれを読み上げる。他愛ない近況報告と、それから――。

「ネコの日の件はありがとう。おかげで存分に楽しみました。PS:写真は内密に……あ! もしかしてこないだ送った返事じゃない」
「あー、お前がふざけて同封したやつか。絶交宣言でもついてた?」
「いやいや、すげえ感謝してんだろ。写真も、って……百花ちゃんサービス精神旺盛だこと」

 一度は本気で惚れた相手である。正直可愛らしい格好を見るのは満更でもなくて、萩原は怒り狂う安室をよそ目にぺらりと便せんを捲る。萩原の横から、松田たちもそれを覗き込み、同時にコーヒーを噴き出した。

 写真は確かに同封されていた。顔こそ映っていないが、萩原が送ったチューブトップに短パン、猫耳、ご丁寧に首輪までつけた細身な男のシルエットだ。

「やっぱりあんな奴のとこに行かせたのが間違いだった! 僕は行くからな!」

 思えば、最初から気づくべきだったのだ。
 あの冷静沈着かつ、才能に溢れた安室――降谷零が感情を剥き出しに動揺することなど、彼の幼馴染のことでしか有り得なかったのだから。そして萩原は思い出していた。そういえばまだ一緒にワンルームを借りていた頃、北海道産のアイスが食いたいと話していたことを。

「つまり、これは俺への献上品ってことね……」

 ――男のイロモンを見るために送ったわけじゃないんだけどな。
 そう苦笑いを浮かべる。いつか、直接礼を貰うのを楽しみにしておこう。萩原はそう思いながら、今は只管目の前の優秀な潜入捜査官を落ち着かせるべく、二人の戦友と共に奮闘するのだ。


 この写真を同封する際に、テキサスではまた果てしない攻防戦が繰り広げられていたのだが、それはまた別の話である。


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Shhh...