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 やってしまった。ひどく重たい頭を抱えた。
 二日酔いとまではいかなかったが、久々に昼過ぎまで寝ていたせいで頭が鈍い。のそのそと寝間着姿でキッチンに顔を出すと、母親が心配そうに「百花、昨日大丈夫だったの」と尋ねてくる。酔っ払って、色々な人に絡んだまでは覚えていたのだが、どうやって帰ったかの記憶はない。何が、と素っ頓狂な声で聞き返すと、テレビを観ていた妹が食いついてきた。
「お姉ちゃん、昨日すっごいイケメンに連れられて帰ってきたんだよ」
「すっごいイケメン……」
「それも、二人!」
 ――二人、と言われて最初に心当たりがあったのは、松田と萩原だった。確かに女生徒にキャアキャア言われているだけあって、顔の整った人たちだ。二人とも何だかんだ根は優しく、特に萩原などレディファーストを体現したような男なので、納得できる。
「片方はマジ俳優みたいだったなあ〜……。でも私は黒髪のほうが好みだったけど」
「え、どっちも黒髪じゃなかった?」
「ううん。片方は天然っぽいブロンドで、派手な顔してたなあ」
 警察志望なんでしょ、羨ましい〜。と妹は軽く手を振って興奮したように話していた。――と、いうことは、恐らく降谷と諸伏だ。少し、意外だった。諸伏は優しくお人よしそうだが、降谷なんてそこらに転がしておきそうなものだ。学校に戻ったら礼を言わなければなと思った。
「ていうか、お姉ちゃん何時に戻るんだっけ」
「え? ああ、五時には戻るから……げ、あと三時間しかない」
 貴重な休日が……と恨めしく思ったものの、母が上品な笑顔で「まあ、ごはん食べてきなさい」とフレンチトーストを出してくれたので、急に調子が戻った。この世界での家族は、一般家庭の中で少しお金持ち、くらいの部類に入る。綺麗目な友達の家――といったかんじで、溺愛されたこともないが、大切には思ってくれていると感じる。
「ねー、連絡先とかないの」
「こら。お姉ちゃんの職場の人にそういうこと聞くんじゃありません」
「いや、普通に連絡先知らないしなあ」
 そう苦笑いすると、妹は「なーんだ」とソッポを向いてしまった。

『お兄ちゃんってば、聞いてんの』

 ――ふと、人懐っこく笑う顔が思い浮かぶ。今まで、一度も妹が重なることなどなかったのに。今の妹は今時なかんじの末っ子で、母によく似たくっきりとした瞳が印象的だ。前の妹は、どちらかというと大人しそうな風で、施設では他の子の姉として振る舞っているせいかしっかりとした子だった。ハッキリいって似ても似つかない。



『あ、もう始まっちゃう、行こ!』


 開演ブザーの音、映し出されるスクリーン。少し、頭が痛んだ。やっぱり二日酔いかと、私は内心舌を打った。






 警察学校に戻ると、学習部屋でクールビューティちゃんと顔を合わせた。彼女も酔っ払っていたようで、当日のことはあまり覚えていないらしい。荷物の名札には鈴奈とついていて、その時下の名前を初めて知った。可愛い名前だと感じて、ややニヤつきながら名前を呼ぶと、彼女はフっとクールに笑った。

 土日は食堂が開かないため、夜ご飯を買いに行こうと二人で荷物を降ろしてから近くのコンビニに向かう。昼にフレンチトーストを食べたものの、すでに消化しきってしまったので、カルビ丼を買った。ご機嫌に鼻歌を鳴らしていると、ちょうど渡り廊下の先に丸っこい頭を見つけた。

 ――そういえば、お礼を言わないと。

 先日の母と妹の言葉を思い出し、私は鈴奈に断りを入れ、駆け足でその背中の方へ向かう。私より高い位置にある肩をポンっと叩く。何気なく振り向いた諸伏は、その吊り目で私のことを捉えると、ギョっと目を見開いた。そんな、殺人現場に遭遇したような顔をしないでほしい。
「高槻さん……」
「ごめんね、あんま覚えてないんだけど、諸伏くんたちが送ってくれたって聞いて」
「あー……。いや、良いんだ。あの場で酒を止めれなかった責任は俺たちにあるし」
 にこ、と笑われると何だか申し訳ない気持ちになる。誰一人酒を無理に勧めることなどしなかったし、飲んでしまったのは私のミスだ。いや、そんな、と遠慮がちに首を振ると、ニコニコとした笑顔が固まる。彼はその笑顔を張り付けたまま、少し声のトーンを落とした。
「でも」
「……でも?」
 人差し指が、私の額にびしっと指された。そして、軽くトンっと額を押される。私は何がなんだか分からないまま、押された部分を両手で覆った。
「ちゃんと女の子って自覚を持つこと」
「はあ……え、諸伏くんどうしたの」
 急に少女漫画ばりの台詞を述べるものだから、真剣に何があったのか気になり首を傾げると、もう一回。今度は思い切りデコピンされた。私のイントネーションも、「どうしたの?」ではなく思い切り顔を歪めて「どうしたの」と言ったので、尚更癪にさわったのかも知れない。
 諸伏はわなわなと体を震わせ、文句を言いたげに口を開閉したが、ややあってハァー……と長ったらしい溜息をついた。なんだよ、と口を歪ませていると、諸伏を呼ぶ声で会話が遮られる。萩原の声だった。

 萩原も今帰ってきたところなのだろう、スーツのネクタイを緩めながらこちらに駆け寄り――私を見ると、申し訳なさそうにパンっと両手を合わせた。
「ごめん、高槻さん。まさかあんなことになると思ってなくて」
「ううん、私こそ迷惑かけてごめんなさい」
「諸伏ちゃんに聞いたよ、お酒には気をつけなくちゃね」
 聞いた≠ニいう言葉に、違和感を持つ。彼は私の隣の席だったはずで、酔っぱらったことは知っているのでは。ふと萩原を見上げると、常に口角が持ち上がっている口元が、不自然に引き攣っている。諸伏が口パクで「やめろ」と言っているのが、私にも見て取れてしまった。
「なに? 何の話?」
「あー、っと。ホラ、絡み酒っぽかったからさ……」
「何を聞いたんだって、ア?」
 じっとりとその愛想笑いを睨みつけると、空笑いを繰り返す萩原は言い辛そうに視線を往復させた。どうやら押しに弱いらしく、私が暫く詰め寄っていると、折れたように息をつかれた。(本人曰く、女の子だけらしい)

「昨日、自分でブラ外して置いてったって……。諸伏ちゃんが頭抱えてたっていうか……」

 諸伏は、再び頭を抱えていた。いや、抱えたいのは此方の方だ。感心すべきは、そこまで泥酔していた女の子をしっかりと無事に送り届けた諸伏と降谷の理性である。そういえば思い上がりすぎではと言われるだろうが、俺だったらこの見た目の女の子が酔っ払って下着まで取り払っていたら、間違いなくそのままワンナイトしているだろうと思う。
 特に諸伏は、てっきり私のことを好みなのだと、良いと思っていると――そう考えていたので。もしかしたら、こっちは私の思い上がりだったかもしれない。だとしたら恥ずかしい。

「女の子として、ってそういう……」

 先ほどの諸伏の言葉を思い返す。ハッキリ言わないのは、優しく穏やかな彼らしいかもしれない。どのみち、迷惑をかけたことには変わりないらしい。もう一度諸伏に「ごめんね」と謝ると、猫のような目元が、ほんのりと赤く染まった。彼は焦ったように言葉を紡ぐ。

「いや、俺こそ……その、ごめん。女の子の、そういう……勝手に触っちゃって」
「や、でも私が脱いだんでしょ。放っとかれても困ってたし、諸伏くんが謝らなくても」
「それはそうだけど! そうだけど、さあ」

 諸伏は少し声を大きくしてから、居づらそうに首を掻いていた。今度は声を小さくして、ぼそりと、私に向かって言うのだ。日本人らしいが、真っ黒よりは色素の薄い瞳がキラリと潤んだ。

「とにかく、ごめん」

 ――可愛いなあ、この人。
 そう感じたのは、私なのか俺なのか――さだかじゃない。どちらともであって、どちらでもないような気がした。女から見て格好いいというのじゃなく、男から見てエロいというのじゃなく。以前も、迷子のように手を握る男に、妙な感じがしたのを覚えている。ただ、ただ、可愛いと――それだけは確かに感じていた。

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Shhh...