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 チェックのマフラーに巻き込まれた、長い黒髪が冬の空には暖かに見えた。
 純日本人らしい黒髪に白い肌をしていたが、にしてはやや吊り上がったアーモンドアイが、彼女の気まぐれさをそのまま表しているようだった。少し目つきは悪いかな、と思わせる小ぶりな瞳が、一目見た時から我儘そうで可愛いなと思った。
 零は元カノに似ていると言うけれど、自覚はない。確かに黒髪で活発そうな子だったけれど、それより彼女のほうがどこかミステリアスで、タフなイメージがあった。すん、と澄ましている顔つきが、偶にヘラっと笑う。八重歯がチラっと覗いて、そのたびに少しドキリとする。


 目の前で、寒空ではないのに白い肌が赤く染まっている。思わず逸らしたい気持ちはやまやまだったが、それ以上に彼女の行動が危うすぎて目が離せない。誤って萩原の酒を飲み干した高槻は、あろうことか伊達の太い腕に跨り始めた。さすがにそれは隣の萩原が止めてくれたが、完全な酔っ払いの出来上がりである。
 面々も、警察の端くれである。「未成年に飲酒をさせてしまった」という罪悪感、見つかったら大目玉だという不安から、まだ九時にもなってはいなかったが、飲み会はひとまずお開きになった。
「悪ぃけど、頼むわ」
 松田から、ぽいっと放られたのは、肌を赤くした小さな体だ。小さいと言っても、それほど小柄なわけではないが、実際腕に受け止めるとこんなにも軽いものかと驚いた。松田はへべれけになった萩原を蹴りつけながら介抱していて、恐らく俺が零と二人で帰ることを見越して任せたのだろう。

 体に力は入っていないが、高槻は案外自分で歩けるだけの意識がある。酔っ払いらしく言っていることは滅茶苦茶だったが、活舌はハッキリとしていて、言葉も聞き取れた。――のは良いのだけれど、一つ気にかかることがあった。

「だからぁ、おれと一緒に帰ろうよって」

 彼女のルームメイトだっただろうか、飲み会に参加している女生徒に絡んで離れないのだ。元々荒い口調ではあったが、すっかり男もさながらの言葉遣いになっているし、見た目を抜きにすれば完全に女に絡む酔っ払いのゴロツキだ。相手の子も酔っ払っているので、「どうしようかなあ」なんて埒のあかないコントになっている。

「高槻さん、帰るよ」
「るせぇな、野郎はあっちいってろってぇ」
「はいはい……」

 相手の子は同じ方向に帰るという他の女生徒たちに任せ、俺と零で高槻の細い肩を連行した。彼女は未だ「放せテメェ」「何すんだよ」と力のない腕を振り回していたが、タクシーを拾おうと路地へ出ると、次第と口数も少なくなりぼーっとしはじめた。

「……とんだ酔っ払いだな」

 ハァ、と零が重たくため息をついた。
 彼も彼で、すこぶる酒に強いので、恐らくここまで酔っ払う人の気持ちは分からないのだろう。それでも肩をしっかりと担いでやるあたり、零の正義感の強さが表れている。そういうところが、好きだと思う。
「でも、零も嫌いじゃないだろ」
「何が」
「高槻さん。ずっと放っておけなそうだったし」
 笑うと、彼はその垂れた目つきを大きく見開いた。そして複雑そうに眉を顰めると、抱えている高槻のほうを一瞥した。

「それ、ヒロがそう思ってるから見えるだけだろ」
「……え」
「今日もずっと放っとけない≠チて顔、してたよ」

 ――確かに、そうは思っていたけれど。だって、しょうがないじゃないか。あんな風に異性に対してあられもない態度を取っていては、いつか痛い目にあっても不思議ではない。まだ十代だというのに、何かあっては可愛そうだと思った。
「ん、ンン〜……」
 零の言葉に暫く沈黙を続けていると、隣から寝言のような声がごにょごにょと響く。どうやら近くの電柱を指さして、何か訴えているようだった。
 ばっと、幼馴染と視線を合わせた。恐らく同じことを考えている。まさか、と思った。
 その間にも彼女はもぞもぞと体をくねらせているので、いよいよこれはまさか≠セ。電柱に戻すのも気が引けたが、こんな人目のあるところで、しかも車道の近くでするくらいなら、隅の用水路へ駆け寄ったほうが良いだろう。二人で軽い体を引きずり、電柱近くの用水路へ連れていく。
 背中をゆっくり擦ってやると、高槻はハっとしたように前を向き、「そうだそうだ」とぼやく。

 てっきり、吐くのだと思った。女の子だから、少し忍びない気持ちもあった。しかし彼女は蹲るのではなく、足の辺りを弄って、しかし手は空ぶっていた。


「あれぇ……おれのチンコ、ない……」


 聞き間違いか。俺もそこそこ飲んだから、妙な声が聞こえてしまったのか。ぎょっとして彼女のほうを見ると、確かに男が用を足すような仕草で、短いポロワンピを捲ろうとしていたので俺は慌ててスカートをぎゅっと抑え込んだ。
「な、にしてるんだ!」
「邪魔すんなよ、しょんべんしてーの。しょ、ん、べ、ん」
「分かった、トイレまで連れてくから、な!」
 ごねる高槻を、今度は近くの公衆トイレまで引きずった。個室に座らせて、ドアを閉める(カギ閉めて、といったらうんこじゃねえよと言われたが)。いくら男っぽくなっているとはいえ、これでは本当に男のようである。
 さすがにチンコは聞かないフリをしたかったものの、恐らく零も聞いたのだろう。ぼそっと「ちんこ」と、神妙な顔をして呟いていた。あの零が聞こえたというのだから、それは真実に違いない。

 まあ、彼女はまだ十代だ。もしかしたら酒くらい飲んだ経験があるかもしれないが、それでも飲みなれてはいないだろう。悪酔いの一つや二つ、多めに見てやりたい。驚いた心をなんとか落ち着けて、自然とポケットから煙草を一本跳ねさせて口に銜えた。
「ヒロ」
 零が、天井を指して名前を呼ぶ。ハっとして上を見ると、火災報知器がきらりと光っていた。かじった煙草を仕方がなく口から離す。零は少し不機嫌そうに「煙草、やめろよ」と吐き捨てた。
 
 煙草を吸い始めたのは、大学二年。前の彼女と付き合って吸い始めた。前の彼女が吸う人で、なんとなく、吸っている時間も共有したかったから始めたものだった。良い別れ方をしなかったので、零が快く思っていないのは、前から知っている。
 別れて吸う本数は減ったものの、馴染んだパーツというのは思いのほか離れないものだ。 

「うん、分かってる」

 ごめんな、と言って煙草を潰した。その同じタイミングで、がちゃっとドアが開いた。さきほどより赤みが引いただろうか。大丈夫かと尋ねると、ややぼーっとはしていたものの、こくりと明確に頷いた。
 アルコールが排出されてスッキリしたのか。それなら良かった。
「高槻さん、歩ける?」
「あー……うん」
 がしがしと綺麗に揃ったショートヘアを掻きむしって、彼女は自分で歩き始める。しかしその足取りはやはりまだ危なっかしく左右に大きく振れていたので、心配で横について歩いた。
「なあ、ヒロ」
「ん、どうした……あ、ちょっと」
 零がぽつりと声を掛けてきて、振り向いた拍子に横の影が大きく逸れた。大きな車道ではなかったが、危ないと手を伸ばした。倒れかけた体を支えるように手を回した時――確かに、腕に柔らかな感触が当たった。しかも、いやに生々しい――まるで、いや、これは――。

「ぁっ、」

 その薄い唇から、小さく声が漏れる。きっと零にさえ聞こえていたかという声。すぐに近くを通った電車が線路を揺らす音に掻き消されたが、耳の中で永遠かと思うほどに反復した。自分でも、顔が赤く紅潮していくのがありありと分かった。
 行き場のない感情とその声に反応した欲情が、ぼけっとこちらを見上げるクリっとした目つきに向かって吐き出される。

「高槻さん!!!」

 それは殆ど怒りを含んだ声色で、少女は「やんのかよ」と何故だか挑戦的に応えるのだった。素面に戻ったら、絶対に説教してやると心に決めながら、俺は公衆トイレまで彼女のブラジャーを取りに走った。

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Shhh...