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『え、この人ってアムロさんって名前じゃないの?』

 映画館の片隅のグッズコーナーで、真剣な顔をしてグッズを選ぶ姿を見下げた。金髪で色黒の男は、確かに妹がアムロトオルだと言っていた人物だ。しかしグッズに表示されている名前は違った。もしかして双子とか、と尋ねると、妹は声を上げて笑った。
『ちがうよ〜。言ったでしょ、この人はスパイだから、本名と偽名があるんだって』
『へー……』
『潜入してるときはアムロトオル、組織のときはバーボンでしょ、本当は――……』
 そう妹が説明しだしたとき、館内アナウンスが響いた。どうやら今持っている映画のチケットの入場を報せるものだ。妹はぱっと弾かれたように立ち上がると、まだポップコーンを買っていないと嘆いた。
『え、別にポップコーンなんて買わなくても』
『違うの〜! コラボしたポップコーンがあるんだよ〜』
 はやくはやく、と彼女の小さな手が俺を引いた。俺とは違う、やけどの跡も、いびつに折れて妙な向きのままくっついた小指もない。手を引かれるままに、俺はそのあとをついていった。やれやれと、ため息をつきながら。

 俺にとって、なんの損得もなく付き合える人間は彼女しかいなかった。俺が何ももたらさなくても――色々なものを買ってやれるくらいの裕福さもなく、一緒に住んでやることもできず、ただ話を聞くだけでも――なんて嬉しそうな顔をするのだろうか。
 守ってやろうと思った。この生涯に、一筋の意義が見いだせるのなら、彼女を幸せにすることだけだと感じた。






「点呼―ッ」

 教官の大声にハっと意識が戻る。呆けてたことがバレたのか、今日の点呼は三回目でようやく通された。朝食もそこそこに、掃除を済ませ、私たちは胃をのなかを掻きまわされながら寮へと走る。梅雨もそこそこ、じっとりと湿ったこの時期に、なんと今日は重装備訓練があるのだ。文句の一つでも垂れたい気持ちはやまやまだが、それどころではない。授業の開始までにあの重装備を身に着け集合しなければならないのだから。
 汗と湿気で張り付く制服を何とか着替えおわり、私たちはグラウンドへと走る。これでゲロを吐いたら、誰が片付けてくれるんだろうか。

 重装備での訓練はこれが初めてではない。それだけに、この重さへのうんざりさも倍増していた。プロテクターをすべて装着した重さは、優に五キロはいくだろう。
「高槻、ぼんやりするな!」
「はい!」
 ジュラルミン製の盾を三人で隙間なく重ね、勢いよくサスマタでどつかれるのを耐えた。この盾を支えるのが、思いのほか一筋縄ではない。そして一通りの訓練を終えると、この教官はたいてい――。

「全員、周回!」
「はい!!」

 そう、このラストのダッシュがキツいのだ。総重量が何キロになるかなど考えたくもないが、とにかく身が重い。それでも最初の訓練に比べればマシなほうである。盾を引きずらなくても走れるし、ややスピードをあげれる余裕もあった。
 先頭を走るのは日によって変わるのだが、今日は伊達班の番だ。心なしかいつもよりもテンポが早い。さすがというか、なんというか。女の体だからと彼らに負けるのは、少し悔しいものがある。警察になれば、同僚なのだ。
「クソ〜……」
 歯がみしながら先頭を見つめていると、ふと頭二つが隊列から抜けるように走っていった。片側は背が高くシルエットで萩原だと分かった。ということは、もう一つの影は恐らく松田だ。

「げ、あそこでダッシュ?」
「まじかよ、あいつら」

 彼らの言う通り、残り一周のラストスパート。ダッシュしたい気持ちはやまやまでも、既に重さと熱さで疲弊した体に最後の鞭を打つことは、難しいことだ。この後にも訓練は残っているのだから、尚更だろう。

 ――でも、やらなくちゃあな。
 私は盾の持ち手をぎゅうと握りしめると、千切れる列についていくように足を動かした。もとより負けず嫌いな性格もあったが――何より、あの人に、あの警察官に、俺もあなたみたいになれたと誇れる人間でありたいからだ。






 授業を終え、自由時間が訪れたときには、正直誰が汗臭いのかも分からない室内になっていた。自分も同じ匂いだと思うので、気にもならない。完全に嗅覚が麻痺していた。思い切り体を動かすのは、キツいものの悪くはない。ランニングの時間を増やしてみようか。ぐぐっと腕を伸ばしながら廊下を歩いていると、ちょうど向かいから教官が歩いてくる。敬礼とあいさつをすると、教官が目の前で止まった。
 ――え、なになに。今の挨拶まずかったか。
 声も姿勢も、今思い返すかぎりで反省点は思い浮かばなかった。
 鬼塚はその厳つい顔をじっとこちらに向けると、「高槻」と私を呼ぶ。返事をすれば、軽く手招きをされ、彼は踵を返した。意図は分からないが、ひとまず教官の指示なので、私も背中を追った。

 呼び出された先にいたのは、黒いサングラスをかけた鬼塚よりは背の低い男だ。スーツを着ていたので恐らく関係者かと思い、私は先ほど鬼塚にしたように敬礼をする。目の前の男も、同じように敬礼を返し――一言、尋ねた。


「君、機動隊に興味はないかね」


 そう聞かれた私は、たいそう間抜けに口を開いたことだろう。う、ウンと教官が咳ばらいをするまで、口を開いて固まってしまった。
「今日一日、見学させてもらってね。女性とは思えないフィジカルと負けん気の強い性格――どちらも素晴らしい。特に逮捕術と柔道だ」
「は、はあ」
「本当は他の生徒を見に来ていたのだが、どうにも目についた。急で悪かったな」
「いえ。とんでもないです……?」
 語尾が疑問形に持ち上がってしまった。困惑してしまったが、これは恐らく名誉なことだ。警察学校でわざわざスカウトだなんて、聞いたことがない。それが他の生徒のついでだとしても、だ。
 自分に向いているとも思う。いくら付け焼刃で知識を得ても、地頭は変わっていないので、どちらかというと脳筋タイプなのは確かだ。あれこれ考えるより、体を動かすほうが断然得意だった。
「射撃検定も、ほぼ満点――。しかもまだ十代だろう?」
「は、はい」
「逮捕術も初心者だと聞いた。その伸びしろも評価したいな」
「ありがとうございます……」
 まるで自分のことではないものを評価されている気分だった。
 だって、十代じゃないし、運動のセンスがあるのはこの体のおかげだ。負けん気が強い性格をしているのは確かだけれど、それは逆に前世の俺のおかげだ。どちらを褒められているのか、妙な気持ちで、違和感に揺られてしまう。


「……ありがたく、受けさせていただきます」


 ふわふわとしたままだったが、何とか言葉を紡いだ。それでも首を縦に振ったのは、本音はそこにあったからだと思う。私の様子を見ると、目の前の男は苦笑して「まあ。まずは卒業だ。また考えておいてくれ」――そう、肩を叩いた。


 私はとにかく、その他の生徒≠フことが聞きたくて、クラブ活動をしている同期たちにそのことを尋ねてみた。スーツにサングラスの男、教官とは服装が明らかに違ったので、恐らくすぐに見つかるだろうと思ったのだ。
 思った通り、知っていたのは同じ教場の男だった。曰く、萩原と松田といるのを見た――と聞く。私は萩原と松田を探して男子寮へ向かう。女子は禁制なので、なんとか寮の前にいた男たちに声を掛け、呼び出してもらえないかと交渉しているときだった。


「駐車場!? なんでそんなところにいるんだ!」
「だぁから、さっき教官に頼まれてたんだってば!! FDならそこにあると思うけど!」

 
 風のように過ぎ去っていったのは、降谷――それから萩原だ。男たちは「あ」と萩原の後ろ姿を指さす。私はなるべく手早く彼らに礼を述べると、その足取りを同じように追っていった。
「足、なっげぇんだよ!!」
 その足の速さに、文句を叫びながら、私は重装備訓練よりも気合をいれて走った。
  
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