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 アドレスを、一字一句見直すこと十回程度。
 はたして、アドレスの登録とはこんなにも緊張するものだっただろうか。だって、私は今から諸伏にメールを送らなければいけない。彼は私のアドレスを知らないので、せめて「登録したよ〜」なんて一言送るのが筋だろう。

 無駄に女の子っぽくするのも嫌で、最初は口調そのままに打ってみたけれど、よく考えればそれも素っ気ないだろうか。松田に連絡をするときなんて、「うん」だけで送信することすらあるのに、何をこんなに困っているのだろう。
 迷えば迷うほど分からなくなってきて、結局メールを送ったのは次の日の朝だった。
『高槻です 登録したよ』
 と、それだけのメール。絵文字をつけようかと考えたが、打っては消し、打っては消し、最終的には消された状態で送信した。まだ休日にしては朝早い時間だったが、返信が返ってくるまで五分と掛からなかった。
『諸伏です。ありがとう。』
 最後にしっかり句読点がつけられているのが、なるほど、諸伏らしいと思う。というか、諸伏ですって――私はそんなこと分かっているのだから、名乗らなくても良いのに。クス、とついメール画面を眺めながら笑いが零れてしまった。

 続けようかどうか、少し悩みながら携帯を眺めていると、携帯が震える。萩原からだった。一斉送信の文面には、トロピカルランドに行くときの集合場所が書かれている。在校中は車の運転を禁止されているので(――そう、禁止されているのである)、集合場所は電車だ。

 私は内容を確認してから、萩原に『ありがとう』と返信した。そうしているうちに母の声がリビングから聞こえて、私はメールのことを意識の隅に追いやっていた。




 
 萩原のメール曰く、動きやすい服装必須で! とあったので、短いダメージデニムとシンプルな白いTシャツ、足元はスニーカーだ。服装がシンプルなぶん、いつもより少しだけ丁寧に化粧をした。首元につけたシンプルなシルバーのネックレスは、高校の時の友人が誕生日にプレゼントしてくれたものだった。
 私が集合場所に着いたときには既に数人が看板の前にたむろしていて、私はその集団に向かって少し駆け足で近寄った。萩原と諸伏、降谷はすでに着いていて、案の定松田はまだ姿を見せない。それから、伊達は――。

「あれ、伊達班長は?」
「彼女の実家と都合がつかなかったんだと。そっちに行ったよ。みんなによろしくって言ってた」

 当たり前かもしれないが、こういうときにサラリと彼女のほうを取れるあたり、当然のように良い男なのである。残念だったが、今から伊達のことを呼びつけるわけにもいくまい。
 女生徒たちも、今日はこの間の飲み会よりラフめな格好が多く、少しツボだった。――こういう恰好が、単に好みだったので。少しだけ、きっと夏乃も似合っただろうなと考えて、かぶりを振る。入校のときから伸びた髪をハーフアップにした鈴奈が、私を見るとひらひらと手を振ってくれた。細身のデニムからヒップラインが想像できるのが堪らない。

「いや、百花ちゃんが鼻の下伸ばしてどーすんの」

 ぺし、と平手でツッコミをいれてきた萩原は、無地の白いTシャツにベージュのチノパン、長い髪を軽く纏めている。爽やかな服装のはずなのに、やっぱりバンドマンの休日にしか見えない。それに、何より――。
「なんかシミラールックみたいでイヤなんだけど……」
「シミラー……」
「お揃いってこと。ちょっとTシャツ脱げよ」
 私の着ているものと同じ丸襟を軽く引っ張ると、萩原は苦笑しながら「いやいやいや」と首を振る。私もふっと噴き出した。なんと中につけている、チェーンだけのネックレスすらシルバーである。私がジトーっと彼を睨むと、萩原はどうどうと私を宥めた。


「それに、白って言うならさ、ほら、諸伏ちゃんだって」


 そう指をさすので、私はそちらをぱっと振り向く。名前を呼ばれたことに視線を向けたらしい諸伏の吊り目とバッチリ目が合った。会話を聞いていたわけではなさそうだが、私たちがやいやいと言い合っていたのを見て、苦笑しながら軽く手を振られた。
「ぱ、パーカー……」
 彼が着ていたのは、萩原の言う通り白いプルオーバーのパーカーだった。広い袖口から、鍛えられた二の腕がチラチラと覗く。元から顔つきが幼いこともあるが、パーカーなんて着てしまった日にはまるで学生そのものである。
「かわいい……」
 私は頬を押さえて呟いた。いや、これは本当に可愛い。可愛いでしかない。正直他の奴がやったらあざとさに引いてしまう気もするが、諸伏のようなやや生真面目な性格に、コレはずるい。黒いボディバッグに、二つほどカラフルなラバーバンドがつけてあるのが、ツボだった。

「写真、写真撮りてぇ……撮ってもいい?」
「なに、どういうこと」
 
 ゾンビのように諸伏のもとによろよろと近寄り、携帯を取り出すと、諸伏は苦笑いしながら私の伸ばされた腕を受け止めた。白いパーカーにはレフ板効果でもあるのか――そんなわけないが――、見上げた顔はいつもに増して輝いた笑顔に見える。遠くからではカラフルだとしか思わなかったラバーバンドは、近くで見ると『TOUTO FES』という文字が白く抜かれている。去年の西暦も一緒に書かれていて、「音楽好きなんだ」と無意識に呟いていた。
「ああ、うん。昔から好きでさ」
「すげー地雷なのにめっちゃ可愛い……ねえ、本当に写真撮っても良い?」
 諸伏は一瞬「地雷?」と聞いたけれど、私がカメラの画面を開くと、すぐに良いよと笑った。前世であれば第一印象から仲良くなることはなかったと思う。俺とは真逆に位置するような男だとつくづく感じる。

 私がカメラを諸伏のほうに向けると、彼は「えっ」と驚いたようにこちらを見る。
「一緒に撮るわけじゃなくて?」
「あ、あー……そうだよね。一緒に撮ろう」
 よく考えれば、まだランド内にも入っていないのに看板の前で撮影だなんて、よほど可笑しい奴だと思われても不思議じゃない。おいでおいで、と手招かれて、彼の隣でカメラを構えた。

 この時のガラケーにはまだ内カメラがついていなかったので、カメラレンズ横のミラーを基準にカメラの位置を合わせる。私は位置を合わせてくれる諸伏の二の腕ばかり見ていたので、撮り終えたあとに見た写真は、綺麗に視線が外れていた。

「あは、あはは! なんでこっち向いてるんだよ」

 と、声を上げて笑った顔もまた可愛く、私も自然と笑っていた。
 そうこうしている間に、松田が欠伸をしながら駅の改札を潜ってくる。どうやら彼が一番トリのようだ。萩原が先陣をきり「行くよ」と声を掛けた。

 私は諸伏の隣にいたので、必然的に諸伏と降谷と一緒に歩くことになっていた。降谷は初めて訪れる場所らしく、辺りを見回しながら「広いな」と呟いていた。彼の私服はそこまでこだわりがない、というのが透けて見えていて、ただのポロシャツだったのだけれど、映画俳優張りの美形さがただのポロシャツ≠ニは思わせなかった。
 現に、歩くたびにすれ違う若い女の子たちが、降谷のほうをチラチラと振り向いていくのが分かる。私がホー、とその様子を眺めていると、諸伏が軽く屈んで声を潜めた。

「すごいよな、ゼロ、本当にモテるんだよ」
「やっぱ世の中顔なんだな、世知辛い」
「いやいや、ちゃんと中身も格好良いよ」

 それは諸伏だからそう言えるのだろう。並みの男が降谷のようなツンとした態度で、初っ端から突き放すようなコミュニケーション皆無さを見せてきたら、気の強い女なら平手モノである。
 降谷は私たちの会話を聞いていたようで、諸伏の『格好いい』という言葉に、満更でもなさそうにフンと鼻を鳴らしていた。そういうところだよ、と私は周囲の女性の視線を一瞥しながら、心の奥で笑った。

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Shhh...