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 楽しい時間というのは早くすぎるもので、合流した他の同期とボールゲームをしたり、土産ものを見たり――。アトラクションこそ混雑していてあまり巡れなかったけれど、気づけばだいぶ日も傾いていた。いつ帰る、という話になったが、どうやら夜は花火とショーがあるらしく、それを見てから帰ることにする。

 昼間、はしゃぎ通しですっかり疲弊した私と松田は、ショーの場所取りを任されて、それぞれレジャーシートに座って携帯を弄っていた。松田は、噂の彼女とやり取りをしているのだろうか。時折、不愛想な口元が呆れたようにフっと笑うのを、横目に見る。

「お前、何ニヤニヤしてんの」

 私の心の言葉が漏れたかと思った。驚いて口を閉じたが、すぐに私の隣に腰を下ろした萩原を見て、彼の声だと分かる。松田は萩原を見て顔を顰めると「うるせー」と一蹴する。彼はその口角を、普段よりも益々ニヤつかせていた。気持ちはわかる。普段生意気なだけあって、想い人がいると分かると途端に可愛い少年のように思えてくるのだ。

「うるせえだって、酷いよねえ」
「うんうん。自分がちょーっと惚気たからってねー」

 そのしっかりとした肩が、トンと軽い力で凭れてきたので、私もわざと頭をその肩に凭れさせて身を寄せ合った。演技じみたやりとりに松田は苛ついたように舌打ちする。「お前ら性質悪ぃ」と、立ち上がるとすたすたと気だるそうにどこかに歩いて行ってしまう。

「怒らせた?」
「いや、多分電話したいんでしょ。可愛いとこあるねぇ」

 彼は売店で買って来たらしいキャラクターが印刷されたかき氷を、しゃくりと齧った。私には分からないが、付き合いの長い萩原がそういうのなら、きっとそうなのだろう。松田も、案外恋愛面になると、素直なのかもしれない。少なくとも、私よりはよっぽど。
 萩原が「一口いる?」とストローを切っただけのスプーンを差し出す。昼よりはマシになったものの、夕暮れの光を受けて宝石のように煌めく細かい氷たちは冷たく魅力的で、差し出された先をぱくりと銜えた。

「ん、うま!」
「……でしょ。ほら、これも一緒に食べな」

 彼は氷に乗ったフルーツを一緒に掬って、もう一度こちらに差し出す。ぱくりと食むと、萩原はニーっと笑みを濃くして、ご機嫌に自分でもかき氷を掬っていた。口の中が冷たくて、私も勝手に頬が緩む。
 萩原はしゃくしゃくと氷を突きながら、ショーをやる予定の舞台を見上げた。

「百花ちゃん、さっき諸伏ちゃんとホラーハウス行ってたよね」
「げほっ、え、見てた?」
「ちょっとだけ。腕組んじゃってて、話しかけなかったけど?」

 その口角が、先ほど松田に向けたようにニヤ〜っと持ち上がる。ストローを咥えながら、涙袋が盛り上がるように瞳を細めた。私はグ、と言葉に詰まりながら、胡坐をかいた脚を引き寄せる。
「どうなの。実際さあ、やっぱり好き?」
「わ、分かんない。……友達と好きの違いって何」
「そりゃ……相手に恋人ができて、本心から喜べるかどうか、とか」
 それを聞いて、正直心当たりがあり、図星に肩が強張った。
 以前、女生徒たちが『諸伏くんは彼女いるでしょ』という噂をしていたとき、ドキドキしていた。萩原も、きっと私が以前彼女いるのかどうか尋ねたのを覚えていたのだ。彼の顔には、どこか確信めいた自信があった。

「……好き、だったらどうしよう」

 少しだけ不安だった。何か、自分が自分でなくなってしまうようだった。今まで生きていた俺がいなくなって、全て私になってしまうのではないか。それはそれで正しいのかもしれないが、なんだか怖い。
 萩原は、暫く沈黙を返した。
 ショーの時間が近づいてきて、周りにも人が増え始める。スタッフが機材をあちこちに運びながら、忙しなくステージ上を行き来していた。
 彼が沈黙を保つのは珍しくて、私は何か面倒な発言をしているのでは、と不安になってきた。ちら、と彼のほうを見上げると、彼はステージ上をぼうっと見つめている。

「――どうしようね」
「何それ……」

 ようやく絞り出た言葉はそれで、思わずツッコんでしまった。彼も、私を振り向いて苦笑いをする。ええ、と私もつられて、同じような顔をして笑った。
「そんなこと言われたことないからさ。好きなもんは好きだろ?」
「だから、それが分かんない。しょうがないだろ」
「難しい十代だなあ。一回付き合ってみれば良いのに」
 そう簡単に言うけれど、別に諸伏と今の関係を変えたいわけではないのだ。
 付き合って、もし駄目だと思ったら別れるのだろうか。そうしたら、あのふにゃりとした笑みはこちらを向かないのではないか。嫌だなあと思った。
 それをゴニョゴニョと萩原に告げたら、彼は呆れたようにフウと息を零す。

「ま、百花ちゃんがまだだと思うなら、この相談教室も付き合うけどね」

 萩原は軽く肩を竦めた。本当に気の良い奴だ。松田の男友達とは少し違って、私のことを女としては扱っているが、心地の良い関係だった。萩原の前で号泣した一件以来は、特に遠慮なく話せる相手だ。そう思うと、やや恥ずかしいものの、良い機会だったのかもしれない。

『レディース&ジェントルメン! ようこそ、トロピカルランドへー!』

 目の前のスピーカーから、大きな音が鳴り響く。パっとステージを見ると、トロピカルランドのキャラクターたちが彩られたステージをスキップして手を振っていた。
「あれ、皆まだ帰ってきてないのに」
 あたりを見渡すけれど、同期たちの姿は見当たらない。その間にもテンポの良い音楽が鳴って、ダンスが始まってしまった。萩原を視線が合う。少しの間顔を見合わせて、二人で揃って「まあ良いか」と笑った。

 音楽に合わせて二人で手拍子を打つ。もうそんなことを楽しむ心などないと思っていたけれど、場の特別さからか、パフォーマンスが良いのか、私も気づけば目を輝かせてキャラクターたちのダンスを追っていた。
 フィニッシュには、大きな音とともに花火が上がっていく。その音に、花火大会のことが頭を過ぎった。
「――……」
 ぼう、とその花火を見上げる。
 ローカルなものとは違い、ハートの形であったり噴き上げのものがあったりと、色とりどりだ。諸伏も、この園内のどこかで見ているのだろうなと思う。彼もまた、前のことを思い出したりはしないだろうか。私だけなのかなあ。

「百花ちゃん」

 大きな音に、萩原がこちらへ口を寄せて名前を呼ぶ。ん、と彼のほうを振り向いた。萩原はキャッスルの頂上あたりを指さして、「今の見た?」と言う。首を横に振ると、「じゃあ見てて」と言われた。

 テッペンを見つめていると、大きく花火が上がる。
 その花火は恐らくこのランドのキャラクターを模している形なのだろう。それは理解できたのだが、それにしては絶妙に不細工な顔をしていた。私はフっと笑いを零す。

「見た? すっごいブサい……」
「見た。ふ、あはは、そのあと散らばっていくの無理……」

 一度意識すると、もう花火がそれしか見えなくなる。妙な顔をしたキャラクターが大きな音と共にパラパラと散っていくのが、ツボに入って、私は必死にお腹を押さえる。周りには笑っている人などいなくて、笑うのはまずいと口を噤もうとするけれど、容赦なくキャラクターの花火は城の頂上に上がっていく。

「も、萩原の所為で花火見れないんだけど……」
「あはは、いや、これは共有しないとダメでしょ」

 どん、と厚い胸板を軽く叩く。彼の体も笑うのを我慢しているのか、ぷるぷると細かく震えていた。私は笑いながら頷いて、レジャーシートに手を下ろす。狭いシートのせいか、萩原が手を下ろすと、指先が触れた。わざとらしく指を動かしてアピールしてきた萩原に、「ウザ」などと軽口を叩いて笑った。

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Shhh...