01


 夜の雑踏に紛れ込むには、あまりに華やかな顔立ちをしていた。
 ネオンに照らされれば、見合わない小麦の肌が目立つし、悩まし気に下唇に指を宛がえばぞっとするようなミステリアスさで周囲の人間が振り返る。黒いベストにループタイ、男の割にはくびれたウエストがをしたいるものの、そこはかとなく日本人の血を感じさせる体型をしていた。

「バーボン」

 男はそう呼ばれ、ふと振り返る。
 厚めの唇に大きく垂れた目つき、ちょんっと尖った鼻先。にこりと無害そうに微笑んだ男は、同じように無害そうな――しかしどこか溜め込んだようなクセのある声色で応える。
「おや、思ったより早かったですね。もう少し待つつもりでした」
「早くちゃ都合が悪かったかしら」
「まさか。今日もお綺麗ですよ」
 漆黒のスーツを身にまとったブロンドの女の、すらりとした指先を褐色の手が掠め取る。小さく唇を落とせば、女は不服そうに鼻を鳴らした。
「可愛くない子ね。世辞くらい隠しなさいよ」
「手厳しいな。本音なのに」
 苦笑いを零してから、バーボンは車の扉を開けた。ただの車の扉だというのに、二人が立ち並ぶと触れてはいけない秘密が潜められているのではないか――。そんな想像をした、ホテルのスタッフが一名。視線を逸らせないままにドアの奥を覗き込もうとすると、バーボンが振り返った。
 うっすらと細められた眼差しに、スタッフは肩を縮こまらせる。彼は人差し指を一本立てると、「しぃ」と息を零した。


 華やかな男は、コードネームをバーボンと言った。
 愛想が良いように見えるが、闇組織の中でも優秀な情報通だ。通称は探り屋。コネクションの広さや、たくみに人心を操るような口車、与えられた任務の成功率は九割――。コードネームを与えられてからまだ長い月日は得ていないが、ひっそりと裏社会では名が知れる男だった。
 そんな優秀な探り屋には、ひとつの欠点がある。
 容姿端麗、頭脳明晰、正確無比。そう言葉を並べても決して不自然ではない男。そんな彼に与えられた組織としての欠点――。それは、彼自身にトップシークレットがあることだ。
 秘密とは、時に人を結束させ、時に人を崩壊させる。
 重要な秘密であればあるほど、その重みも深くなっていく。秘密を隠そうと必死になるとき、人は強くも弱くもなる。

「それで、明日のことだけど……」
「――おっとぉ、すいません」

 ディナーの場へ向かう途中、その場には似つかわしくない酔っ払いに肩をぶつけられた。バーボンはとっさに女を庇う仕草で、男の胴体に触れる。慌てたように、レストランのオーナーが駆けてきた。
「申し訳ありません。お怪我はございませんか?」
「いえ、彼女に何もないようなら」
「先週から注意はしていたのですが、気をつけます」
「それが良い。品質が落ちたと思われてしまいますから」
 苦笑いをすると、オーナーは深く頭を下げた。女は髪を掻き上げながらため息をつく。
「冴えない男」
「……それって、僕のことですか?」
「当たり前でしょ。ドレスが踏まれたわ。一発入れてちょうだいよ」
「勘弁してくださいよ。今後商談に使えなくなるじゃないですか」
 くいっと襟元を直す――フリをして、バーボンは襟の内側に受け取ったメモを入れ込んだ。



【合流は明日の任務にて。P】

「……何のことだ?」

 バーボンは、マンションの一室で肩の力が抜けたようにベッドへどっかりと座りこんだ。襟のボタンを緩めながら、思考を巡らせる。普段からニコニコと愛想笑いを浮かべ、表情を崩さない男――ではなく、露骨にピンと眉を吊り上げながら。はー、と重たく漏れたため息。首をゴキゴキと鳴らしながら、小さなメモを覗き込んだ。
 彼が「何のこと」と言ったのは、後半部分のことだ。
 前半のことは、一瞬で理解できた。彼の仕事の【同僚】と、近くに合流する手はずなのは知っていたからだ。直属の上司から連絡もあった。組織のメンバーといるところにわざわざリスクを冒して近づいたということは、一週間近くそれを伝えられる方法を探しあぐねていたのだろう。

 そう、探り屋バーボン――。もう一つの名前を、降谷零。
 それが、彼のトップシークレット。
 
 彼は生粋の悪ではない。警察庁警備局警備企画課――。かつてはサクラとも呼ばれた、通称ゼロと呼ばれる組織から潜り込んだ、日本警察のスパイだ。
 彼が捜査している闇組織は謎が多く、明確に分かっている情報は組織のカラーが黒ということと、幹部につけられるコードネームが全て酒の名前だということ。そして、彼らを野放しにしていては世界が、日本国民が危険に晒されるということ。

 そのために組織へと潜り込んだ降谷へ、明日、警視庁の公安部からもう一人のスパイが合流するというのだ。顔と名前は以前上司から極秘で伝えられたが、随分と若く冴えない男だった。しかし、若くして送り込まれるということは、それだけの能力があるのだろう。降谷自身、まだ二十六を超えたばかり。警察官としてはひよっこだ。

 ――P、か。

 音にならないよう、口元だけでそう呟いた。
 もしかしたら、彼のコードネームに関わるものなのかもしれない。降谷は小難しい顔で考えながら、明日のために頭を回転させた。
 新人とはいえ、一応、合流するまではこちらの手助け無しで組織の中に潜り込んだ男である。きっと組織がどういう場所かもよく分かっているだろうが、なるべく用心深くしておかなくては。任務には、ベルモットが仲介役としてつくはずだ。ヘマをするわけにはいかなかった。





 夜更け。チラチラと光る街灯が、眩く降谷の目の奥を刺激していく。小さく息をついて、昨夜と同じホテルの前で女――ベルモットの到着を待った。彼女が連れてくるのか、別場所で合流するかも聞いていない。分かっているのは、最近コードネームを貰った新人の面倒を見てほしいということ。これが幹部としての初任務だから、怪しいところがないか探ってほしいということだった。
 昨夜とは打って変わり、時間を過ぎても一向に姿を見せないベルモットに、少しだけため息をついた。普段はそんな様子すら見せない男だが、今日はやや気が立っているのだろう。
 

「よっす! アンタがレーくんかあ」


 ぞわっと、鳥肌が立った。
 振り向くと同時に、嫌悪感が表情に出るのを必死に堪える。降谷は柄になく動揺に鳴る胸を押さえつけながら、隣にいるベルモットに笑いかけた。
「彼が?」
「そう。今回の貴方のパートナーよ、可愛がってあげて」
「よろしくな、レーくん」
 手のひらを差し出されて、降谷は考える。何を考えているんだ、コイツは。
 素知らぬフリをしているが、トップシークレットを幹部の前で暴露され、胸の内はぐにゃぐにゃと捻じ曲がっている最中だった。
 しかし、降谷は優秀な男だ。ベルモットがさして気に留めていない様子を確認してから、動揺を微塵も表に見せない様子で、「はて」という表情を作った。ネイルの行き届いた手が、その頭をはたいて苛立たし気にくびれた腰へ手を当てる。

「この子、前も私にナントカちゃんとか呼んできたのよ」
「あはは。人の顔と名前覚えられなくて……初めて会ったんだっけ?」
「――頭がお馬鹿さんみたい」

 露出された細い肩が、呆れたように竦められる。
 降谷の容姿は、たいていの物が一度見たら印象づくものだろう。時折変装として、わざと眼鏡や前髪を長くして印象を隠すこともあるが。美しい形の眉が歪む。ベルモットは、どうやら彼に相当手を焼いているようだった。
 目の前の男は、存在を印象付けるような明るめのオレンジ頭を掻きながら、やや吊り目がちな目つきをニッコリと笑ませる。人懐っこいような笑顔だった。背丈は、降谷よりも少し高い。百八十半ばくらいだろうか。
 ――ずいぶん、書類と印象が違うな。
 降谷は彼を頭からつま先までざっと一瞥し、その人間性を探る。明るく、にこやか。ぱっと見たところは活発で大らかなイメージがつく。身にまとった柄シャツとゴールドのアクセサリーは、とてもじゃないが【黒の組織】というカラーにはそぐわなかった。

 そして、昨夜見たメモの内容が頭に浮かぶ。P、という文字。
 何せ、情報通は伊達ではない。それが些細な新人の情報であっても、頭の中を泳ぐ情報の海の中から探り当てることができた。

「パンプキンヘッド……」
「あら、耳が早いのね。さすがといった所かしら」
「そ、コードネームつく前はそう呼ばれてたんだって。知らねえけど」

 へらっと笑う顔に、降谷は苦笑する。
 なるほど、最近やけにポカばかりやらかす新人だと聞いていたが。ベルモットとしては、さっさとその世話役をこちらに回したいわけだ。
「でも、コードネームを貰ったんでしょう。才能があるのでは」
「まあ、それはこのお馬鹿さんから聞きなさい」
「はあ……。で、彼のコードネームは?」
 そう尋ねれば、ベルモットは何のことのないように言い放った。美しいプラム色の唇が、降谷にはスローモーションのように見えた。ぐつぐつと、心が煮える。完璧に鍛え抜かれていたと思った表情筋が、一瞬でも強張りそうになるくらいに。


「スコッチ。彼のコードネームよ」


 
 ――これは、踏み絵だ。表情を微塵でも揺らすな。
 歯がみしたい気持ちを抑え込んで、なるほどと降谷は笑う。バーボンの表情で、なるべく不敵に笑ってみせた。目の前にいるヘラヘラとした男は、降谷の心の内など知る由もなく、やはり明るく笑っていた。



prev Call Me next


Shhh...