05


 夜だ――。

 瞼を持ち上げて、差し込むネオンの光に幾度か瞬いた。夜になると、俺が始まる。大きくため息をついて、眼鏡を外した。欠伸をしながら携帯を覗けば、仕事の連絡がズラリと画面に並んでいる。それだけで嫌気が差すっていうのに。

 ちょうど寝ぼけ半分にメールを確認していたら、着信画面に切り替わった。非通知と並んだ三文字に嫌な予感を察知しながら電話に出る。
「へいへい、こちらスコッチ」
『丁度良かった。お仕事の時間ですよ』
 降谷の声だ。
 いや、そのやけに畏まった声色はバーボンといったほうが正しいだろうか。まったく同じ声だというのに、違う印象を受けるのは凄い。いっそ声優だか俳優だかを目指せば、主演男優賞も夢じゃあないのでは。
「えぇ、俺やらかしちゃったけど良いんですか」
『まあ、ブツは回収できましたし、及第点では』
 ――よくイケしゃあしゃあと言いやがる。
 折角回収したものを、自分自身でパアにしたくせに。ふん、と軽く鼻を鳴らしてから、片側の耳を掻いた。そんな文句、間違っても口にできないのだ。まあ、本人に言うのはこの潜入捜査が無事に最後を迎えるときに取っておくとしよう。

「で、場所は?」

 肩と頬の間に薄っぺらいスマートフォンを挟んで、寝間着を着替えながら尋ねる。ごそごそとした雑音が五月蠅かったのか、向こう側で唸るような声が零れた。ああ、もしかしてイヤフォンだったのか。だとしたら悪いことをした。
 そう考えながら、何となく悪戯心に、携帯をぼとっとカーペットの上に落としてみた。
「あ、悪い。ちょっと落としたわ」
『……わざとでしょう』
 目の前にいなくとも、あの大きな垂れ目がジトっと睨みをきかせてくるのが想像できる。先ほどまで溜まった鬱憤がスッキリとして、俺は「まさか」とすっ呆けながらにやけた。小腹が空いたので、先日報酬に貰ったまま開けっ放しのピーナッツを一つ摘まんだ。

『住所は今送りました。ああ、なるべくフォーマルな服装で頼みますよ』
「ふうん、ホテルとか」
『まあそんなところです』

 おざなりに答えた声に短く返事をして、俺は着替えていたパンツを部屋の隅に放った。フォーマルとなれば、中々普段通りというわけにもいかないだろう。公安に配属されてすぐ、なけなしの給料で買ったスーツをクローゼットから取り出した。
 男ってのは、なんでスーツだけにこんな種類があるんだか。
 光沢はあるものの、黒のスーツ。まあ、組織としても有りか。車で待つと告げる降谷に頷いて、電話を切った。

「っと、ワックス、ワックス……」

 布団の周りはぐちゃぐちゃで、物が探しづらい。足で毛布やら先ほど脱ぎ散らかした服やらを退かしながら、一昨日使ったばかりのワックスを探す。ようやく見つかったそれは、ブランケットの毛にべっちょりと白い染みを残していた。
「うわ、蓋あけっぱなしだった」
 最悪だ――頭を抱えながら、ブランケットをゴミ箱のほうに放り投げた。髪の毛は適当に後ろに流して、シャツとジャケットを羽織る。
 
 一度、ネクタイに目を遣ったが、嘆息とともに頭の隅に追いやった。
 開けっ放しのノートパソコンを閉じようとして、俺は一瞬目を細める。明るい青年の姿が、やけに俺の目の奥を刺激した。
「……兄さん」
 熱くなったディスプレイに指先だけで触れて、そのウィンドウを閉じる。ノートパソコンを仕舞いこむと、俺はふるふるとかぶりを振った。

 大丈夫。今からの俺はパンプキンヘッド。
 何も感じず、何も考えない、かぼちゃの頭だ。
 
 脳裏に走った穏やかな笑みに別れを告げて、俺は携帯を持ち部屋を出た。夜の街は、やっぱり好きになれない。




「……僕、フォーマルでって言いましたよね?」

 車の前で待っていた降谷は、苛立たし気に吊りがちな眉を顰めた。俺は口元を歪めながら「フォーマルじゃん」と告げる。よく良い形しているね、と褒められる額に、すこんっとデコピンが飛んできた。
 ――デコピンなんてものじゃない。殆ど弾道だ。
 ぐっと低く唸り額を押さえれば、鬱憤が晴れたのか降谷はフウー、と長い息をついた。

「タイはどこに置いてきたんです」
「えぇ、しなきゃ駄目ぇ?」
「当たり前でしょう」
「でも俺ネクタイ結べないんだよね」

 さらりと告げると、降谷のその拳がグっと握りしめられるのが視界にとまった。ひゅっと背筋に寒気が走る。この間の拳骨は、最早トラウマものだ。それほど感情に敏いほうではないのだが、降谷の心の声が「風見……」と恨めしく唸っているのは、なんとなく感じ取れた。

「だ、だぁって、教えてくれる人いなかったんだよ」

 ぽりぽりと背中を掻きながら言うと、降谷はもう一度、それはそれは大きなため息をついた。――けれど、予想外であったのは、降谷はそれ以上怒ることはなかった。呆れ果ててはいたが、冷静に車からネクタイを一本取り出す。グレーのネクタイだ。俺が普段よれよれに結んでいるものより、質は良さそう。
「来なさい」
 降谷は静かな声色で言った。俺はすごすごと彼に一歩近寄る。するりと首の周りにネクタイが一周した。ハリのある白いスーツは、とてもじゃないがそこらの男では着れないだろう。華やかな香水が、むず痒い。
「ここを、こう。長ければ何度かまわして調節して」
 するすると白いシャツとグレーのネクタイの間を、褐色の指先が蠢いていく。慣れた手つきで結び目を作ると、最後にきゅう、と結び目を締めた。

「はい、完成。覚えられました?」
「……ぜーんぜん」

 それは、スコッチとしての嘘だ。
 そこまで頭が良い男ではないはずだもの。ついでに言うと、ネクタイは別に結べる。俺が単に結びたくなかっただけで、結ぶ技能がないわけじゃない。そもそも、ネクタイ結べなかったら警察でスーツ着れないし。

「ふ、しょうがない人だなあ」

 にっと口の端が僅かに持ち上がった。
 むずむずっと心がこしょぐられているような気分だ。多分、彼には見透かされているような気がする。それでいて、多分しょうがない人だと、そう言われたような。

「どうしても嫌だったら、ドレスシャツでも着てきなさい」
「ああ〜、ここがヒラヒラしてるやつ」
「まあ、本来は蝶ネクタイでもあった方が良いんですが……」
「やだよ、想像してみ。俺が蝶ネクタイつけてんの」

 襟元でリボン結びをする仕草をすれば、降谷がククっと喉を鳴らして笑う。俺は結ばれたネクタイの先をジャケットの内側に入れながら、ふうと息をついた。首が締まる感覚は、今でも好きではなかった。

「おお、豪華なホテル」
「ええ、何せ大金持ちの道楽ですからね」
「なーるほど。俺を呼んだってことは、また盗み?」

 見上げた輝かしい照明達に目を細めながら、俺はその白いスーツに腕を回す。こうして触れると、なかなかどうして、その体に厚みがあることが分かる。さすが、あの拳骨の持ち主である。

「はい。ああ、これ、部屋の見取り図です」
「了解。……バーボンは足止め役?」
「ノー。今日はもう一人、まあ、こちらには姿を見せませんが」

 ちらりと、彼の指先がホテルの向かいにあるビルを指した。
 俺は首を傾げながら、そのビルを見上げて歩く。特段変わったところは見受けられないが。へえ、と曖昧に頷きながら、「俺は何をすれば」と自身を指さす。

「パーティに合流してから、僕は配電を弄ります。君には暗闇の中、予備電源が復旧する前に目的のターゲットからブツを抜き取ってもらいたい」
「なるほど」
「足止めにはもう一人呼んでいるので心配はありません。前回と違って多勢に無勢、優秀なSPも多くいると聞きます。抜き取れば速やかに退避すること。これは脱出経路」
「おお〜、さすが、至れり尽くせり」

 見取り図と共に示された脱出経路に感心しながら頷いた。どう見ても、俺の特技が最大に活かされるように計算し尽されている。つくづく優秀な男である。
「あともう一つ」
 ピンっと人差し指が立つ。思わず、その指先に注目してしまった。
「オペラ座の怪人に気を付けろ――、と。もう一名からの伝言でした」
「はあ」
 オペラ座――何だって? いや、なんか聞いた事はある。喉元までは出てる。全然思い出せないけど。なるほどね、なんて頷きながらホテルに足を踏み入れて、俺は降谷に内緒でネクタイの隙間に指を差し込んだ。



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