鳴ちゃんと解散した私は、言われたとおり、ガーデンテラスで呆けていた。
 だいたい、彼の言うことは的を射ていることが多い。確かに私は、これはこう、あれはこうでなきゃ、と基本に嵌まりすぎていたのかもしれない。
 十人十色。多種多様。そんな言葉があるように、付き合いなんて人それぞれ。そのことを失念してしまっていたような気がする。
 憧れているから、尊敬しているから、何だというのだ。この気持ちがそれらの想いからだとしても、時間を共有できるということには変わりはない、はず、なんだけど。

「……はぁ」

ため息がでた。もやもやとした気持ちを払うように、重心を背もたれにあずけて伸びをする。
 やっぱり、埒があかないし、もどかしい。終わりが見えなくてやきもきする。まるで底なしの沼に足をとられて、ゆっくりと深くに沈んでいくようだ。そして最後には頭のてっぺんまで浸かってしまって、絶望を感じながら窒息していくのだろう。
 そんな気分を拭えずにいたとき、それに終止符を打つように定刻をつげるチャイムが鳴った。
 それまでまばらに着席していた人たちが立ち上がり、ガーデンテラスの出入り口に向けて波のように押しよせている。企画を練るときでもこんなに時間が早いと思ったことはあまりないのに、今日ばかりはあっという間だった。
 ぼやぼやと訝しむ気持ちを引きずるわけにもいかず、否応なしに席を立つ。向かう先に目を向ければ、あんなに詰まっていた人は捌け、いつの間にか私が最後のひとりとなっていた。
 会計を済ませて廊下に出ると、しいんと静寂が訪れる。薄暗いそこには私しかいない。まるで、世界から自分だけが切り取られてしまったような、そんな感覚になった。
 行き場を失い、どうしようかと思案する。不思議と、先に帰ってしまおうなどとは思わなかった。
 内廊下をわたりながら、とりあえず正門に向かおうと歩みを進める。空間には、自分の内ばきを擦る音と、居残りしていただろう生徒の声がすこし遠くから聞こえてくるだけ。それに耳をすましながら、向かいの校舎を窓越しに見上げた。とある一室が目に留まる。他はもう真っ暗だというのに、その部屋だけはまだ煌々と明かりがついていた。

 外履きにはきかえて外にでた。
 敷地内とはいえ、夢ノ咲学院の街灯はまばらである。光が途切れた先は、言葉どおりに闇一色となる。ここが敷地の外であったなら、暗がりに入ったとたんに不審者に出くわしてしまいそうだ。
 そんなことを考えていた矢先のこと、自分以外の足音があることに気がついた。神経をそれに這わせると、その音はこちらに向かってきている。足早ともとれる間隔に、背中に恐怖と不安がこびりつく。喉奥がひっつくくらいに乾燥し、心臓もドクドクと鳴りはじめてしまった。
 ジャリ、と砂と靴底が擦れる音がすぐ近くできこえてきた。姿が見えるまで、あと数メートルというところだろう。
 身を守るものはなにもない。手元にあるのは、中身がすかすかで頼りないスクールバッグのみだ。肩にかかるその肢をかたく握りしめて、心細い気持ちを飲み込んで立ち止まる。ひと呼吸おいてから、意を決してふりかえった。
 瞬間、暗闇から男性ともとれる身なりの片脚が現れた。ひい、やっぱり不審者と、それを凝視したまま息をのむ。妄想に拍車がかかっているいま、在学の生徒という可能性もあるのに、不審者というワードが頭に付いて離れない。

「おい」

と、声をかけられて、大きく肩を揺らしてしまった。
 さらには、焦る気持ちに休息などないとでも言うように、闇から手までもが伸びてくる。それにはさすがにギョッとして、ちいさく後ずさりをしてしまった。
 その手に腕を掴まれるのと、自らが卒倒してしまうのとでは、はたしてどちらが先だろう。キャパオーバーしすぎた脳みそで、そんなことを考えていたときだった。
 街灯の下にぬっと現れた姿と目が合ってしまった。同時に腕も掴まれたけど、私がその場に倒れてしまうことはなかった。そればかりか、心にはじんわりと安堵が顔をのぞかせている。そこではじめて緊張の糸が切れたのか、ゆっくりと息を吐きだした。
 目の前にあったのは、よく知った人物の姿であった。

「……な、んだぁ……蓮巳、先輩…かぁ……」
「なんだ、とは随分な言いようだな。後ろ姿からまさかとは思ったが、まだ残っていたのか」
「はい? 先輩が颯馬くんに伝言を頼んだんじゃないですか。遅くなるから、待ってろって」

そう伝えると、彼はすこしばかり驚いたような顔をしていた。
 なにか変なことでも言っただろうか。言葉をふり返ってみるけれど、思い当たる節はない。
 なにかおかしかったか。そう尋ねようとしたところ、困ったような顔をして、ため息をつく彼の姿を目に留めた。

「そうは言っていないだろう。俺が神崎に伝言を頼んだのは、遅くなるから先に帰っても良いぞってことだったんだが……」
「えっ、そういう……? 私、てっきり、待ってろってことなのかな、なんて……」

……思っちゃった。最後のほうは聞こえたのかどうかもあやしいくらい、消えいりそうな声になってしまった。
 確かに颯馬くんは、『本日の帰宅は遅くなると伝えてきてほしいと言われた』とだけ言っていた。それを、私が『待っていてほしい』だなどと、勝手な解釈をしてしまったらしい。なんだ、そっか。先に帰っててもよかったんだ。律儀に待って悩み過ごして、なんだか私、ばかみたい。
 すこし前の、あのあっという間に過ぎ去った時間のことが恥ずかしいことのように思えてきて、顔が、とても熱かった。

「それなら、連絡を入れればよかっただろう。俺は何度か、連絡をいれておいたはずだが」

その言葉をきいて、はっとした。
 慌ててスクールバッグの奥底からケータイを取りだしてみると、着信とメッセージが何件か。どれも彼からのものだった。

「すみません。マナーモードになっていたみたいで、まったく気がつきませんでした……」
「だろうな。これでは、なんのための『携帯電話』なのか分からん」
「ですよね、すみません」
「まったく。俺が見つけたから良かったものの、すれ違いになってたらどうするつもりだったんだ? こんな遅くに、ひとりで帰るつもりだったのか?」
「だから、そうならないように正門に向かってたんですよ。その前までは、ガーデンテラスで待ってました。時間になったので追いだされてしまいましたけど」
「俺が言ってるのは、『すれ違っていたら』のもしもの話なんだが。度し難い」

その言葉をさいごに、彼は眉間にしわを寄せて押し黙ってしまった。お説教をされるとばかり思っていた私は、思わず面食らってしまう。
 どうしたんだろうと眺めていると、彼はまた私を前にして、盛大なため息をついた。

「……はぁ、まったく。音沙汰がないものだから、機嫌を損ねて帰ってしまったとばかり思っていたぞ。おかげでちっとも捗らず、予定より時間がかかってしまった」

そう言って、彼はやれやれというように肩をすくめてみせた。
 つまり、彼は連絡のない私を心配してくれていて、やるべきことに手がつかなくなってしまったと。それで、帰る時間が大幅に遅くなってしまったと、そう言ったのだ。
 なんでもないように言われた言葉を理解して、こんどはこちらが困ってしまった。ぶわっと熱がこみ上げてきて、制服の下がすごく暑い。彼は、私の心に爆弾を投下したことに気づいているのだろうか。
 嬉しくて、頬がゆるんでしまうのをおさえるけれど、意味がないかもしれない。それでも、気づかれないようにと口を開くしかなかった。

「せ、先輩…こそ、素直に、待っててって…言えばよかったじゃないですか」
「おまえは馬鹿なのか? そんなこと、俺が言えるわけないだろう。その間になにかあったらどうするんだ、それくらい分かるだろう」
「なにかって、例えばなんですか」
「知らん。だが、いくら夢ノ咲のアイドルといえど連中は男だ。そのなかに、おまえひとりが女だろう。すこしは危機感を持ったらどうだ? それに、学内といえど仮にも夜道。ひとりで居ればじゅうぶん狙われやす……って、おい、なんだその顔は。俺は怒っているんだぞ」
「あ、はい、分かってます。ごめんなさい」
「その顔で悪いと思ってるつもりなのか」

怒りをあらわにしたまま、彼は下がった眼鏡を押し上げていた。その奥の瞳は、ペースを乱されて困っているようにもみえた。
 そんななか、私は頬のゆるみをとめらずにいた。その理由は簡単で、彼のお小言はいつもと変わらないはずなのに、内容がぜんぶ、私を心配してくれていることが伺えてしまうからだ。どうしようもないくらい嬉しくて、困る。
 同時に、あんなに悩んでいたことが馬鹿みたいだと思った。
 一抹の不安を彼のせいにして、私はただ、自分に自信がなかっただけなのかもしれない。そんな自分にあきれ笑いをこぼす。でもそれがばれないように、表面上ははにかんで、ただただ嬉しくて仕方のないような振るまいをした。
 そんな私を見て、彼は怪訝そうな顔をしていたけれど、それは一瞬程度のことだった。

「まあいい。もうすこし説教をくれてやりたいところだが、追い追いで良いだろう。まだ時間はあるようだしな」
「なに言ってるんですか、ないですよ。はやく帰りましょう」
「俺が駅まで送ってやると言っているんだ。覚悟しておくんだな」
「あ、なるほど、そういうこと。…送ってくれることについては、ありがとうございます」
「……まったく。言いたいことは山ほどあるが、一つだけ言っておく。俺に無駄な心配をかけさせるな」
「はい、すみませんでした」
「それと璃黛、今はふたりだ。敬称は止そう」
「ふふ。それじゃあ言いたいことはふたつになっちゃいますよ、敬人くん」
「やかましい」

そう言って、彼の利き手が差しだされた。
 見上げると、照れているのか、すこしだけ瞳が伏し目がち。その様子に、なんだかこみ上げてくるものがあった。それだけのことなのに、そのなかには彼の優しさがたくさん詰まっているんだと思った。
 そしていま、この瞬間。私はこの感情が、恋情だったと気がつくことができた。遅すぎるくらいだったかもしれない。それでも、この人がとても愛おしい人だと、気がつけた。
 また、同じように悩むかもしれない。それでもいまは、この手を素直に受けいれることが正解なのだと分かっていた。

2017.01.12
我が身の意に鬼笑ふ


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