その日、A組に在籍しているTrickstar のメンバーに囲まれながら、わたしは雑談をしていた。
この4人で固まっているのは、てんで珍しいというわけでもない。クラスメイトからすれば、それは『いつもの光景』というやつなのであった。

「なまえちゃん、居るかしら〜?」

と、ノートを広げたまま話していたところで名前を呼ばれた。それに反応して、わたしは声のしたほうへと顔をむける。
名前を呼んだその声がすこしだけ大きかったからか、教室にいた生徒も一緒になって同じほうをむいていた。そして、その声の主がだれなのかが分かると、視線がそれぞれまばらに散っていく。

教室にあるふたつの扉のうち、そのうしろのほうから声をかけてきたのはB組の鳴上嵐だった。扉から半身だけをのぞかせて、探すように視線を彷徨わせている。
その一連を眺めていたら、目が合った。見〜つけた、とでも言うような顔をして、こちらにむかって歩いてくる。
さすがはモデル出身、といったところだろう。相変わらず姿勢がいい。ただ歩いているだけだというのに、動作にしなやかさと華がある。
そうやって目で追ってるうちに、長い脚はあっという間に距離を詰めていた。足音もなく、机の横に立つ。
わたしは座ったまま、見上げるかたちで声をかけた。

「ナルちゃん、どうしたの?」

自然と『ナルちゃん』とは呼んでみたものの、わたしはこの人をどう呼べばいいのか、いまだに考えあぐねている。
鳴上嵐という人自体が性別不詳な節があるため、とりあえずは、そのときの気分とかで敬称とあだ名を使い分けたりしている。それに対して、深くつっこまれたことはない。が、たま〜に『くん』付けをしたりすると、「ナル子お姉ちゃんって呼んでくれていいのよォ〜♡」なんて言われることならごくまれにあった。
そのわりにはさほど気にしてないようだったから、わたしも固執しない呼びかたを続けている。

用件を問われたナルちゃんは、わたしの机をとり囲むメンバーを一瞥してから口をひらいた。

「もしかして、ユニットのことでも話してる最中だったのかしら? お話し中にごめんなさいねェ」
「ウッキ〜のボケが甘いってダメ出ししてただけだから大丈夫だよ、オカマさん! それよりA組にくるのめずらしいね、なまえにどんな用事?」
「あ、明星くん! 事実かもしれないけど、その呼びかたは鳴上くんに対してちょっと失礼だよ……!」
「んまっ、失礼な子たちねぇ。スバルちゃんはいつものことだから慣れてるけど、真ちゃんったらひどいわぁ…… 泉ちゃんに連絡でもしちゃおうかしらァ♪」

ニヤリ、という表現がぴったりな顔をして、ナルちゃんはポケットからスマートフォンを取りだした。その動作に、真くんの顔が見る見るうちに青ざめていく。

「えっ!い、泉さんを呼ぶの!? ご、ごめん鳴上くん。怒らせちゃったなら謝るから、その、お願い!早まらないで! ぼくの平穏な時間があっという間になくなっちゃうよ〜!」
「う〜!ワカメみたいな頭したやつを呼びつけようなんて、オカマさんは悪いオカマだな! 俺たちの大事なウッキ〜のこと、いじめるなよ!」
「落ちつけ明星、そんなに突っかかるな。遊木もすでに逃げようとするんじゃない。鳴上も少しおふざけが過ぎるぞ、トラウマで遊木をいじめてやるな」
「あらァ、こっちは相変わらず冷静なのねぇ…… ウフフ。そうね、ごめんなさい。悪ノリが過ぎたわ。泉ちゃんを呼んだりしないから安心して戻ってきてちょうだいな、真ちゃん♪」

そう言って、いまにも教室を出ようとしていた真くんに、ナルちゃんはウインクをしてから手招きをした。真くんはとても安心したというような顔をして、ほっと胸をなでおろしていた。

ことの経緯をぼんやりと見送っていたわたしに、ナルちゃんがむき直る。その手にクリアファイルが握られていたことに、わたしはいまごろ気がついた。
しわのないきれいな用紙がきちんと保管されてる状態を見るところ、それが大事なものであることはすぐに察しがついた。

「はいこれ、申請用紙。ほんとは王さまがやるべきことなんだけど……いつものことながら、泉ちゃんがまとめてくれわァ。でも泉ちゃんったら、『なまえちゃんに渡しといて』ってアタシに丸投げしてきたのよォ。んもう、人使いが荒くってヤんなっちゃう」

はい、とわたしの目の前にそのままの状態で差し出された。ファイルごと受け取る。
紙が数枚はさまれてるだけかと思ったら、予想よりも厚みがあって驚いた。

ぱらぱらとめくってみると、申請用紙のうしろにユニットと個人にわけてのスケジュール表。外部からの依頼予定表と受諾書。
それと、泉さんに添削されたであろう真っ赤な企画提案書があった。よく見ると別紙でのダメ出し付き。あの人やっぱり厳しいんだけど…… 
あとは身体記録表も入っていた。ふと目に留まったのは司くんで、彼の体重は増えていた。これはやばい。泉さんが怒り狂うに違いない。そんなイベントが今後に控えていると悟って、少しげんなりした。
最後のほうに、レオさんが書いたであろう紙や楽譜が何枚かはさまっていた。しわくちゃで、ところどころ破れているものもある。明らかに教科書の一部っぽいところにメモされたようなものもあって、それに対してはなにも言わないでおこうと思った。

「届けてくれてありがとね、ナルちゃん」

簡単にひと通り目を通してから、顔をあげてお礼を言った。
目が合うものだと思っていたけど、ナルちゃんの視線は少し下。ファイルを手にしたわたしの手元にあった。眉をさげて浮かない顔をしている。
もしかして、わたしに届けるにあたって泉さんになにか言われたのだろうか。でもそんなことを気にするような人ではないし、その表情の理由がわからない。
様子を伺うように顔を覗きこんでみたら、やっとナルちゃんと焦点が合う。視線が交わったかと思えば、こんどは困ったような顔して笑んだ。

「なまえちゃんのその手、痛そうねぇ……」
「ああ、これ」

ナルちゃんに言われて、わたしも自分の手に視線をおとす。

いまの季節は空気が乾燥している。わたしの皮膚はそういうのにめっぽう弱かった。見慣れたものではあったが、その手の甲は相変わらず、地割れのようにひび割れ、荒れていた。
今日は血がにじんだりはしていないようだったが、手には大事な書類を持っている。細心の注意をはらうことは怠らないように気をつけなければ。そんなことを気にしなくていい、というのがいちばんの理想なんだろうけど。

「鳴上、言ってやってくれ。俺たちも気にして声をかけるんだが、当の本人は改善する気がまったくない」
「ほんとほんと!すっごく痛そうなのにヘラヘラしちゃってさ、『かゆ〜い!』とか言ってんの! サリ〜なんか、病院に連れてくほうがいいと思って声かけたのに、撒かれたとか言ってたしさぁ!」
「なまえちゃんって男前というか、僕らが思ってるよりもけっこうガサツで、無頓着なところがあるよね」

北斗、スバル、真と続く。なんだこいつら、失礼だな。
そう思いはするものの、どれも正論。言われた言葉にぐうの音もでない。
4人分の視線が自分の手元に集中していて、チクチク刺さる。なんだか少しだけ居心地が悪い。

ちなみに、先日の真緒くんにはほんとうに申し訳ないことをしたとは思っている。
ありがたい気持ちはあったのだが、その日はどうしても病院にかける時間がもったいないと思ってしまって。というのも、衣装の締め切りがもう目前というところまで迫ってきていて、ただ単にタイミングが悪かったのだ。
でもまあ、その甲斐あってと言っていいのか微妙なところではあるが、出来は満足いくものに仕上がった。自分が仕上げた衣装を着たアイドルを裏方から見守っていたとき、浮き足立つような、ほくほくとした気持ちにはなったことはまだ記憶に新しい。
散々まわりからも言われているということもあって、自分がワーカーホリック気味だということの自覚はきちんとある。

そんな話しをきいて、ナルちゃんは「あきれた」とでも言うような顔で、ため息をひとつこぼした。あ〜あ。幸せ、逃げちゃうよ。

「んもう。女の子なんだから、もう少し自分の身体に気を使ってあげなきゃダメじゃないの。なまえちゃん、ちょっと待っててね」

そう言って颯爽と教室を出て行ったが、ナルちゃんはすぐに戻ってきた。そして、わたしの席の隣の空席に腰かける。
その手元を見れば、可愛らしいパッケージのチューブクリームがにぎられていた。思わず、うわあ……と隠しもせず、顔をしかめてしまった。

「そんな顔してもダ〜メ。はい手、だして。お姉ちゃんがやったげる♪」
「ハンドクリームってベタつくから好きじゃないんだけど……」
「往生際が悪いわよォ。みんながこぉんなに心配してくれてるんだから、なまえちゃんはその気持ちに応えるべき!」

ナルちゃんの言葉に、「そうだぞ」「うんうん」「オカマさんやっさし〜い☆」と各々らしい返答をいただく。どうやらこの場にわたしの味方はいないようだ。
決まりが悪くなり、仕方なくおずおずと両の手を差し出す。納得がいかないとむつけるわたしには目もくれず、でこぼこした皮膚に、優しくクリームがすりこまれていく。
あ。いいにおい。好みのかおりが鼻をぬけて、思わず口から感想がもれた。

「ふふ、でしょ〜♡ 香りだけじゃなく、ちゃあんと効果も期待できるわよォ♪」

と、ナルちゃんが手を止めて、わたしに自分の手の甲を見せびらかす。
ツヤがある皮膚はやわらかそうで、女のわたしなんかよりも女の子らしいような、そんな手をしていた。爪も綺麗に整えられている。
立ち振る舞いだけでなく、頭の上から爪の先までほんとうに完璧な人である。きっと固くなった皮膚が、繊維に引っかかったりすることなんてないんだろうな、なんて。
不相応にも関わらず、少しだけ羨ましくなってしまった。

「は〜い、おわり。未使用品じゃなくって申し訳ないけど、これなまえちゃんにあげるわァ。毎日使ってちょうだいな♪」
「え〜? めんどいしいらない……」
「あんたってそういうとこあるわよねェ」

まるでわたしが聞き分けがないとでも言いたそうな顔だ。頬に手をあてて、ナルちゃんは困ったような顔をしている。
そしてまた、はあ。ため息をひとつ。今日はナルちゃんの幸せが、急ぎ足で出ていってしまう日のようだ。
それでも、そんな顔をされたってわたしだって困ってしまう。これはただのわがままなんでしょうけど、わたしだって嫌なものは嫌なんだから。

それをわたしが声にするよりも早く、ナルちゃんのほうが先に口をひらいた。

「じゃあこうしましょ。めんどくさがりのなまえちゃんに変わって、アタシがケアしてあげるわァ♪」

それは、面倒ごとがきらいなナルちゃんからの思いがけない提案だった。



2021.09.10
スパイス、ひと匙


ALICE+