佐賀美先生の用むきというのは、12月に行われる予定の『スターライトフェスティバル』、略称『スタフェス』についてのことだった。
校内の全ユニットが参加する大規模なライブということもあって、口頭での説明をうけた。それと、いくぶんか分厚い、注意事項などをまとめた資料ももらった。
どうせ、あとから色々と問題点はででくるし、だから質問とかは追々でいい、と。だから、今日のところはこれで終わりだ、と言われてすぐに帰された。
ナルちゃんを待たせるまでもなく、わたしの用事は、あっという間に済んでしまったのだった。


○  ○  ○



「なまえちゃん。先に行きたいところがあるんだけど、いいかしら?」

と、ナルちゃんに言われて連れられてきたのは、わたしが立ち寄ることなどなさそうな店だった。
いかにも、『専門店』と主張している店構え。どことなく高級感さえ漂っている。ここで『お気に入り』と称していた、ハンドクリームを取り扱っているらしい。
しまいにはナルちゃんに、「ここ、よく来るのよォ」なんて言われて、わたしの性別が混乱する。書類上、きちんと『女』に分類されてるはずなのに、トドメを刺された気分だった。
やっぱりこの人は、わたしなんかよりもずっと、『女の子』というジャンルを楽しんでいる。

雰囲気にあてられて、自分が入店してもいいものなのか、わたしはためらってしまっていた。一歩が思うように踏みだせず、鉛のように重たく感じる。
対照的にナルちゃんは、迷うことなく店内へと足を踏みいれようとしていた。

「んもォ、なにぼさっとしてんのよ」

そして、見かねたナルちゃんに手をひかれてしまった。
それが急だったこともあって、わたしは必要以上に驚いてしまった。腕を掴まれて、反射的にビクついてしまったような気がする。ビビっていたのがバレたような気がして、なんだか恥ずかしい気持ちになった。
ナルちゃんはさっさと自動ドアをぬけて、すいすい奥へと進んでいく。わたしはそのうしろを、張力のままについていく。かろうじて足は動いていたけど、もたついた。
側からみれば、まるで親に手をひかれる、小さな子供のように見えたんじゃないかと思う。
受付みたいなところまで行くと、「鳴上さま、お待ちしておりました」と、店員に迎えられた。ナルちゃんってお待ちされるような人なんだ、と、わたしはさらに驚いてしまった。

そして今、贔屓にしてるとナルちゃんが紹介してくれた、カウンセラーさんと対峙している。その人が、付きっきりでたくさん説明してくれるけど、どうも内容が頭にはいってこない。
その理由はいろいろあるけれど、ひとつは価格だった。表示されていた値段が目に飛びこんできて、バグってるんじゃないかと思わず二度見してしまった。
わたしは、ハンドクリームといえば、ドラッグストアにあるようなものしか知らなかった。こんな高価なものもあるんだと、無知を思い知らされた。
ふたつめは、ナルちゃんのせいだ。連れてきた当の本人はどこに行ったのかと思っていたら、わたしを他人に預けっぱなしにして、店内を物色していた。
わたしはこういうところで、美容とか、そういう方面の会話をするのは苦手だった。ましてや、はじめましての人となんて、とんでもない。
今のところ、愛想笑いを貼りつけて対応してはいるけれど、元来の人見知りみたいなものが爆発してしまいそうな気持ちになっていた。
そういうのもあって助けてほしかったのに、ナルちゃんを目で追うばかりで、状況は大して変わらなかった。そんなわたしを見かねてか、カウンセラーのお姉さんが気をつかってくれたのだと思う。

「――――なんです。手にとって、色々なかおりを試してみてはいかがですか? ゆっくり楽しまれるように、お茶、お持ちしますね」
「はあ……ありがとうございます……?」

その会話を最後に、席を離れていった。わたしは安堵から、ほっと息をつく。
机の上には、けっこうな種類のハンドクリームだけが残された。たくさんありすぎて、すべてを試し終えるころには、鼻が麻痺してしまいそう。
それでも、何もしないのもどうかと思ったので、ハンドクリームのキャップをひねって開けては、かおりを嗅ぐ。手にだしてみては、かおりを嗅ぐ、ということをくり返してみる。
途中、店員さんがお茶を持ってきてくれたけど、丁寧に声をかけられただけだった。放置しておいてくれるのは、素直にありがたかった。

「――――好きなかおり、みつかった?」

と、しばらくしたら、頭上から声が降ってきた。わたしを置き去りにして、店内を物色していたナルちゃんがやっと戻ってきたようだ。
顔を覗きこんできた瞳に対して、わたしは鬱憤をこめてひと睨みしてみる。それを気にすることなく、ナルちゃんはすぐ近くの席に腰をおろした。

「あら。これ、新作ねェ……☆ なまえちゃんは試してみた?」
「多分。どんなにおいだったかは、もう忘れたけど……」
「じゃあもう一度、試してみましょうよっ♪ ――――ふぅん、けっこう甘いかおりなのねェ。なまえちゃんはこういうの、好き?」
「悪くはないけど、少しくどいかも」
「あらそう。ちなみに、気にいったのはあった?」
「う〜ん…… 結局、ナルちゃんのお気に入りがいちばんかなぁ。それが印象強いかも」

机の上に散らばったまま放置された、たくさんの種類のチューブをながめて、そう口にした。
わたしを一瞥してから、「じゃあ、アタシとおそろいにしちゃいましょうか♪」とナルちゃんが一言。そして、ぱあっとやわらかい笑顔を貼りつけて、奥のカウンターに控えていた店員さんに声をかけた。

「お姉さぁん、やあっと決まったわよォ〜☆」

と。ナルちゃんと目が合ったカウンセラーさんが、こちらにやってくる。
人あたりのよさそうな笑顔をしたお姉さんが、「どれにいたしましょう」と口をひらいた。ナルちゃんが話しを続ける。

「これにするわァ。さっきお話しした通りにお願いしたいのだけど、いいかしら?」
「はい、大丈夫ですよ」
「よかった! とびっきりかわい〜くお願いするわねっ♡」
「ふふ、お任せください。少しお時間いただくので、お茶、お持ちしますね」
「ありがとう。――――じゃあなまえちゃん。待ってるあいだ、お喋りでもしてましょうか♪ それとも、なにか見たいものとかある?」
「まって、なに? どういうこと……?」

よく分からないうちに話がまとまってしまい、困惑する。
カウンセラーさんの背中を目で追って、それからナルちゃんへと視線を移した。理解が追いついていない、と、わたしは目でも訴える。
ナルちゃんはというと、机に両ひじをつけた手を支えに、頬杖をついていた。軽く目を見開いてきょとんとした顔をしている。その顔、立場が逆なような気がする。

「あらァ……アタシってば、言ってなかったかしら。この時間はね、なまえちゃんに渡すプレゼントのラッピング待ち♪」
「んん!?」

そんなの、初耳である。

「なんでわたしがもらえるの……?」
「ん〜? だって今日はさぁ、なまえちゃんの心境の変化があった、記念すべき日じゃない? だから、ささやかだけど、アタシから贈りものをするって決めてたの」
「えっ……う、えぇ〜……?」
「なぁに、嬉しくないの? とびっきりピンクで、キュートでラブリーな感じにしてもらってるわよォ?」
「困惑してるの、そこじゃない……」

そんな高価なプレゼントをもらうわけにはいかないと、わたしは話しをしたまま、手探りで鞄を漁る。なかなか財布に手が当たらない。日ごろから、中身の整理をしておくんだった。
鞄のなかへと目をむける。端っこのほうに追いやられていた、目当てのものをやっと見つけた。それを手に取るのと同時くらいに、ナルちゃんから声がかかる。

「なに探してたの?」
「財布。自分で払う」
「残念でした。そんなの、すでに支払い済みよォ」
「なんで!?」
「アタシがプレゼントするって言ってるんだから、当たり前じゃない。あんたは黙って受け取ってくれれば、それでいーの」

ナルちゃんがほくそ笑む。
椅子から立ち上がろうと、中腰の姿勢をしたわたしの行き場がなくなった。
そんなことお構いなしに、店員さんがお茶を持ってきてくれた。ナルちゃんの前に置かれる。
変な体勢のままだったからか、「どうかされましたか?」と声をかけられた。わたしは「なんでもないです」と答えて、またその場に着席した。片手に携えた、財布の行き場もなくなってしまった。
目線を上げると、だされたお茶に口をつける前の、ナルちゃんと目が合った。

「うふふ。出来上がるまでいい子にして、大人しく待ってましょうね」

と言って、目尻を柔く綻ばせる。そんな笑顔をむけられては、なにも言えなくなるのを分かってやっている。この人は、そういう人だ。
退路を絶たれてしまい、今のわたしにできることは、そわそわしながら待つことくらいしかすることがなかった。

しばらくしたら、ショップの紙袋をだいじそうに抱えたカウンセラーさんに、「おまたせしました」と声をかけられた。お礼を述べたナルちゃんが受け取る。数人の店員さんに、店前までお見送りをされた。
あまりにも丁寧だったので、申し訳ないような、なんだか気まずいような、言いようのない居心地の悪さのようなものを感じた。

少し歩いたところで、隣にいたナルちゃんがこちらをむく。そして、わたしの進行先となる空間に、紙袋をぶら下げた。

「はいっ♪ ナル子お姉ちゃんから、かわいい妹なまえちゃんに♪」

ひょい、と差しだされる。
どうにも受け取りづらくて、求心力で左右に揺れてるさまを、目で追っていた。少ししたら、ナルちゃんの手ずから、紙袋の取っ手を握らされてしまった。
受け取ったそれの隙間からのぞくと、想像以上にかわいくデコレーションされていた。ナルちゃんが言っていた通り、ピンクベースで、とびっきりキュートでラブリーにおめかしされた品がある。――――みっつほど。

「ありがとう…… でも、ねぇ。ナル子お姉ちゃん。中身がひとつじゃないみたいなんだけど……」
「そうよォ。考えて、ミニサイズをみっつにしたの。気がむいたときに、使いやすいと思って♪」
「これ高価だし、ひとつでもありがたいのに……」
「手放しで喜べばいいのに、律儀な子なんだからァ。お家、鞄、学校とか、分けられるでしょ。みっつくらいあれば、ずぼらなあんたにぴったりじゃない」

ぴっ、と、人差し指を立てて、ナルちゃんに言いくるめられる。
わたしの生活力はたかが知れてるらしい。おっしゃる通りすぎて、なにも言えることがない。

「それに、今日からは自宅ケアもできるだろうし?」
「えっ…と、それは約束できかねる…… いや、やるけど。ちょっとずつ。気分になれば。多分」
「往生際が悪いわよっ」
「ふふ。――――お姉ちゃん。素敵なプレゼント、ありがとう」
「はぁい、どういたしまして♡」
「でもやっぱり申し訳ない気持ちが大きいから、なんかお礼させてね」
「この妹、相変わらず頑固ねェ〜…… じゃあ、こうしましょ。これからお茶するじゃない? そこで、そのお店の甘いもの、お姉ちゃんにご馳走してちょうだい♪」
「そんなの、ぜんぜん割りに合わない。却下します」
「うんうん、いい案よねェ♡ はぁい、それで決〜まりっ☆ それ以上も以下もな〜しっ!」
「ちょっと!」

わたしが「お姉ちゃん!」と呼ぶのも無視して、ナルちゃんは小走りで先に行ってしまった。まったく、と、わたしはちょっとだけふてくされる。
ふと、紙袋に視線を落とした。ものは高価だけど、それ以上に、気遣ってくれた優しさが嬉しかった。見られていないのをいいことに、少しだけにやついてしまった。
ナルちゃんに、心のなかで再度、お礼を述べる。でも、あとから何度でも言ってやろうと思う。そう決めて、わたしも目的にむかって歩みを進める。
道の先っちょのほうで、「早く来ないと置いてくわよォ〜」と、なんだか楽しそうにするナルちゃんの声が聞こえてきた。



2021.09.30
To my dear sister


ALICE+