行ってきます

少し早いが昼食を食べに行くと決まったので寝巻き代わりにしているスウェットを脱ぎ洗濯機に放り投げて私服に着替える。

あおいはお気に入りのワンピースを纏ってひらひらと裾を遊ばせながら、黄色いポシェットを肩から斜めに掛けて俺の隣を駆け抜けていった。

「あおい!帽子!帽子忘れんなよ!」

「はーーーい」

俺が声をかけるとくるりと方向を変えて娘専用のハットツリーに駆け寄ると一つの帽子を手に取った。

つばの広い俗にいう…あーあれだ、あれ。女優帽を被って俺の方を見ている。

仕事の日は隣人に娘を預けたりすることもあるが、基本俺は娘を仕事場へ連れて行く。現場が俺たちの事情を知っていてくれるからこそなのだが。感謝してもしきれない。

俺の撮影現場だというのに俺が娘を連れてくると知っているから衣装係が子ども用新作も山ほど持ってくる。それこそ俺より多いんじゃないかと思うくらいに。

そこで見せられるもの全部が可愛いから、中でも娘に似合いそうなものや、娘自身が気に入ったものを譲り受けたり買い取ったりしている。今、あおいが来てい着ているワンピースもその1つである。

ちょいちょいと手招きをすれば俺のもとに駆け寄ってきて帽子のつばを両手で持ちニコニコと俺を見上げてくる。

「パパ、にあう?にあう?」

「すげぇ似合ってる」

「ふふ、あおいね、このぼうしがいちばんすき」

「さっ、行くぞ」

「うん」

先に靴を履き、ひとりで一生懸命に靴の金具を留めようとしている娘を見守る。このくらいの年齢になるとなんでもひとりでやりたがるようになると聞いていたが、俺の娘も例に違わずどうやらそうらしい。

「ん、んしょ。…できた!」

パチンと金具が留まる音が聞こえたので今日はうまく留めることができたらしい。出来ないと途端に不機嫌になるがまあそれも愛嬌ってやつだな。

「ほら、あおい。ママに言うことあんだろう?」

「うん!ママ、いってきます!」

玄関に飾ってある写真立てには俺の妻、あおいの母親が映っている。あおいの母親はあおいが産まれてからまもなくしてこの世を去った。

…俺はアイツを守ってやれなかった。

もっと一人娘の成長を近くで見たかっただろうし、一緒に居たかっただろう。これ以上思い出すと辛くなるからこの話はまたいずれ機会があったらしようと思う。

「パパも!パパもママにいってきますっていうんだよ!」

「ああ、わーってるよ。行ってくるな」

写真立てを一撫でして、胸ポケットに入っているサングラスを取り出しかける。一瞬にして視界は黒いフィルターがかかった。

娘を先に玄関から外に出してドアを閉める。

これもやりたいと言ってピョコピョコと跳ねているが残念。我が家はオートロックだ。ドアが閉まれば自動的に施錠される。

帰って来た時は頼むなと言って娘の頭をなでればコクンとその頭を上下に揺らしたのであおいの手を取って歩き出す。

すると毎回声が聞こえるんだ。

あいつが俺たちの前から居なくなって数年が経つのに、あいつの声だけは朧気になるどころか年々明瞭になって聞き取れるようになっていた。若干心霊じみてるが、それだけあいつがあおいのことが大好きで心配で見に来てるんだなって思うようになった。

行っていきまぁす
「陣平くん、あおいちゃん行ってらっしゃい。
いっぱい食べてきてね」
ヒトは聴覚から忘れていくと言うけれど
アイツの声はまだ鮮明に聴こえるんだ

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