母上はとても笑顔が似合う美人な方でした
優しく私の名前を呼ぶあの声が大好きでした

父上はとても厳しく、弱音を吐かない強い方でした
娘相手でも決して甘やかさない厳格な方だったけれど、誰よりも私の生きゆきを心配して下さっていた

じぃじはッ…




「心白羽様ッ…お逃げ下さ…い…」

じぃじの最期の言葉の直後に目を見開いた。息が吸えていなかったかの様に一気に酸素を吸い込み、呼吸が乱れる。心臓がドクンドクンと鼓動を身体に伝わらせるほど重く、速く鳴る

目が覚めても尚、じぃじの最期が脳裏にチラつく中、視界に広がる光景に困惑した。見知らぬ天井、何故か仰向けで布団で寝かされている

ゆっくり首を右に傾けると、私のボロボロに色あせた服とじぃじの短刀二刀、巾着袋が置いてあるのに気付き、息が詰まった。夢じゃ…なかったのだ…



「あらあら、お目覚めですか?」

左から女性の声が聞こえ、弾かれた様に振り返った。小走りでやってきたのは全く知らない女性。40代くらいのおば様であった。そのおば様はにこやかな表情で私の隣に座る



「無理に身体を起こしてはいけませんよ?」
『ぇ…えッ…?』

困惑して言葉が上手く出ない。誰なのか、此処は何処なのか、私は何で此処にいるのか、聞きたい事が山ほど思いつくのに言葉が出ない

すると、おば様の背後からじぃじと同じくらいの歳であろうおじ様が歩み寄りながら目覚めたか、と安堵した表情を浮かべるが、私は思わず掛け布団を頭まで被って隠れた。身体が震えている



「ぜってぇ見つけろ!」
「何処行きやがったんだぁ!?出て来やがれってんだよ!」


男性に追われた直後だったからか、反射的に身を隠す動作をしてしまったのだ。思い出したくもないあの男達の声が頭にこだまする。布団から出れずにそのまま暫くの間の後、布団越しからおじ様が手を添えてきたのに気付いた


「安心して下さい、姫様。俺は貴方様の所で仕えていた侍従の元同僚です」

侍従…じぃじの事だろうか。柔らかい口調とじぃじの事であろう言葉に恐る恐る布団から顔を覗かせた


『じぃじ…の?』
「忍であった頃の相棒でしてね。貴方様の事は常々あいつから聞いておりました」

思ったより随分とべっぴんさんだ、と笑ってみせるおじ様の笑顔に少しばかり恐怖心と警戒心が和らぐ



『あのッ…此処は…』
「此処は俺の家です。恐れながら倒れていた貴方様を俺がお連れしました」

倒れていた…そうだ。私は崖から落ちて…
じゃああの足袋の人はこの人だったんだ…



「こいつは俺の妻です。姫様の着替えと怪我の手当を任せました」

紹介されたおば様は微笑んだまま会釈する。私はそのままおば様に支えられながら起き上がった



「私のお古ですが、明日はこれを来て下さいね」

おば様が枕元に置いたのは少しくたびれた女性物の着物。そして、お夕食をお持ちしますね、とおば様はそのまま部屋から出ていき、私とおじ様の2人になった所でおじ様が口を開いた



「姫様、身体に痛みはございませんか?」
『いえ…特には』

そうですか…と苦笑して頭を掻いたおじ様に首を傾げた



「やはり花霞家の噂は本当だったのですね」
『ぇ…どういう意味ですか?』

何やら言いにくそうに続けて話すおじ様の言葉に目を見開いた。倒れていたあの時、私の手足には矢が刺さっていたらしい。幸いな事におば様が医術に詳しかったおかげで大事には至らなかったというが…

おじ様は追っ手であるあの男達が放ったのでしょう、と推測して下さったが、不意に私は袖を捲って、巻かれた包帯を見る。まだ血が滲んでいるのに、何も感じない

全く気付かなかった…
いつ刺さったのかも分からない





「お前は歳を重ねる事に少しずつ痛覚が鈍くなっている」
『ぁ…』

父上の言葉が過ぎり、小さく声が漏れた。花霞家の特殊体質である痛覚の欠如。すぐ前までは転んだりしただけで痛みは普通に感じていたのに…矢が刺さっても気付かないって…思ったよりも欠如の進行は速いようだ

唖然と固まる私におじ様は話を切り替える様に呼び掛けた



「数日前にあいつは俺の所に文を寄越しました」

内容はカハタレドキ城についての事だった。そして、遅かれ早かれ、私を略取する為に城を襲うだろうというじぃじの見解が書かれていたらしい



「同じ忍として、あいつは俺に頼み事をしました。もし、カハタレドキ城が城を襲い、己に何かあった時は姫様の事をよろしく頼む…と」

おじ様はその文を受け取ってからというもの、人知れず私達の身の回りの様子を見回ってくれていたらしい。そして、いつもの様に見回りに出向こうとした道中、私が崖から落ちてきたという



「その時の姫様の姿、そして大事そうに抱えていらっしゃった短刀と巾着を見て…全てを理解しました」

短刀はじぃじが若い頃から使用していた愛刀である事。巾着は私の為に用意した金平糖を入れる為にじぃじがおじ様と一緒に選んだ物である事を教えてくれた



「あいつ…姫様の事を本当の孫の様に想っていましたよ。その巾着を選ぶ時も…姫様にはもう少し可愛らしいモノの方が良いのではないかと…随分…頭を捻っていたものです…」

おじ様の言葉の語尾が震え始め、気付けば頬には涙が…



「あいつはちゃんと…己の責務を全うしたのですね…」

貴方様が無事で本当に良かった、とおじ様は涙を雑に袖で拭うと微笑んでみせた。それに釣られてなのか分からないけれど、無意識に私は微かに震え出す口を開いた


『じぃじは…いつも私の事を最優先で自身の身体の事なんてちっとも考えていなかったです。最期なんて…私を置いてッ…』




「心白羽様が元気でいて下さる事が、私にとっての喜びですよ」

『私の我儘だって嫌な顔1つせずに聞き入れて…愚痴も零さずにずっと私の傍にいて…』



「心白羽様、今日もよく頑張っておられましたね」

『あの金平糖だって隣村まで行かないと手に入らないのに…毎度私がねだる度に買いに行って…』



「眠れないのですか?では、心白羽様が眠るまで手を握っていましょう」

『私が眠れない時は寝不足になってまで私の手を握り続けて…』



「どうか…どうかッ…心白羽様も……しあわッ…せ……にッ…」

『果てる寸前まで私の為の言葉しか言わなかった…私はッ…私は何一つじぃじにしてあげられなかったのにッ!』

言葉を言う度に顔が俯き、最後には思わず声を張り上げてしまった。頬には何筋もの涙が伝い、布団にシミを付けていく。あんな和やかな笑顔を浮かべて逝ってしまったじぃじ。私の傍にいて何が幸せだったというのか。私にこき使われて…身体を張って…そんな日々に幸せなんてッ…



「あいつは確かに幸せでした」

おじ様の言葉に顔を上げた。すると、おじ様は私の頭に手を置いて優しく撫でた



「忍は人の心理も汲み取る事が出来るのです。姫様の事を話していた時のあいつは本当に幸せそうでした。姫様と遊んでいて2人で襖を破ってしまった事や寝ている間に姫様に顔を落書きされた事…日々起こる貴方様との出来事を楽しげに話しておりました」

その表情に偽りは微塵もありませんでした、とおじ様は続ける。撫でる手つきはじぃじのモノとは少し違い、覚束無いけれど、今の私の張り詰めた糸を切るには十分だった

涙を必死に拭いながら、喉が張り裂けんばかりに泣き叫んだ。父上も母上も、じぃじも…私の幸せを願って死んだ。今の私の幸せそのものだったみんなと居場所がなくなった悲しさ、寂しさが込み上げていたせいで、最早私には止める事が出来なかった







◆◆◆ ◆◆◆







『申し訳…ありませんでした…』

やっと泣く衝動が治まり、落ち着きを取り戻した。おじ様も夕食を持ってきてくれたおば様も何の事もないように微笑んでいる




「無理もありません。幼子には辛い現実でしょう」

お粥なら食べられますか?、とおば様はお膳を用意して下さった。まだ身体があの時を忘れられずにいるのか、手元が少しばかり震えるけれど、何とか食事する




「これからは此処が貴方様の家です。辺鄙な場所で城と比べたら手狭でしょうが」

『そ、そんな事ありません!寧ろ助けて下さって…ありがとうございます』

手に持っていたお椀を置いて床に手を付いて深々と頭を下げた。その行為におば様もおじ様も私が貴族だからだろうか、慌てて止めるように言うが、私には関係ない




『おじ様もおば様も私にとっては命の恩人です。階級など関係ありません。どうか、私の事は心白羽と呼んで下さい』

そう懇願し続けると、おじ様もおば様も躊躇しつつ受け入れてくれた。私には大した事は出来ないけれど、生きている限り、出来る事を見つけて、この人達に恩返しをする

そして…母上やじぃじが願った幸せを見つける。そう心の中で決めたのだった



【傷 END】

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