卑屈






朝から落ち着かない…

及川先輩の捻挫はどうだったのか。先輩のお母さんは昨日病院に行くから学校は午後からかもね、と言っていたけれど…

もしも……もしもバレーが出来なくなるなんて事になったら…





「おい、唯織」
『Σぁッ…何?』

「隣のクラスの朱美って奴が呼んでる」

男子が指差す方を見ると、何やら朱美が慌てている様子で手招きしていた。ひとまず男子にお礼を言って、小走りで廊下へ




「ねぇ、聞いた?」
『何を?』

「及川先輩が怪我して病院行ってるんだって」

思わず肩がビクッと動いてしまった。こんなに早く広まるなんて…さすがみんなの人気者だ…



「もぉさ、及川ファンの子達が発狂並みに騒いでてさ。その子達によると怪我したのは右膝なんだって」

『そッ…そうなんだ…』

「唯織…何か今日顔色悪くない?」
『Σえッ!?きッ…気のせいだよ』

セッターとしてブレないトスを上げる為には両足が健全なのが当たり前。況してや攻撃型サーブを打ち出す及川先輩にとっては膝の捻挫は痛いアクシデントに違いない






「唯織ちゃんのせいじゃないよ」

昨日及川先輩は車に乗せられるまで、1度だって私を責めなかった。寧ろ笑いかけてくれていた

「お前の練習なんて付き合わなければッ…!」
「どうしてくれるだよッ!」

いっその事、そうやって責め立ててくれたら良かったかもしれない。及川先輩の優しさに漬け込んでいる様に感じ、自分が嫌になる

朱美曰く、2年だけでなく3年の及川ファンまでもが騒いでいて、3階は慌ただしくなっているらしい。そりゃあ、自分達の憧れの人が怪我をして病院に行っているだなんて…騒ぐのも無理ない







「──てば!唯織!」
『ぁッ…え、何?』

「ずっと呼んでんのに上の空だったから焦ったよ。何かあったの?」

『な…何でもないよ』







◇◇◇ ◇◇◇







そのまま午後になり、授業中も全然内容が頭に入ってこなかった。ずっと及川先輩の怪我の具合ばかりを気にして、気にし過ぎて先生に注意される程だった



「おいおい、夢咲。お前が注意されるとか珍しいじゃん?」

「何かあったの?」

比較的同学年で私を邪険な目で見る子は少なく、今のクラスメイトとは仲良くやっている。イタズラな笑みを浮かべながら私の後ろの男子と隣の席の女子が喋りかけてきた




『別に何でもないよ。ありがとう』

「もしかして…彼氏?」
『Σはッ!?』

「Σなぁに!?とうとう夢咲にも彼氏がッ…!」
『いちいち驚かないでよ!ていうか彼氏いないし!』

「何々?唯織に彼氏?」
『みんなも反応しないでよッ!』

ニヤニヤしながら話に集まってくるクラスメイトを何とか散り散りにさせる。でも、私とこうやってふざけ合ったり、普通に話し掛けてくれるみんなにはかなり感謝している

去年先輩方を惨敗に追い込んだ私なのに…





「唯織ちゃん…」
『ん?』

「あの…3年の先輩達が呼んでる…」

廊下を見ると4人くらいの女子が私を見つめている
先輩って…全然関わった事ないのに…

教えてくれた子も何故か落ち着きがなく、目を泳がせている。疑問に思いながらも呼ばれたからには廊下へ向かう




「あんたが夢咲?」
『は、はい』

「ちょっと来て」

答える間もなく、腕を引っ張られ、半端強引に連れ出された。バレー部の先輩の知り合い?いやいや、主将や他の先輩なら直接来るか…





「おいおい、あれって結構ヤバくね?」
「夢咲を堕エースって呼んでる先輩じゃね?あの連中って」
「ていうか、あの人達って及川先輩の追っかけじゃなかったっけ?」

心配気に見送ったクラスメイトの話は唯織には聞こえる筈もなかった







◇◇◇ ◇◇◇






「やっほー、みんなぁ」

遅れて教室にやってきた及川。だが、及川がいつものにこやかな笑顔とは無縁の2つの松葉杖を使っているのに教室内がざわめいた



「Σはぁッ!?おまッ…何だよそれ!」
「松葉杖ついてるってそんなに怪我ヒドいの!?」

駆け寄ってくるクラスメイトに苦笑しながら自分の席に着くと、周りにみんな集まった



「そんな大した事ないって。お母ちゃんがお前はドジだから、松葉杖使えって言われただけだよ」

「ホントかよ。バレーは出来んのか?」

「別にただの軽い捻挫だし、バレーやるには問題ないよ。でもやっぱり暫く休まなきゃダメだって釘打たれた」

苦笑して頭を掻いた及川に周りは安堵した様に微笑んだ。すると、教室の廊下から岩泉、花巻、松川が入ってきた



「なぁにコケてんだよ。主将」
「Σあいてッ!ちょっとぉ、俺まだ一応怪我人!」

頭をチョップされ、ブーブー言う及川を宥めて、岩泉が前の席の椅子の背凭れを抱える様に座った



「ちゃんとバレー出来んだろうな?」
「それはモチ大丈夫ー。暫く休まないとだけどね」

「まぁ、そんな大した事なくて良かったな。松葉杖使ってるのには驚いたけど」

松川が机に欠けてある松葉杖を持って、歩く真似をしながら苦笑した。すると、及川は口を尖らせて不機嫌気味に返した



「俺だってそんな動きづらいモノいらなかったけど、お母ちゃんが持ってけって」

脇痛くなるし萎えるよ、とため息混じりに言う及川に同情する様に3人は笑った






「なぁ、あれって夢咲じゃね?」

花巻が廊下を指差した。3年の女子に囲まれて歩いている夢咲の姿がいる。歩いている3年女子達の表情は決してにこやかな雰囲気ではない



「こぇー、何あの雰囲気」
「つーか、アイツらってよく練習見に来る奴らじゃね?ほら、お前目当ての」

松川に指差されたのは及川。えッ…と声を漏らして思わず岩泉に視線をやると、岩泉も険しい表情だ。昨日岩泉に言われた忠告が頭を過る。嫌な予感しかしない…




「岩ちゃん」
「行くぞ」

急に立ち上がった2人に松川と花巻は目を丸くした。及川は松葉杖を松川から返してもらい、岩泉を連れてすぐさま教室を出ていった。残された松川と花巻は呆気にとられたまま、お互い首を傾げた


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