優しさ






『ハァ…』

保健室。思った通り先生がいないから、悪いと思いつつ冷蔵庫から氷袋を取り出して、右頬に当てる。小さくため息を吐いて、近くのパイプ椅子に座った。ボーッとしてしまう…



『最低な事したなぁ…』

不意に誰もいないベッドを見る。及川先輩が捻挫した時に横になってもらったベッド…

及川先輩も岩泉先輩もこんな私の為に残って練習に付き合ってくれたというのに、あんな言い方をしてしまった。きっと呆れている事だろう…






「唯織ちゃんは努力家だし」

『誰かを巻き込む努力家なんて…いりませんよ』

先輩がせっかく褒めてくれた自分自身の部分にですら毒を吐いてしまう。最低な後輩だ…



『岩泉先輩のスパイク、絶対モノにしてみせます』

『あんたに…出来る訳ないじゃない』

まるで他人事の様に自分自身に言い捨てる。本当に自分が嫌い。こうやって今更後悔してうじうじする自分も…大嫌いッ…

最低最低最低ッ…


『ホントに…大っ嫌いッ…』







◇◇◇ ◇◇◇







「あ、唯織!大丈夫!?」

暫く冷やして、体育館に戻った。途端に朱美が駆け寄ってくる。それに続いて先輩や後輩も心配気に駆け寄ってきた



「めまいとかしない?」
『大丈夫です。やれます』

「何か顔色良くないじゃん。少し休みなよ」
『右頬が少し腫れただけだから何ともないって』

皆が心配そうにする中、唯織は足元のボールを拾って、コートに入った。あのまま1人で考えていたら…きっとおかしくなる…

プレーに支障が出てからでは遅い…




『練習、続けさせて下さい』

「そ、そうね。はいはい、皆ぁ。練習やるよぉ。唯織ちゃんはあまり無理しない程度にね」

皆返事をして、コートに戻り、練習を再開させたが…レシーブやスパイク、サーブ練習をいくらしていても、私の中のモヤモヤは消えなかった







◇◇◇ ◇◇◇






「あれ…」

日が沈み、及川は岩泉と別れてから、校舎に戻ってきた。真っ直ぐ体育館に向かい、扉から静かに中を覗いた

もう女バレが終わった時間なのは知っていたから、誰もいないのは分かっているが、いつも残っている筈の唯織の姿がなかった。いや、ネットとボールはそのままなのを見ると、いる筈ではあるのだが…

ひとまず中へ入った




「何処行っちゃったんだろ…」

カツンカツンと松葉杖の音が響く。コート前まで来ると、奥の校庭へ続く扉が開いているのに気付いた。音がしない様にゆっくり近付く



「ぁッ…」

石段に踞っている唯織がいた。声を掛けようとした時、微かに声が聞こえた






『私はッ……役…立たずだ…ッ…』

聞こえた言葉に、及川は目を見開いた。唯織が握り締めているのは、エースの証である背番号【4】のユニフォーム

声があんなに震えて、今にも泣きそうな声。及川は自身の胸がいつもよりキツく締め付けられるのを感じた




「唯織ちゃん」

まさか誰かいると思わなかったのか、ビクッ!と唯織は大きく反応した。ゆっくり振り向いた先の表情に思わず及川の息が止まる

泣きそう…というより、最早唯織は泣いていた。唯織自身、まさか1番あり得ないと思っていた及川がそこにいる事に目を見開いて、固まっていた



『ぇッ……及川…先輩ッ…』

「もしかして…泣いてたの?」

唯織は言われた言葉にハッとした様にすぐさま顔を逸らし、目元を強く拭った。そして、顔を背けたまま及川に喋り掛けた



『何で及川先輩が此処にいるんですか…そもそも男バレは今日オフじゃないですか。それに…昼間言った筈ですよ。もう練習に付き合って頂かなくて良いって』

失礼すぎる態度だって事くらい分かっている。分かっているけれど、こうでもしなければこの人はまた私に優しい言葉を掛けてくる…

今優しい言葉を掛けられたら…きっと崩れてしまう…





『帰った方が良いですよ。右膝だって安静にしていた方が治りは早くなります』

「唯織ちゃん」
『何ですか』

「こっち見てよ」
『すいません…出来ません』

今の私の顔は…きっと泣いた後感がありすぎて笑えるくらいだ。誰にも…絶対弱音を吐かない。吐きたくない。泣き顔なんてそれこそ論外だ



『私の事はもう良いので。早く帰ッ…』
「よっこいしょ」

話し掛けてる途中で、隣に及川先輩が腰掛けてきた。思わず身体が跳ねてしまった



『Σちょッ!話聞いてます!?』
「あ、やっと目が合った」

ニッといたずらな笑みを向けた及川先輩
右膝だって曲げたら痛いだろうに…
予想外の事に固まっていて、顔を逸らすのを忘れていた



「やっぱり、泣いてたんだね」
『な、泣いてません』

「ふぅん…目の下真っ赤だけどね」
『ぁッ…これはそのッ…』

初めて見られてしまった。絶対誰にも見せたくなかった自分自身の弱い所…

幼馴染の朱美にさえ見せた事がないのに…




『とにかく…泣いてません。いつも通りです』

「案外頑固なんだね。唯織ちゃんは」

『及川先輩、帰って下さッ…』
「誰も唯織ちゃんの事、役立たずとか思ってないと思うけどね」

突然の及川先輩の言葉に思わず目を見開いた。聞かれていた自分の弱音…

この人は…何でこうも見透かした様に話すのか。及川先輩の視線は何もかも…私の中の弱さも見ている様で咄嗟に顔を背けた



「唯織ちゃんは十分努力してるし、今だって練習してたんでしょ?」

『先輩ッ…』
「俺や岩ちゃんだって、唯織ちゃんがめげずに追いかけてくるから、一緒に練習と思った訳だし。もう少しくらい自分に自信持ってもッ…」
『及川先輩ッ!』

突然声をあげられ、及川は咄嗟に言葉を飲み込んだ。横から見える唯織の横顔は今にも泣きそうで、それをグッと堪えている様な…そんな表情だった




『やめて…下さいッ!私に優しい言葉を掛けないで下さいッ…!』

歯を食いしばって、堪える。また目の前が歪む
また泣いてしまう…



『何なんですかッ…!何でそんなに優しくするんですかッ…!貴女は私を何も知らないッ!努力家とか…しっかりしてるとか…何でそんな事分かるんですかッ…!』

及川先輩は目を丸くして固まっている。そりゃあそうだ。急にこんな吠えられたら誰だって驚く。でも…開いた口は塞がらない…


『私は弱い人間なんですよッ…!弱虫で意気地無しでッ…!だから堕エースだって呼ばれるんですよッ…!』

フラッシュバックの様に去年の春高後の先輩達の姿が過ぎっていく。みんなに心配かけまいと、罪悪感を抱かせまいと隠れて泣いていた先輩達の姿…




『エースなんて恐れ多すぎる立場をもらってッ…!元エースの先輩が来ていたこのユニフォームだって…堕エースの私なんかが着ちゃダメなんですよッ!』

息が切れる…
きっと先輩は呆れているに違いない。あんなに私の為に教えてくれたのにッ…
私の為に怪我をしてもこうやって来てくれたのにッ…
ホントに…最てッ…





「確かに俺は唯織ちゃんの事をまるで知らない」

黙っていた先輩が口を開いた。恐る恐る先輩を見る


「どういう経緯でエースになったかとか、何で堕エースなんて呼ばれ方をされているのかも詳しく知ってる訳じゃない。でも…決まり文句みたいに褒めてた訳じゃないよ」

及川は目を見開いて固まっている唯織に笑い掛けた


「何も知らないけど、唯織ちゃんがどれくらいバレーに対して本気で向き合っているのかは知ってるつもりだよ」

『……ッ』

「練習を一緒にしてて、唯織ちゃんが生半可な気持ちでボールを追い掛けてない事も、誰よりも役に立とうと必死になってる事も知ってる。その手助けをしたいから、こうやって隣にいる……それだけじゃ理由にならない?」

少し困った様に眉を下げて顔を覗き込まれた。何で及川先輩がそんな顔をしなきゃいけないのッ……て…私がさせてるんだよね…

及川先輩の言葉が1つ1つ、胸に深く刺さっていく。瞳に涙が溜まるのが分かる。下を向いたら、きっとそのまま溢れてしまうくらいに、視界も歪んでいく

俯いて暫く無言でいると、突然及川先輩に肩を捕まれて、引き寄せられた。目の前は真っ暗……及川先輩の懐に顔を埋められた事に気付いた



『Σ及ッ…川先ぱッ…』
「泣いたって良いんだよ」

『……ぇッ…』

思わず身体を離そうとした手を止めた。及川は唯織の頭に手を添えて、ゆっくり撫でた




「今は誰もいないし、及川さんも唯織ちゃんの顔見えないし」

『………ぐッ……ッ…』

泣かないッ…絶対に泣かないッ…
でも…頭を撫でられた途端に溜めていた涙が脆くも溢れだした。涙が出ると自然と呼吸も正常ではなくなってしまう…



「泣きたくないって思うなら、泣くのは今日だけ……ね?」

及川さんは枕か何かだと思ってさ、と及川は含み笑いを浮かべて、優しく唯織の身体を抱き締めながら背中を軽くトントンと叩いた

唯織は肩で息をしながら、大人しく及川の懐で声を押し殺しながら小さく泣き始めた。及川のシャツを握っている手は小さく震えている…

相当溜め込んでたのかな…と及川は安心させる様に震える唯織の背中を軽く叩いた


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