合宿







「おい」

部活休憩時、外の水道で顔を濯いでいると呼び掛けられた。顔を上げると、水道越しに京谷君が立っていた。気配もなにもなくそこにいたものだから正直驚いた

ひとまずタオルで顔を拭きながら首を傾げた



『お疲れ様。どうしたの?京谷君も顔洗いに来たの?』

京谷君は何も答えずに私を睨み付けているだけ。ここまでくると、彼の普通の視線が睨みを効かせている様に感じるだけなのか…



『ねぇってばッ…』
「別にお前の言葉で戻ってきた訳じゃねぇから」

仏頂面のまま口にした言葉に、唯織は目を丸くした。わざわざそれを言いに来たのか。そう思うと苦笑しか浮かべない




「俺はお前の人の事分かった様に言う所やお人好しな所が嫌いだ」
『Σえッ…は、はっきりと言うのね。そこは』

「けど…同情とか他人事でそういう事言ってる訳じゃねぇ事は分かった」

京谷は片手に持っていたバレーボールを唯織に向けた



「春高でスタメンになって、監督や他の奴らを見返してやる。お前も春高でエース降ろされんじゃねぇぞ」

『京谷君…』

「あぁやって人に言っといて、自分がコートに入ってねぇなんて無責任すぎんだろ。もし降ろされたら今度こそ容赦しねぇから」

そう言って京谷君はさっさと体育館の中へ戻っていってしまった。遠回しに京谷君から喝をし返された気がした。意地でも今のエースを守り抜けと言っている様に思えて、小さく口元を緩ませた







◇◇◇ ◇◇◇







及川は風に当たろうと外に出ていた。少し離れた所にある水道に誰かいると思えば、京谷と唯織

当然京谷と唯織が2人で話している会話は聞こえていた。2人は及川に気付く事もなく会話を続けて、京谷が体育館へ戻って行った

チラッ、と唯織を見ると表情は微笑んでいる



「狂犬ちゃんがあんな事言うとはねぇ…」

京谷の言葉がただ単にトゲのある言葉ではなく、唯織の背中を押す意味があったのだろうと及川は思っていた。京谷なりに唯織を気に掛けているという事にも気付いていた





「ハァ…」

『先輩』
「Σうぉッ!ぁ、あぁ。唯織ちゃん…」

項垂れていると、頭上から呼び掛けられた。顔を上げるとさっきまで水道の所にいた唯織が目の前に立っていた




『お疲れ様です。先輩も休憩ですか?』

「うん。唯織ちゃんもお疲れ様」

笑顔で答えたつもりだったが、目の前にいる唯織の表情は心配気に眉が下がっている



『及川先輩…大丈夫ですか?元気ないみたいですけど』

「えッ…そう見える?」

『…失礼ながら』

苦笑する唯織に思いの外顔に出ていたのかと及川は自分に苦笑した。その後、立っている唯織を隣に座れば?と誘い、2人並んで青空を眺めていた




「唯織ちゃんは相変わらず狂犬ちゃんと仲良いんだね」
『Σえぇッ!?なッ…何で京谷君なんですか』

「さっきあそこで話してたじゃん。2人でさ」

『あの…あれは仲良いとかそういう感じの内容じゃないですよ』

「狂犬ちゃんの言葉から見るに唯織ちゃんを認めてるんじゃない?同じバレー仲間として」

『そう…ですかね。お節介なだけだったかもしれません』

隣にいる唯織の表情は少しばかり申し訳なさそう。及川自身、京谷が戻ってきたのは確かに負けず嫌いが故の決断だったかもしれないが、少なからず唯織の言葉も引き金になっていたと感じていた

そうでなければ、わざわざ戻ってきた後にあぁやって話し掛けない。京谷の性格上なら尚更に…




「俺も狂犬ちゃんに負けてられないなぁ…」

『及川先輩は十分負けてないと思いますけどね。バレーのプレーとかセンスとか』

「…そういう意味でじゃないんだなぁ」

含み笑いを向ける及川に唯織は首を傾げた。バレーで負けないのは前提として、唯織ちゃんとの関わり合いの中でも負けたくない…

本人が気付いてくれるのが1番早いんだけど、と及川は再び唯織に目を向けた。唯織がキョトンとしたまま見上げているのに小さく吹き出し、微笑んだ

それを望むのは…男として失格かな…








◇◇◇ ◇◇◇









「明日から男女混合で合宿だ。分かってると思うが、GW前日で学校もある。午前中は授業を受けて、午後から合宿所まで移動する。集合は1時に東玄関口だ。遅れるんじゃないぞ」

明日からいよいよ合宿。解散してから主将が何故かスタメンを招集しだした



「明日から監督の言ってた通りインターハイに向けて合宿するけど、1週間以上練習に費やすのはモチベーションが下がるし、何より気力が欠けるんじゃないかって事で1日だけ自由時間貰いましたぁ」

はい、みんな拍手ー、と主将は嬉しそうに手を叩いていて、他の先輩達も同じように嬉しそうにおぉー、と言いながら拍手していた



「自由時間って何ですか?」

「私達は華の高校生。せっかくのGWを部活だけで終えるなんて勿体ない!…と思って監督にあれこれ頼んで1日だけ好きに行動していいって許可をもらったのよ」

「というわけで、私服を1着用意しておく事。念の為濡れても良いヤツね。監督曰く合宿所の近くに川があるみたいだから」

『分かりました』

「あの、男バレも自由時間あるんですか?」

「そうそう、それね。私達の案では男バレも混ぜてみんなで川でバーベキューしようかって話になってる」

男バレと自由時間を共にすると聞いて、朱美はテンションが上がった様で私の腕を揺さぶった



「男バレも一緒って事は岩泉先輩の私服見られるだけじゃなくて、近くで一緒に話すチャンスじゃーん!うわぁ!どうしよ、唯織ー!」

『言うと思った…』

ため息を吐くと、朱美は耳元に顔を近付けてニヤつきながら耳打ちしてきた



「あんただって、及川先輩のいつものジャージ姿じゃなくて私服拝めんのよ?少しはテンションあげなさいよぉ」

『いや別に私は…』

不意に反対側の男バレを見てしまった。すると、あちらも解散したのか、各々が片付けをしている中に及川先輩が映った

確かに及川先輩はジャージ姿か制服姿しか見た事がなかった。きっとセンスだってあって、爽やかな感じなんだろうなぁ…



「ほぉら、顔赤くなったぁ」
『Σなッ…朱美のおバカ!』







◇◇◇ ◇◇◇







「まさか今更止めに来られるとは思わなかったな」

『ハァ…そうですね…』

部活が終わり、いつもの様に3人がコートで練習を再開させようとした途端、監督から今日の居残りはダメだと呼び止められた。何故かと聞けば、明日から嫌でも練習するだろうが、と監督の方が苦笑して答えた。今日ぐらいは身体を休めておけ、と念を押されて3人は仕方なく家路に着いていた




「まぁ、監督の言う事も一理あるでしょ」

『うぅ…練習したかったです…』

「監督の言う通り明日から練習漬けになんだろうから今日くらいは諦めろ」

『あ、そうだ。明日からよろしくお願いします』

唯織は2人の目の前に立ち、一礼した。それにキョトンとしながら及川と岩泉は顔を見合わせたが、及川が小さく吹き出した


「こちらこそ、よろしくお願いします」

「合宿なんて久々だな」

『合宿した事あるんですか?』

「うん、中学の頃にね。男バレだけでむさ苦しかったなぁ。でも、今回は女バレもいるから華があって良かったよー」

「チャラいヤツのが言う事だな」
「Σちょッ!全然チャラくないから!だって自由時間とかあるんだよ?暑苦しいジャージを脱いで、私服で行動出来るんだし。練習を頑張るだけじゃなくて、そういう息抜きとかしなきゃさ」

ね?と及川先輩に促されて、勢いで頷いた
自由時間か…

私服みんな持ってくるんだろうけど、そういえばあまり服のセンスとか人目とか考えて着た事なかったなぁ…




「ところでさ、唯織ちゃんはどんなの着るの?いつも」
『Σえッ、あ…そんな大したモノではないので…』

「及川の服は白いの多いよな。何処ぞの王子かっつの」
「いいじゃん、別に!そう言う岩ちゃんは紺とか黒とかくっらぁい色ばっかりじゃん!」

岩泉先輩は黒系の服なのか。朱美とは正反対だなぁ。及川先輩は少し想像はしてたけど、白系って事はやっぱり爽やかな系なのか…




「まぁ、明日はお互い遅れない様にしねぇとな。んじゃあな」
「また明日ぁ」
『お疲れ様でした』

岩泉先輩はいつもの別れ道で私達を残して背を向けて帰って行った。私と及川先輩も歩き始めて、また何気ない会話をしながらあっという間に私の家の前まで来た



「それじゃあ、また明日ね。唯織ちゃん。今日はゆっくり休んでお互い合宿頑張ろ」

『はい、ありがとうございます。お疲れ様でした』

笑顔で軽く手を振って背を向けた及川先輩の背中を暫く見つめて、家の玄関を開いた





「姉ちゃん、ご機嫌じゃーん」
『Σうぉッ!びっくりしたぁ…』

扉を開けるとニヤニヤしながら玄関で待ち構えていた様に立っている弟がいた。弟曰く、私が帰ってきたのに気付いて玄関で待っていたそうなのだけど…


「あの彼氏なんて想像できねぇ姉ちゃんが彼氏作ってくるなんてな」
『なッ…何言ってんの!及川先輩はバレーの先輩なだけで…』

「えー、彼氏じゃねぇのかよ。いっつも送ってもらってるくせに何にもねぇの?」

『あんたに関係ないでしょうが!からかうんならもう宿題手伝ってあげないからね!』
「Σえぇッ!ちょッ、それは勘弁!」

ニヤニヤしていたと思えば、次は土下座しながら深々謝罪してくる弟に小さくため息を吐いた。実の弟ながら騒がしい…



「あら、唯織。帰ったの?明日から合宿なんだから早く準備しちゃいなさいよぉ」

『はぁい。ほら、あんたも早く明日の準備しなさいよ。最終日でしょ?』

「せっかくGWなのに、姉ちゃんいねぇとゲームの対戦相手いなくてつまんねぇよー」

『はいはい、帰ったら相手してあげるから』

肩を落とす弟を宥めながらリビングへ運んでいき、私はひとまず2階の自室へ向かい、明日の準備をする事に…と、不意に携帯が鳴った




『もしもーし』

〔は〜い、唯織ー。起きてた?〕

『起きてるよー。どうしたの?』

電話の相手は朱美。どうやら明日の合宿のせいでテンションが上がり、なかなか眠れないのだそう。合宿の準備も私服がなかなか決まらない様で…



『朱美はどうせ岩泉先輩の事で眠れないんでしょうが』

〔あ、バレた?だってもうどうしよぉ!岩泉先輩の目を惹く服はどれか悩んでたらこのままじゃ朝になっちゃうよぉ!〕

『はいはい、お疲れぇ』
〔ちょっとぉおおッ!塩対応ーッ!〕

ギャーギャー電話越しに叫んでいる。まるで彼氏とのデート前の彼女の様な朱美に小さく吹き出した

ホントに岩泉先輩の事好きなんだなぁ…




〔もぉ、ところであんたは決めたの?私服〕

『え?いや、今からだけど…』

〔あんたもちゃんと吟味しなさいよ?初私服を見せるんだから。及川先輩に〕

『及川先輩は私の私服とか気にしないでしょ』

〔おバカねぇ。男子は女子の私服を見て、ときめくもんなのよ?〕

『…朱美は岩泉先輩をときめかせたいの?』
〔何をあったり前な事言ってんのよッ!あ…こいつ案外女らしいな…って思って欲しいに決まってんでしょうが!〕

朱美は最早自由時間の事しか考えていない様だった。どっかで恋は人を狂わせるって聞いた事あるけど…朱美は重症だな…



〔とーにかくッ!あんたも適当にでなく、ちゃんと選んで持ってくる事!変なの持ってきたらその場で脱がすからね!〕

『うわぁ、鬼畜。もぉ、分かったよ。ちゃんと選ぶって』

それじゃあね、と電話を切って、不意にクローゼットを開けた。マジマジと見出すと…よく分からなくなってきた



『ハァ…ときめく服って何よ…』


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