鈍感
『ありがとうございました。岩泉先輩』
「気にするな。まだ教えられる事はあるから、また時間が空いたら教えてやるよ」
結局岩泉先輩にお世話になってしまった。振り向くと、及川先輩と朱美も切り上げたのか此方へ歩いてきた
「そっちはどうだ?」
「え…あぁ、多分大丈夫だと思うよ」
「はぁ!?多分じゃダメだろ!多分じゃ!」
ゲシゲシ!と蹴られている及川先輩。止めるべきかあわあわしていると、そこに朱美が小さく耳打ちしてきた
「心配しないで大丈夫よ。先輩ちゃんと教えてくれたし、私も元々あんたに合わせるのだって得意だったし」
『そう?なら良いんだけど』
少しだけ及川先輩のテンションが下がっている気がするけれど気のせいだろうか。朱美は朱美で何やらニヤニヤしてるし…
それからは岩泉先輩にド突かれながらもコートに戻っていく及川先輩を見送って、再度朱美との練習に戻った
◇◇◇ ◇◇◇
「ねぇ、唯織」
『ん?Σわっととッ…!』
夕食を終えて、今日から朱美が一緒に夜練をしてくれる事になった。及川先輩達は1日目くらいは2人っきりでやった方が良いと言われて、今日は来ない
『急に呼び掛けるから転びそうになっちゃったよ』
何故か朱美はボールを見つめたまま、黙っている
呼び掛けても反応しない
『ねぇ、朱美ってばッ…』
「唯織は本当に及川先輩の事、何とも思ってないの?」
思わずピクッ、と眉が動いてしまった。振り向いた朱美の顔は至って真剣
『…朱美、あんまりしつこいと怒るよ』
「何で怒るのよ。どうも思ってないなら、私が取っちゃおっかなぁ…」
『朱美は岩泉先輩一筋でしょうが』
あ、バレた?と苦笑した朱美に浅くため息を吐いた
これで何度目?どれだけ聞くのか…
『前にも言ったけど、及川先輩は憧れの先輩であってそれ以外何でもないんだってば』
「ひゃあ…バッサリ言うのねぇ。んじゃあさ、もしの話で及川先輩がコクってきたらどうなのよ?」
『もしなんてないの。ありえないし』
「いやいや、もしかしたら…もしかするかもよ?」
朱美がうりうりぃ〜と肘でつついてくる
私はもうそういった話よりも練習がしたいのに…
エアフェイクを練習する時点で、セッターである朱美がいなければ練習は捗らない。早くこの話を終わらせる為にそれっぽい言葉を探す
『…あの人はずるい』
「はい?」
思いの外唯織が浮かない表情でポツリと言ったからか、朱美の表情からも笑みが薄れた
『女子達が好きになる訳だよ。誰にだってあぁやって優しくして、ニコニコして、気を遣って…』
「まぁ、それが及川先輩の特徴っちゃ特徴だものね」
『だから…あの人には特別な人なんていないよ』
唯織はそう言うと、持っていたボールを真上に上げ、その場でジャンプして隣のコートへ撃ち落とした
『あの人はきっと、そういった特別な人を作らないタイプだよ。めんどくさいと思うんじゃないかな』
「えッ…いや、ちょっと決めつけすぎじゃない?」
『岩泉先輩が言ってた。及川先輩、今まで付き合ってきた人で1年越した人はいないって』
「へ…へぇ。そうなんだ」
それは知らなかった。及川先輩が唯織に対して好意を持っているのを知れたけれど…そりゃあそんな有り様じゃねぇ…
朱美はハァ…とため息を吐いた。そんなに先輩の恋事情は複雑だったとは…
『ねぇ、朱美は?』
「え?」
『朱美は岩泉先輩がコクってきたらどうするの?』
「そりゃあ、ふつつか者ですがよろしくでしょ!」
朱美の即答に小さく微笑んだ。思った通りの答えだ
朱美は真っ直ぐ岩泉先輩を好きなんだから、そりゃあ即答するか…
『岩泉先輩は一途って感じだもんね』
「うん!岩泉先輩はどんな男子よりも男らしくて漢気あってさぁ!飾らないし、厳しいけど優しいし!それにさ!」
岩泉先輩の事を話し始めると止めが効かない。顔を赤くして、まるで彼氏を自慢する彼女の様に意気揚々と話している。彼氏でもないのに、どこからこれほどに話題が出てくるのか…
そんな朱美を見て、ふと気付いた
私は及川先輩の事…何も知らない…
以前の恋事情の事も岩泉先輩から聞いた事だし、話せるとしたらバレーをしている時の事や、部活中の先輩の事だけ。プライベートに関しては…何も知らない
知らないというか…知ろうとしていなかった。知る必要がないと思っていたから。バレーの先輩として憧れがあっただけで…そんな必要以上に先輩を知る必要は…ないと思ってる
「唯織ちゃんとの唯一のお揃いなんだから」
「どうしたら唯織ちゃんはときめいてくれるのかな?」
先輩は特別な人は作らない。今までの言葉だって、私でなくてもきっと他の子にでも言っている。優しい人はみんなに優しい。贔屓なんてしない
悲しそうなら慰める
辛そうなら寄り添って、話を聞く
その人が掛けて欲しいであろう言葉も…簡単に汲み取る事が出来る。だから色んな人から好かれる
及川先輩は優しいから…私にも優しくしてくれた…だけ
◇◇◇ ◇◇◇
「だそうですよ」
「あ゙ぁあ…」
次の日、朝食を食べた後に朱美は誰にも怪しまれない様に及川を廊下へ連れ出した。そして、昨夜の練習中に何気なく聞いた唯織の言葉を伝えた
案の定、及川は頭を抱えて唸っている
「先輩って、ホントの話…たらしなんですか?」
「Σ人聞き悪いよ!朱美ちゃん!たらしじゃなくて…その…なんて言うか…」
「申し訳ないんですが、今までの及川先輩の恋愛事情を知ったら唯織があぁやって言うのは仕方ないですよ」
「……たらしに見える?」
「残念ながら。たらしでなくても、特別な人は作らないとは思いますね。及川先輩、寄ってくる子達みんなに良い顔しますし」
「あ…朱美ちゃんって以外に鋭く言うね」
「はっきり言いたい事は言いたい性分なモノで」
真顔で言う朱美に、ガクッと及川は肩を落とした
特別な人…か。確かにそういった感覚はなかったなぁ…
「あのさ、朱美ちゃん的に特別な人って…どんな?」
「岩泉先輩に決まってるじゃないですか」
「あ、そうでしたね…」