胸騒ぎ
「ホントに1人で大丈夫か?」
「そうだよ、唯織。もう暗いし…」
練習を終えて家路に着いたが、岩泉先輩と朱美がいつもの別れ道で私を呼び止めた。先輩と朱美は同じ方向で良かった良かった、と安心した中で2人から逆に1人で夜道を行くのを心配されて今に至る
『大丈夫ですよ、そんな遠くないですし』
「やっぱり私着いて行こうか?」
私の腕を取る朱美だったが、せっかくの2人っきりのチャンスなのに勿体ないとそれだけを考えていた私は笑って首を横に振った
『そんな心配しなくて大丈夫だってば。それにせっかく岩泉先輩が送ってくれるんだから早く行きなよ』
ね、と未だに心配気な表情の朱美の背中を軽く押した。先輩にも大丈夫だと再度伝えて、背を向けた2人を見送った。本当に後ろ姿もお似合いだなぁ…と和む気持ちで微笑み、私も逆方向へ歩き出した
『結局先輩来なかったな…』
無意識に声が出てしまった。確か岩泉先輩が及川先輩は今日、本を買いに行っているから来ないかもしれないと言っていたけど…
今日は上手く朱美と息合ってたから見て欲しかったのに。まぁでも朱美に関しては岩泉先輩を前にしていたからやる気スイッチが全開になっていたんだろうけど、とカチカチになりながらも頑張ってトスを上げる朱美の姿を思い出し、小さく吹き出してしまった
「何がおかしいの?」
『ひぇッ!?』
後ろから声を掛けられ、夜道に1人だったからかかなり驚いてしまった。振り向くとそこには及川先輩がにこやかに微笑んでいた
「間に合わなかったかぁ。残念残念」
苦笑する及川先輩。てっきりこんな時間だったからか家に帰ったとばかり思っていたから何か拍子抜けしてしまっていた
『あの…先輩、今日は本を買いにいかれたんじゃ…』
「うん、行ったよ?ほら」
先輩が鞄から取り出したのは1冊の雑誌。表紙からバレーの本だというのは分かった。及川先輩も本当にバレー好きなんだなぁ…と改めて思っていると、何故か先輩が本を此方に差し出してきた
『何ですか?』
「これ、唯織ちゃんに渡そうと思ってさ」
『…え!?』
思わず驚いて目を丸くした。いや、そりゃあバレーの本なら気になるし、読んでみたいと思うけれども何で…先輩がそんな…
ニコニコしながら差し出してくる及川先輩に、躊躇しながらも受け取った。まさか…私に渡す為にこの本を買いに行ったって事なのかな…
『せ、先輩…何でわざわざこんな事…』
「調べてたらその雑誌にエアフェイクの事結構詳しく載っててさ。すぐに渡そうと思ったんだけど、取り寄せないといけなくて時間掛かっちゃったんだよね」
俺もよく見る雑誌なんだけど分かりやすいんだよねぇ、と教えてくれる先輩。未だに唖然と目を丸くしたまま見上げていると、先輩はあれ?と首を傾げた
「ど、どうしたの?もしかして読んだ事ある?」
『Σあ、いえいえ!その…本当に先輩は優しい人だなぁと思って。わざわざ取り寄せてまで…ありがとうございます。えっとおいくらでしたか?』
鞄から財布を出す唯織に慌てて及川はストップを掛けた
「いいよいいよ!俺が勝手に渡したかっただけだし!それにさ…」
『はい?』
「もうすぐだし。インターハイさ」
何故か言いにくそうに頬を掻きながら言う及川先輩に首を傾げた。何で先輩はそんな複雑な表情をしているのだろうか…
『あの…せんぱッ…』
「あ、そうだ。唯織ちゃんに言いたい事あったんだ」
言いたい事…何だろうかと内心身構えていると、突然先輩は深く頭を下げてきた
『先輩!?なな何してッ…!』
「ありがとうございました」
頭を下げたまま先輩から言われた感謝の言葉。何故先輩が私にこんな行動をとったのか理解出来ずにただ固まっていた
『私…何かしましたっけ?』
「唯織ちゃんさ、俺達の事庇ってくれたんだね」
庇って?何の事だろうか…
漸く頭を上げた先輩の表情は何処か申し訳なさそうに眉を下げて薄く微笑んでいた
「合宿の朝ランニングの時、牛若に会ってるでしょ」
牛若、と名前が出たのに唯織はすぐにあの時の事を思い出した。唯織にとっては牛若との言い合いの内容について負い目を感じていただけに強く印象に残っていた
「今日ばったり本屋で会っちゃってさ。全く嬉しくないけど勝手にあいつから話し掛けてきたんだよ」
そこで及川先輩は私が牛若さんと先輩やチームについて言い合った事を聞かされたらしい。あの時は感情的になってしまったせいで余計な事しか言わなかった…
『先輩は…怒らないんですか?』
「え?」
俯き気味に言ったその言葉に及川は首を傾げる。唯織は手を握り締めて続けた
『先輩達の事を知った様に言ってしまって…逆に申し訳なかったです』
自分でも驚く程に感情が出てしまっていた。先輩は間違っていないとか勝つまでの過程を大事にしているとか…分かった様に言っていた。私こそ何様なのだろうか…
「俺は嬉しかった」
『え…』
「スゴく嬉しかったよ」
先輩ははにかんだ様に微笑んだ
「あの場でスルーする事も出来たのに、唯織ちゃんは必死に俺達の事をあいつに伝えてくれた。初対面でしかもあいつの威圧感に負けずに食ってかかってくれた。感謝以外ないよ」
確かに牛若さんはとんでもなく威圧感があった。それでも圧迫されずに逃げ出さずにいたのは先輩や他のみんなをあんな風に言い捨てた牛若さんに対して許せないと思った気持ちが強かったからなんだろう
その変わりに牛若さんと別れた後は冷や汗を滅茶苦茶流していたけれど…
「本当にありがとう、唯織ちゃん」
心臓が強く脈打った。先輩は純粋に嬉しそうな表情で笑っている。その顔を見て思わず私も口元を緩めた
『お礼なんて言わないで下さい。勝手にした事ですし…』
私は及川先輩の事も岩泉先輩の事も他の先輩や同期、後輩についてもよく知っている訳じゃない。けれど、お互いを信頼し合って、高めあって、一心に練習に打ち込んでいるチームだという事は知っている。そんなチームだからこそ、強豪だと言われている訳だし…
『本当に大した事はしてないんです。本心を言っただけで…だからそんな先輩が頭を下げるなんて事しなくても…』
「唯織ちゃんは謙虚だねぇ」
頭を優しく撫でられた。頭が軽く揺れる中で、ふとある事を聞こうと思った
『あ、先輩。そういえば男バレはインターハイの組み合わせ決まりましたか?』
「ん?まだだなぁ…多分今週中に決まるんだと思うけど。女バレは決まったの?」
『いえ…まだですけど、そろそろですもんね』
何でこんな事聞いちゃったんだろ…
別に聞かなくてもそろそろだという事は分かりきってるのに……心の準備がまだ…出来てない
何処か複雑そうな表情の唯織に及川は察した。インターハイの組み合わせ…聖高についてやはり気に掛るんだろうと…
及川は微笑んで、唯織の肩を軽く叩くと、唯織は目を丸くして顔を上げた
「頑張ろうね、お互いに」
『…はい』
◇◇◇ ◇◇◇
その次の日、登校してくるや何やら職員室付近に人混みがあるのに気付いた。もうすぐチャイムが鳴る時間帯なのに、人混みが退く気配はない
近くまで行くと丁度同じクラスの子がいるのに気付き、声を掛けた
「あ、唯織。おはよう」
『どうしたの?この人だかり』
「今さっき貼り出されたみたいなのよ、男バレ女バレのインターハイの組み合わせ」
思わずぇ…と小さく声が漏れた。周りを見ても今さっきだったからか、他の女バレの姿はない。男バレも…
息を呑み、人混みを掛け分けて貼り出された貼紙の前にやってきた。すぐさまあの高校名を探す
【聖豪学園高等学校】
『……ッ』
あった。幸いすぐに試合という訳ではないけれど…あそこも強豪校だ。絶対上に上がってくる。私達も上を目指す以上、遅かれ早かれ衝突するだろう。手が微かに震える…
「ねぇ、あの子って堕エースの子じゃない?」
「おいおい、また恥晒すんじゃねぇの?」
「てか、今回もスタメンって聞いたんだけど正気かよ。女バレ」
背後の人混みから囁き声が聞こえてくる
お…びえてる場合じゃ…ない…
私は…今度こそ先輩達を…
「やる気ねぇなら辞めろよなぁ?」
「女バレの子達可哀想だよねぇ」
「監督に媚でも売ってんじゃないの?」
心臓がバクバク嫌に強く脈打つ
また…乱される
周りの声で恐怖が込み上げてくる
唯織は手を強く握り締めて、足早に人混みから出て教室に駆けていった