罪悪感






「ただいま」
『あ、おかえりッ…て、え!?ちょ、何その怪我!?』

お母さんがママ友とお茶会に出掛けて留守の夕方頃、夕飯の支度をしていると玄関の廊下から弟が帰ってきた。振り向いた直後に見えたのは赤く腫れた口元。慌ててコンロの火を消して駆け寄る



『ど、どうしたの!?血も出てるみたいだし…部活で?』
「違う」

『じゃあ何でこんなッ…』

慌てていたせいで質問攻めになりそうになったけれど、快の表情は険しく、理由を言いたくなさそうに見えて言葉を飲み込んだ。1つ息を吐いて冷静になり、手当するからとソファに促す




『可愛い顔が台無しだよ?もぉ…』
「可愛くねーよ」

『私は快の顔可愛いと思うよ?』
「男に可愛いは褒め言葉じゃねーって」

そんな会話をしながら口元の手当てをしていく。血は乾いていて、そこまで酷い訳でもなかった




「姉ちゃん…」
『ん?』

「今年レギュラーなんだよな?」

口元にガーゼを付けて手当ては終わり、救急箱を整理していると、そんな事を尋ねられた。レギュラーという言葉からすぐにインターハイの事だと悟り、うんと答えた



「俺、応援行くから」
『え?でもあんたサッカーの合宿じゃなかった?』

家族に変更されたトーナメント表を手渡してはいたけれど、快が試合中の期間に合宿に行く事は知っていた。だから応援とかそういうのは考えていないと思っていたから、思わず目を丸くしてしまった




「決勝までには終わるからさ」
『はは、決勝まで行けるか分かんないよ?』

「姉ちゃんなら行けるだろ」
『ぇ…あ、ありがとう』

そんな直球の褒め言葉を不意を突かれたから妙に照れ臭くなってしまった。だから覚束なくもお礼を言って、救急箱を持って立ち上がった。が、急に快に腕を掴まれた



「俺が応援行くまで…負けんなよ!姉ちゃん!」

呆気に取られて固まってしまった。それはつまり決勝まで負けるなという意味で…何故か弟の方が真剣な顔なのについ表情が緩んだ



『うん、負けない様に頑張るよ』
「言うだけじゃダメだ!約束だ!」

そう言って小指を立てて向けてきた快。何で急にこんな真剣に話し出したのか分からないけれど、本人は至って真面目な様子だから敢えて突っ込まずに勢いのままゆびきりを交わした



「破ったらあのゲームで姉ちゃんが持ってる武器なんか貰うからな!」
『Σえぇ!?ずるい!そっちが約束させたくせに!』

快がそんな意地悪な事を言うものだから私も言い返す。そんな兄弟のじゃれ合いをしていたらさっきのいつにない落ちた雰囲気の弟の姿なんてすっかり忘れてしまった






◆◆◆ ◆◆◆






「ねぇねぇ!唯織!見て見て!」

次の日の朝のHRの後、クラスメイトの女子が私の席に駆け寄ってきた。何だと思えば、その手には大きめのうちわが…



『そのうちわどうしたの?』

「ふ、ふ、ふ…じゃーん!」

勿体つける訳でもなくて、その子は持っていたうちわをひっくり返した。その表面の奇抜さに思わず目をぎょっとさせてしまった。きらきらの水色の背景に私の名前がポップ調の字体でどんと書かれている

よくテレビのアイドルのライブとかで見るうちわだ



『な、何それ』
「決まってるじゃん!インターハイで応援する時に使うのよ!」

応援って…全校応援があるとすれば準決勝からだった様な気がする。でもうきうきの様子の彼女に言い出せず、わざわざ時間を割いて作ってくれたであろううちわを見てしまってはお礼の言葉しか出なかった



「何だよ、それ」

後ろから突っ伏して寝ていた男子が私達の声で目を覚まして、手に持つうちわを見て怪訝そうに頭を傾げた



「唯織の為に作ってみたのよ!どう!?」

男子に手渡すと、揺らす度にきらきらするうちわに目をかっと見開かせて、良いなこれ!と急にテンションを上げた。しまいにはクラス分作って応援の時に振るかなんて提案をする程に気に入ったらしく、その提案に当事者の女子も同調していく

その2人の勢いったらすごくてもう止めの言葉なんて聞いちゃいない。そんな賑やかな2人を見て、ふと改めて感じた


本当に…もうすぐなのだと…






◆◆◆ ◆◆◆






「ぬぇえええ!聞いてよぉおお!」
『Σぐぇッ!た、体当たりしないの!今ご飯中!』

お昼休みにいつも通り屋上でお弁当を食べていると、突然隣の朱美が肩に凭れ掛かってきた。今日はパンだったから落とさなくて良かったものの…

もぉ…と眉を寄せるが、彼女の方が私以上に眉間にシワを寄せていた



「岩泉先輩…今日来ないかもしんないってぇ…」
『はい?』

「だーかーら!今日の放課後来ないんだって!」

そういえば今日は月曜日だった、とそれで思い出した。月曜日に部活自体休みの男バレだけれど、及川先輩と岩泉先輩はいつも部活終わり頃に来てくれている。でも、今日は来ない。私もあと1週間という焦りは感じていたから、同じ様に同調する



『確かにサーブで少し教えて欲しい所あったから、ちょっと残念ッ…』
「ちがーう!そうじゃないでしょうが!」

あのガラス玉の事よ!と朱美は漁った鞄から一昨日住職から貰ったあの水晶を見せつけてきながら言い放った



「あんたも早く及川先輩に渡したいでしょ!」
『え、いや…私は…』

勢いに圧倒されて苦笑しか出来ない。隣で岩泉先輩の反応を想像しながら1人でキャーキャーと恥ずかしくなっている朱美にやれやれと浅くため息を吐いて、フェンスに寄り掛かった

頭では分かっているけれど、もう今週しかないのか…
今週の頑張りで決まる。気持ちを張り詰めなきゃ…






◆◆◆ ◆◆◆






「神社に勝利祈願かぁ」
「なーんか、インターハイ目前って感じだな」

「今週は気張んなきゃな」
「そんな根気詰めたら早く怠くなるって」

空がオレンジ色に染まった頃、学生達が帰宅する中で青城の男バレは制服姿のまま帰路に着かず、スタメン揃ってある神社へ向かっていた。強豪で有名なせいか、ちらちらと視線を送られながら雑談をしながら目的地へ向かう



「けど、岩ちゃんがまさか勝利祈願の神様を信じてるとはねぇ」

3年並んで歩く中で今回のお参りを提案した岩泉に及川が悪戯にからかった。うるせぇな、と軽く及川を睨み付ける岩泉に横から花巻が怪訝気味な表情を向けながら尋ねる



「お前にしては珍しいと俺も思うけどな。何処で知ったんだよ?その神社の事」

「知ったっつーか…朱美に教えてもらったんだよ」

朱美・・の名前に花巻と松川はギョッと目を見開かせて、は!?と揃って反応した。岩泉から女子の名前が出てきた事もそうだが、名前を呼んだ事に驚いていた



「あ、朱美って…」
「女バレのセッターの子だよ。2年の」

「そ、そうだ…よな?え、え?は、一さん…それは一体…」

既に慣れている及川が変わって教えると、花巻と松川は唖然とした表情を崩さずにいた。何で2人がそんな反応なのか気にしていない岩泉は平然とした顔で、は?と首を傾げた



「一体って何だよ」
「いや…朱美って子とどういう関係な訳?」

「後輩」
「いやいや、だって普通呼ばねーべよ。名前」

「苗字分かんなかったから、夢咲に聞いたら名前で呼んだ方が良いって言われたから呼んでんだよ」

「ちょっと、聞きました?松川の奥様」
「絶対嘘よね、何か関係持ってるわよ?怪しいわよね?花巻の奥様」

道端の奥様の様に口元に手を添えてジト目を向けながらこそこそと話す松川と花巻に何言ってんだか、と呆れ口調で返す岩泉



「岩ちゃんって、朱美ちゃんと話して脈アリだとか思わないの?」
「思わねぇよ。逆にやたらと慌て出すし、たまに避けられるし…苦手意識持たれてるかもしれねぇからな」

わぁ…と口に出さないものの、岩泉の鈍感ぶりにドン引きした。あそこまでわっっかりやすい反応をどう捉えたらそう思うのだろうか。傍から見てもあれだけ岩泉にぞっこんな女子はいないだろうに…



「岩ちゃんって、勿体ないよねー」
「あ?何が?」

「それは秘密だよ」

これは実ったら実ったで面白そう、と内心想像しながら含み笑いを浮かべた及川の反応が気に食わなかったのか、岩泉はその背中をげしっと強めに蹴った






◆◆◆ ◆◆◆






スマホと睨めっこする岩泉の案内に沿って無事に神社に着いたメンバーは思いの外規模の大きい境内に圧巻されながら目的である拝殿はいでん



「えーっと、何だっけ?手順」
「二礼二拍手一礼…だった様な…」

「賽銭ってやっぱ五円玉の方がご利益あんのかな?」
「それは関係ないんじゃない?要は気持ちみたいな感じでしょ」

各々そんな話をしながら参拝していく。そして、最後に及川と岩泉の番になり、2人は並んで賽銭を投げ入れる









「まぁ、こんなもんだろ」

ボソッと呟いて岩泉は目を開けた。隣を見ると及川の真剣な横顔が見え、暫く眺めていると、漸く及川も目を開けた。が、視線を感じていたのか、すぐに岩泉を見て苦笑する




「何見てんのさ」
「いや、お前って勝負事を神頼みする奴じゃねぇからさ。何をそんな真剣に祈ってんだろって思っただけだ」

「あぁ…」

そう自傷気味に笑って相槌を打った及川は岩泉に背を向けながら階段を降りる。それに岩泉も後から着いて行く




「恋の勝負に勝てるように…かな」
「は?」

はは、と及川は小さく笑うと、岩泉に背を向けたまま続ける



「唯織ちゃんって、ホントに自分に厳しいよね。あの壮行会の事ポロッと話題に出しちゃったんだけどさ、あぁやって言われて当然なんだって愚痴1つ零さなかったんだよ」

「まぁ…あいつはそう言うだろうな」
「だから俺さ、決めたんだよね」

及川は立ち止まって、振り向いた



「次唯織ちゃんが誰かに何かされたら、そいつに掴み掛かってやろうって」

その言葉に岩泉は目を丸くして同じく立ち止まる。及川は含み笑いを浮かべたままだが、目は笑っていない



「お前、そんなに悔しかったのかよ」
「そりゃあそうでしょ。あの壮行会からずっと考えてて…唯織ちゃんの反応を見て、岩ちゃんみたいに止めに入れる様になろうって決めたんだよ」

でも癖でどうも先に愛想が出ちゃうけどねぇ…と肩を落としてその苦笑する姿に岩泉も苦笑して肩を竦めた



「たらしだもんな」
「だーかーらぁ!違うってばもぉ!」

そう反抗して拗ねた様にまた背を向けた及川だったが、そういえばさっきまで一緒だった他のメンバーが見当たらないのに気付いた。何処へ行ったのか、という疑問の前に2人を呼ぶ声が聞こえ、向かった先は絵馬がいくつも並ぶ場所



「2人共遅せぇよー」
「お前らも絵馬書くだろ?」

花巻と松川がプラプラと既に記入済みの絵馬を持ちながら歩み寄ってきた。背後には後輩達が絵馬を書いている姿が見える



「絵馬も滅多に書く機会ないし…書こうかな」
「俺も書いとくわ」

2人に案内されるがまま、絵馬を選び、記入スペースへ。書き終わる頃には他のメンバー全員絵馬を飾る場所で他の人達が書いた絵馬を見物していた



「絵馬は試合の事書いたんだな」
「みんなもいるからねぇ…」

そんな事を小声で話しながら飾る場所まで行き、気の向くまま適当な所を探している時、及川がぁ…と小さく声を漏らした



「どうした?」
「いや、これさ…」

及川の目に止まった1つの絵馬。岩泉に見える様に少し手に持って見せると、岩泉も岩泉で小さく声を漏らした






【自分に勝つ】

「これって何か…」
「夢咲っぽいな…」

朱美が唯織を此処へ連れて来ると言っていた話からして、可能性はある。だが、名前は書いていないから確信は持てない筈だが、2人からしたら最早唯織が書いたとしか思えず、岩泉は相変わらず厳しいな…と苦笑するが、及川に至っては含み笑いを浮かべていた



「やっぱり好きだなぁ…唯織ちゃん」

「絵馬見ただけでそう言うのきめぇんだけど」
「岩ちゃんって人の心持ってる?」

ド直球な毒に及川は胸を抑えて苦笑した。ふと隣を見ると、及川的には朱美っぽい絵馬が見えて、それも岩泉に教える



「先輩に想いが伝わります様に、だってさ。ちゃんと答えてあげなよ?岩ちゃん」
「何で俺なんだよ」

「だってこれ、朱美ちゃんぽいし…もし朱美ちゃんだとしたら書いてある先輩って絶対岩ちゃんの事でしょ」

そう絵馬を見ながら言う及川の丸まった背中を強めに岩泉は蹴った



「痛いんだけど!急に蹴らないでよ!」
「うっせぇ、おめぇが適当な事言ってっからだろ」

勝手に俺だって決めつけられるあいつの身にもなれや、とそれだけ言ってとっととその場に背を向けて後輩達が向かったであろう屋台側へ歩いていく岩泉の背中を見て、やれやれ…と毎度の鈍感ぷりに浅くため息を吐いて、及川もその後を追った





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