罪悪感






「お待たせしましたー!」

ガラッ!と勢いよく体育館の扉を開けて、朱美は先輩達に呼び掛けた。ボールを弄りながら雑談していたであろう先輩達は私達に気付くとすぐに歩み寄ってきてくれた



「岩泉先輩!私もこれお渡ししたかったんです!」

受け取って下さい!とガラス玉を持った手をずいっと岩泉先輩に突き出している朱美。顔真っ赤にしちゃって、あんな意気揚々としてたくせに…と、つい小さく笑ってしまった



「はい、唯織ちゃん。さっき渡しそびれちゃったから」

2人に勝手に和んでいると、隣から及川先輩が肩を叩いてきて、またあのガラス玉を差し出してきた。先輩の表情はにこやか…それに少し胸がザワつく

さっき私しか思いつかなかったって言っていたけれど…
受け取って…良いのだろうか…




「唯織ちゃん?」
『私で……良いんですか…』

「え?」
『ぁ、いえ!な、何でも…ないです…』

ボソッと漏れてしまった言葉を再び言うには勇気がなく、誤魔化してその勢いで差し出されたガラス玉を受け取ってしまった。お礼を言うと、先輩は少し間を開けてまたいつもの笑顔でいえいえ、と笑って見せた

その後のやりとりは正直あまり覚えていない。何故か貰ったガラス玉の事が気になって、ずっとポケットで弄っていた。こんな風に貰う事やあげる事に何かと考えた事はなかったのに…最近おかしい気がする…

ミサンガやスポータを渡した時…こんなに躊躇しなかったのに…何で今になってこうも理由を気にしてしまうのだろうか…





「唯織!」
『あ、は、はい』

「なぁにをボーッとしてんのよ?気を付けて帰んなさいね。さっきからあんた何か上の空だし」

あぁ…そうだ
もう帰ってる途中だった…

街頭に照らされる朱美の後ろで岩泉先輩も心配気に眉を険しくさせているのが見えた



「まぁ、そろそろ気ぃ張る頃だもんな。あんま気張りすぎんなよ」
「ほら、先輩も言ってくれてるんだから。今日くらいは早く寝る事」

またバレー雑誌見て夜更かしするんだから、と言ってもいない私の最近の習慣を的確に指摘してきて苦笑しか出来ない。分かりました…と小さくだが答えると、朱美は笑顔で頷いて岩泉先輩と歩いて行った



『私…そんなに上の空でしたか?』
「うーん…まぁ…」

そんな時もあるよ、と及川先輩は苦笑して言った。気を遣わせてしまった、と反省しつつも、頭のモヤは消えない







「唯織ちゃん」
『はい』

「唯織ちゃんって朱美ちゃんと神社行ったの?」
『そう…ですね。行きました』

「やっぱりそうだよねぇ。俺唯織ちゃんが書いたっぽい絵馬見つけちゃってさ」
『Σえ!?』

自分に勝つって書いてたよね?と悪戯な笑みを向けてきた及川先輩にみるみる顔が熱くなり、慌てて言い返す




『ね、願い事じゃないっていうのは分かってたんですけど、あそこは勝利祈願で有名な人が祀られてるみたいでしたし…話を聞いたら勝気な女性だったみたいだったので、そういう宣言みたいなのを書く方が良いかなぁ…なんて…』

勝利祈願の神様の前で、勝利を願い事にしたくないなんて弄れてると思われると思い、早口でそれらしい事を言って誤魔化す。絵馬は願い事を書くモノだって事くらい分かってる…けれど…どうしても自分の力で勝利を勝ち取りたい。それが強かった




「唯織ちゃんらしくて…俺は好きだよ」

そんな言葉にピタッと足を止めてしまった。それに及川先輩も一緒に止まったのが目の先の足元で分かった。絵馬の恥ずかしさよりもこの手元のガラス玉に意識がいく







『あの…先輩』

これ…とジャージのポケットに入れていた貰ったガラス玉を先輩に差し出した



「どうかしたの?」
『私が貰うべきじゃないと思うんです…』

やっと見上げた先の先輩の顔は呆気にとられた様な表情をしていた




「それは…俺が唯織ちゃんにあげたいと思ったからあげたんだよ。他の誰にもあげるつもりないし」

『でも…先輩は好きな人がいるって仰ってました』

あぁ…と及川先輩はそう反応した。何故にそんな歯切れの悪い反応なのか気になったが、触れずに思っていた事を伝える







「そんな無神経に男に話し掛けてる貴方が恋愛なんて出来る訳ないじゃない!」

『今更な事ですが…私は結構無神経だったかもしれないです。好きな人がいる先輩にミサンガやサポーターなんて渡して…先輩は優しい方なので、嫌がらないで下さいましたが』


何故かあの時のメンヘラ女子の言葉が嫌に思い出してしまう。別に男子と話すのに特に気持ちに変化なんてない。考えた事すらなかった

きっと先輩もそうなのだ。私と話すのに特別何か思う事はない。ただの後輩だもの。多分…そのガラス玉も私が会う度に練習の事を嘆いているから…気を遣ってくれた。それだけだ。後輩が困ってるから…寄り添ってくれた…だけ…

でも、先輩だって好きな人がいるんだ。あんなに周りに気兼ねなく話しているこの人でも…その好きな人には奥手になる。そんな先輩には好きな人だけを見てほしい。こんな後輩に気を遣わずに、自身のを…大事にしてほしい…






『恋なんて…した事ない身でなんですが、勿体ないですよ。先輩のその優しさをただの後輩に向けるのは……きっとその好きな方も…自分だけに向けてほしいと思うんじゃないですかね…』


「本気で恋なんてした事ない様な貴方に、分かる訳ないじゃない!」

そりゃあそうだ。高校生にもなって、未だに恋愛感情としての好きのラインが分からないでいる。そんな私が大切な恋をしている先輩からそんな言葉を受け取って良いとは思わない

好き・・という言葉も…その人だけに伝えた方がきっと良いのだ。こんな私なんかに…言ってはいけない






そうしてまた視線を下に向けてしまった。先輩の靴が見える

動きはない…
けれど、暫くの沈黙の後に先輩が私が差し出した手に向かって手をあげたのが見えた

せっかくもらったお守り…
突き返す様で悪いけれど、怒らないでもらえたらッ…







『…ぇ』

お守りを受け取ってくれる…と、思ったら、先輩はそのままお守りを握らす様にそっと私の手を包んだ。驚いて思わず顔を上げた先の先輩は…手の優しさとは別で複雑そうな表情だった




「唯織ちゃんだったら…どう思う?」
『私…ですか?』

「俺が別の誰かに優しくしてたら嫌な気持ちになる?」

その言葉の瞬間に過ぎったのは直近で違和感を感じた合宿での事だった

あれは…嫌だったから…?
先輩が主将を心配して…助けた所を見るのが…






辛かった…?

『違うッ…』

「…え?」

ハッとして、俯きかけてきた顔を上げたら、先輩は目を丸くしていた。慌てて両手を左右に振って何でもないと誤魔化す



『私は誰にでも優しい先輩を尊敬してます。先輩は誰にでも優しくて…気を遣えて…その人がして欲しい事も掛けてほしい言葉も自然と言える人だと思います。だから…嫌なんて思わないです』

あれは…性格の悪い私の一部だ。この人があまりに優しくしてくれるから…受け入れてくれるから…同じ優しさを誰かが受けているのを見て…少し気が張っただけだ

この人が誰にでも優しいのはよく分かってる。尊敬しているのだって本当の事だ。でも…その張りつめた一瞬を伝えて何になる?

ただ…困らせるだけなのに…



「うん…唯織ちゃんならそう言うと思った」

でもね、と続けた先輩の言葉は予想外だった



「俺は唯織ちゃんが他の奴に優しくしてるのを見ると、結構…辛いかな」

『辛い…ですか?』

うん…と頷いた先輩は手を握る力を少しばかり強めた



「唯織ちゃんが選んで態度を決める子じゃないって知ってる。分かってる事だけど、どうもね…でも、だからって唯織ちゃんが気にする事じゃないよ。今の俺にはそれをとやかく言う権利はないし…」

わがまま言えるのは彼氏になってからだからね、と続けて言われたのに戸惑いそうになったのを抑える。彼氏・・なんて具体的な言い方をされて不意を突かれた

当の本人は困った様に眉を八の字に下げて微笑んでいる。なんて反応したら良いものか頭の中で迷っていると、及川先輩は手をゆっくり離した




「唯織ちゃんって、もしかしてそれと同じ物持ってたり…する?」

ギクッと思わず反応してしまった。2人っきりの状態でこんな反応してしまっては言葉が的中しているのがバレバレで、諦めてジャージのポケットに手を入れた



『あります…』
「良ければ、俺にくれない?」

無意識にポケット内のガラス玉を強く握ってしまった



『私からのじゃ…あまりご利益は期待出来ませんよ』
「そんな事ないよ」

恐る恐る取り出して、今度は私が差し出された先輩の手にガラス玉を置いた



「俺にとっては、唯織ちゃんとのお揃いが増える事自体がご利益だから」

交換こだね、とはにかんで言う及川先輩に身に覚えのある心臓が1つ大きく鳴るあの感覚を感じた。何でそんなに嬉しそうなのだろうか。そんなに嬉しそうにされたら、返しますという言葉をまた言う気になれず、大人しく貰ったガラス玉をポケットにしまった

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