誘惑
あ
あ
あ
『オヤジの奴…どういう意味だよ』
オヤジの部屋を出て通路を歩きながら首を捻った。エースに会わない方が良いと言ってはいたが…何故にエース指定なのか。意味分かんねぇ、と不満を漏らしていると、前方の死角からクラウスがやってきた
「あれ、お前もう寝たんじゃねェの?」
昔話をしていたせいで時間はもう既に夜更けでなっていたからか、クラウスにそう怪訝気味に尋ねられた
『いや、オヤジにただいま言ってきただけなんだけど…』
あのさ、と脱いだ上着をクラウスに差し出しながら続けた
『あたしって…変な匂いするか?』
「え?何だよ、まさかのウチの隊長の異臭問題?」
『てめェ…シバくぞ』
「いやいや、冗談冗談。変な匂いねェ…」
クラウスは苦笑しながら上着を受け取り、鼻を近付けて匂いを確認する。が、首を傾げながら上着を返してきた
「別に大して変な匂いはしてねェけど」
その反応に落胆した。感じられない匂いにどう注意をすれば良いというのか。そっか…と浅くため息を吐くと、肩を竦めてクラウスはまた尋ねてきた
「オヤジに何か言われたのか?」
『何かいつものあたしらしくねぇ匂いがするって言われたもんだからさ』
あの島の匂いだとは思うけど、と思わず苦笑した
「多分俺達は半日あそこにいたから、あの匂いに慣れてんだろ。でもオヤジはずっと船に乗ったんだろ?島の匂いを知らねェから気になったんじゃねェか?」
クラウスも同じくため息混じりに話した内容に、なるほどと納得する反面であんなケバ嬢共と同じ匂いなんて反吐が出るっつーの、と小さく舌打ちをしてしまった
ホント最悪だ…
自分からの匂いなんて分かんねぇし。でも、あの酒の匂いが充満する自室でオヤジが気付くくらいだもんなぁ…
『おいおいおいおい、マジで絞めとけば良かった。あのケバ嬢共ぉ…』
「ぉ…俺ケバ嬢じゃねェから。俺にそんな恨めしそうな目を向けないで。頼むから」
「お、2人して何してんだよぃ?」
クラウスが出てきた死角から次はマルコがひょこっと現れた。何も知らずに笑顔で此方に近付いてくるマルコに思わず後退りしながら苦笑が崩せない
『まッ…マルコ。頼むからそれ以上あたしに近付かないでくれ』
「は?何で?」
「Σぷふッ!くくッ…」
『おい、そこで笑ってる奴。あとでシバくからな』
盛大に吹き出して口元を押さえながら必死に笑いを堪えているクラウスに殺意が沸き、指を指しながら睨み付けた。状況が把握出来ず、構わずに近付いてくるマルコに手を翳して待てと呼び止める
『マジで近付くなって!マジで!』
「だから、何でだよぃ」
『お前の鼻がイカれるぞ』
「鼻?」
「ウチの隊長からは異臭がするんだッ…Σぐほッ!」
ニヤつきながらこそっとマルコに耳打ちするクラウスに間髪入れずにクロムは飛び蹴りを食らわした。だが、その行為でマルコに香水の匂いが届いてしまった
不意に香った匂いにマルコは苦笑した
『あたしを笑い者にするとは…良い度胸してんじゃねぇか』
「待て待て!早まるなぁあ!」
『安心しろ。すぐに次の副隊長見つけてやるから』
「俺死ぬの!?ねぇ!此処で死ぬの!?」
殺意剥き出しでクラウスを
「何だ?この匂い」
その疑問の言葉を聞いた途端、無意識にクラウスから手を離して、2人との距離を取った。命拾いした…と数回咳をしたクラウスがあたしの代わりにマルコに説明しだした
「その匂いがクロムが離れろって言ってる原因だよ」
匂いを実感したマルコはあぁ…と理解したのか、相槌を打った
「俺はともかく、これは他の奴らから離れさした方が良いよぃ」
「何だよそれ」
「は?お前気付いてねェのかよぃ」
「いや、だから何言ってッ…」
『もぉおお良い!とっとと風呂入って来る!』
そう怒鳴って、クロムは猛スピードで通路を駆けて行った。その後ろ姿を2人で内心同情しながら見送った後、クラウスは先程から気に掛かっていた事をマルコに尋ねた
「なぁ、マルコ。今他の奴らからも離れさせた方が良いって…そこまで強烈だったか?匂い」
「お前こそ、あの匂い嗅いで平気なのかよぃ」
「あの匂いは多分この島の風俗の女共の匂いだ。俺はずっと半日は島の中にいたから慣れた…つーかマヒしたんだろうな。俺の鼻」
呆れ顔のクラウスが言う風俗の匂い、と単語にマルコは納得した
「恐らくだが…あの香水の成分の中には少なからず媚薬効果あるのが入ってる」
「…はぁ!?」
まさかの効果にクラウスはあからさまに驚いた反応を見せ、それに本当に気付いてなかったのかよとマルコはため息を吐いた
「その風俗の女達はその香水を付け過ぎて、逆に刺激臭になって効果があまり出なかったんだろぃ。人に移るぐらいだからな」
「うわぁ…全く気付かなかった」
「今のクロムの匂いは…多分男を誘惑するには十分だよぃ。風呂入っても服に付いてたらアウトだ。意味ねェよぃ」
着替えとけって言えば良かった、と真顔で呟いたマルコの様子にクラウスは冷や汗を流した
「お前がそう言うなら…そうなんだろうな」
「俺は今日、あまりクロムに極力近寄らねェよぃ。お前も他の島に行ってねェ奴らに注意してこいよぃ」
身内に甘いというか甘すぎるクロムだから、もしクルーが欲情して襲うなんて事は有り得なくはない。改めて面倒臭い島に停まってしまったと2人は痛感した
◇◇◇ ◇◇◇
あ
あ
あ
『落ちろぉ…落ちろぉ…落ちろぉ…』
女湯で呪文の様に呟きながら、必要以上に身体を洗っていた。頭も念入りに洗ったから、もう大丈夫だろう。1人では広すぎる湯船に浸かって、浅くため息を吐いた。ボーッと窓から見える夜空を眺める
今日は何故かホントに疲れた気がする。初めて直接“性”的な事に関わったからだろうか。自分を女として見られたくない、という想いがあったからか…そういう事に関しては無関心だったもんな
サッチから以前にくだらない豆知識を教えられた。男の方が欲求不満になりやすいんだとか…
『欲求不満ねぇ…』
ふとオヤジから言われたエースには会わない方が良いという話を思い出した
エースは…あの島に行ったのだろうか
あの島にいた女達と…遊んでいたのだろうか
そんな事を考えている自分に気付き、首を左右に振った
『何考えてんだよ。別にエースが女と遊んでても良いじゃねぇかよ…』
何で今エースが出てくる。頭を左右に振って誤魔化した。そうだよ、別に男なんだから溜まったら溜まったであぁいう場所で発散すればいい。あたしは男じゃねぇから…欲求不満がどうなのか分かんねぇけど…
『オヤジが変に意識させるからだ』
ボソッとオヤジに文句を付けた。別にエースが誰と何しようが何も思わねぇよ。あたしはエースの家族であって…恋人ではないんだから
◇◇◇ ◇◇◇
『あー、やっとスッキリした』
髪を乾かし、さっさと着替えたのは良いが、まだ上着から香水の匂いがするのに気付き、無難に下のタンクトップだけ着る事にした
「お、クロムか」
『よぉ』
自室に戻ろうとした所にサッチがやってきた。あたしが風呂場から出てきたからか、首を傾げて不思議そうな表情を浮かべている
「何だ?何だ?帰ってきて、もう風呂入ったのか?」
『いや、だって…あの風俗中毒の奴らの匂いが移っちまったからさ』
分かりやすく嫌な顔をしながら言えば、サッチは腕を組んで相槌を打った
「風俗のって…あの島の姉ちゃん達か」
『お前も船降りたんだろ?』
「まぁな。でもすぐ帰ってきた」
肩を竦めながら言うサッチに、意外な回答だと思わず目を丸くしてしまった
『へぇ…意外だな。見るからにお前が好きそうな女ばかりだったのに』
「おーいおい、俺だって女をただ外見で見てんじゃねェんだぜ?ちゃんと胸の膨らみや腰のラインへのこだわりがッ…」
『1回黙れ、変態』
何やら要らぬこだわりを語り始めたサッチに軽蔑の眼差しを向けてやると、サッチはブスッと心臓に何か刺さったかの様に胸元を抑えて苦笑した
「ちょッ、冗談だって。そんな白い目で見ないでくれ。おじさんめっちゃ傷ついちゃうから。まぁ、でも…あそこの女達はどっち道パスだ」
『何で?』
サッチは思い出す様に遠くを見ながら話す
「化粧がケバい。匂いがもう香りというか刺激臭だな、あれは。あとは…もの足んねェというか…」
『は?』
「何かお前見ちまうとさ…他の女に魅力を感じねェっつーかさ」
魅力なんて男勝りなあたしには無縁であり、あの女達の方がまだ女らしいと素直に思う。化粧がケバくて刺激臭を振り撒いていたのは否定しないが…
あたしに魅力なんてあるか、と呆れ顔で話すと、何故かサッチは歯を見せて笑うと私の頭をわしゃわしゃと撫でてきた
「罪な女だなぁ。お前は」
『はぁ?だから意味分かんねぇし』
「つまりはお前がいるだけで、俺は満足って事だよ」
ここまで言わせんじゃねぇよ、と額をピンと軽く指で突かれた。と、ふとある事を思い出したのか、あぁそうだとサッチは話を切り出した
「クロム、お前この後暇か?」
『え?まぁ、する事はねぇな』
「頼み事して良いか?」
『…は?』
◇◇◇ ◇◇◇
『おーい、エースー』
エースの部屋の扉をノックしながら声を掛けるが、無反応。爆睡だなと確信するも、こんな夜中に起こす方も起こす方だと思った。何であたしがこんな事をしているかというと、さっき言っていたサッチの頼み事が原因だ
『エースを起こす?』
「頼めるか?」
『いや、ただ起こすくらいなら自分でやれよ』
「いやいや、実は…前に起こした時にあまりの寝起きの悪さに心折れちまって…」
『お、おいおい…何があったんだよ。つーか、あたしじゃなくてマルコとかに頼めば良いだろう?マルコなら容赦なく起こしてくれそうだし』
「起こしてるのがクロムだって分かれば、エースもすぐ目が覚めるだろうからさ」
『は?それどういう意ッ…』
「おー!そうかそうか!頼まれてくれるかぁ!持つべきモノは家族だなぁ!」
『Σちょッ、まだあたし了解してねぇえッ!つーか引っ付くなぁあ!』
エースに話があるらしく、どうしても今日が良いというわがままからサッチはそんな頼み事をしてきたのだった。エースの寝起きが悪いというのは聞いた事がなかった分、半信半疑ではある
『エース!エースってばぁ!』
強めにドンドンとノックしても全くの無反応は変わらない。しびれを切らしてノックで起こすのは諦めて扉を開けた