祈りの灯り

 ドーラン山の谷間に町を築いた先人たちの秋の末日にドーラン山へ集まってくる魂たちを慰霊する祭りを開いたことが始まりだったとされている。ドーラン山の麓、テトラタウン。今日はエーディア様への大いなる実りへの感謝と、多くの霊への鎮魂が行われる祭りが開かれ、普段は修験者ばかりのテトラタウンにはいつにない活気が満ちていた。
 テトラタウンの外れにある、ドーラン山の修行場にまで届く人々の喧騒に、一つだけランプを持って歩いていた男が僅かにフードを持ち上げた。穏やかに赤い瞳を細めて、麓を見守る。その足元にすり寄ったソウルスピの頭を軽く撫でてやり、ゆったりとした足取りで日課を果たしにゆく。
 ラルクは生まれたときから、人には見えないものに対して敏感だった。いわゆる霊能力と言われるもので、物心つく頃にはそれらが死者であり、生きてはいないことを知った。ラルクの力を気味悪がった両親とは違って、彼の師匠となってくれた修道士は心優しく、ラルクの見えている世界を肯定してくれた。そして、ポケモンにもゴーストタイプと呼ばれるいわゆる霊たちがいることを知る。ラルクの世界は、生者ではなく死者で構成されていた。だが、死者に囚われすぎてはならない。ラルクは生者であるがゆえに、それが見えるものの責任を果たさなくてはならないと思っている。
 ドーラン山の、多くの修験者たちを祀る慰霊碑の墓守を引き受けたのはそういった使命感であった。
 慰霊碑は山の頂上近くの、エーディアの聖なる止まり木の傍にある。修験者や、エーディアに強く関わりを持った聖職者たちの名前だけではない、他にも無数の墓が立ち、ポケモンや人も関係なくこの地に祀られている。彼らの魂はこの地にしばしとどまった後、この慰霊祭を持って成就されると言われている。ラルクは慰霊碑や、他の墓の一つ一つをソウルスピとともにきれいにして回り、花を添え、手を合わせる。数十とある墓の一つ一つを回って、漸く息をつく頃には慰霊祭用の花火の音が町から轟いてきた。
「ああ、もうそんな時間か」
 ラルクは普段から修験に励んでいるため、山にこもっていることが多い。時間をあまり気にするタイプではないが、墓守としては慰霊祭は重要な行事である。何より、町を取り仕切るジムリーダーとしては慰霊祭をすっぽかすわけには行かないのだ。慌ててフードを被り直して、最後に慰霊碑へ手を合わせて足早に下山した。

 街の喧騒は何時になく華やかであり、たくさんのかぼちゃの料理の匂いが立ち込めており、ラルクは目を細めた。これは夕刻に近づくに連れて、なお勢いが増す。一度は祭りの主催者たちの元へ挨拶にゆかねばならなかったラルクは人目を避けるようにしてフードを目深に被り、足早に人混みを抜けていく。まるで、幽霊のようにあっという間に祭りの本部へやってくると、主催者であるリグリットという恰幅の良い女性が迎え入れてくれた。
「あー、ラルクさん! 漸くいらっしゃったね! 待ちくたびれたじゃないのさ!」
「済まなかった、マダム・リグレット」
 ラルクはフードを取ることなくそう詫びた。修験のラルクがフードを取らないことはいつものことなので、マダム・リグレットは気を悪くした様子もなくラルクの前に一つ、かぼちゃで作ったシチューの入った木の皿を差し出した。
「まだ、夕食も食べてないだろう?」
 そう言われたが、ラルクは首を振った。修験の食事の時間は決められており、量もきっちりとラルクは制限していた。今日は祭りではあるが、いつもどおりの豆のスープと、硬いくるみのパンを食べると決めていたのだ。心身に厳しい修行を課してこその修験。マダムは相変わらずだねぇ、と笑いながらもスープぐらい、シチューに変えたらいいさと笑った。
「今日は聖ヨハネ教会の修験者の皆さんも豪勢な料理を食べるそうだよ。エーディア様の思し召しなんだ」
 マダムの言葉に、ぐっとラルクは息をつまらせた。今日、修験者の多くのものが豪勢な料理を口にするのは、エーディア様からの深い恵みに感謝する祭りでもあるからだ。多くの教会では今日という日にかぼちゃやら、栗やら、たくさんの料理を食べて、また明日から厳しい修行へと戻っていく。ふむ、とラルクはしばし考えて、木の皿を手に取ると、マダムに対して深く礼を述べた。
「なぁに、作ったのは私じゃないさ。あんたの分を作ったのは、あんたの友人だよ」
 快活に笑うマダムを、スプーンを咥えたまま見てしまった。友人、と言われてふと思い浮かんだのは二人だ。するとマダムの奥から二人。それはもう思い浮かんだまんまの友人たちが現れて出てきたので、ラルクは思い切り顔をしかめてしまったではないか。二人――ガリオンとコアと言えば、ラルクのその表情を予想通りと言わんばかりに見て、顔を見合わせて吹き出している。
「どうだ、うまいか」
 ガリオンが洗った手を手拭きで吹きながら、ラルクへと問うた。――どうせ、お前のことだ、修験でろくなものは食べてないんだろう。という言葉は口から飛び出しては来なかったものの、言葉の雰囲気からそう言いたいのが伝わってきた。
「まあな」
「パンはは俺が焼いたんだ」
 いつもはろくでもないことでケンカばかりするコアがくるみのパンを差し出してくる。焼きたてのフカフカのくるみのパンに目を輝かせたのはソウルスピだった。コアはやるよ、と笑って自分のサンダースの分とソウルスピ、ガリオンのウィングルの分を手早く切り分けると、三匹へ差し出した。三匹は喜んでパンを齧りだすのを見て、コアもガリオンが差し出してきたかぼちゃのシチューを食べるためにスプーンを手にとった。
「ジムはどうした」
 ラルクの言葉数の少ない質問はいつものことだ。
「今日はせっかくの慰霊祭だ。我々も、灯籠を流そうと思ってな」
「……トリシティぐらいなら自分のところでやってもよかっただろう」
 ドーラン山の麓、テトラタウンが中心になっているとはいえ、今日はミタマ地方のどこの地域でも似たような慰霊祭が開かれており、その締めはろうそくを灯した灯籠を川や、空へと流して霊が向こう側へと渡るための道標にするイベントが行われている。テトラタウンの反対側、ドーラン山を挟んだ向こう側にガリオンの住むトリシティがあるので、ガリオンはトリシティから灯籠を流せたはずだ。それに、コアだって人工島であるヘキサシティにいるのだ。海に灯籠を流すのは、最近では多くなってきたと言うしそちらでも良いはずなのだ。
「いいじゃないか、今日はどこも慰霊祭でお休みだ。お前はこの街の墓守の役割があるから難しいだろうが、今日はどこのジムリーダーたちも休暇を謳歌しているからな」
 ガリオンは気さくにそういってかぼちゃのパイを切り分けた。
「ノナタウンでは、本日はクラウ様とアリス様が祝詞を上げられるというし……テトラタウンにはエーディア様もお越しになられるだろう」
 灯篭流しの最後にはいつもエーディア様が顔を出す。このテトラタウンの慰霊祭がもっとも賑わうのは、外からきたトレーナーたちが伝説のエーディア様に一目会いたいというものや、エーディア様の加護を賜りたいと思うミタマ地方の人間が集まってくるからだ。ラルクもそう考えれば、毎年エーディア様に拝謁させて頂いている。
 ぱくり、とガリオンの作ったかぼちゃのパイを頬張る。甘いかぼちゃがなんとも言えず美味しくて、つい表情が緩まった。

 夜もすっかりと濃くなってきた。丸々とした月が上がり、火山灰で薄暗くなりがちなテトラタウンにしては良い月明かりが差し込んでいる。火山灰に含まれる僅かな結晶たちが月の灯を浴びてキラキラと煌く様は毎年のことながら美しく、ラルクはゆったりと目を細めた。草を覆う火山灰の野原を抜けると、ドーラン山の中腹へと上がる道がある。ぞろぞろと灯りを持った参加者たちが進んでいくのをガリオンたちと見守っていると、見慣れた緑髪の男が見えた。ガリオンが、その男へと声を掛ける。
「クモさん、クモさんではありませんか」
「おや、ガリオンくんですね。ラルクくんも、こんばんは」
 彼は手慣れた手付きで祈りの動作をした。何かまつりがあるときや、修験者同士で挨拶するときはこうした祈りのポーズが挨拶になるのだ。クモの手には二つの灯籠がある。ゆらゆらと揺れているろうそくを覆うのは、アリアドスの背中の模様を写し取った紙だった。クモは毎年、自分の元を去っていった二匹のアリアドスと妻の慰霊へ訪れているのだ。目の見えない彼には、ツクヨミの森はともかくとして、トリシティを抜けて、ドーラン山を超えるのは大変だというのに。
「足元が危ない、どうかお気をつけられよ」
 ラルクはそういってクモを見送った。ここへ慰霊に来るものは、興味本位のものだけではない。本当に心から痛むべき死を乗り越えるために来るものもいる。クモは三十代の頃から足繁くこの祭りに通い、ポケモンや人の死を乗り越えようとしている。
 ガリオンもまた、その一人だ。両親を早くに亡くしたガリオンも一つの灯籠に二つの模様がついている。せめて、一つの場所で眠りにつけるようにと願いを込めている。コアは――どうだろう、彼は何かを亡くしたとかそういう話はあまりしない。幼馴染だが、そういったことには踏み込まないようにラルクもしている。だが、不真面目な男ではない。灯籠を流すことの意味をきちんと理解した上で、コアもまた中腹へと上がっていく。
 中腹には川が一つある。皆、その川に灯籠を流していくのだ。たくさんの灯りの川が出来上がり、それを人々やポケモンが眺めている。
 ラルクは一つの灯籠を空へと上げた。他の者達も倣うようにして川や空へと灯籠を流す。ガリオンは灯籠を空へと放った。コアは灯籠を川へと流した。どういう形であっても、命の向かう先が安らかな場所であるようにと願うことは尊い祈りなのだ。静かに、ゆっくりと目を閉じて祈りを捧げる参加者たちをラルクはどこか暖かな気持ちで見守った。足元にいるソウルスピもまた緩やかに目を閉じて、眠りにつけない同胞たちへ祈りを捧げた。
 その暖かな祈りに柔らかな光が差し込んだかと思えば、エーディア様が優しいほほ笑みを浮かべて、皆と同じように無数の命の安らかな眠りを願っていた。

 ガリオンとコアは祭りが終わると、今日は教会に宿をとっているというので山で別れた。ラルクはこのまま、山へとこもる。いつものことで、ラルクはたくさんの灯籠に照らされた川の流れる洞窟を一人で進む。この先には泉が一つあり、川の水が流れ込む――乃ちは灯籠の終着点がある。
 洞窟を抜けると、たくさんの灯りが灯った泉がラルクを出迎えた。空を浮かぶ灯籠たちもまた、風に流され別の場所へと向かっていくのだろう。今日はここで眠る。灯りに釣られたのか、ラルクにしか見えない命の灯火たちがゆらゆらと揺れ、人の形やポケモンの形をなしていく。ゴーストタイプのポケモンたちもまた、ゆったりと姿を現せてはくるくると踊っているのが見えた。

「……おやすみ」

 一つ、灯りが消え。
 一つの魂が登っていく。

 一つ、灯りが消え。
 一つの魂が登っていく。


 朝が来るまで、ラルクの祈りは続く。
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