煙草







「優?どうしました…?」


目の前には東都大の大学院生である沖矢昴。




本当は赤井秀一

けれど彼は死んだことになっている。


「…なんでもない」


初めこそ、彼が沖矢として生きている様は違和感でしかなかった

今はすっかり馴染んでしまったが…。



その感覚がどうにも私はだめだった。





誰が見ているのか、誰が聞いているのか、わからない状況で"秀一さん"と、彼の名前を呼ぶことは許されない

彼が沖矢として身を隠している今も、そばに居られる喜びはもちろんある。





でも、
近くにいるのに本来の名前すら呼べない今は、

以前よりも秀一さんがずっとずっと遠くに行ってしまったようで怖い




「なんでもないような顔じゃないですよ、」

そういって私の顔をさらに覗き込む彼は、



彼だけれど、彼じゃない。





仕方のないことだってわかっている。
けれど、嫌になるくらいに心が求めているのは本物の彼だった。


口にできない我儘を押し殺すように彼に抱きつく。



「……優?」



「ぎゅってして、」



いっそ顔を見なければいい

沖矢には申し訳ないけれど、その方が辛くない




細身のようで、筋肉質な体はやっぱり彼のもの。
前に抱きついた時と同じ秀一さんのものだった。


「外暑かったので汗をかいていますが…」

「いいの」


やんわりと話すよう促す沖矢の言葉を跳ね除けて、離れるものかと腕に力を入れた



すると頭上から短い機械音がした。


そして

「臭いなんて文句は受け付けないからな、」


大好きな彼の本当の声が聞こえた。


私の思いを知ってか知らずか、ただ黙って抱きしめ返してくれる彼が改めて好きだと思った。

彼の胸元でする呼吸には、彼の匂いがほんのり香る




彼の煙草の匂いが、仮の姿でも変わらず、安心できた

「あなたの匂いがする、」



閉じた瞼には本当の彼が紫煙を漂わせている様を浮かべて、どうにもならない寂しさを埋めるのだった。


------煙草の匂いに包まれて、あなたを想う。
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