森での騒動はまだ村に伝わっていなかった。たった3人の見張りが入口に立っているだけ。塀の内側に目立った動きはなく僅かな灯火が暗闇を照らしている。
村の入口手前、見張りに気づかれぬようなまえ達は塀の死角に身を潜め薄ぼんやりと明るい戦場の隅からハンネマンの居場所を探っていた。
頭の奥、なまえは小さな民家を一件ずつ覗き、村の中心に聳え立つ二階建ての大きな建物の中を隅々まで探り遂にハンネマンを見つけた。あれからまた酷い怪我を負ったのか、手当が必要な状態で放置されたにも関わらず生存が確認できた事になまえはほっと胸を撫で下ろす。ハンネマンを収容した部屋は建物の一番奥に構えた隠し部屋のような部屋で彼の傍には大将格の男が佇んでいる。建物の至る所には少数の敵が扉を尽く塞ぎ、戦闘を避けてはハンネマンの元まで辿り着けない難問になまえは熟考する。
どうやって攻めるか。屋内の戦いは避けて通れない。それに隠し部屋に辿り着くまで徒に体力削らぬよう慎重に動く必要がある。となると、まずは見張りを速やかに仕留め大将格に侵入者の存在を気づかれぬ前に建物内へ侵入する。その後大将格を影打ちしハンネマン先生を救う。一件無茶な作戦にも思えるがなまえにはこの作戦を成功させる確固たる自信に溢れていた。いつだって場の主導者は私の掌の上にある。戦況の3手先を見渡す力さえあれば、怖いものなんて何も無い。
「いくよ」
力強い掛け声とともに皆握っていた武器を構えた。私達ならどんな逆境でもひっくり返せる。背中へ感じる仲間の期待と信頼、それに答えられるようなまえは深く息を吸い込み湧き上がる高揚感に身を任せ勇ましく死角から飛び出した。
増援を呼ばれる前になまえは迅速に指示を出し民家に潜んだ狙撃兵をアネットとアッシュで討ち取り、仲間の断末魔におびき寄せられ動き出す敵を影に身を潜めた仲間達で仕留めていく。敵意ある者は誰一人として逃がさない。
全滅せずとも抵抗するものだけを撃てばいい。武器を振りながらなまえ達は1歩ずつ確実に前進していく。鳥の鳴き声に等しい断末魔は未だ建物内部に影響を与えず、侵入者の存在に敵はまだ気づいていないらしい。その証拠に賊の大将は未だハンネマン先生の傍に立ったまま手下からの伝令も無言である。
やけに順調すぎる戦況に不信感を覚え無いわけではなかった。だが自分以上にこの場を支配する者はいないのだから今は自分を信じただ進むことだけを考えろ。イングリットの傍から現れる増援の影になまえが声を張りあげたその時、
「なまえ!!」
フェリクスに名を呼ばれて初めて背後に迫る影の存在を認知した。仲間の周囲に気を配りすぎるあまり後ろが疎かになっていたなんて。なまえは慌てて剣を振り頭部に振り下ろされる剣を受け止めたが、突然の敵の襲撃になまえは内心酷く動揺していた。
「逃がした獲物が自ら戻ってくるとはなぁ!!」
「…っ、」
荒々しい剣技に押されなまえは体勢を立て直そうと後退する。しかし顔のすぐ真横を刃が掠め、微弱な電流が頬を走り鼻を焦がす死の香りに心臓が激しく暴れだす。痛みに片目を瞑り握った柄に力が入る中、男は容赦ない連撃を繰り出してくる。防げるだろうか…
大きく見開いた翡翠の瞳は男の心臓と刃先の最短軌道距離を描くが、振るうことを躊躇ったなまえは相手の剣の軌道に自身の剣を割り込ませその巨体と武器の重さごと刃こぼれした剣で受け止めた。キリキリと互いの刃をすり減らしながら均衡を保つ。刃に全体重をのせ潰しにかかる男をなまえは必死に歯を食いしばり地面に沈むような重みに耐え凌いでいた。誰か!この相手はとても一人じゃ捌けないと、動ける仲間に支援を求めるも、
「何をしている!!殺れ!!」
甘えをつき崩す一言に平手打ちされ、ずっと踏み越えることを躊躇った一線をなまえはとうとう踏み越えた。ゆっくりと剣を握る左手を離し、体が地面に埋る前に背に隠していた短剣を握り素早く無防備な心臓へと突き刺した。言葉に表せない生々しい感触が刃を伝い手に残る。グサリなんて耳障りのいい音ではなかった。生温かい肉の塊に刃を突き立てかき混ぜるかのような、過呼吸を誘う生々しい音になまえはひきつった声を上げ浅く肺を膨らませる。どうしても死にたくなかった。膝を折り倒れた男の胸には短剣の鍔まで深く刺さり、さっきまで短剣を握っていた左手には体から吹き出した赤い液体がねっとりとへばりついていた。魔法とはまた違う痺れるような感覚。錆臭い匂いが鼻を刺激し足元に広がっていく血溜まりを魂が抜けたようにじっと見下ろしていると駆け寄ったフェリクスがしっかりしろと力が抜けた体を強く揺さぶり遠慮なしに傷薬を顔にかけた。顔の傷口など気にも止めずフェリクスは雑に濡れた顔を制服で拭い死体に刺さった短剣を抜く。
「躊躇うな。下手すればお前はもう死んでいたんだぞ」
「…わかってる」
本当のことを言うと何一つフェリクスの言ってる事がわからなかった。けれど今は分かったように進むしかなかった。油断した隙に村の奥に明かりが灯ってしまった事をなまえは悔しげに舌を打つ。想定以上に敵の動きが速い。焦る気持ちを抑えなまえはフェリクスから受けとった短剣をいつか見たイングリットのように血を振り払い鞘に収めた。
「割り切るしかない」
迷いを全て断ち切ったかのような冷たく色のない声にフェリクスはやっと火がついたのかと呆れたようにため息をつく。
「これからどうする気だ?」
「どうもしない。前に進むだけ」
ぐっと左手で拳を握り村の奥を睨みつける。もう生ぬるいことは考えない。ハンネマン先生を助ける。邪魔する者は皆殺す。自分が握っていたものより扱いやすそうな剣をなまえは何食わぬ顔で死んだ男の手から奪うと最後尾から指示を出していた体で先陣を切った。
「敵襲!!敵襲だ!!はやく頭につたっ「…」ぐわぁっ!!!」
施錠前の扉を蹴破り挨拶代わりに門番二人を斬り殺す。彼女の剣に一点の曇りは無く、道を塞ぎ騒ぎ立てる剣士を素早く正面から斬り捨て、その背後に控えた弓兵2体も華麗な身のこなしで矢を躱し軽く仕留めた。恨み節を垂れ事切れた体を踏み越え奥へ奥へと進んでいく。恐怖心も罪悪感も死んだ。ただ虫を潰したあとと同じ不快感と一刻も早くハンネマン先生を助けなければという焦燥感だけが胸を焦がし、体を突き動かしている。懐にしまった傷薬を飲み干しては床に捨て口元を袖で拭う。誰よりも体力に限界が来ていたはずだった。しかしなまえは誰よりも身軽に戦場を駆け、アネットに襲いかかる手斧を軽々と弾き飛ばすと握っていた剣を投げ左胸に突き刺すと流れるように地面に落ちていた槍を拾い上げアッシュに迫る影に向かって荒々しく振り回す。一人だけ滝に打たれたかのように全身返り血塗れのなまえだが、当人に気にするような素振りはなく、縦横無尽に敵を蹴散らしては施錠された扉を強引に蹴破り死体を床に並べていく。まるで別人のような荒々しい戦いっぷりにフェリクスは先陣を走る少女が本当にあの腰抜けなまえなのか目を疑ったが、何度確認しても槍を振り回す少女はなまえ本人だ。折れる寸前の槍を投げ捨て襲いかかる敵から無傷で武器を強奪すると今度は斧を振り回している。普段の実技訓練は複数の武器を使用した戦闘は専門性を高める訓練にはそぐわないという理由から禁止されていた。その為特段秀でた武芸はなく常に平均以上天才以下の器用貧乏だったなまえは天才集団に埋もれどうしても試合に勝つことができなかった。だが生死が試合の勝敗を決めるなんでもありな戦場では多種多様な武器を扱いそれを自由に組み合わせ戦うことを得意としたなまえは滅法強かった。その上仲間を守る為に他の命を奪う行為を割り切った彼女の攻撃には加減がなく素早く振るう一閃は的確に相手の急所をつき瞬く間に1つまた1つと床に死体を転がしていく。
『灰色の悪魔』を兄に持つ能天気が魅せた悪魔に匹敵する戦いぶりにシルヴァンは眠れる獅子を起こしてしまったんじゃないか?とフェリクスに耳打ちした。戦場でありながらも軽口をたたくシルヴァンにフェリクスは鬱陶しそうに顔を歪め、余計なことを考えるなと手を止めていたシルヴァンを一蹴した。
滑稽だ。
まさか追い詰めるはずの相手に追い詰められているなんてこの部屋にいる馬鹿どもは誰一人として想像していなかっただろう。森に手下を向かわせすぎたのか建物の中は鼻で笑うほど何処も手薄で、気づけば隠し部屋は目と鼻の先まで迫っていた。だが簡単には行かせはしないと、増援だらけの茨道になまえは隠し部屋までの最短距離を弾き、指示を追加した。
「アネット、フェリクス、ついて来て。イングリット、シルヴァン、アッシュ。この場は任せた」
アネットとフェリクスを引き連れなまえはこの場をイングリットに一任すると頭で描いた道通りに部屋を横切り、襲いかかってくる敵にいちいち足を止めてはいられないとなまえはアネットの魔法で敵を弾き飛ばすよう指示を出し、それでも粘り強く立ち塞がる敵をフェリクスと共に斬り伏せた。見事な連携で状況を打破していく。そして遂に見つけた目的の扉になまえはあの扉の向こうにハンネマン先生がいると回復薬が入っていた瓶を扉の前に経つ敵になげつけ気絶させた。
「よし、ここは俺たちに任せてお前はハンネマン先生を救出しに行けっ!」
「なまえ、気をつけて!」
増援が現れたにもかかわらずここは任せろと啖呵をきったフェリクス達になまえはこの場を2人に任せ最後の扉を蹴破った。パラパラと足元に散った木屑を踏み、足元さえ見えない真っ暗な部屋の中を頭の地図に頼りながらハンネマンの元へと足を進める。ハンネマンの駒まであと数歩。しかし扉を潜った瞬間から肌を刺す殺気をなまえは見逃してなどいなかった。自分のすぐ真後ろ。4m離れた距離から息を潜め私の首を狙う影が暗闇に潜んでいる。とりあえず様子見、泳がせておくか。なまえは途中奪ってきた剣を握りしめ男の存在に気づいてない素振りで前に進む。床が軋む音に気道が狭まり唾液ひとつ飲み込むだけでも音に意識を傾ける。一向に駒は動く気配が無く、易々とハンネマンの元へ辿り着いてしまったことになまえは妙な違和感を覚えた。通常、獲物が人質を見つけ気を抜いた隙を狙って襲ってくるのが定石、だが通例に従わない男の行動になまえは一抹の不安を覚えていた。
やはり先に斬っておくか。
これ以上怪我人の様態を悪化させる訳にはいくまいと潜む影に向かいなまえが振り返ったその瞬間、ヒュッ!と風を切る鋭い音になまえは反射的に暗闇の中で光った何かを剣で弾き返した。キンっ!と金属が衝突した音が部屋中に響き渡る。とても軽い。この感触、短剣か。弾いた場所から爆発や着火といった派手な細工もなく、再度飛んでくる飛び道具になまえは剣で弾いた。しかしハンネマンを狙った一投にしまった!と剣の軌道を無理に変えたことで弾くはずだった短剣は右肩に深く刺さり、握っていた剣が足元に落ち右肩を庇いながらなまえは膝から崩れ落ちた。
「ぐっ…!!」
右肩に刺さる短剣をすぐ様左手で引き抜き傷薬を服用するが、糸が切れた様にぶら下がる右腕をなまえは苦悶の表情を浮かべハンネマンを背に隠し暗闇を見つめる。コツコツと聞こえてくる靴音とたったひとつの提灯が暗闇に潜んだ男の顔をぼんやりと照らす。薄明かりに浮かび上がるその顔は身震いするほどに悍ましく野蛮だった。
「おっ、殺ったと思ったんだが。嬢ちゃんもしぶとい子だなぁ」
汚い視線に屈することなく睨み返すなまえに男は鼻を鳴らし絡んだ痰を吐き出した。明かりに照らされた事で顕となった右肩から流れ出す血の多さになまえは青ざめる。瀕死の体じゃなければこの程度の傷…。なまえは左手を腰に回し急いでもう1本傷薬を取り出そうとした。しかし負傷した肩を蹴飛ばされ地面に転んだ体に男は手を伸ばしその汚れた手乱れた髪を掴み上げた。
「よくも俺の家を荒らし回ってくれたなぁ!!ああっ!?ただで済むと思うなよ!」
血の跡を床に擦りつけながらなまえは大きく投げ飛ばされ、その衝撃で散らばった傷薬のうち1番近いものに向かってなまえは死に物狂いで左手を伸ばした。あともう少し。震えた指先があともう少しで傷薬に触れるところで、男は無慈悲にも傷薬を踏み潰すと床に潰れ起き上がる気配のないなまえへ腰からまた1本短剣を抜いた。
「1人で乗り込んでくるもんだからてっきり手練の野郎が来たと思ったが、まさかヒョロい嬢ちゃんとはなぁ!」
泥をかけられたような気分だった。
身動きも叶わず、皮一枚で命が繋がっているような状況に嫌な汗が体中から噴き出す。どう足掻いてもひっくり返せない最悪の状況に絶望し、泳がせるんじゃなかったと自身の行動に後悔を募らせる。首筋に突きつけられる短剣に唾ひとつ飲み込む自由さえ奪われた時ハンネマン先生の声が聞こえた。
「なまえくんっ、なぜ…逃げたのでは」
あの時、ハンネマンを置いて行った頃よりも酷く衰弱した声になまえは今しかないと力を振り絞り体を起こす。
どうせ虫の息だ。男は短剣をなまえの首元から短剣を離すとなまえが握っていた剣を拾い床に散らばっていた傷薬を全て踏み潰している。逃がしたはずの生徒の声が聞こえハンネマンは暗闇に目を凝らしその姿をぼんやりと捉えるが、自身と変わらないほど傷を負っていることまでは把握できていない。
「先生を、救いに…」
なまえがそこまで口にした途端、ハンネマンは顔を紅潮させわなわなと肩を震わせた。
「…っ!!この大馬鹿者!!!」
唾を吐き散ら怒鳴りつけたハンネマンに圧倒されなまえは何も言い返せない悔しさに下唇に歯を立てる。
「まったく、お偉い先生の言う通りだ。大人しく俺たちに捕まっていれば可愛い顔も傷つけなくて済んだのによォ」
全ての瓶を割り終え達成感に浸る男はなまえの髪を掴みあげると苦しげに喘ぐなまえを愉快愉快とせせら笑った。ブチブチと嫌な音を立て暗い髪の毛が鳥の羽のように床に散っていく。硝子が割れたような悲鳴が部屋に響き、抵抗もできず襤褸雑巾のように傷ついていく生徒をハンネマンは「もうやめてくれ!」と叫んだ。しかし男は「うるせぇ!!」と激高しなまえを部屋の端まで蹴り飛ばすと「老いぼれは黙ってろ!!」と床に沈んだなまえの顔を躊躇いもなく殴った。口端から垂れる血がボタリボタリと男の手を汚す。鼻が曲がるような吐息を吹きかけられ噎せるなまえの頬を太い指が潰す。
「教師を救いに来たはずがまさか自分が先に逝くことになるなんてなぁ。こりゃあ、傑作だぁ!」
下品な笑い声になまえは奥歯を噛み締める。動け動けと念じても右腕はもう動かず、なまえは右手を諦めるとそっと左手を背中に回した。蹴り飛ばされた時に肘を擦りむいたようで、腕を曲げると裂けたような痛みが緊張を煽る。
「でもまぁ、一人で俺の元に乗り込んで来たその勇気に免じて、優しい俺から嬢ちゃんに一つだけ慈悲をくれてやろう」
「…じひ?」
人差し指が上着に仕込んでいた柄へ触れた時、突然持ちかけられた取引になまえは動きを止めた。慈悲とは一体どういうことか。ニタニタと薄気味悪い笑顔を浮かべ散々掴み荒らした髪を払うと顕になった形のいい耳に悪魔のような取引を1つ囁く。
「いいか、よく聞け。お前が連れてきた貴族のお友達を大人しく俺に差し出せばお前の命は助けてやるよ。あの死に損ないの命もな。お友達は一人ずつこの部屋に連れくるんだ。男は殺せ。女は縛ってとらえろ。くれぐれも顔は傷つけるなよ。死体も商品も価値が下がるからなぁ」
死体。価値。私は何を吹き込まれたのか、まるで頭を殴られた時と同じ衝撃に頭が真っ白になる。
「なかまを、うれと?」
「ああ」
「私に…仲間を、殺せと?」
丁寧に咀嚼し少しずつ言葉の意味を喉に落としていく。胸の奥で湧き上がる激しい憤怒に丸い眼を鋭く尖らせ声音に怒声を孕んでも男は臆することなくああ、そうだとなまえの頬を潰す。怒りにわなわなと手が震え今すぐにでもこの男を殺してやりたい。だが男にはまだ警戒心が残っている。まだだ、もう少し耐えなければ。
髪を掴まれ宙ぶらりんな体勢から抜け出すようになまえは片膝を立てる。中腰で顔を覗き込みなまえが最も苦手とする目で顔を舐めまわし、汗と血が染み込んだ頬をわざと口元を掠めるようにねっとりと舌で舐め上げる行為に悪寒が走る。気持ち悪い。なんでこんな奴が当然のように息をしているんだろう。
「助かりたいんだろ?なら俺の言うことを聞くんだな。それとも、お前もあの老耄のように意識が飛ぶまで殴られたいか?俺の下で記憶がぶっ飛ぶまで鳴き続けるか???ああっ!!?」
心臓が縮みあがるほどの恫喝になまえは恐れも怯えも悲しみも抱かずただ黙って鞘から短剣を引き抜く。背後で光る鋭い刃の存在は男の視界には映らない。悲鳴もあげず、嫌がらせの接吻にも動じず、人形同然の反応しか見せないなまえに男は腹を立てた。腫れた頬を狙い男は肉付きのいい手を振り上げた時、
「…ふざけるなよ」
男の右手となまえの頭の間。たった拳1つ分の距離を走った銀の一閃に男は口を開け根っこが切れた髪を握り続けている。ハラハラと舞い落ちる髪に男が食いついて見ている間にまた銀が一閃し、落ちた髪の上にボトリと男の右腕が床に落下した。
「仲間を売って生き延びるほど私はお前のような腐った人間じゃない」
斬り落とした腕を髪と共に蹴り捨てる。短くなった髪を耳にかけ短剣を構えると男は消えた右腕を抑え顔中に筋を立てた。無傷な体が体勢を崩した時、ガチャんっ!!と床に放置した提灯が男の足にぶつかり、水のように零れた炎は轟々と二人を取り囲むように床を這い威嚇する。
ハンネマン先生は無事だろうか。床に伏してたまま身動きする様子のない体を気にしている最中、男は上着を裂き右腕を縛るとなまえから奪った剣を左手で構えた。隻腕で戦う気か。クルンっと短剣を回し持ち替えたなまえに男はニヤリと笑っている。
負傷した体を鼓舞し底知れぬ怒りを滾らせ炎の中睨み合う。長時間目を酷使した為か、男の動きはもう予想が出来ず小細工無しの真剣勝負にもちこまれてしまった。利き手は封じられ剣技もろくに使えない私があの服を着た野獣を仕留めるのか。勝率は恐らく5割。心臓を突かれて死ぬか、それとも二人で炎に巻かれて死ぬか。正直火はもう勘弁して欲しいのだが。やるしかなければ覚悟を決めるしかない。
口の中に溜まった血を炎へと吐き、件を握り直す。どうかあの男の利き手が左手ではありませんように。
「死ねっ糞餓鬼ぃっ!!!」
襲いかかる一撃を受け止め、体重の掛け方が下手くそなことに気づく。間違いない、コイツ右利きだ。なまえはぶれる予知を振り払い右足で男の顔面を蹴り飛ばす。かなりいい一撃が入ったと思ったが、やはり賊の大将を務めるだけあって無駄に頑丈で鼻血すら流していない。刺して殺すしかないか。距離を取り相手の出方を伺う。顔を蹴られて何が面白いのか、男は冷や汗を流しながら消えた右腕を押え苦しげに笑っている。
「ちっとは毒で痺れてると思ったんだがよォ!!」
男が発した『毒』と『痺れ』の単語に嗚呼そういえばとすっかり頭から抜けていた杜撰な策を煽るように鼻で笑う。
「ああ、あれ。あんな苦い水とても飲めたものじゃなかったよ。人に毒を盛る時はまずは自分の舌で確認したらっ!!」
ぐっと足を踏み込み胴に向かって短剣を振るうが慣れない感覚にどうしても軌道が乱れ威力が落ちる。長い剣に上手く弾かれ、攻め込んでくる刃を弾き飛ばし、互いの刀身を研ぎ合うように火花を散らしてまた互いに距離をとる。炎は柱を飲み込んだが人間に襲いかかる気配はまだ遠く、ハンネマン先生の安否は気になるが戦いに影響はないと目の前に集中するよう自分に言い聞かせる。何処を狙っても男に隙はなく刀身の差を利用され思うように攻め込ませてくれない。未だ短剣は体を1度も掠めることはなく隙を見て足で蹴り続けているも未だ男の足元はしっかりと床に引っ付いている。死を押し付け合うような激しい剣戟に左腕がちぎれそうだった。お互いに体力の限界は既に突破している。なのに何故、この男はこんなにも笑っていられるのか不思議で仕方がない。何か奥の手でも隠しているのか?いや、片腕を切り落とされている状態で大したことはできないはず。疲れは溜まっていたが村に侵入してから何度戦場を見通してもこの部屋には男とハンネマン先生しかいなかった。増援はない。それだけは断言できる。出血多量で気が狂った事にしておこう。でないとあの笑みは不気味すぎる。
なまえは腰を落としながらジリジリと距離を詰める。完全に神経を切られたのか未だに右手は動かない。
「貴方を殺す前にひとつ聞いておきたいことがある…本当の村人は今どこにいる」
その質問を聞いた途端男は一瞬だけキョトンっと表情を崩し、その後ゲラゲラと声を上げて笑っていた。口端が切れそうな程の大口で。
「ほーう、察しがいいじゃねぇか。何処にいるか…畑の下に埋まってんじゃねぇかぁ!!!?」
「…っ、!!!」
己の功績を暴かれた喜びに男は顔を紅潮させ右腕を取り戻したかのように威勢よく脇腹へと剣を振るった。斬りかかるつもりで描いた剣の軌道をなまえは咄嗟に体を捻り避けるが、続けざまの回し蹴りに回避が間に合わずまた床を転がった。立ち上がった直後を狙う刃に必死で片手を振り心臓を守る。攻め込むことを許さない縦横無尽の剣戟に小さな傷が増えていく。
どこまで凌げるだろうか。剣を受け止める度に内側へと曲がっていく膝皿があと何回耐えられるだろうか。未だ攻め込めない状況に反撃の機会を狙っていると男の強烈な一撃に指が震え
「あっ」
握っていたはずの短剣が天井に突き刺さった。あまりにも予想外の展開に言葉が出ない。天井を見つめたままなまえは無意識のうちに左手を後ろに回すが何も携えていたいことに血の気が引いた。予備の武器はもうない。丸腰のまま膝を着き茫然と左手を眺めるなまえに男は勝利を確信しわざと剣ではなく蹴りで体力を削り四つん這いのまま立ち上がることが出来ないなまえへ剣先を向けた。
怪しげに揺らめく炎を味方に嬉々とした表情でとうとう死の淵まで追い詰められた。どうする。どう切り抜ける。
「くたばれぇっ!!!!」
炎に照らされ煌めく刃が体を裂くように今振り下ろされようとしている。男は確信した勝利に感情を爆発させ、絶対絶命の状況になまえはもうこれしかないと左手を前に突き出した。それは飲み干した杯を大きく傾け躍起になって一滴の水をかき集めるような行動だった。指先に魔力をかき集め魔法で目眩しを画策するが空っぽの体から魔力を絞り上げ長々と詠唱するよりも振り下ろされる剣が少女の脳天を叩き割る方が遥かに速いことは誰が見ても明らかだった。負け戦だ、無駄死にだ。魔法が成功したところでただの目眩し。展開を読んだ観客は目を覆いなまえの負けを確信して次々と席を立っていく。しかしただ1人、勝利の女神だけはなまえを見放しはしなかった。
小さく光った指の先、まるで蝶が羽化するように羽を広げ浮かび上がった左右対称の模様になまえは息を呑んだ。どこかで見たその模様の意味をなまえは知らない。だが、これだけはハッキリと分かった。私はまだ負けていない。自分でもどこからそんな力が出たのか分からなかった。ただ運が私に味方したのだと、目眩しで放ったリザイアが本来以上の効果を発揮し体に残る小さな傷を癒していく。眩い光に男が目を瞑った。右手の感覚が戻った。
これなら勝てる…!!
緩んだ手を蹴りあげ宙に舞う剣を奪うと視力が回復する前に両手で握った剣を振り下ろし隙だらけの胴体を斬りつけた。
勝利を確信したはずがまさか寝首をかかれるとは思ってもみなかったのだろう。床に転がった巨体に向けなまえは心臓を狙い剣を構える。
これで、終わりだ。
寝っ転がった心臓に向かって真っ直ぐに切っ先を振り下ろす。長かった戦いに漸く終止符が打たれる。殺された村人に詫びろ。振り下ろした剣先が男の心臓に向かって加速し、勝利の女神がよくやったと手を叩いて勝利を祝福しようとした直前、男はどこまでもしぶとくなまえにしがみつき奈落へと引きずりこんだ。
手元ばかりに集中するあまり足元が疎かだった。視界が大きく揺れ両足が浮く。何が起こったのか一瞬の所業に頭が追いつかない。制服に炎が引火し背中が燃えているにも関わらずなまえは腹部を襲った鈍痛に体をくの字に曲げ手の内から消えた剣の行方ををぼやけた視界の中手探りで探していた。しかし悲しいことになまえが探していた剣は男が握っており、今日までの命と知った上で男はなまえの道連れを望んだ。
剣はどこ。男は今どこにいる。床に手を這わせ武器を探すなまえを男は静かに見下ろす。翼を折られ背を燃やす鳥を男は命を宿す左胸へピッタリと剣先をくっつけ、
「随分と手間かけさせやがって。だが、ひひっ、これで終いだァ!!!」
先程のなまえと同じように振り下ろす。流石にもう足掻く術もないし、思いつきもしなかった。せめてハンネマン先生だけは助けたい。昔魔法を教えてくれた修道士から習った呪いの言葉をなまえはボソボソと唱えながら人と環境に恵まれた最高の人生だったと静かに目を閉じかけたが、
「なまえ!!」
唯一の扉から聞こえた私の名前を呼ぶ声に最後の力を振り絞り飛びかけた意識を繋ぎとめる。
低い声だった。でも叱られた時より微かに高く、珍しく冷静さを欠いた焦りを感じさせる声が私の名前を呼んでいる。これが死に際に聞こえる幻聴ってやつなんだろうか。だってあの人は大修道院に運ばれてここにはいないはずだもの。
「やれ、猪!」
フェリクスの声が聞こえた直後にビュンッと風を斬る音がした。威勢のいい声が小汚い悲鳴をあげ、カランっと遠くから聞こえた武器が落ちる音と未だ私を呼び続ける声に泥試合は漸く終わったのだと体から力を抜いた。
騒がしい声が破れかけた鼓膜を震わせる。アネットの声がする。それにフェリクスの声も。もっと後ろからはアッシュとドゥドゥーとメルセデス。シルヴァンを叱るイングリットの声。ああ、よかった。みんな元気そうだ。
体が浮くような突風が周囲を包む。本来の攻撃性を削いだ風にきっとこの魔法はアネットが放ったものだとなまえは仲間が意外にもまだ皆力が残っている様子に小さく笑った。風によって鎮火したがいつ燃え落ちても可笑しくない部屋をバタバタと騒がしい足音が響く。先生と呼び続ける声に早く運びだせ!と焦る声。戦いが終わりピンッと張り詰めた糸を緩ませた直後、鋼特有の冷たさが焼け焦げた背中と膝裏に回った。緩やかな浮遊感を感じながらまた名を呼ばれ、せめて意思表示でもと口を開いたが電源が落ちそうな頭はどうやらここが限界みたいだ。
「でん、か…」
薄れゆく視界の中、焦げ臭い部屋に浮かぶ2つの蒼い月に見つめられながら私は何度も何度も手繰り寄せた意識をとうとう遠い場所へと離し目を閉じた。
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