「少し待っていてくれ」

そうベレトさんに言われ体感10分ほど上体を起こしたままうつらうつらと頭を揺らして待っていると部屋の外から聞こえてくるパタパタと忙しい足音の訪れに私はハッと顔を上げた。

「なまえ!!」

勢いよく開かれた扉にビクッと肩が揺れる。ベレトよりも高く抑揚のある爽やかな声になまえは嬉しい反面驚きと気まずさに葛藤したった9文字の言葉がなかなか声に出せなかった。

「おっ、おはようございます…」

心配をかけました。そう言って小さく会釈したなまえに泣きじゃくる声が一言「馬鹿っ!」と叱責し、狼狽えた体に抱きつくとわんわんと声を上げて泣いた。あまり患者に負担をかけないでちょうだいと部屋の隅に控えていたマヌエラはなまえに抱きついたアネットへ注意を促し離れるよう口を出した。しかしなまえ自身がマヌエラに大丈夫ですと伝え、『ただいま』と暗い視界の中腕を伝いアネットを抱きしめた。

「ずっと目が覚めなかったからすごく心配していたのよ〜でも、目が覚めて安心したわ」

傷の方はどうかとメルセデスに問われなまえは苦笑いを浮かべながら辛うじて両足と左腕が動くくらいだと伝えた。マヌエラ先生の見立てだと体を動かせるようになるまで早くても3週間くらいだそうだ。ほぼ虫の息だった状態から3週間程度で完治、しかも後遺症や火傷跡も残らず復帰できるなら思ったよりも重症じゃなかったのかもしれない。体の調子はどうかとアッシュに聞かれなまえは「この程度の傷、全然大丈夫だよ」と親指を立てた。その直後、急に医務室に吹き荒れた北国の寒気になまえは無意識のうちに頭の端へと追いやっていた『おっかない人達』の存在を思い出し口を引き攣らせた。ちょっといいかと話に割り込んできたディミトリになまえはベレトせんせ〜と情けない声で支援を要請した。しかしベレトもこればっかりは俺も助けられないと部屋の端に背を預けたまま沈黙を貫いた。
何故あんな無謀な真似をしたんだと身勝手に一騎打ちを挑んだこと、一人じゃ手に余るとわかっていながら仲間の応援を待たず挙句の果てには敵を道連れに死のうとしたことをフェリクスからガミガミと説教され、それに補足を加えるように『随分と無茶なことをしたな』と大変ご立腹なディミトリの一言になまえは巻いた包帯を涙で湿らせる。まるで頭のてっぺんを金槌で叩かれているように頭が下がっていく。すみませんでした。二度と同じ真似は致しません。そんな1週間のうちにまた無理をするであろう薄っぺらい言葉では2人の怒りが鎮まる気配がなく、むしろ益々怒りの色は濃く額の青筋がくっきりと浮き立っていく。明らかにおかんむりな声音。視界が包帯に覆われていて良かったとなまえはこっそりと重たい息を吐くが、依然として続く説教にぐうの音も出なかった。まさかアッシュやアネット達も私を叱るつもりなのだろうか。…既に出だし2人で心が折れそうなんだが。病人、重症、そんなの知ったことかと、背を丸め可哀想なほどに頭を下げてもなお止む気配のない集中砲火にずっとだんまりこんでいたシルヴァンが『2人とも、とりあえずそこまでにしときましょうよ』と止めに入った。私のことがそれほど好きでもないのに身を呈して仲裁に入るなんて…瞼が開いていたらうっかり惚れているところだった。巧みな話術で猛る怒りを宥めるシルヴァンになまえは頑張れ!君ならできる!!と心の中で声援を送る。流石シルヴァンと言うべきか、幼馴染からの説教を片手で数え切れないほど経験し鍛えられた精神力で上手く冷えきった部屋を温めようと奮闘している。だが仲裁者はメルセデスでもイングリットでもなくシルヴァンだ。普段の素行の悪さをフェリクスに突かれ、叱責されてもなお懲りずに同じ過ちを繰り返す態度をディミトリから叱責され、怒りを鎮めるどころかかえってなまえの無謀な行動からシルヴァンの素行の悪さに至るまで飛び火し、事態は手の付けようがないほど炎上してしまった。水をかけるつもりが誤って油をかけてしまったようだ。やっちまった…と苦笑いを浮かべるシルヴァン。これにはなまえもよくもやってくれたなと左拳を握るしかない。
支援に入るどころか見事な返り討ちをくらい撃沈したシルヴァン。だが彼の素行はさておき、しの勇気ある行動は決して無駄ではなかった。昨夜まで意識不明だった人に今説教を垂れても効果は薄いとシルヴァンに代わってイングリットが事態の収集を図った。やはり品行方正な彼女の言葉だからこそ響くのか、イングリットの仲裁により耳がいたい声がピタリと止んだ。助かった…。ようやく訪れた平穏な時間にホッと息をつき緊張の糸を解くなまえにイングリットは「2人の気持ちもわかってやってください」と気の抜けた肩に手を置いた。

「あのように頭ごなしに叱ってはいましたが全てなまえの事を思っての言葉なのです。殿下もそうですが、あのフェリクスも貴女のことを気にかけ足繁く医務室を訪れてはまだ起きないのかとマヌエラ先生を困らせ…」
「おい、イングリット!!それ以上は言うな!!」

耳を疑うような衝撃の事実に口を覆った。殿下もそうだが、あの一匹狼のフェリクスが私を心配し医務室に足繁く通っていたなんて。言動から察するのは無理があるが、盗賊の件と言いああ見えてかなり世話焼きで情に厚い人なんだろう。一匹狼とはいかに…
『ともかく、無事目が覚めてよかった』と素直に言葉を紡ぐ殿下とは相反し、ご機嫌ななめなフェリクスは『さっさと治せ!』と命令口調でふんっと鼻を鳴らす。天邪鬼な人だなぁと声を出したらまたツラツラと小言を言い始めそうだったので、なまえはひっそりと心の中で微笑ましいものを見た時とおなじように、ふふふと軽く笑った。

せっかく目が覚めたから少しお話しましょうよと提案したなまえに青獅子はなまえの負担にならない程度ならばとそれぞれ椅子を引き腰掛けた。
完治まで最短3週間。目の包帯は1週間弱外せないとマヌエラに言われなまえは嘘でしょ…とガックリと肩を落とす。1週間弱で回復するなら良い方だと落ち込むなまえにドゥドゥーが前向きな意見を述べた時、授業の進度状況に不安を覚えるなまえへアネットが更なる非常な現実を突きつける。

「もうすぐ資格試験があるのに、授業に出られないなんて大変だね」
「…しかく、試験?」

初めてその名を聞いたような口ぶりをしたなまえに周囲がざわついた。覚えてないの?とアネットに問われなまえはうーんっと首を捻る。悩んでも答えは出ないため、なまえは恥を忍んで資格試験とは何かと説明を求めた。するとアネットは若干なまえの危機感のなさに動揺しながら、実戦でより専門的な技能を扱うための資格、いわゆる『兵種』に就くに相応しいか否かを見極めるための試験、それが資格試験だと説明した。資格試験は座学と実技の二科目で合否が出され、試験は3週間後の日曜日らしい。3週間後…ということは、安静に退院した 直後か。ふっ、受かる気がしない。特に座学。まだ3週間も経って以内にも関わらず皆頑張ってと諦め感を出し始めるなまえにアッシュは慌てて「提案があるんですけど」と片手を上げた。

「なまえが授業を受けられない間は僕達が授業や資格試験を含めた勉強を教えるというのはどうでしょうか?教えるといっても口頭になると思いますが」
「いい考えですねアッシュ。それでしたら資格試験や授業のことで心配する必要は無いですね」

皆は賛同したがなまえもそれで構わないかとイングリットに言われなまえは大きく首を縦に振った。口頭とは言えど少しでも学べることは喜ばしいことだ。それに一人で一日を過ごすよりもほんの少しでも友達と話している方が楽しいし。資格試験初級で取れる兵種の資格に聞いて話を聞きながら、どの兵種の資格を取ろうか考えていると部屋の外から新たな人物の足音が聞こえてきた。

「すまない、話が長引いて遅くなってしまった」
「…その声、ハンネマン先生ですか?」

授業が長引いてしまったと言いながら医務室に現れたハンネマンになまえは挨拶もそこそこに体はもう大丈夫なのかと尋ねた。するとハンネマンは誰もが言うと思ってたであろう『大丈夫』ではなく「大丈夫なわけないだろう!」と厳しく叱りつけたものだからベレト、マヌエラ含め皆が目を丸くし口をポカーンっと開けた。ただ1人、叱られる前提で口を開いたなまえを除いて。

「派手に動いてくれたものだな、まったく。君の自己中心的な行動のお陰で老い先短い貴重な時間を医務室で過ごす羽目になったよ」
「…すみませんでした」
「謝れば済む話ではない。対抗戦の頃から薄々勘づいてはいたが、この際だ。はっきりと言わせてもらおう。なまえ君、君には協調性が足りない。何故素直に大修道院に戻ろうとしなかった。吾輩の指示に背き学級の輪を乱してでも君にとって彼らは倒すべき相手だったのか?もし君の采配で死者が出ていたらどう責任を取るつもりだったんだ?」

矢継ぎ早に飛んでくる鋭い質問になまえは言葉を詰まらせた。自分一人の命で全ての責任を取ろうと本気で考えていました、なんて笑えない言葉を青獅子だけでなくベレトもいる中で口にする度胸はない。もし口にすれば四方八方から平手打ちが飛んでくるだろうし。
まるで尋問されているような気分だった。何一つ言い返せず頭を垂れるなまえに代わりちょっといいですかとディミトリが口を挟んだ。

「ハンネマン先生、少々言い過ぎではないでしょうか。確かに今回の彼女の行動は無謀かつ自己中心的で実戦ではあまり褒められたものではないでしょう。しかし彼女の奇策と的確な指示のおかげでこうして我々が無事大修道院に帰還出来たこともまた事実では?」
「口を挟むまないでくれたまえディミトリ君。これは彼女に対する教団の処罰でもあるんでな」

教団からの処罰。ハンネマンの口から飛び出した重たすぎる言葉に首が絞まった。心構えをしていなかったわけでは無い。武器を取り立ち上がった時から裁かれる時が来ると覚悟はしていた。けれど、やっぱり。…いざその瞬間を前にするともうすこしだけここにいたいと願わずにはいられない。難解な授業に頭を悩ませたり皆と取り留めのない話題でたくさん笑い、迫る資格試験に焦ったり。明るい未来を想像し、けれどこれ以上我周りに迷惑をかけることはできないとなまえは自分の心を押し殺すと恐ろしく冷静な声音でハンネマンに抗議するディミトリを制した。覚悟の上の行動だった。ひと呼吸おきなまえはまた口を開く。

「…ハンネマン先生の言う通りです。結果はどうあれ、私の行動は極めて軽率で仲間の命を危険に晒す最低なものでした。先生や教団がどんな処罰を下しても私は素直に受け入れる所存です。短い間でしたがお世話になりました。先生や皆に会えて本当に良かったと思っています。色々とご迷惑をかけてすみませんでした」

これでいい。私の役目はとっくに終わっている。どう処罰されようと後悔はないはずだ。
なまえの潔さに周囲からはそれでいいのか!?と納得がいかないと口々に騒ぎ立てる。しかしなまえはこれでいいのと晴れやかに言い切った。正直いうと心残りはある。それも山程に。けれどどんな結末が私を待ち構えていても、自分は大きなことをやり遂げ、無事目的を果たした。こんなに達成感に満ちたことは他になかった。誇らしい事をした。他に私がやらなければいけないことは堂々と胸を張り犯した罪と真摯に向き合い清算する。それだけだ。

「君の無謀且つ非常に危険で協調性の欠けらも無い行動には心臓が止まるかと思ったよ。教師としての我輩の首がとぶ危険も含めてな」

だらだらとまだ続くハンネマンのなまえに対するお咎めの言葉に場の空気が凍りついていた。しかしなまえはハンネマンの言う通りだと小さく頷き自らの非を素直に認めていた。どうぞ罰をお与え下さい。覚悟はできていますと悟った空気を纏うなまえにハンネマンは深く ため息をつくと仕切り直すように一呼吸置いてまた口を開いた。

「…しかし君の勇敢な行動がなければ今頃吾輩の研究は止まっていたこともまた事実。まったく、君の勝手な行動のおかげで命拾いするとは…死なずに済んだことに礼を言わなくてはならないようだ」

ありがとう…私の聞き間違えだろうか?今確かにハンネマン先生が私に向かってありがとう、と…。

「私に感謝したまえなまえくん。教団には既に吾輩から上手く話をつけてある。君の勝手な行動は全て吾輩が指示をしたとな。故に教団から君へのお咎めは無いそうだ。良かったななまえ君。君も3週間後資格試験に参加できるようだぞ」

しっかり勉強するよう言い渡されたなまえは今もまだポカーンっと口を開いたまま思考が停止していた。なまえに代わってイングリットが 「なまえはこれからも青獅子の生徒として所属できるということであっていますか?」と尋ね、ハンネマンは「そういうことだ」とあっさりした反応を返す。
私はまた都合のいい妄想に入り込んでしまっているのだろうか。良かったね!と祝福を受けながら停止した頭を無理やり回し状況理解に励む なまえへハンネマンはまだ話は終わっていないと手放して喜ぶべき状況に水を刺した。

「だがしかし君の協調性のない言動は担任として見過ごすわけにはいかない。ということで罰として療養中は暫く吾輩の研究の手伝いをしてもらう。いいかね」
「…は、はい?」

ハンネマン先生の研究って紋章についてであっていると思うが、そもそも紋章を持たない私が研究の手伝いとはいったい…。雑用ですかと首を傾げたなまえにハンネマンは被検体として血を提供して貰うと難しい単語を並べ療養中に課す手伝いの内容を話した。紋章学の得手不得手関係なく最先端を走る研究者の話など難易度が高すぎて話の半分も頭に入ってこなかったが要約すると賊との戦闘中にハンネマン先生は朧気ではあるが確かに私がベレト先生と同じ紋章を発現させた奇跡的瞬間を目撃したのだと言う。私はこの世界の人間じゃないからどう考えてもハンネマン先生の目の錯覚としか思えないのだが、研究者魂に火がついてしまったなら仕方がない。血液採取の言葉に反応しなまえを巻き込まないでくれとベレトはハンネマンに抗議した。しかしベレトの声などまるで聞こえてない様子で「紋章を持たない者が紋章を発現する瞬間に立ち会えたなんて研究者としてとても光栄なことだ。それじゃあまた来るよ」と息継ぎもせず言いたいことだけ伝え終えるとハンネマンは興奮気味に医務室から退室した。
なんか…うん。嵐のような人だった。ハンネマンが去っていった途端、肩にどっと疲労がのしかかった。疲れたなぁとため息をついたなまえにマヌエラは歓談もそこまでだと手を叩いた。

「積もる話はあるでしょうけどとりあえず今日はここでお開きにしてちょうだい。これから治療と食事の準備をしなければならないの。用がない人は退出してくださる?」

さぁ帰った帰ったとマヌエラが手を叩くと青獅子は別れを惜しみつつぞろぞろと医務室から退出していく。「またね」と音がする方へなまえは手を振った。それと同時に「明日の実技は青獅子と黒鷲の合同だ」と追加事項を伝え内側から医務室の扉を閉めようとするベレトにシルヴァンは並々ならぬ違和感を感じ咄嗟に扉の隙間に足を挟んだ。

「ちょーっと待った!!おかしいな、俺の目の錯覚か!?なんでベレト先生もそっち側なんですか。いくら兄妹とはいえ年頃の女性の体を見るのは問題だと思いません!?」

シルヴァンの至極真っ当な訴えにベレトは言われてみたら確かにそうだなと頷いた。しかしベレトは相変わらず感情の読めない表情で「だが俺は暴れるなまえの手を握る係だからな。治療中身内がそばにいないと不安だろ」と当然のように宣うとシルヴァンの足を蹴り扉をパタンと閉めるとしっかりと鍵をかけた。

「…いや、手を握る係ってなんだよ」

兄妹愛を知らない男から出た冷めた言葉にイングリットはため息をつき、裸みられる方が嫌だろと呟くシルヴァンにいいから訓練場に行くわよと扉の前に立ち止まったシルヴァンへ声をかけた。