それは『対抗戦』とは名ばかりの『実戦演習』だった。
やはり指示を背いてでも後方から攻撃し続けるべきだった。負傷した利き腕を庇いながらすぐ後ろを追いまわす黒い影を振り切るようにジグザグと森の中を疾走する。振り返る気力はない。枝が折れる音を頼りに距離を測る。ゾクッと肌が粟立つ嫌な予感にくるんっと前転したその直後、風を切る一矢が稲のように大地へと突き刺さる。命を奪い合う戦場をそれなりに経験してきたなまえには大地に刺さった矢の意味が分かっていた。分かっていた上で、その優しさを逆手に空前の灯火のような状態を抜け出すべく喘ぎながら希望を手繰り寄せていた。
頑張れ頑張れと己の足を鼓舞し隙を見計らって魔法を放つ。厄介な相手を自軍から引き剥がせば少しは勝機が見えてくるかもしれない。激しく咳き込みながら疲弊した心臓を叩く。
無駄打ちされていく矢の残骸に舌打ちが止まらない。クロードめ、完全に私を弄んでいるな。クロードの気まぐれで生かされている状況は正直に言って不快だし、狙えるものならさっさと狙って足を止めて欲しいところだが、走り続けたいればいつか勝機が巡ってくる可能性は零じゃない。既に青獅子の前線は崩壊し残る青獅子は殿下と私のみ。何人か仕留めたものの腕は負傷、立て直す暇もなくまんまとクロードが仕掛けた策略家にはまりこの有様。利き手で剣を振るう余力はないし、クロードとの鬼ごっこもそう長くは続けられない。
せめて離脱する前に殿下の加勢に向かわなければならない。そのためにもクロードはここで仕留める。張り付く喉へ唾を無理に流し込み、迎え撃つに適した足場のいい場所で外套を翻す。剣を構え覚悟を決めたなまえを前にクロードはヒュ〜っと口笛を吹きながら木の幹から飛び降りた。
距離を詰めれば勝てるだろうか。親の敵討ちのごとく目を怒らせ剣先を向けるなまえへクロードは余裕をべっとりと顔に張りつけ器用に矢を回す。左足を後ろへと下げればクロードの右足が前に出る。怖い人だ。どこまでも疑い深く隙がない。一打入れたところでクロードの射程距離から逃れられないことは目に見えている。となると、
「おいおい、そんな怖い顔するなって。対抗戦とはいえただの模擬戦だろ?金鹿の学級の勝利の為、ほんのちょっと気を失ってもらうだけさ」
「追い詰められた時ほど抗いたくなるのが本能って思わない?悪いけど私も青獅子を背負ってるの。ここで大人しく気絶するわけにはいかない」
憎たらしい顔。対抗戦じゃなければ間違いなく唾を吐いていたところだ。
矢を番えたクロードと対峙する。射手の腕によっては大事故は免れない状態というのに私の頭はいつになく冷静で、最善の選択だけを求められる緊迫した状況にも関わらず口角は不気味なほどつり上がっていく。こんなに追い詰められたの生まれて初めてかもしれない。心臓が飛び出しそうな緊張感に混じる謎の高揚感に体がどんどん軽くなっていく。なまえは策ありきで剣をしまい、両手を上げてクロードと距離を詰める。
やれるか…うん。私ならできる。
「クロード、対抗戦最後の相手として一つだけ貴方に謝りたいことがあるの」
「謝る?なんの事だ??」
「私ちょっと足癖が悪くて…本っ当にごめんねっ!」
それは目にも留まらぬ一瞬の荒業だった。地を滑るようにクロードへと接近しなまえは大きく跳躍しクロードへと飛びかかる。まだ状況が把握されていないうちにクロードの首を両足で挟むと重心を自身の背中へと傾け勢いよく胴を捻った。器用に宙を回転し華麗な着地を決めたなまえの背後では地面にたたきつけられ弓を手放したクロードが横たわっている。外套を払い弓を奪う。女とはいえ体術を覚えておいて損は無いとジェラルトから教わった足技がまさかこんなところで役に立つとは、体の硬さに悶絶していたあの日々が今報われたというわけか。
口を開け倒れているクロードの顔面になまえは手を翳す。呼吸は規則的だ。このまま放っておいても大丈夫だろう。本当にごめんねとなまえは魘されたように呻くクロードへ謝罪し、悪いなぁと思いつつもクロードの懐から頂戴した傷薬を服用した。負傷した方の肩を回し手の感触を確かめる。この分なら剣を握るに支障はないだろう。ぐっとつぶった瞼を上げ剣を握る。遠くから聞こえてくる鈍器がぶつかり合う激しい音に外套を翻した。その直後だった。
「…っ!!?」
身の毛がよだつ悪魔の襲来になまえは剣を犠牲に自身を守ることで精一杯だった。
希望が潰えた。まるで絶望の縁へと叩き落とされたような気分だ。悲鳴をあげることすら出来なかった。考えるよりも先に動かなければ間に合わない。潰しにかかるような力の圧を上手く受けながらし、次の一振を間一髪で地面を転がり避ける。きっと今まで倒されてきた盗賊達も私と同じ気持ちだったのだろう。痺れたように全身が震え、迎え撃つ体制が整う前にベレトさんは間合いを詰め隙を突いてくる。体を大きく捻り攻撃を避ける。行動全てが使い捨て。二度も同じ攻守が通らないことは傭兵時代に重々この身で学んでいる。当たれば1発で離脱させられる。普段は穏やかな顔しか見せないベレトの冷えた傭兵の顔に命が震える。感情の読めない表情は悪魔と言うよりも命を狩りに来た死神だ。
穏やかな顔に慣れ親しんできたが故に忘れかけていた古傷が防衛本能を掻き立てる。剣の軌道を先読みしながら当たる寸前で回避を繰り返す。だが避けるばかりでは戦況は変わらない。もうここしかない。なまえは覚悟を決め転ける恐怖に臆することなく身をかがめ懐へと飛び込む。一か八か。まるで裸で焚き火に飛び込むような愚かな行動を取ったなまえにベレトは剣を振り上げる。恐らくなまえを叩き潰す算段なんだろう。緊迫した状況が最高潮へと達しかけている。だが忘れてはいけないことが1つ、これは対抗戦だ。命を奪う行為は禁止されている。だが一寸で懐に潜り込む常人離れした速さと手練れの元傭兵がくり出すおよそ木剣とは思えない一撃の怖さを知っていたなまえは、『対抗戦』の三文字などベレト登場時にすっかり頭からとんでいた。
殺らなきゃ殺られる…!
剣を振り上げる姿が傭兵時代に何度も目にした命を摘む瞬間に重なる。眠たげな目がカッと見開かれ敵とみなしたもの全てを力任せに斬り殺していく様を何度冷たい機械人形のようだと形容したことか。頭の中は『死にたくない』で埋め尽くされ、無意識に相手の左胸に狙いを定める。少し考えればベレトと距離をとる方法は多くあったに違いない。しかし冷静さを欠いたなまえには敵意を殺意で返すことしかできないのだ。掌で揺らめく炎の魔方陣が桔梗色の瞳を愛おしく揺らめき焦がしていく。片腕を捨てることすら吝かではない。なまえはわざと剣をベレトへ弾かせ、生まれた隙を狙い淡い光を宿すしなやかな指をがら空きの胴へと伸ばした。
あと、もう少し…!
最短距離を狙い伸ばした掌でプツプツと火の粉を飛ばし衣服を掴む。手の甲に青筋が浮かび魔力が右手へと流れていく。今だ。グッと手に力を込め、汗を垂らすような熱風が互いの外套が揺れる。瞬きを憚る緊迫した場面。ごおっと炎が体を巻いた次の瞬間、
「うわっ!!……いったたたた!!!」
コンっとだるま落としのように足が地面から離れ、砂時計をひっくり返すように世界が180°回転した。恐らく加減はされていたのだろうが、それでも魔法陣を散らす力で捻られたことは間違いない。防具に包まれた無骨な手が手首を捻り上げている。
教わった年数は違えど共にジェラルトさんに手解きを受けた身、次に相手がどう動くかなど手に取るようにわかっていた。だからこそなまえは地べたに座り込んだまま喉を締めたような唸り声をあげ反撃することもできないでいる。小さな傷が目立たつなまえを見下ろしながらベレトはこれ以上彼女が苦しまないよう先手を打つ。後頭部を片手で掴み痛みから解放され安堵した一瞬をつき地面へと顔面から叩きつけた。くぐもった悲鳴が雑草に吸い取られ騒がしかった四肢はペタリと弛緩し痙攣すらない。ベレトはそっとなまえの頭から手を離しわかりきった結果を確認することなく外套を翻し立ち去ろうとした。
だがいつまでもベレトの背に守られているなまえはとうの前に死んだ。悔しさを糧に一回りも二回りも力を求め負けず嫌いに育った少女は誰よりも逞しく諦めが悪かった。力強く地を蹴り剣を拾い上げたなまえは勇ましい雄叫びをあげ真っ直ぐにベレトへと突っ込む。
一年間、無意味にジェラルトさんから投げ飛ばされてきたわけじゃない。頭は痛いし視界だってものの境界線が歪んで見える。だが立ち上がってしまったからには何の爪痕も残さずベレトさんを前線に向かわせるわけにはいかない。せめてかすり傷でもつけなければ。青獅子の1人として殿下の負担を軽くせねば。
掠ってもいい。少しでも傷をつけろ。なまえは打数を武器に詠唱を省き使い慣れた魔法を乱発する。お願い当たってくれ。せつに祈りながら殺傷力の高い稲妻をベレトの頭上を狙って落とし続けた。しかしベレトは稲妻の落下地点を尽く見切り、華麗な足さばきで易々と躱し剣を弾き飛ばした。剣を失い魔力は枯渇し、それでもまだ抗う術を模索して苦しげに四つん這いで喘ぐなまえをベレトは静かに見下ろし、そして。
「すまない」
また立ち上がることがないよう真っ白に燃え尽きた頭を両手で掴み容赦ない頭突きでなまえの意識を強制的に飛ばした。石頭の強烈な一撃には流石の負けず嫌いも意識を保つことが出来なかったのだろう。目を回し地面に倒れた体へベレトは自身の外套を脱ぐと覆うようにかけてやった。体制を変え薄く開いた瞼を下ろしてやる。規則的な寝息を立てるなまえにベレトは自身の外套を脱ぐと覆うように掛け、狸寝入りした男子生徒へ2人分の傷薬を渡した。
「クロード起きているんだろう。悪いがなまえを医務室まで運んでやってくれ」
なまえの剣を拾い上げるベレトの背後でクロードはあっさりと目を見開き素直に体を起こす。反撃の意思は無いのだろう。ベレトになまえを頼まれ傷薬を服用したクロードは眠るなまえを担ぎ、名残惜しそうに去っていく背中をさすが灰色の悪魔、怖い怖いと羨望の眼差し寄せていた。
それから程なくして、鈍痛に頭を抑えながらなまえはムクリと上体を起こしたのだが、
「あらっ、先生も身内相手に派手にやったわね…ふふっ」
笑いを堪えているようで堪えきれていないマヌエラの膨れた頬になまえは目深に被った毛布を握りしめながら立派な勲章を授けた黒の外套を恨めしそうに歯軋りした。
長い時間気を失っていたらしい。医務室の寝台で目を覚ました頃には既に窓の外は暗く生徒の話声も聞こえなかった。私が眠っている間に対抗戦は終わったと聞いた。結果は言わずもがな、黒鷲の勝利で終わったらしい。額が破裂したかのような鈍痛で目を覚ました私はマヌエラ先生から受けとった手鏡を見て悲鳴をあげた。本来なだらかなであるべき額がぷっくりと風船のように膨れた惨状を前に誰が平静を保っていられるだろう。クロードが私を医務室へ運んだ時は額は赤く火照っていただけらしいが、時間が経つにつれて腫れてしまったらしい。傷が開いているわけではないため回復魔法の効果は薄く、魔法が根付く世界でありながら腫れ物の対処法は世界共通だ。マヌエラ先生から渡された氷袋を額に当て氷菓子特有の頭痛に耐えながらつけたり離したりを繰り返す。早く腫れが引いてくれないだろうか。マヌエラに笑われながらも額の膨れ具合を触りながら確認しているとなまえは壁にかかった古時計の鐘の音に大きく体を揺らした。
なんてこと、短針はゆうに五時を過ぎているじゃないか!どおりでお腹と背中がくっついているわけだ。なまえは慌てて寝台から足を下ろす。うかうかしていたら食堂が閉まってしまうからだ。しかし「まだ動いちゃダメよ!」とマヌエラの制止を受けなまえは一度は足を寝台へと戻した。しかし日を跨ぐ前に何か胃に詰めないと発狂してしまいそうだと、鬼気迫る表情で『今すぐ胃に何か詰めないと朝まで空腹なんて耐えられません!』と強く訴えマヌエラの言葉を斥けた。医者の立場としてはなまえを安静に眠らせるべきなのだろう。だが負傷した腕もほぼ完治に近く、腹を鳴らし何としてでも食堂に向かわなければと確固たる信念を抱いた少女は正直自分の手に余る。生憎彼女のように食に貪欲な怪我人は初めてで医務室に備蓄品はない。秘蔵の酒を除いては。
なまえは自身の外套についた被り物を目元まで下げると呆れ顔のマヌエラに手を振り医務室から飛び出す。柱に体をぶつけながらできるだけ人に会わないよう狭い道を風のように駆ける。途中横を通りすぎる人々から「走るな!」と何度も注意が飛んだが、なまえはごめんなさいと平謝りするだけで反省した様子はない。それどころかどんどん速度を上げ大修道院を疾走し、謁見の間を横切った直後階段を飛び降り見事な前転で着地した。滑り込んででも注文の列に並んでやる。この際余り物でも構わない。疲れきった体に鞭を打ち腹部から真っ二つに折れそうな強い空腹を満たすために、残り時間あと僅かな試合に全力をかけた、その時だ。前方から突如現れた頑丈な壁に衝突しふわりと被り物から髪がはみ出た。「わっ!」と踵が斜めに傾き転ぶと認識した直後、軽々と体を抱き止めた手は安心するほどに大きく、抱いた一瞬の恐怖すらかき消してくれた。
「すっ、すみません!急いでたもので!!怪我は!?」
「…怪我はない。平気だ。…なまえか?」
「……あれ、その声はドゥドゥー?」
聞き覚えのある抑揚のない低い声になまえは丁度瞼の上まで浮いた布端に気づき慌てて端を引き下げドゥドゥーから距離をとった。ドゥドゥーは堅実な人だ。きっと腫れ上がった額を見てもマヌエラ先生のように笑ったりはしないだろう。だが女子として恥態を晒して歩くのもみっともないし、青獅子には平気で傷を晒して歩く野生児がいると噂を立てられては学級の気品が下がりかねない。
軽く挨拶して別れよう。なまえは手短に会話を切り食堂の方へ再び足を進めるつもりでいた。しかしドゥドゥーの後方をなまえが見た途端ドゥドゥーはなまえのしまった首周りを摘み上げ『すまない』となまえの肩と膝裏に手を回し軽々となまえを抱き上げた。突如地面から離れた二本の足になまえは瞬きを繰り返す。これはいったい何の冗談だろうか。説明もなく食堂とは違う方向に歩きだすドゥドゥーに慌てて「食堂に行くから!!下ろしてく!!!」とドゥドゥーの腕をポコスカと叩く。しかしドゥドゥーはなまえの訴えに聞く耳持たず、どんどん食堂から離れていく。
「…皆お前を待っている」
暴れる私へ落ち着かせるように彼はそう言った。しかし皆とは誰のことを言ってるのだろう。暴れても逃げ出せる気配がしない。抵抗をやめ大人しくドゥドゥーに運ばれ青獅子の学級前で降ろされる。閂をかけ扉を施錠した他の学級とは違い青獅子の学級だけは施錠もされておらず暖かい光が入口から漏れ出ている。授業中かと尋ねたなまえにドゥドゥーは無言のまま扉を見つめている。寡黙も時には考えものだ。ドゥドゥーの顔色を確認しながらそーっと教室の中を覗く。日が落ち自室に戻っている生徒が大半であるにも関わらず教室内では多くの生徒が和気藹々と教卓の前で談笑している。何をしているのだろう?
「……入らないのか?」
「入ってもいいの?」
ドゥドゥーに促されなまえは恐る恐る学級へと足を踏み入れる。なんて声をかけたらいいだろう。対抗戦お疲れさまでした、とか?そんなつまらない一言のためにこの楽しげな空気を壊すのはなんだか申し訳ない気がしてくる。落ち着ける場所を探して隅に体を寄せる。すると名を呼び手を挙げたディミトリになまえは周囲の視線に萎縮しながらもディミトリの元へ向かう。
「目が覚めたようだな。体の調子はどうだ?」
「ほ、ほとんど治っているので大丈夫です。お気遣い感謝致します」
こう見えて私も元傭兵の1人だ。少し痛身が残る利き腕を誇らしげに叩けば殿下は逞しいなと笑いながらも『無理はするなよ』と言葉を添えた。流石は未来の指導者。気遣いができるいい人だ。もしこれが先輩なら『んじゃ薪割り頼んだぜ!』と仕事を押し付けていくだろうに。
優しい人は殿下だけじゃない。アネットにメルセデス、その他口々から寄せられる温かい声に緩みそうな涙腺を引き締めグッと喉に力を入れる。辛いことも痛いことも多い世界だが、その分人の温かみが心に染みる。困ったことがあれば手でも足でも身体でも貸すと殿下の背後からヌルりと現れたシルヴァンさんの軽口のおかげで緩んだ涙腺はキュッと引き締まったが。軟派な人だなぁ。イングリットに回収されていくシルヴァンさんへありがとうございますと手を振り下手くそな笑顔でやり過ごす。同じ学級に所属するもの同士私としても仲良くできればの思ってはいるがクロードとはまた違った距離感に困惑してしまう。普段からこうなのか、シルヴァンと呟き殿下は頭を抱えていたが、直ぐに彼は手を打ち周囲の注目を自身に惹き付けた。
「さて、主役も来たことだ。歓迎会をはじめるとしよう」
「歓迎会?」
誰の?なんて野暮な質問はしなかった。石壁に垂らされた弾幕に書かれた『ようこそ青獅子の学級へ』の文字を見れば聞く必要などない。嬉しさのあまり声がでなかった。口を押え感極まったまま直立していると不届き者を静粛し終えたイングリットが「なまえが青獅子に配属が決まった日から皆でこっそりと歓迎会を企画していたのよ」と教えてくれた。それから彼女は「まだあるのよ!」と教卓へと誘導した。教卓前には長椅子が寄せられており、そこには所狭ましと大皿の山が並んでいる。肉に魚、お菓子まで、ざっと見ても1週間分の料理の山に忘れかけていた食欲が暴れ出す。これは日頃から頑張っている私へのご褒美に違いない。
「おいしそう…」
燻製の良い香りに溢れる唾液を呑み込む。これはなんだろう。ちらほらと食堂では見かけない料理も混ざっているが、どれも美味しそうなことに変わりない。
「料理は僕とドゥドゥーが用意して」
「部屋の飾りはあたしとメーチェが作ったんだよ!」
皆の協力で開かれた歓迎会に感動のあまりうっかり流れそうになった涙を袖で拭う。気に入ってくれたか?と殿下に問われ、私は喜びを乗せ「とても!」と言葉を返した。信じられない。大きな弾幕も豪華な料理も、こうして夜遅くに皆が集まってくれたことも。すべて私のために用意されたなんて嬉しくないわけが無い。これまで誰かを祝うことはあったけれど祝われることは滅多になかった。顔を覆っておいて正解だった。こんな時どんな顔をしたらいいか分からなくて、多分今人に見せられないような変な顔してると思う。
「遅くなってすまなかった。本来なら配属が決まった当日にするべきだったが、何分準備の時間が取れず節終わりまで延ばしてしまった」
「いえ!殿下が謝る必要はないです!それに突然配属が決まった私のためにこんな素晴らしい歓迎会を開いてくださるなんて夢にも思ってなかったといいますか。上手く言葉にできないほど感動してます。その、まるで自分の新しい居場所ができたみたいで…なんだか面映ゆいですね」
そう照れ臭そうに頬をかくなまえへディミトリは目尻を下げて、頼りない肩に手を置いた。
「お前はもう青獅子の一員だ。何かあったら俺たちを頼れ。友として仲間として、騎士道を掲げ共に歩んでいこう。いいな?」
友として、仲間として。青獅子の一人として。
ジェラルトさんやベレトさんとはまた違った信頼関係の構築に形容しがたい違和感を覚えた。しかしなんとなく、信念をもった彼らとならどんな苦境でも肩を並べ共に乗り越えられるような気がして、私は力強く頷いた。
早くしろと痺れを切らした男子生徒が殿下に構わず取り皿を配り始め、それを委員長気質なイングリットがムッと口を尖らせ注意している。一触即発か!?と身構えたが殿下はいつもの事だと慣れたように取り皿を2枚取るとそのうち1枚を私に手渡してくれた。お腹は空いていたが節度は知っている。周りの盛り具合と見比べながら上品に料理を取っていく。しかし遠慮しているのがバレたのか、鬼のように盛られた皿をディミトリから交換されるとなまえは嬉しそうに礼を述べ周囲の目など気にもとまらない様子で適当な席に腰掛けた。芸術的に積み上がった山を前に何処から崩そうかと幸せそうに眺めているなまえにアネットは「食べられそうになかったら言って!私が食べるから」と声をかけた。しかしなまえは大丈夫だとやんわりアネットの優しさを断ると勇ましくフォークを握り山を崩しにかかった。食べられる時に食いだめする変則的な生活に慣れきっていた。そのためこの量を食すことなど朝飯前だ。おかわりしてもいいだろうか。分厚い肉を口一杯に頬張り、次々と空っぽの胃に詰めていく底なしの食欲にアネットはメルセデスと共に食べる手を止め、遠くからその光景を眺めていたシルヴァンは「イングリットだ…」と言葉を漏らす。その小さな体のどこに詰められていくのだろう。見た目に反し次々と飲み込むように山を切り崩していくなまえの食べっぷりに丁度彼女の前を横切ったディミトリは歩速を緩めまじまじとその食いっぷりを凝視する。当然視線に敏感ななまえは顔をあげ「どうしたんですか?」と声をかける。そんななまえにディミトリは既に山の半分を制覇した猛者へ「良い食べっぷりだな」と賞賛し、丁度手に持っていた手付かずの料理を譲ろうとしたその時だ。
「ねぇ、なまえ。そんなに深く布を被っていたら素敵な御馳走もよく見えないわ〜」
100パーセントの善意だったのだろう。それっ!と真横からメルセデスが手を伸ばし、無慈悲に布を取りはらう寸前までなまえの思考は全て食事に注がれていた。故に視界が明るくなるまで少しもメルセデスの行動に反応できなかった。
「あらあら〜先生も容赦のない人ねぇ」
最後の悪あがきだと目にも止まらぬ早さでなまえは前髪で額を隠した。しかしメルセデスの一言にすぐ撃沈し、顔を隠すように机に伏せると恥ずかしさのあまり力なく唸った。いっそ笑ってくれ。自暴自棄になるなまえに対しディミトリは懸命に励ましの言葉を送った。しかし気にしてないと言えるほど軽い腫れでもない。
「腫れ物に良い塗り薬があるの。あとで塗ってあげるわ〜」
「うぅ〜…恥ずかしい」
ベレトさんめ〜!!
拳を握り何度も悔しげに机を叩くなまえをメルセデスは慰めるように背中を摩った。
額の腫れが収まるまでの間なまえの怒りは収まらなかった。しかし彼女の額がなだらかに戻った頃ぷっくら膨らんだ額を晒して歩くベレトの姿を見て、なまえは仕方がないなぁとメルセデスから貰った薬を譲ったそうだ。
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