羊皮紙の切れ端を握りしめ踊るように市場を歩くなまえの後をドゥドゥーは落ち着いた足取りで追いかける。啄むように店を覗き込んでは「ドゥドゥー!あれなんだと思う!?」と陳列棚に並んだ品々になまえは目を輝かせている。踵の高い靴を履いていながらもその鳥のような機敏さには2m近いドゥドゥーも手を焼かされる。見失いそうな影にドゥドゥーは無言でなまえを追いかける。しかしドゥドゥーはいつも通りなまえへと近寄ろうとして、嗚呼ここは敷地外だったと、1人分の空間を見繕い軽く腰を曲げ陳列棚を覗き込んだ。
ハンネマンが買い出し役としてドゥドゥーを選出した理由は彼の大柄な体格と人柄を高く評価したからだ。腕っ節で選ぶならディミトリに頼むべきところだが彼は何かと不器用だ。素直で見返りを求めず力仕事が得意、ドゥドゥー以上の適任はいないだろう。
今節の課題出撃で使う武具の買い出しを頼まれたドゥドゥーは捲った袖を下ろし購入品を書き綴った羊皮紙とお金を受け取った。太陽は空高く大地を照らし、温室の用事を済ませた後ドゥドゥーは出立の身支度を終え筆をとった。宛先は主君であるディミトリ。級長会議で午後は不在にすると聞いていた。自身も不在にする旨を紙に綴ったドゥドゥーはディミトリの部屋の扉の隙間に差し入れると大きな麻袋を握りしめ寄宿舎を出た。級長会議が終わる前に大修道院へ帰れるよう早歩きで市場を通り過ぎようとしたところ、背後から呼び止める声にドゥドゥーは足を止めた。

「こんにちはドゥドゥー。街へ買い出しに?」

手を振って背後からひょっこりと現れたなまえは腕に猫を一匹抱えていた。なんでも烏に襲われていたところを助け震えが落ち着くまでの間ずっとあやしているらしい。黒い制服には白い毛がびっしりくっついている。しかし彼女はそれを気にするような素振りはなく、猫ばかりに気を向けている。

「ハンネマン先生に買い出しを頼まれた。…これから街へ買出しに行く」
「…あの、もしかして一人で?」

なまえはキョロキョロと辺りを見回し人影を探す。ディミトリの姿を探しているのだろう。なまえの中で構築された人間関係図ではドゥドゥーの隣はディミトリで、ディミトリの隣はドゥドゥーと位置づけられている。剣と鞘、苺が乗っていない洋菓子のような不自然な光景を前になまえは静かに瞬きを繰り返す。
一人で買い出しに向かうドゥドゥーになまえは「私も行きます」と気のいい門番に猫を渡しドゥドゥーと共に城門をくぐった。なまえの突飛な行動にドゥドゥーはハンネマン先生に頼まれたのは俺だからとなまえに大修道院へ留まるよう提案をしやんわりと同行断ろうとした。しかしなまえは聞く耳を持たず「さぁ!早く行こう!」とドゥドゥーの腕を引き先導して歩き始めた。街にたどり着くまでの道中、ドゥドゥーは何度もなまえに帰るよう促した。しかしなまえが回れ右して帰ることはなく、街に着いた直後年相応にはしゃぐなまえを追いかけているうちにドゥドゥーは主君よりも頑固そうな少女の説得を諦めてしまった。

街を一通り散策し頼まれた武器を涼み台に降ろした2人はドカッと長椅子に腰かけ足を伸ばした。楽しかったですねと満足気な顔で背もたれに重心を傾けるなまえの隣でやはり一人分の距離をあけてドゥドゥーは座り、そうだなと素朴に相槌を打つ。つま先を空に向け背を伸ばし、誘発される大きな欠伸を手で塞ぐ。

「…眠いのか?」
「少しだけ。最近ベレト先生に指導してもらってて、つい寝る時間を削って勉強してしまうんですよね」

文字を学ぶ傍ら、戦術を学ぶ一環で始めた盤上遊戯がそれはもう楽しくて楽しくて。まだ一度もベレト先生に勝ったことはないが、どの一手が敗北に繋がるか、どこに駒を置けば形勢逆転の糸口になるか、細かく反省する中で見えてくる新たな一手は指揮の技量を高める上でも重要になってくる。戦術を学ぶにあたって大切なことは勝つことだけではなく敗北の種類を選ぶこと。つまりどこまで被害を最小限に止め白旗を振るかということだ。娯楽品の代名詞でもある盤上遊戯がここまで奥深い遊びだったとは知らなかった。すっかり盤上遊戯の虜となりベレト先生が教えてくれる一手一手を着実に吸収し堅実に成長していると思う。だが、『学びの本質でもある体を酷使しては知識も頭に入らない』『努力も大事だが体を休める以上に学ぶにあたって大切なことは無い』とドゥドゥーに窘められなまえは全く彼の言う通りだなぁと2度目の欠伸をこらえた。
ハンネマン先生が書き留めた備品名と数を購入品と照らし合わせながらレ点を打つ。そして全て買い揃えていることを確認し終えた私たちは運搬物を二つに分け、私は弓と手籠、ドゥドゥーは残りの武器を背負うよう分担した。数的にはお互い均等だが武具の嵩張り具合から見るとドゥドゥーの方が運びにくいだろう。どうせ腰に下げるから剣は私が運ぶと伝えたのだが「…適材適所だ。弓と手籠を運んでもらうだけでも十分だ」とドゥドゥーは頑なに譲らなかった。

今日はいつになくドゥドゥーの顔が遠いな。
大修道院への帰り道。日頃からドゥドゥーが拘っている一人分の空間が気になって私は好奇心に任せヒョイっと距離を詰めてみた。すると無言で詰めた分だけ距離を離したものだから嫌がらせのように私は再度ドゥドゥーに近づいた。嫌われてはないと思う。だが言葉に表せない不信感が私の中で積もっていく。街についてからずっと、ドゥドゥーの他人行儀な態度が引っかかっていた。大修道院でも距離をとられることは多々あったが、ここまで露骨に距離を取られることは1度も無かった。対抗戦ではその広い背中に守ってもらい、歓迎会では教室まで運び運ばれた仲だ。信頼関係は築かれていると思っていた。近づいたり離れたりを繰り返すドゥドゥーが私のことをどう思っているのか、硬い表情を見つめてもちっとも分からない。ベレトさんで培った察し上手もベレトさん相手じゃなきゃ上手く発揮できない。殿下ならドゥドゥーが何を考えているのか分かるだろうか?弓を担ぎなおし、ベレトさんに負けず劣らず凝り固まった表情筋を見上げていた時だ。まるで春雷のごとく背後から浴びせられた怒号になまえは抱えた手籠を落としかけた。喧嘩か?ただならぬ空気になまえは足を止めようとした。しかし隣から「とりあうな」と小声が聞こえ、言われた通り前を見続けて歩き続けているとまた背後から「おい!逃げんじゃねぇよ!!全く、士官学校のお偉い坊ちゃん嬢ちゃんはどんな教育受けてんだ」と特徴を捉えた罵り言葉になまえはチラとドゥドゥーに次の行動を仰いだ。
なにやら面倒臭いことに巻き込まれたらしい。ドゥドゥーの足が止まり私も真似をしようとするが「なまえ」と傷だらけの大きな手が私の背中を押した。

「先に大修道院に帰ってくれ」

固く険しい表情が私の知らない悲しみを語っている。不躾に絡んできた比較的身なりがいい中年男性は海を割いた聖人の如く争いの匂いを嗅ぎ付け群れる人々を端へと追いやり、露店が連なる狭い通りに細い道をつくった。厚顔無恥を勲章のようにふてぶてしく自らの痴態を晒し歩く様になまえは顔を引き攣らせる。これまで多くの下品で面の皮が厚い人間達と退治してきたが、周囲から寄せられる冷ややかな視線を浴びながらも前傾姿勢で突っかかってくる神経の図太さには呆れて言葉も出ない。自己中心的な金持ちも皆気品だけは捨てていなかった。あの男はそれ以下に値する屑だ。

「薄汚いダスカー人め。よくもおめおめと汚い面を晒し神聖な大地を歩けたものだ!!」

強い口調で指を振る男にドゥドゥーは頷きも肯定もせずただ忙しなく口を動かし続ける男を冷静に見下ろしている。とても知り合いには見えない。だが2人がどんな関係か具体的に分からないため第三者は黙って一方的な喧嘩を見守ることしかできない。癇に障る言葉の羅列になまえは奥歯を噛み締める。無知な私には男が何度も発する『ダスカーの悲劇』という単語にピンとくるものは無い。だが男が怒りを抱く相手がたとえダスカー人全体だとしても、それをドゥドゥー個人にぶつけるべきではないことは間違いない。丸めた指に力がこもる。黙って相手の言葉を聞き留めるドゥドゥーの代わりに言い返してやりたい気持ちが募っていく。だが十分に話を把握できない私がでしゃばっても余計に話が拗れてしまうだけだ。上唇を軽く噛んだ。周りから仲裁者が生まれる気配は感じない。それどころか自分達には関係ないと顔を背けている人達ばかりが私たちを囲んでいる。
どうしてドゥドゥーも言い返さないのだろう。遠くを見つめ険しい表情で男を見下ろすだけのドゥドゥーを見ていると歯痒くて、歯痒くて。喉で詰まった感情の塊を吐き出さないように蓋をして抑えていたが、いつまでももごもごと動き続ける口が見苦しくこれ以上黙ってなどいられなかった。

「あの!!!」

ドゥドゥーと男の間に割って入る。長身の男を庇うように野蛮な人間の前に立つ背の低い少女はこの場にいる誰よりも勇ましく怒りに震えていた。

「彼の事を知りもしないで、一方的に罵るそのみっともない行為を今すぐやめてください」

なまえは恐ろしく冷静だった。今の彼女なら間違えることなくスラスラと素数を唱えることだって難しいことではない。

「なまえ」
「ドゥドゥー止めないで。友達を傷つけられて笑っていられるほど私薄情じゃないです」

ドゥドゥーが私に何を言いたがっているのか、そんなこと100も承知だ。余計な口を挟むな、言われても仕方がない。けれど、どうしても私は口を挟まずにはいられなかった。
堂々と視界に割り込み生意気に異を唱えた少女を男は額に皺を重ね、赤い顔を更に濃い赤で塗り重ねた。

「なんだてめぇ。ダスカー人を庇おうってのかぁ!?」

男は躊躇いもなくなまえの胸ぐらを掴み上げた。短絝に挟んでいた襯衣の端が露出し、抱えていた荷物が盛大に地面へ落ちる。嗚呼、せっかく値切って買った新品の武器が買って早々土埃に汚されてしまった。

「餓鬼は引っ込んでろ!!」

許さない。ドゥドゥーのことも武器のことも。胸ぐらを掴む男の手首になまえは両手を添える。誰が相手だろうが関係ない。突き飛ばされる前に捻って折ってしまおうかと、白い笑顔を捨てグッと手の皮膚を引き伸ばしたその時、

「なまえ…そこまでだ」

男の手首を捻る寸前でドゥドゥーが私の手首を掴み「帰るぞ」と呟いた。言われっぱなしでいいのか、私は納得がいかない。勿論種類問わず喧嘩は避けたい。でも言われっぱなしじゃ悔しいじゃないか。友達に向かって一方的に酷い言葉で罵って、腕の1本や2本折らないと私は気が済まない。
戦おうよ。自分のために、無関係に罵られているダスカーの人々のために。けれどドゥドゥーは諦めたような陰鬱な顔で争いを鎮めると丁寧に男へ一礼し落としたままの武器を拾い集めた。
勇敢にも捨て台詞を吐いて足早に去っていった男の背中になまえはべーっと舌を出しふんっと鼻を鳴らした。なんだったんだあの男。不完全燃焼な感情に苛立ちながら落とした武器を回収していると争いを傍観していた人達が落とした武器を拾ってくれた。武器を受け取る度に伝えてくる『お嬢ちゃんかっこよかったよ』の言葉に私は複雑な気持ちでいた。かっこよかった、なんてちっとも嬉しくない。結局終始私たちは一方的に虐げられ反撃もしなかったのだから。
迷惑な男が去ると街は再び穏やかな賑わいを取り戻していく。活気ある声が飛び交う中、まるで先程の騒ぎがなかったかのような人々の切り替えの早さになまえは眉間に皺を寄せた。この街の人々は皆心が死んでいるのだろうか。ころころと強い者の背後へと回り込んでは強者に同調する狡猾さには吐き気が込み上げてくる。
いつまでも暗い顔で道の真ん中を塞ぐなまえにドゥドゥーはいつもと同じ声音で「行くぞ」と声をかけた。ゆっくりと歩き出すドゥドゥーをなまえは無言で追いかけ後ろを歩いた。隣に並ぶことを躊躇したのはドゥドゥーにかける言葉が出なかったからだ。
大通りを通り過ぎ人気のない狭い道を一列になって歩く。ガルグ=マク大修道院の正門が見えだした頃、これまでずっと無言で歩いていたドゥドゥーが急に足を止め、それに伴いなまえはビクッと肩を震わせながら足を止めた。

「頼む…不必要に俺に近づくな…ダスカー人と連んでいる所を見られたら、お前を不快にさせる」

拒絶するような目になまえは目を見開き、悲しげに俯く。しかしドゥドゥーが発した言葉にちっとも納得できないなまえは眉を八の字に曲げるとポツリと心の丈を述べる。

「…じゃあ、ドゥドゥーは誰と話をするの?誰に背中を預け戦う気?」

真っ直ぐに輝く純粋の塊が優しく語り掛けるように瞬く。

「私は歴史に疎いからあの人が何故怒っていたのかもダスカー人だから近づかないでくれって言葉の意味もよく分からない。でもね…人は一人じゃ生きていけないよ。近づくななんて無理な話だよ」

目を閉じて思い出すのは私を拾ってくれたジェラルト傭兵団をのこと。素性も分からない怪しい身なりの私を傭兵団で保護し、衣食住と役割を与え、剣を学びたいと頼み込めば快く稽古をつけてくれた。例えばあの日、寝ぼけ眼を擦りる私を傭兵団ではなく山賊が見つけていたら、私は今頃殺されていたか売り飛ばされていたかの2択だった。寝巻きで森を歩き続け餓死した可能性だって有り得ただろうし、あるいは獣の餌にされていたかも。
今こうして自分の足で立っていることは決して私一人だけの力じゃない。それはドゥドゥーも一緒。誰かの助けを借りながら生きている。お互い大きな問題を抱えながら、助け合って、今日を生きてる。

「ダスカー人が過去に取り返しのつかない過ちを犯していたとしても、ドゥドゥーは何も悪いことはしてないんだから距離をとる必要なんてない。だって貴方の名前はドゥドゥーでしょ?ダスカー人じゃない」
「…理屈はそうだが。周りはそうは思はない」
「誰がなんと言おうと私はこれからもドゥドゥーの隣を歩くよ。対抗戦の時、私のことを守ってくれたでしょ?自分の身を呈して他者を守れる人が悪人のはずがない」

ドゥドゥーが言うように、年単位で深く根付いた価値観や周囲の認知はそうすぐに変えることは容易ではないだろう。多くの村を巡り人の嫌な一面を嫌という程たくさん見てきた。虐げられる大勢の人々も。けれど現状を変えたければまずは自分から周囲に働きかけろ、そう私はジェラルトさんから教わった。

「周りが認めてくれないなら少しずつ認知を変えていくしかない。その1歩を私たちから始めようよ。いつか互いに手を取り合う日が来る為にね。…あの人みたいにダスカー人のことを心底嫌っている人もいる。でも私はドゥドゥーもドゥドゥーが作るダスカー料理も好きだよ」

だからそんなに自分を卑下するなと諭すなまえにドゥドゥーは深く息を吐き少しだけ表情筋を弛めた。穏やかな表情だった。微かだがドゥドゥーと距離が縮まったような気がした。

「…優しいな、お前は」
「そんなことはないと思うけど」

重たい話は終わり。さあ早く大修道院に戻ろう。お腹すいた。
褒められた恥ずかしさを隠すようになまえはドゥドゥーの背中を押して歩く。凹んだ腹を鳴らしながら今日は何を食べようかと食堂のメニューを呟くなまえにドゥドゥーは背を押されながら優しすぎる級友に向け静かに瞼を下ろす。

「感謝する」

その小さな言葉は果たしてなまえに届いただろうか。カランカランと中古品となった武器をぶつけながらなまえは大修道院の門をくぐり猫と戯れる門番に向かい『ただいま帰りました』とドゥドゥー共に大きく手を振った。