悲鳴のような高い雄叫びで朽ちた塔を激しく揺らした獰猛な魔獣は、女神から賜りし怒りの剣で心臓を砕かれた。鱗と筋肉に覆われた体を易々と切り裂いた英雄の遺産『天帝の剣』。回収された破裂の槍同様に通常の武器とは異なる独特な雰囲気に包まれたそれは遠くから眺めているだけでもまるで四聖人の像を眺めているかのような神々しさになまえの心臓は震えた。
ベレトが握ることにより天帝の剣はまるで命を得たかのように橙色へ発光し、力強く振ることで鞭のように刀身を伸ばしあらゆるものを薙ぎ払う。圧倒的な威力にねじ伏せられ人間として息を引き取ったマイクランの遺体に布をかけながらなまえは生徒に囲まれ労をねぎらうベレトを不安げな目で眺めていた。英雄の遺産は女神から授けられた力だと授業で教わった。教科書通り頼もしくも恐ろしい力であることを目の当たりにして心が振るえないものはいないだろう。
シルヴァンとの約束は果たせた。魔獣化したマイクランを人の形で回収できたことになまえは安堵し、自身もあの賑やかな集団へ混じり喜びを分かち合いたいと思っていた。しかしどうしても引っかかることがひとつ。
天帝の剣が空間ごと切り裂くように刀身を伸ばし魔獣の体を切り裂く寸前のこと。カッと光が濃く色づき魔獣の肉を裂く光景に血の気が引く程の炎のような激しい怒りを感じたのは単なる私の気のせいだったのだろうか。紋章適合者とはいえあれには触れたくない。おいでと手招きするベレトへなまえは気乗りしない足取りで労いの言葉を貰いに行った。カタカタと揺れている銀の首飾りを強く握りしめながら。

「ふーん。それで破裂の槍はその後どうなったんですか?」
「無事に盗賊の手から回収されて、教団経由でゴーティエ家に返還されたみたい」

そして遺産がゴーティエ家に返還されてすぐシルヴァンが実家に呼び出されて破裂の槍を正式に継承する事になったのだが、継承に際して箔をつけるためとか何とかでシルヴァンと縁が深い1部の青獅子の生徒が盗賊討伐に駆り出されるとは思いもしなかった。せっかくの私の日曜日が…まぁでも新しい兵種を試す場としてはちょうど良かったから、予定外の出撃に文句は言わないけど。
石畳に置いた小枝に向かいなまえは掌を向け念じるように閉じた瞼を震わせている。動けぇー!と心の中で呟きながら何度も魔法陣を展開した。しかしその度に破裂した魔力の光が綿毛のように訓練場の空へと飛んでいく光景をなまえはガックリと膝を着き、それを横目にリシテアはまだまだ集中力が足りませんねと視線を本に降り注ぎ片手で禍々しい魔法陣を描いている。
課題出撃から帰還し疲れが溜まったまま角弓の節を迎えまた青獅子の生徒として日々研鑽を積んでいる。転移魔法を習得する最中、なまえはハンネマン先生に勧められ受験した中級資格試験で見事メイジとプリーストの資格を取得した。そして現在傭兵の資格獲得に向けた勉強を進めつつも転移魔法の完全習得に向け励んでいる。
これもプリーストの資格試験勉強の賜物か。セイロス経典第一章で躓いていた頃に比べるとリシテアの指導のもと最終章までようやく理解が追いつき実践練習では掌程の魔法陣を展開することができるようになったのだが、未だ肝心の物体移動は一度も成功していなかった。ここから転移理論を基盤に魔力を精密に具現化し魔法陣伝いに物体を遠方へと移動させる。そして転移魔法を習得次第さらに理論を深堀し、術者を除く物質の一定距離間での転移から術者を含めた物質の長距離転移へと発展させ元の世界に帰る。これが今考えられる家に帰るための最短手段だろう。転移魔法が術者を移動させる魔法じゃないとリシテアから説明を受けた時はまさかそんな落とし穴があったとはと軽く落ち込んだものだ。けれど自ら魔法を改良すればできないこともないと聞いて少しやる気が出た。遠回りにはなりそうだがまだ家に帰る手段が絶たれたておらず、それどころか使えそうな方法を見つけることができた。ようやく希望が見えた。まずは小さく軽いものから転移を成功させ、それから少しづつ重量を増やし最後は私自身を元の世界へ。まずは小枝を移動させてみなさいとリシテアに課題を出されなまえは意気揚々と制服の袖を捲り上げた。これがプリーストの資格取得で得た力だ!意気揚々と小枝に向かって魔法陣を展開し1m先に移動する小枝を頭の中で想像する。そして勇ましい雄叫びに乗せ浅い溝に水が溢れないよう魔法陣へと魔力を慎重に注ぐのだが、

「動きませんね」
「…何が足りてないというの」

そんな簡単に動いたら上級白魔法の名が廃るとでも言わんばかりにピクリとも動く気配のない小枝になまえは納得のいってない顔で右の掌を見つめる。理論はできているはずなんだ。信仰心も人並み以上にあるし、魔法陣に歪みもない。魔力量の問題なのかと転移魔法をいち早く習得したリシテアに尋ねると彼女は得意げに魔力量から精密性、魔法陣の大きさや魔力を流す速度等を長々と指摘したが、結局は集中力が足りてないからだと結論づけた。細かいことを色々と考える前にまずは魔法と真正面から向き合えということなんだろうか。そう言われたらライブやリザイアを習得する時は理論と言うよりも感覚で魔法陣を編み対象物の効果を見ながら魔力量や陣の大きさを調整していた気がする。書庫で転移魔法を教わっていた時も私は頭より感覚で学んだ方がいいとリシテアにも言われていたし、やはり魔法の上達は何事も感覚ということか。これまで十分頭で考えて魔法陣を編んできた。ここからは感覚と回数で習得するしかなさそうだ。…習得も、元の世界への帰還も、これはまだまだ先が長そうだ。

「ところでリシテアは今日も闇魔法の勉強?」
「勉強って…なんか釈然としない言われような気はしますが、まぁそんなところです」

今日のとこはここまでにしよう。
なまえは飽きたとばかりに転移魔法の本を閉じると興味津々に、本を睨みつけるリシテアの背後へ回り中を覗き込んだ。また今日も難しい本を読んで勉強熱心なものだ。全く理解できないな。

「今度は何の魔法を習得するの?」
「ダークスパイクτ」
「だーくすぱっとタン」
「全然言えてないです。アンタ本当にメイジの資格とったんですか?」
「メイジの資格試験は実技の点数に重きを置いてるからね!」

再度リシテアに魔法の名前を聞いてみたけれどあまり聞き馴染みのない音に復唱することを諦めた。舌がつりそう。リシテアの頭と実力を持ってしても難しい魔法なのかとなまえは本文と同じ熱量で書き込まれた中身を見つめているとリシテアは少し苛立った様子で本を閉じ、集中したいからあっちいってと邪険に追い払った。まったく、無愛想なんだから。
やれやれとリシテアから離れ訓練所の壁際に放置された羊皮紙の束に目をつける。あれはリシテアが運んできた闇魔法に関する…そういえば日頃から闇魔法は難しい、黒魔法より扱いに癖があるとリシテアから敷居の高い魔法だと語られてきたが実際に手に取って学問に触れたことは無かった。ちょうどいいや。気分転換にリシテアの手描き魔法陣でも眺めますか。

「リシテア、これ見てもいい?」
「別に構いませんよ。見てもどうせ理解できないと思いますが」
「ありがとー」

リシテアから閲覧許可をとるとなまえは柱にもたれかかるように座り早速羊皮紙の1枚を巡った。羊皮紙の上端には『ドーラΔの理論』と端的な題名が記され、彼女が言った通り理解に苦しむ煩雑な図や方程式が整然と羊皮紙に書き記されていた。彼女の性格を体現した文字と歪みの無い作図になまえは感嘆しながらドーラΔについて書かれた羊皮紙の束を握ると膝の上に置きじっくりと目を通していく。ドーラΔ。無数の禍々しい正方形を圧縮し生み出した黒い霧のような塊を相手に放つ魔法。リシテアが鍛錬する際に必ず最初に放つ闇魔法だ。一般的に黒魔法とは、翳した掌から真ん中を丸くくり抜いたような魔法陣を描き、標的物に向け掌から押し出すように魔法を放つ。それに対して闇魔法は中央に目を象った幾何学な魔法陣を地面に描き標的物に狙いを定めるだけで自動的に魔法が発動するそうだ。日常生活での汎用さや戦闘面における扱いやすさで比較したら間違いなく黒魔法が優れているだろうが、単純な威力で比較したら闇魔法一択だ。青獅子で白魔法と言えばメルセデス、黒魔法と言えばアネットの独壇場と化しており、剣と魔法の両刀使いの立場としては自分だけの強みが欲しいと悩んでいたところだった。2人と差別化を図るためにも色々新しいことに挑戦し自分の強みを作っていきたいが、その足がかりの一つとして闇魔法に手を出すのはだいぶ無謀だろうか。
見たことの無い理論ばかりだなぁとなまえは挿絵ばかりに目を向けながらペラペラと頁を捲る。既に興味を無くしたのか、彼女は拳大に開きそうな唇へ力を入れ睡魔と抗っている。リシテアはよくこんな暗号のような理論を理解し魔法として応用しているものだ。なんて読むかも分からない子供の落書きのような記号が複雑な式を展開するにつれて増えたり減ったり消えたり現れたりと。あ、でも。この部分はなんとなく理解できるような気がする。右辺と左辺の記号をまとめる為にαを左辺に移して、邪魔なものを括弧で纏めた後、最小点を求めるために両辺を微分する。右に作図した放物線を3つに場合分けした後、それぞれを計算して求めた解が上記の理論を証明することになり、結果として闇魔法の根幹を構成する理論の1つを証明することにも繋がっ…

バチンっ!!

「どうかしましたか?」
「ん?なんっ、でもないよ。ただちょっと眠気が襲ってきたから自分に喝を入れるために平手打ちしただけ」

眠気どころか意識も揺らぐ自身の強烈な平手打ちの跡を擦りながらなまえは散らしてしまった羊皮紙の束を1枚1枚頁番号を揃えながら拾う。少し砂で汚れてしまった。後で謝ろう。リシテアに気づかれないようこめかみから流れる汗を拭ったなまえは未だ眼球の奥が小刻みに揺れているような不快な感覚にグッと瞼に力を入れ目頭を揉む。寝不足、なんだろうか。文字が二重に見えてる。
一気に気力を吸い取られたような、疲れていると言うよりも疲れさせたというような感覚になまえはその場に座り込むと怖いもの見たさで拾い集めた羊皮紙を叩き軽く揺らして1枚の板のように立てた。わざと文字から目を逸らし羊皮紙を掌で撫でてみたが紙も印矩も文字すらも微力の魔力も感じとることはできない。たった数秒ではあったがあのおぞましい体験は絶対に気のせいじゃない。頭の中を掻き乱され放心した隙を狙って意識を乗っ取られかけたとでも言おうか。理解すると言うよりも理解させられている感覚。一種の刷り込みにも近い。

「なまえ、ちょっと手伝ってくれませんか?」
「いいよ」

羊皮紙を元あった場所におき両頬を叩きながらリシテアの元へ駆け寄る。何を手伝えばいいのかと尋ねると彼女は木の棒を5つ渡し等間隔で宙に浮かせて欲しいと言った。新しい闇魔法の攻撃範囲を確かめたいとかなんとか。なまえはリシテアから木の棒を受け取るとなるべく高く投げて欲しいとの要望に応え力いっぱい空へと投げた。等間隔で浮遊させたいってことはそれぞれの小枝に魔法陣を個別に展開させ吹き上げる風を生み出せばいいのか。なまえは投げあげた木の枝の位置を視線で測りながら掌を前に突き出す。木箱程の魔法陣を5つ同時に展開するなど訓練場を覆い尽くす魔法陣を展開することと比べたら造作もないはずだった。

「…あっ」
「きゃっ!!!」

特に何も考えず心のままに魔法を放ったはず。いや、少しだけ闇魔法の事を考えていたけれどそれが魔法の発動に作用するなんて有り得ることなんだろうか。突き出した掌から魔法陣が展開されず、体に巻き付く紫黒色に驚いたなまえは慌てて掌にかき集めた魔力を掻き乱し発動を止めようとした。しかし時すでに遅し。ギョロ目の魔法陣の上に立ち掌から真っ直ぐ放たれた魔法はなまえの意思を離れ真っ直ぐ訓練場の扉に向かって飛んだ。どうか誰も扉を開けませんようにと祈るように目を瞑った直後、数秒後に扉を開ける人物を予知したなまえは普段の何倍もの声量でその人の名を叫んだ。

「ベレトさんっ!!!!」

避けてと伝えるにはあまりにも時間が足りなかった。しかしなまえに名前を呼ばれた人物は扉を開けるやいなや視界を覆う紫黒色の塊に握っていた天帝の剣で容易く切り裂き、切り裂いた背後で口を両手で押え立ち尽くす少女に向かい複数回瞬きをした。

「…あ、あの。魔法が、勝手に発動しちゃって。当てるつもりは…」
「…吃驚した」
「ご、ごめんなさーい!!」
「刺客かと思って焦った」
「あの、決して狙って打ったわけでは…すべて不慮の事故で」
「ふーん。不慮の事故にしては随分と威力が高そうなドーラΔに見えたんですけど」
「えっ、ほんとに?」
「なんでちょっと嬉しそうなんですかアンタ」
「…つまりなまえは俺の命を密かに狙っていたのか?」
「違います!狙ってなどいませんから!!!」

でもあの時扉を開けた人物がベレト先生で本当に助かった。未完成な魔法とはいえリシテアの言うとおり威力はそこそこのっていた。もし生徒に被弾していたら最悪死んでいただろう。偶然闇魔法擬きを発動することに成功し、偶然人を殺めたなんて笑い草にもならない。今度から訓練場の扉に背を向けて魔法を撃とう。それか騎士団兵か訓練場の管理者がいる時とか。

「魔法の鍛錬をしていたのか?」
「はい。今日はもうこの辺でやめますけどね。ベレト先生はこれから鍛錬ですか?」
「ああ。普通の剣は振り慣れているが天帝の剣はまだ扱い慣れていないんだ。いざと言う時に使えなければ宝の持ち腐れだからな」

力を込めて振るうと伸びるんだと珍しく目を輝かせ自慢げに語るベレトになまえは共感を示すように相槌を打ちながらも時たまに怪訝な顔をちらつかせて赤橙色に輝く天帝の剣を不安げに見つめている。コナン塔の時と同じだ。胸がざわつく。触れてない。ただ見つめているだけ。なのに理由もなく犬が歯をむき出して威嚇されているような不快な気分だ。
そろっと足を引いて後退したなまえの顔色の悪さを指摘する者はいない。ベレトの思考は鍛錬後の食事へと向けられ、リシテアの興味はベレトが握る英雄の遺産へと注がれている。

「クロードから先生が天帝の剣を使えると聞いてからちょっと気になっていることがあるんですけど」
「なんだ?」
「英雄の遺産というのは通常、武器、紋章石、対応する紋章全てが揃った時初めて力を発揮する代物です。でも先生は紋章石が欠けているにも関わらず問題なく天帝の剣を使っている」
「そうなのか?」
「そうです」

自分が使っている武器のことくらい把握してくださいとリシテアに腕を組んで叱られてもベレトは相変わらず凹んだ様子もなく、何処を見ているかすらも分からない。

「なまえも炎の紋章を持っているんですよね?」
「私?うーん、ハンネマン先生からはそう聞いているけど。それがどうしたの?」
「もし先生が紋章石無しで天帝の剣が使えるなら、なまえも天帝の剣が使えるんじゃないですか?天帝の剣に限った仮説ですけど」

試してみませんか?ととんでもない発案をしたリシテアになまえは大きく目を見開いてリシテアを見遣った。

「あ、危なくないかな?ほら、触れた瞬間暴発したりとか!?」
「それはおそらく無いと思います。さっきも話した通り、英雄の遺産は武器と紋章石、紋章、この3つが揃って初めて力を発揮します。貴女が紋章を持っていようがいまいがただ握るだけで暴発するなんてことはありませんよ。闇魔法じゃあるまいし」
「うっ…」
「試してみるか?」
「え、」
「持つくらいなら問題ないと思う」

握り心地も普通の武器と変わらない。少し軽く感じるくらいだ。そう言って刃先を下に向け天帝の剣を差し出されたなまえは困ったようにベレトと天帝の剣を交互に見遣り奥歯を噛み締める。触れる資格がない者に英雄の遺産が赤橙色には輝かない。触るだけで魔獣化する訳じゃないことはコナン塔の一件から視覚的に理解してはいた。けれど、やはり私には無理だとなまえは嫌々伸ばした手を引っ込めると背中で指を組み合わせ本心を誤魔化すように笑った。

「あの、やっぱり遠慮しときます。コナン塔の一件で怖気付いたというか、なんだか私が触ってはいけない気がして、すみません」

天帝の剣に触れる事を拒んだ時リシテアが何か言ってた気がするが、私は眩暈を理由にそそくさと訓練場を後にし自室へと逃げ帰った。
あ、転移魔法の本、訓練場に置き忘れた。後でベレト先生が居なくなった後に取りに行こう。今は動けない。動きたくない。訓練場であの武器が彷徨いている間は。
銀の首飾りを握りしめ寝台に沈む。紋章を持たず破裂の槍を振るった者の最後をつい最近目にしてから自分もああなるのではと想像して怖気付いたというのは本心じゃない。
ただ、なんとなく。
私は触れるに足りる器じゃない。
そう思っただけ。