赤、青…黄色も似合うだろうなぁ。待って、あの髪色なら絶対に緑も可愛い。うんうん、絶対にそう。
鮮やかな色がよく映える濡羽色の一房を耳飾りが似合う耳に引っ掛ける所作がとても綺麗。長く密集した天然扇の睫毛は羽根ペンを置いても落ちることは無さそうだし、ピンッと伸びた背筋はあたしも見習わないと!
翡翠の瞳を輝かせるあの子もまたイングリット同様に化粧っ気がなくお洒落に無頓着だ。だからなまえの斜め後ろに着席する度にあたしはその手付かずの肌に白粉を叩きたくて仕方がなかった。なまえも素材が服を歩いているような女の子だ。元傭兵ともあって鍛錬に余念は無いけれど、先生同様にお茶会好き。ヒルダから貰った髪油で毛先を手入れしていると艶のある髪先をつまんで頬を緩ませたと思えば、前髪が伸びてくると、何度も切るのが面倒だからと平気で眉の上まで切ってしまうような女の子だ。なまえはお洒落に興味がないのだろうか。
風に靡く絹糸をあたしは頬杖をついては何色の髪紐が似合うかを想像する。決して押しつけはしない。以前配慮に欠けたお洒落の押し付けをイングリットにしちゃったことを反省しなまえに渡そうと思っていた化粧道具は今も部屋の棚で埃をかぶり行き場を無くしている。それになまえは元傭兵で、その生活が常に金欠と空腹を強いられていたことは本人やベレト先生から聞いている。あたしには絶対に耐えられない過酷な傭兵生活。今節は金欠だからと顔を真っ青にして泣く泣くお茶会を断る彼女の財布事情を承知している友人の1人としては『なまえもお化粧してみない?』と軽率に出費がかかる娯楽に誘う勇気はなかった。誘ったところで優しい彼女は財布の口を握りしめごめんねと申し訳なさそうに断る姿がゆうに想像ついたからだ。
とある日の早朝。おはよう。既に教室にいたなまえへあたしは挨拶をしようと挙げた右手の下げ時を見失った。茶葉は出涸らしが本番だと綺麗な親指を立てるあのなまえが、雑草という植物はないんだよととても綺麗な顔で揚げた雑草を食べていたなまえが、突然髪飾りをつけるようになった。小さな蒼玉を散りばめた可愛らしい白銀の髪留めがかきあげた髪の上で輝いている。彼女の小さな変化に教室が密かにざわついたのは言うまでもない。実はあたしにはあの白銀の髪留めに心当たりがあった。前にメーチェと女生徒の間で人気の雑貨屋さんを訪れた際に可愛いと思って目をつけていた物にそっくりだったのだ。すべて一点限りと店員が言ってたから多分なまえもあの雑貨屋を訪れ買ったのだろう。かなりいい値段だったと思うけどまさかあのなまえが。それとも誰かに贈ってもらったとか?無難にベレト先生かと思ったけれどお茶会用の茶葉をまとめ買いし先日から毎食自給自足に下唇をかみ締めているベレト先生に割ける予算は無いと思う。次に考えられる人物は彼女の父親ジェラルトさんだけど…雑貨屋さんに入る姿は全然想像つかない。まさか恋人からの贈り物!?あ、有り得るかも…と色んな方向へと妄想を膨らませ邪推を繰り返しているあたしに音も立てず影のように現れた本人は「お願いがあるんだけど…」と耳を疑うような頼み事をあたしにした。
「ごめんねアネット。一応化粧の手解きは昔受けたんだけどもう覚えてなくて。それに肝心の道具もないし、流行りの髪の弄り方も分からなくて」
「大丈夫!あたしに任せてよ!とびきり可愛くしてあげるから!!」
「ありがとう」
誰かから借りてきた短洋袴を履きメーチェと同じ着こなしであたしの部屋を訪ねてきたなまえはよろしくお願いしますと会釈し椅子に腰掛けた。化粧道具に化粧鏡、香油が入った小瓶をあれよこれよと机の上に並べているとなまえは興味深そうに髪用の香油を手に取った。沢山あるんだね。そう言いながら軽く蓋を開け匂いを嗅ぐとそっと蓋を強く絞め机の奥へと小瓶を置く。その反応、あまり好きな匂いじゃなかったんだね。甘すぎる匂いは嫌いなのか、なるほどなるほど。
お手柔らかにお願いしますと瞼を下ろしたなまえの肌にまずは化粧水を染み込ませる。それから保湿剤を塗って、人形のような肌に白粉を叩き頬骨に薄い頬紅で表情を和らげる。貴族の令嬢風にして欲しいと頼まれてはいたけれどなまえに深紅は似合いそうにないので撫子色で少し荒れた唇を塗り薄紙を挟んで余分な色を落とす。うん、我ながらいい感じ!真剣な顔したなまえが香油を選んでいる間に髪を令嬢風に弄って例の髪留めで髪を留めた後になまえが選んだ香りを首元と手首に馴染ませる。1つ作業が終わる度になまえは化粧鏡を覗いて感動の声を上げる。切りすぎた前髪をちょっといじって終わったよと肩を叩くとなまえ椅子から立ち上がり踵を軸にくるりと回って見せた。
「どう、かな?」
気恥しそうに視線を部屋の隅へ散歩させながら短洋袴の裾を小さくつまみ軽く膝を曲げたなまえは淑やかで守ってあげたいと思わせるどこからどう見ても完璧な令嬢だ。剣を振り回し足蹴りが得意だと豪語する少女にはとても見えない。
「可愛ぃ〜〜!!!うんうん、よく似合ってるよ!!!」
「貴族に見える?」
「見える見える!!もうバッチリだよ!」
やっぱりあたしの見立ては間違っていなかった。素材がいいから絶対可愛くなると前々から思ってはいたけれど、我ながら良い仕事をしたと満足のいく見事な仕上がりだ。派手すぎす素朴すぎず。なまえの雰囲気に馴染んだ口紅と普段は絶対にしてくれない手のこんだ髪型が彼女によく似合っているし、いつもとは違う格好や血色が良い顔色、落ち着かない様子で足先を内に向けている姿勢もまた良い。あたしが男の子なら絶対に惚れてたと思う。普段の強烈な回し蹴りを含めても絶対に惚れていた。そのくらいに可愛いのだ。
色々ありがとう。なまえは深々と会釈すると肩掛けを結び直して帰り支度を始める。着飾っているってことはきっと街に出かけるってことは何となく予想は着くけれど普段彼女が街に出る時は基本制服姿だし。あれ、もしかしてこれって…逢瀬?
「と、ところで!なまえはこれから誰と会うの!?傭兵団の人?それとも士官学生!?あ、もしかしてヒルダ達とお出かけだったり!!?」
「えっ、いや…その。ヒルダ達は関係ないんだけど。まぁ…秘密、かな」
「へ、へぇ〜そうなんだぁ」
あ、言い淀んだ。あたしの聞き方も知りたいの気持ちが前のめりになっちゃって不自然な聞き方を彼女にしたから単純に警戒されたのもしれない。格好で騙されそうになるけど、そもそもなまえは人の感情に鋭いしあまり自分を語る人じゃない。聞き上手だけど話し下手というか。秘密主義というか。誰と会うかは結局教えてくれなかったし、自身の可愛さの扱い方を心得たように『秘密』と唇に人差し指を添えた姿は見ているこっちがポッと頬が赤くなるほど綺麗な笑顔だった。
じゃあまたねと手を振ってなまえが去っていった後、あたしは暫く綺麗な笑顔に心を鷲掴みにされて赤く染まった頬を風に晒し寝台の上で放心していた。せれど数分後、あんな綺麗な笑顔を見せた女の子がお化粧をしてまで会いに行く人は誰なのか気になって夜も眠れそうにないため、寝台から飛び起き急いで外出用の鞄を掴んだ。まだ追いつくよね!着飾った少女の後を追ってあたしは転がるように寮の階段を跳ねるように降りた。
人通りが多い広場の長椅子に一人腰かけ本を読んでいた少女は遠方から駆け寄った一人の男性と親しげに言葉をかわすと本を閉じ小さく微笑んだ。なまえに話しかけてきた男性は細身の誠実そうな雰囲気を醸し出していた。歳は多分なまえより間違いなく10は上だろう。なるほど、なまえは年上が好きなんだ。
「あの人がなまえの逢瀬の相手…なんか、大人っぽい人だね」
「そうか?俺の方が断っ然色男だと思うけどなぁ」
「つまらない事で張り合うなシルヴァン…だいたい、こういう私情に関わる事はあまり詮索しない方が」
「そうですか?なら殿下は大修道院に帰ってもらっても構いませんよ。俺たちはこのままなまえを追うので。おっ、動いたな。よし、行くぞアネット」
「うんっ!」
「あ、おい!待てっ2人とも!!」
なまえは抜けているように見えて案外用心深い。気づかれたら後が怖そうだからなるべくなまえの死角から追いかけるぞと妙に張り切ったシルヴァンの後をあたしは転ばないよう足元に気をつけながら赤髪を追いかけていく。寮を飛び出し温室を通り過ぎるまではあたし一人でなまえを追いかけていた。しかし道中着飾った少女がなまえとはいざ知らず、愛を囁くために馳せ参じたシルヴァンと彼の素行を改めるために邪神の形相で追いかけていた殿下と遭遇し、話が転がりに転がってあたし達は現在進行形でなまえを死角から尾行していた。
シルヴァンなら人様の恋愛ごとに首を突っ込むだろうなぁとは何となく想像がついたけれど、まさか殿下まで不安事を呟きながらもなまえの尾行作戦に参加しているのはなんか意外だったかも。やっぱり殿下も級友の恋愛話が気になったりするのだろうか。人の私情はそっとしておけと言ってた割にはシルヴァンと同じ熱量でじーっとなまえとなまえの隣を歩く男性を見つめている。あっ、なまえが男性の腕に自分の腕を絡ませた!…なんだろう。恋愛話を聞くのは応援したいという気持ち溢れてくるけど、実際に恋人同士のやり取りを目撃するとイケナイものを見ているような気分で違った意味で胸がドキドキしてる。そう思うのはあたしだけじゃないみたいで、物陰から同じように顔を出す2人も心做しか顔が赤いように見える。
「ところであの男は一体何者なんだ?体格から見るに傭兵団と全く関係なさそうに見えるが」
「見る限り街にも詳しそうな様子ですし、殿下の言う通りあれは傭兵というよりも街暮らしの男とみて良さそうですね。なるほど、あの男が最近なまえが色気づく原因を作った張本人か。随分とまぁ女性の扱いになれているようなことで」
「え、じゃあやっぱりあの人がなまえに髪留めを贈った人!?」
「ああ。そう見て間違いないだろうな」
髪を弄ってもこれだけはつけて欲しいとなまえはあの髪留めをとても大切そうにしていた。きっと貴族みたいに着飾って欲しいとあたしに頼んできたのは恋人に可愛いって思われ たいなまえの乙女心なんだろうなぁ。
「髪留め?いや、あれは俺がなまえに贈ったものだが」
えっ、今なんて。
仲睦まじい恋人の中を裂く殿下の奇襲にあたしとシルヴァンは互いの顔を見合せ恐る恐る涼し気な顔をした殿下に視線を集める。
「はっ…!?」
「え?…ええ!!!!か、髪留めってあれですよ!?なまえが最近髪に着けていた銀色の髪留めのことですよ!?」
「ああ。あれは俺の用事に付き合ってもらった礼として彼女に贈ったものだ。他意はない」
変に勘ぐるなよとシルヴァンに釘を刺す殿下にシルヴァンはそこじゃないだろ!!と鋭い突っ込みで言葉を返していた。けれどシルヴァンは殿下に対して何か言いたげに前髪をかくけれど言っても無駄なんだろうなと諦めた様子で、殿下の返礼品に対して呆れ交じりに大きなため息をつく。
「…はぁ、アンタって人はどうしてこうも女性への贈り物が極端っていうか。まぁいい、この事については大修道院に戻ってからじっくりと話し合いましょう」
「うん?ああ…分かった、が、どうしたシルヴァン。顔が怖いぞ?」
短剣を送らなかっただけ成長したのか?とシルヴァンは独り言のように呟いている。きっと殿下は昔も異性に対して勘違いされるような贈り物をしたのだろう。確かに短剣を贈られたらあたしもちょっと驚くけど、髪留めは違う意味で驚いちゃうというか。勘違いはする、かな。かっこいい人からの贈り物だと特に。
髪留めの贈り主が殿下であることが判明した。まさかなまえ殿下からの贈り物とはいえ恋人との逢瀬に身につけるのか!?とあたしとシルヴァンの間でなまえの常識人な人物像が崩れかかっていた時だ。仲睦まじく歩いていた恋人たちは急に足を止めた。そして首を横に振り嫌がるなまえの腕を男性が力任せに引き路地裏に引き込んだ瞬間、あたし達は肩を揺らし物陰から飛び出した。
「ねぇ、今のって」
「おっと、あんまりいい男じゃないらしいな」
「手遅れになる前に助けに行くぞ」
冷静に考えればあたし達は誰一人として武器を持たず助けに行くにも拳ひとつの突撃だった。それでも級友の危機に誰よりも早く駆け出した殿下の後をシルヴァンが続き、あたしも一生懸命足を回転させなまえが引きずり込まれた路地裏へ駆けつけた。いくらなまえでも数相手には。滑るように地面をかけて路地裏の暗闇を覗き込んだ時、あたし達はハッと息を呑み悲惨な現場に言葉を失った。
「なまえ、無事か!!!…無事、みたいだな。お前の恋人は、無事じゃなさそうだが」
「あれ、殿下。それにアネットやシルヴァンも。こんなところで何を、恋人とは一体誰のことですか?」
ちょっと始末するので待っていてください。
そう言ってたこ殴りにした数人の男性を彼女は手馴れたように短洋袴の内側に隠していたであろう縄で縛る。彼女の見慣れない格好ですっかり忘れていた肩書きをあたし達は今思い出す。そういえばこの子、元傭兵だった。
この分なら洗って返してもイングリットに怒られずにすむかな。短洋袴を摘んで汚れ具合を確認するとなまえは待機させていたらしいジェラルト傭兵団の人達に拘束した5人の男性を引き渡し時間をかけて飾り付けた顔を豪快に手の甲で汗ごと拭った。
「え、じゃああの人はなまえの恋人じゃないの!?だって、あたしが誰と会うのって聞いた時意味深な笑顔で『秘密』って」
「あれは、上手い言葉が見つからなくって…知り合いに会う訳でもないし、悪漢に会うって言ったらアネット絶対に心配するだろうなぁって思ったから。でもアネットのおかげで無事任務が成功できたよ」
崩れた髪を手櫛で整えいつもの髪型に戻したなまえは噴水の縁に軽く腰掛け化粧崩れも気にせず串焼肉を頬張っている。あんなに綺麗に唇を彩っていた撫子色もすっかりいつもの暗い赤に戻っている。
なまえの秘密の逢瀬事件の真相は実にあっさりとして時事的な結末だった。フレン失踪事件が発生し大修道院内が未だ犯人探しに騒ぐ中、街では前々から問題視されていた士官学生を狙った悪質な犯罪が今節に入って急増していた。狙われる士官学生は皆身なりのいい女生徒。巧みな話術で警戒心を解いた後路地裏に引きずり込み誘拐、淫行、脅迫などが以前から横行していたそうで教団の悩みの種のひとつでもあった。今節は特に教団がフレン捜索に兵を動員していたため街を取り締まる騎士団兵の数が不足し街の治安が大いに乱れていたらしい。そこで大司教から駆り出されたのがジェラルト傭兵団の女性団員だったらしく、フレン失踪事件との関連性も兼ねて探っていたようだ。
「それにしても。どっからどう見てもお淑やかな令嬢が男5人を素手で軽く成敗とは、こりゃあ気安く女生徒を口説くのも躊躇われますね。ね、殿下?」
「え?あ、ああ。そうだな。なまえは本当に凄いやつだ」
「…おーい、殿下?なんか話が噛み合ってないって思ったの俺だけですか?今の怒るところだと思うのですが、殿下?おーい」
なんかあまり見ない組み合わせだよねとなまえは興味深そうに殿下、シルヴァン、あたしへと視線を配り、ふふっと笑いながらお肉を歯で挟み滑るように串から引き抜いた。それからふわっと香った手首の残り香に「街に出る前にベレト先生が可愛いって褒めてくれて…今度は化粧の塗り方を1から教えてくれる?」と気恥しそうに小首を傾げたのむ姿にきっと女の子はこうやって可愛くなっていくんだろうなぁとあたしは肉の油で唇をてからせる女の子へ勿論だよと約束した。
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