あの修道士様、私の顔を見て気が動転していたように見えたけれど相談にのらなくても良かったのだろうか?
放課後、食堂に向かう私を聞き覚えのない名前で呼び止めた栗毛の敬虔そうな修道士様は振り返った私の顔を見て信じられないものを見たかのように目を大きく見開いていた。探してる人でもいたのだろうか。私を通して誰かの面影を探しているような悔しげな顔。行き場の無い手を握りしめ唇をキュッと噛み締めたその顔は今にも泣きそうだった。どうかしましたか?と私は声をかけようとした。けれど修道士様は私が口を開く前に『人違いでした』と静かに目を伏せ何処かへと去っていった。一陣の風が修道士様の背中を押す。どうか彼に幸福を。もの寂しげな背中を見送ってから私は止めた足を再び目的地へと動かした。

昨日は焼き魚だったから今日の夕飯は肉にしよう。骨付き肉、ステーキ、ローストビーフ、それに揚げ物。どれにしようかなぁと財布と相談しながら長蛇の列に並んでいると注文口付近に貼り付けられた張り紙を見つけた。何が書かれているのか。目を細め張り紙を凝視するとそこには『本日魚料理限定!!』と達筆な文字で書かれており、なまえは不思議そうに首を傾げちょうど後ろに並んでいた男子生徒に声をかけた。

「こんにちはラファエル。今日って催事でもあったの?」
「おう!実はフレンさんが魚料理が食べてーって言うもんだからシャミアさんがフレンさんのために午前中限定で釣り大会をやってたんだ。そういえばなまえさんは見かけなかったなぁ」
「…再試を受けていまして」

まさか信仰C+の私がうっかり解答用紙の解答欄を一問ずらして記入していただなんてうっかり間違いもいいところだ。試験の手応えは上場。これはもしかしなくともSでしょ?と自信たっぷりに受け取った答案用紙の判定を見て目を疑った。まさか私がE判定とは。何かの間違いではないかとすぐには現実を受け入れることが出来なかった。試験問題に小難しい問題は一切なく基礎知識の確認問題が出題されており、採点したマヌエラ先生も試験結果の酷さに驚き何度も私の名前を見直したと言っていた。つい先日高難易度の白魔法が使えるようになりましたと嬉々として報告してきた生徒が試験でE評定なんて恥ずかしすぎる。もっと難しい問題を出題してもいいのになぁ〜と余裕ぶって試験時間の殆どを空想と食事に費やした過去の私を平手打ちしてやりたい。
無事A判定で再試を突破し、凝った背筋を伸ばしながら食堂に来てみれば見渡す限りの魚、魚、魚。焼き魚に煮魚、ありとあらゆる手が込んだ魚料理がズラリと食卓を埋めくし、一体何匹釣ったのかと数えたくなる無数の魚が入った桶は厨房からはみだし食堂の3割を浸食している。ラファエル曰く、フレンの一声で突如始まった釣り大会はかなり多くの生徒及び教団関係者達が参加したそうで、主の恵みに感謝して釣った魚は皆で食べようというわけでこの有様なんだとか。釣り大会か。いいなぁ。釣りの才はないけれどこういう楽しい催事は参加したかった。特に釣った魚を持ち込めば定価の7割引で提供とか魅力的すぎる。くっ、なんで再試なんてうけていたんだ私は!!悔しすぎてお腹すいてきた。

「なまえさん、そう悲しい顔すんな。ほれ、悲しい時は食って忘れるのが1番だ!オデの肉分けてやるから元気だせって!!」
「あ、ありがとうラファエル。こんなに食堂が魚を押していても相変わらず君の主食は肉なんだね」
「うーん。魚は嫌いじゃねぇけど食った気がしねぇからなぁ。それに筋肉をつけるには肉を食べるのが1番だからな!」
「…なるほど」

説得力のある体に言われては頷く他あるまい。特に士官学校の生徒の誰よりも制服と筋肉を虐めているラファエルの言葉だと尚更。これ以上どこに筋肉をつける気なのか私には考えもつかないけれど、ラファエルはこの図体にしてまだ筋肉量が足りていないと言う。彼の目指す目標の筋肉とは一体どれほどのものなんだろう。素手で軽々と魔獣を絞め殺してそうな見事な筋肉をなまえは一瞥し、注文した豪快漁師飯とラファエルから貰った獣肉の鉄板焼きを盆に乗せ比較的空いていた端の席へ向い椅子を引いた。夕食時を少し過ぎた時間帯ということもあって食堂は比較的空いており周りの会話内容がよく聞こえてくる。ちょうど話しをしていた事もあって一緒に食べる流れかと思ってラファエルの分の席を開けて座った。しかし、夕飯は鍛錬後に食べると持参した皿に料理をのせラファエルは訓練場へと去っていき、両隣が空席の状況下の中私は静かに食事を始める。久しぶりの孤独な食事である。見つからない時はだいたい食堂にいるベレト先生の姿も今日ばかりは見当たらない。何処にいるんだろう。また大修道院を走り回っているのだろうか。いつもより盛りがいい料理を山を切り崩すように掬っていると

「お隣宜しくて?」

口に運ぶものを何一つ持たず、ただ隣の席は空いているかと尋ねた少女になまえは口に詰めた固形物を喉の奥へ流しどうぞどうぞと椅子を引いた。話しかけてきた少女は何処かで見た事がある顔だったが、何処で見たかは思い出せない。個性が光る可愛らしい制服を身につけ、振る舞いから言葉遣いまで洗練された品を纏う緑髪の少女は『失礼しますわ』と服の皺に気を配りながらちょこんっとつま先と床が擦れあう高さの椅子へ腰掛けた。膝皿をなまえへ向けるように椅子を軽く揺らす。どうやら彼女は食事ではなく私と談笑をするために食堂へ足を運んだらしい。理由として考えられるのは多分ベレト先生関連だろう。

「はじめまして。私セテスの妹のフレンと申しますわ。貴女がベレト先生の妹さんで宜しくて?」
「はい、そうですけど。…フレンって確か、前節死神騎士に攫われた女の子の名前だったような?」
「そうなんですの。急に目の前が真っ暗になって、気がついた頃には先生方に助けられて医務室で眠っていましたの」

ふれん、そうだ、フレン。セテスさんの妹さんで最近黒鷲の生徒として加入したとベレト先生が話していた女の子だ。そして魚釣り大会を開催するきっかけを作った子でもある。この子がフレンか。お嬢様気質で箱入り娘という言葉が良く似合う守ってあげたい可愛らしい女の子だ。

「実は私今節から黒鷲の学級にお世話になることになりましたの。所属学級は違いますけれど宜しければ私とも仲良くしてくださいませんこと?」
「ええ、もちろん。私でよければ」

ま!嬉しいですわ!!と唇の前で上品に指先を合わせたフレンは早速学友らしくお話をしましょうと長いまつ毛を扇いだ。“宜しければ私と仲良く”、“学友らしく”、まるで友達関係を築いたことがないような口振りだ。フレンの独特な雰囲気をなまえは静かに観察しながら口の中に入れたものを咀嚼し水で流し込んだ。
ご飯は食べましたか?とフレンに尋ねる。すると彼女は『先程先生と頂きましたわ!』弾んだ声で答え、自分のことは気にしないでくれとなまえに食事を続けるよう促す。とはいえ、いかにも貴族のような品のある少女の前で大口を開けて食べる勇気はなく、なまえは気持ち口を窄め食事を口に運ぶ頻度を減らした。見知った相手ならともかくたった今自己紹介をした人相手にガツガツと物を飲み込むのは傭兵生活が長いなまえでも気が引けたのだろう。
好奇心の塊のような女の子のフレンはついさっき知り合ったばかりにも関わらずなまえへ次々に話題を振る。話の中身は主に士官学校の生活や傭兵時代のこと。それと共通の知り合いの話題などだ。相も変わらずベレトは自学級で自身のことを語っているらしく、『是非直接お会いして話がしてみたかったんですの!』と前のめりに目を輝かせるフレンになまえは嬉しさと恥ずかしさが入り交じった複雑な感情に混乱し顔を覆った。また知らないうちに自分の名前が各方面に広まっている…ベレトさんには控えて欲しいと伝えたはずなんだけど。

「そういえばなまえさんはベレト先生からあれをしなさいとかこれをしては駄目とか口煩く言われませんこと?」

ベレトさんが私に?
なまえはピタリと食事の手を止めると顎に手を添え記憶の中のベレトを呼び起こす。駄目、もしくは口煩く…

「うーん、言われたことはないですね。何をしているのか聞かれはしますが基本的には手伝う必要はあるかとか、無理そうなら頼ってくれと言われるだけですかね」

小さい頃は何処へ行くにも何をするにもベッタリと張り付かれ無言で手を貸したり引いてくれる守護霊的存在だったけれど、傭兵として働き始めてからはお互い少し距離をとって接していたこともあり命に関わる時ぐらいしか注意は受けなくなった。大修道院に来てからは互いに忙しく顔を合わせない節も3日、4日は当たり前で、顔を合わせれば近況報告や手合わせなどが多く振り返ってみれば口煩く何かを咎められたことはない気がする。そもそもベレトさんは口数が多い人でもないし言葉よりも行動で示す人だから。

「まっ!そうなんですの?ではジェラルトさんは?」
「お父さんも特には。死ぬなよって言うくらいで行動に制限をかけたり口煩く咎めることもないですね」

ジェラルトさんは自主性に重きを置いた教育方針だったため命に関わる厄介事じゃなければ基本放任していた。傭兵団の衣服についても露出云々で口を挟む人でもないし、剣や魔法、体術を教えて欲しいと頼んだ時も剣を握るだけでやっとな子供相手に平気で投げ技をかける豪快な人だった。当然口煩く指摘されたことは無い。むしろ私やベレトさんが指摘する側だったと言っても過言ではない。主にジェラルトさんが浴びるほどの酒を飲んだ上金が足りず店にお代をつけ飲み逃げした時とか。
まぁ親子関係はそんな感じだとフレンへ伝えると彼女は納得がいかないと言わんばかりの表情を浮かべ深くため息をついた。

「フレン?どうかしたの??」
「いえ、私とは大違いだと思いまして。私のお兄様はいつもあれをしなさい、これをしてはダメだと私に対してとーっても過保護なんですの。本当はもっと早く皆様と御一緒に授業を受けてみたかったのですがお兄様が不埒な殿方が多いから私にはまだ早いと仰ってなかなか士官学校に通わせて下さらなかったんですのよ?」
「不埒な殿方…」

何故だろう。不埒の単語を聞いただけでぼんやりと頭の奥でセテスさんが警戒しているであろう赤毛の色情魔の顔が浮かぶ。これはまたイングリットが頭を抱えそうな案件だ。彼女のためにも今の話は黙っておくことにしよう。

「なまえさんが羨ましいです。私もベレト先生のような方がお兄様なら」

セテスさんの異常な過保護ぶりにはフレンも飽き飽きしているのだろう。口をムッとさせ、うんざりだと言わんばかりに眉間に皺を寄せたフレンになまえは一呼吸おいた後「それは違うよフレン」といじいじと制服の袖を弄る小さな手を取り母親のような顔でよく聞いてとフレンの心を自身へと傾けさせる。

「いい、フレン。確かに私から見てもセテスさんはかなり過保護なお兄さんだと思う。でもそれはセテスさんがフレンのことを心の底から愛しフレンがうんざりするくらい大事にしているからなんだよ。それがフレンにはだいぶ重たい足枷のように感じるかもしれない。けどね、愛されないことほど悲しいものは無いでしょう?」

全部じゃなくていいから半分くらいはセテスさんの気持ちを理解して、あとの半分は不必要なら本人にちゃんと話したらどうだろうか。いつまでも子供扱いしないで!とか。私も少しづつ自立したい!とか。フレンの気持ちは私にも少しだけならわかる。私の本当の両親もセテスさんまではいかないが心配性をこじらせた故の過保護っぷりで、友達の家へ遊びに行くだけで何時に帰るとか友達とどんな遊びをするのかとか兎に角説明するのが面倒臭いと感じていた。
だけどなんの前触れもなく両親と引き離された上に声を上げなければ誰も私を助けてくれない環境に身を置いてから私は初めて気づいた。嗚呼、私はうんざりする程に両親から愛されていたんだって。勿論誰であろうが過保護も過干渉もお断りだ。行動に制限なんてかけられたくない。その点ジェラルトさんの教育方針が自分には合っている。でも時たまに、本当にたまに。昔を思い出してうんざりする程構われたいと思う時はある。1年に1度くらいはね。
薄っぺらい私の言葉にフレンは何か小さな気づきを得たらしい。共感したかのように小刻みに頷いた彼女は何か思い立ったか様子で席を立ち上がり優雅に洋袴の裾を持ち上げぺこりと会釈をした。

「ありがとうございますなまえさん。おかげでとても良いお話が聞けましたわ!それでは私やることを思い出したのでここで失礼しますわ。ごきげんよう!」
「またねフレン」

しっかりと椅子を机の下に入れたフレンはヒラヒラと手を振りながら大聖堂の方へと去っていった。あの様子だとセテスさんへ話をしに行ったに違いない。
それにしてもフレンの話が一部でも本当ならセテスさんの過保護ぶりはかなり異常に思える。両親を亡くしているとはいえ兄が妹に対して色情魔が在籍しているという理由だけで士官学校入学を拒むだろうか?それに兄妹と言うにはかなり年が離れているような。義理じゃないというのだから尚更不自然というか、どちらかと言うと親子と言われた方がしっくりくる。でもお互い兄、妹と呼びあっているわけだし。可能性としてない訳でもないが、フレンが童顔でセテスさんが老け顔という線も。…気になってきたな。クロード当たりが何か知っている気がするし後で聞いてみるか。