カランカランと地面で跳ねる金属の虚しい音が悲劇の終わりを告げた。
「だれか、誰か助けて!お願い、誰か!!」
剣で心臓を一突きされ絶命した男の最後を見届け、続くようにベレトはその虚ろな瞳を瞼で覆い膝から崩れ落ちた。絡んだ足を引きずりながらなまえはベレトの元へと這い血が滲む胸に泣き崩れる。ライブ、リブロー、リザーブと呪文を唱えるが傷は塞がるどころか侵食するように服に赤を広げていく。全部私のせいだ、全部私の。膝を擦りやっとの思いで抱きしめた体は人形を抱きしめているようで、少しずつ下がっていく体温を感じながら私は嗚咽を上げて泣くことしかできなかった。
私がジェラルトさんの言いつけを守っていたらベレトさんが大怪我をすることは無かった。この辺りは特に山賊が頻繁に徘徊しているから野営地から離れるなと口を酸っぱくして言われていた。しかし、つい夢中になって山菜を集めているうちに野営地は見えなくなり、気づいたときには山賊に囲まれていた。子供は金になる。首元に突きつけられた鋭利な刃物に悲鳴が喉に引っかかり、唾を飲み込むことも出来ない緊迫した状況に自然と涙が溢れた。抵抗すれば殺すと脅され広げた麻袋へ詰め込まれそうになった。しかし片足を袋へ突っ込んだところを間一髪でベレトさん率いる傭兵数人が助けに入り人知れず攫われることだけは免れた。傭兵団の実力は山賊相手に全力を出す程もない圧倒的な強さだった。戦闘慣れした彼らの登場により山賊は忽ち討伐されこの話はここで終わるはずだった。しかし残る最後の山賊が仲間の仇だと弱者に向かって投げた手斧がさらに話を引き伸ばした。喉に突きつけた刃物から逃れたとはいえ身が凍るような出来事の連続に足が足がすくんで動けなかった。迫る危険に立ち向かうことは愚か逃げる術もなく、私にできることは手を合わせ神に祈ることくらい。神様、どうか奇跡を。
飛来する手斧を前に簡素な走馬灯が走った瞬間だった。
「あっ...あぁ」
視界へ滑り込んだ大きな影が斧を剣で弾き軌道 を変えた。最後の一人も無事傭兵の手によって討伐され、助かったと肩の力を抜こうとした矢先、プツリと糸が切れたように崩れ落ちていく体に絶えず詰まった悲鳴が零れ頭は白一色に染った。剣は確かに斧を弾き飛ばしたはずだった。しかし斧を受け止めるにはほんの少し時間と力が足りなかったようだ。
傷だらけの体に走り寄って鼻をすすり涙を拭う。しっかりしないと。ベレトさんを助けないと。肩から胸にかけ大きく開けた傷口からとめどなく流れていく血液に衣服を破き止血を試みる。なんとかしなくちゃ。私が動かないとベレトさんが死んじゃう。医学に精通していなくとも一刻を争う状況であることは分かる。だがこの場にはベレトさんの傷を癒せる人間はいない。野営地まで背負って運べるほどの浅い傷でもないと傭兵達は判断を下すと二手に分かれ最善を尽くした。一方は野営地にいる修道士を呼びもう一方は手元にあるわずかな傷薬を傷に塗り損傷部位を圧迫する。僅かにだがまだ意識があるベレトへなまえは絶えず名を呼び続け患部を圧迫した。神様、どうかベレトさんを救ってください。名を呼ばれる度にベレトは聞こえているぞと返答するように手を握り返し瞬きを繰り返した。しかしその動きも次第に回数が減り握る力も弱まっていくベレトになまえは敬称も忘れて一心不乱に名を叫び、己の無力さを痛感し地面に拳をたたきつけた。
私には彼の傷を癒せる力がない。それどころか傷薬もポケットに入れず、使い方すら分からない物を携帯して何になると蔑ろにしていた。自分が使えなくてもなにか役に立てるかもしれないのに、平和に胡座をかいていた。なにもかも全部私の責任だ。私の、私のせいで。
慌ただしく動く傭兵たち。その中心に私は座り込んでいた。駆けつけた修道士が傷口を塞ぎ苦しげに歪んだ顔が幾らか和らぐとジェラルトさんはベレトさんを担ぎ近くの村へと馬を走らせた。それからどうなったかあまり覚えてない。2人が去ったあとも私はずっと泣いていた。泣いて、眠って、気づいたら朝を迎えていた。
この出来事以上に自分の無力さを痛感し打ちひしがれ言葉も忘れて泣き叫んだことはなかった。あの日私が野営地から離れなければベレトさんが大怪我を負うことはなかった。タラレバな妄想に傷ついた心を癒し目を伏せるが、痛みは取れても傷跡は治らない。あの日から上手く眠れない。
修道士の迅速な指示と治療のおかげでベレトさんは奇跡的に一命をとりとめた。目を覚ました直後は暫く虚空を眺めている時間が多かったけれど傭兵団の皆に囲まれているとベレトさんは呑気におはようなんて言うものだから私たちは安堵のあまり泣いてしまった。
寝台から起き上がってからは負傷する前と同様の生活を送っている。寝て、食べて、働いて。この程度の傷で寝ていられないと本人は努めて平静を装い剣を振るっている。しかしその呑気な反応以上に負った傷は深いようで、時折見かけた傷口を押さえしゃがみこむ姿に私は己の無力さに唇を噛んだ。
「なまえのせいじゃない。攻撃を防げなかった俺の力不足だ」
違う、私が言いつけを守らなかったから。全部私が悪いと反論しても結局はベレトさんに上手く言いくるめられ、言葉に詰まって、なんて反論するつもりだったのかいつも途中で分からなくなる。ベレトさんは心配される側なのに。大丈夫だったか?なんて聞いてくる。優しい言葉をかけられる資格、私にはないのに。
己の無力さが初めて人を巻きこみ傷つけた。その衝撃は重くなまえの心を蝕み、ベレトと顔を合わせる度に自責の念に駆られ顔を覆った。しかしここで罪悪感に潰され泣き崩れるほどなまえは弱い人間じゃなかった。
周囲から励ましの言葉を受ける中、なまえは毎日自問自答を繰り返す。この先も自分のせいで血を流し倒れていく人たちを指を加えて眺めているだけなのか、何も出来ずただ後悔を積み上げていく人生でいいのか、自分だけが傷つかず安全な場所で守られていいのか、戦う術を知らないからと彼らの好意に甘んじていてもいいのか。
多くの問いかけがなまえの背中を強く押した。自分の代わりに誰かが傷つくなんて可笑しい、生きるために私も戦わなければ。
広い落ちていた剣を握り腰に差す。
なまえの決意は固まった。
武芸を教えてほしいと頼み込まれジェラルトは再三途中で投げ出すことは許さないと警告しなまえを追い返した。しかしそれでもなまえはしつこくジェラルトに指南を仰いだ。何度も頭を下げた。何度も教えを乞うた。日を追う事になまえの熱意は増し、諦める気のない姿勢にとうとう根負けしたジェラルトは彼女の気持ちを汲みつつも無茶はしないことを条件にジェラルトは剣を、傭兵たちは魔導を教えることになった。
魔法を知らない異人に武芸を教えたところで。魔導を教えるよう頼まれた修道士はなまえのやる気だけは認めていたものの、学問の入り口で盛大に躓き頭を抱えるなまえの奮闘ぶりには期待していなかった。適当に教えて本人が諦めるのを待とう。ジェラルトに頼まれ仕方なく教育係に抜擢された修道士は小さな子供相手に教えるような心持ちで基礎の基礎を教えた。出来る見込みのないものには手を伸ばさず、欠伸が出るほど鈍足なペースに。果たして彼女が魔導に目覚める日は来るのだろうか?半ば見放されながらも必死に食いつき魔法陣を描く少女は修道士の予想を良い意味で裏切り、目を丸くさせた。さながら乾いたスポンジのようにどんどん知識を吸収し才能を開花させる。ライブが使えたら及第点だと掲げた低い目標を軽々と飛び越え、魔導の才能があると修道士に言わしめるほど彼女の成長は目覚しいものだった。
鞘に収めることすら下手くそだった剣術もそこそこ上達し、構えも型も体に染み付きつつある。生傷は絶えないものの学んだことを生かしジェラルトに攻め込む勇気は評価に値するだろう。だが、木刀から刃物に持ち替えた途端格段に動きが悪くなるなまえの優しすぎる姿勢にジェラルトは何度も頭を抱えた。
彼女は優しすぎる。人を殺すどころか傷つけることすら躊躇うだろう。このまま教え続けてもいいのか、厳しすぎやしないか。あれこれ考えてはみたもののなまえの悪癖を直す手立ては見つからずジェラルトにできることはベレトの時と同じように教えるだけ。幸いにもなまえは必死に食らいついてくる。彼女のやる気と熱意を信じジェラルトは厳しく指導を重ねた。まだ荒削りでベレトには劣る剣技は戦場に駆り出す領域には至らない。だが剣を振るう面構えになった。そこだけはジェラルトも認めた。
私が武芸を学び始めたことにベレトさんは何も口出ししなかった。頑なに武器を持つ必要はないと言っていた彼がここまで大人しく見守っていると思うと相談もせず勝手に武器を手に取ることを決めた私へ静かに怒っているのではないか勘ぐってしまう。だが普段から感情が表に出さない人だから何を考えているかすら掴めず勝手に話しかけたくないほど怒られているのではないかと怯えていた。
試しに食事中当たり障りない話題を振って話しかけてみた。すると普通に返事は返ってくるし一日が終わる度に増えていく小さな傷や剣だこを労うように傷薬を塗ってくれるようになった。だからたぶん怒ってはいないと思う。ただし喜んでいる訳でも無いけど。
ジェラルトさんほどベレトさんの感情を察するのが上手くはないが、最近のベレトさんはどこか浮かない顔をしているように見える。確証はない。ただ、ほんの少し浮かない顔をしているように見えたから、そう思っただけ。悩みがあるなら聞きますよと言いたいところだったが、今の私には自分のことだけで手一杯だった。それゆえに毎日不思議な夢を見ると憂鬱そうに頭を抱えるベレトさんの話し相手になる暇も余裕もなく、光の速さで流れていく怒濤の一日を這いつくばりながらも確実に昇華していく。忙しくなるにつれベレトさんと話す機会は格段に減った。だがそれに相反し着実に力は付いていき、この頃戦闘にも傭兵として参加する機会が増えた。さすがに前線には出してもらえないが、手ぶらで隣を歩いていたベレトさんを今は剣を握り躍起になって何千ぽも先を歩く後ろ姿を追いかけるそんな充実した日々に満足している。
あれから8年。8年が経った。丸腰だった私が仲間と肩を並べ戦場を駆けているなんて8年前の私はきっと想像もしていなかったに違いない。配置場所は決まって前線からはほど遠く、しかし気を抜いた次の瞬間には頭上から矢が降り注ぐ場所。私の役目は主に負傷者の救護や援護支援を任されている。人を殺すにはまだ早い。回ってくる仕事の多くは決まって仲間が次の一撃でしとめるためのお膳立てだ。
「いつか自分の身を守るために人を殺さなければならない日が来るだろう。だが今じゃない」
剣を握ってまだ日が浅い頃ジェラルトさんから受け取った言葉だ。いつか私の手が名も知らぬ人を手にかける日がくる。明日の自分を守るために今日を生きる命を摘む日が来る。そこに立派な大義があったとしても誰かの命を奪うなど今の私にはとても考えられない。たとえ相手が極悪非道な人物でも話し合いで解決できるならそうするべきだと思うのだが、...こんなことを口にしたらまた傭兵団の方々に笑われてしまうだろう。いつまでたってもなまえは優しすぎるって。
「いっ…たぁ〜」
はぁ、またやってしまった。これで5、いや6回目か。ぷっくりと傷口から溢れ出てくる血を指ごと口に入れ中途半端に研がれた剣を鞘に収める。刃物を扱うときは気を抜くんじゃないぞと過去にも同じ失敗をして傭兵の人に注意されたのにまたやってしまった。考え事をしているといつもこうなる。でも何も考えず剣を研ぐ人はいないと思うのだが。誰かに見られる前に治療してしまおうと服の裏に仕込んだ傷薬を取り出し傷口に塗っていると通りがかった傭兵に運悪く失態を見られ笑われた。そんなに笑わなくてもいいじゃない?今に始まったことじゃあるまいし。
剣を研ぐ、薪を割る、馬の世話をする。戦場へ繰り出すようになってから命に迫るものへ触れる度に他人の命について深く考えることが多くなった気がする。それは単に私が殺される立場から殺す立場へ回り命を奪う行為に強い責任感が生まれたことを意味しているからだろうが、そう簡単に説明できるほど単純な問題じゃない。戦場を駆け敵に攻撃を仕掛けながらいつも心の隅で煮えきらない思いを抱えている。この世界は人の命を踏み歩くことでしか前に進めない残酷な世界だ。そんな世界に囚われて数年が経ち、郷に入れば郷に従えなんて言葉もあるけど長年染み着いた甘い考えはそう簡単に切り捨てることはできない。近い未来。この手が人を殺めたとき。果たして私は正気でいられるのだろうか。まだ剣を振るおうと思えるのだろうか。足でまといにはなりたくないな。
ジェラルトさんに見つかる前に増えた指の傷をなんて言って誤魔化そうか上手い言い訳を考えていると遠くから手を振りかけてくる人影に私は視線を向けた。
「グライドさん?」
駆け寄ってくる先輩傭兵になまえは木箱から飛び下りどうしたのかと尋ねた。食料調達に行ってくると出かけてものの数分で帰ってくるなど何かあったに違いない。ジェラルトは何処かと聞かれなまえは宿の方にいると指を指す。一体何があったのかと息を切らしたグライドへ尋ねようとしたなまえはふと、グライドの背後に佇む3人の若者の存在に気づき踵をあげた。村の人...じゃないか。少女一人に青年二人。三人とも同じ様な格好をしているからそれなりに裕福な団体に所属している事は間違いないだろう。にしても見たことがない格好だ。アドラステアにしては地味だしファーガスにしては薄着。レスターはもう少し飾りが多い服を好む。となると、彼らは一体どこから来たんだろう?落ち着いた佇まいを見るに良いとこの貴族であることは間違いないようだが、これまでであった人物の中で妙に高貴な雰囲気を纏った若者になまえの頭の中は疑問で溢れている。
「あの、そちらの方々は?」
「ああ、彼らは「悪いけどはやく話を進めてくれないかしら。」
呑気に会話を始めようとした二人を凛とした声が遮った。赤い外套を羽織った少女は少し苛立っているのか、肩にかかる美しい銀髪を手の甲で払い除けなまえと傭兵の危機感のなさに睨みをきかせている。
「一刻を争う事態なの」
初対面にも関わらず高圧的な少女の態度になまえは驚きキョトンとしてグライドと顔を見合せた。
何者なんですか?
俺にもよくわからない。
声に出すと少女を苛立たせてしまうと思い2人は視線だけで会話を完結させる。怖い人だな。顔が整っているから余計怖さに迫力が増しているとなまえは嫌に絡まれる前に目を逸らした。
グライドさんも厄介な人達をつれてきたものだ。私には彼らが言う一刻を争う事態とはなにか検討もつかない。が、腕を組んだまま落ち着かない様子で後ろばかり気にする少女を見るに呑気に話してる暇は無いのだろう。
ジェラルトさんを呼んできます。そう言い残してなまえはジェラルトがいる宿の方へと走った。俺を一人にするな!と情けない声で叫ぶグライドに扱いづらそうな三人を押し付けて。
面倒事は時と場所を選ばず影のように忍び寄り牙を剥いて襲いかかる。たとえば気前の良い貴族から高い報酬を貰い数節ぶりに宿屋で体を休めようとしたところ突如現れた3人組が運悪く賊に追われ、睡眠時間を削って夜の戦場に引っ張り出されるなんてまさに面倒事に巻き込まれたって感じ。朝ならまだしも、夜更けに松明を握って賊と戦闘なんて手元が狂わないかそれだけが心配だ。ジェラルトさんの指揮の下、茂みに身を隠し前進する。ベレトさんを中心にエーデルガルトさんとディミトリさんで前線を固め、弓が得意と豪語したクロードさんは私と共に後方支援へ回り仕留め損ねた賊を一掃する。即席の編成でありながらも中々にいい連携がとれていると思う。戦場を指揮するジェラルトさんも三人の戦いぶりに感心し特段手を出す必要はないと判断し少し離れた場所から戦況を俯瞰している。まるで打ち合わせたかのような無駄の無い連携で順調に賊を斥け勝利を手繰り寄せている。特に前線組の安定した奮闘ぶりには支援を必要としないほど優秀であり今のところ後方支援組は茂みに身を隠しているだけだ。この調子だと私達の出番はなさそう。欠伸を殺し朝の寒さに手元が狂わないよう指を揉みほぐしていると、じぃーっと隣から寄せられる熱い視線に気付きなまえは嫌々ながら顔を横に向けた。
「私の顔に何か?」
「いや、別に。ただ歳の割には凛々しい顔つきだと思ってな。気に触ったか?」
「…いえ、貴族の方にそう言って貰えるなんて身に余る光栄です」
眺めていたのは果たして顔だけだろうか。不躾にも値踏みするような視線に落ち着かず、一歩真横へ移動し距離をとると彼は芝居がかった反応でおっと、もしかして嫌われたか?と少しも傷ついた様子のない笑い顔で口角を片方だけ上げた。たとえ距離を取っても彼の好奇心が削がれることはない。貴族にいい思い出がなく一線を引き遠ざけたがるなまえへクロードは果敢に話を振り会話を続ける。なぜ傭兵として働いているのか、いつから剣を振るっているのか、矢継ぎ早に飛んでくる質問へなまえは曖昧に素っ気なく言葉を返していた。が、急に毛色を変え、傭兵団に送られた純粋な賞賛の声になまえは初めてクロードの顔を正面から見た。もしかしたらこの人は話がわかる人なのかもしれない。貴族だからと突き放していたなまえだが、次第にクロードのもつ価値観と人間性に少しずつ警戒心を解いていく。8年前から剣を振るっていると話すと彼は口を開け驚いていた。この年で傭兵なんて珍しいことなんだろうか?確かにジェラルト傭兵団の中では最年少、その次にベレトさんと続いていくが、立ち寄った村に腕前はともかく私よりも遥かに若い傭兵は大勢いた。何も珍しいことじゃないと否定した私に彼はどこか腑に落ちない様子で顎に手を添え何かを考えている。悩むほどでもない経歴だと思うが。そういえば、彼らは学校に通っているといっていた。おそらく彼の周りにいる多くの子は学校に通っているため若くして手に職をつける子供が物珍しく見えるのだろう。学校、か。幼稚園までの記憶しかないや。順調に行けば小学校、中学校と進学し今頃私は高校生活を謳歌していた。
「ねぇ、学校ではどんなことを学ぶの?」
「どんなことって…座学して実践演習して行事で騒いだり。まぁそんなところだ」
行事か…私も幼稚園に通っていた頃は誕生日会をしたり、鬼に豆投げたり、クリスマスツリーを飾ったり、一年中ずっと友達とはしゃいでた気がする。学校帰りに花を摘んで近くのスーパーへお使いに行ったり。何にも感じなかった平凡な日々が特別なものになるなんてあの頃の私は想像すらしていなかった。座学とは何か、行事ではどんなことをするのか。ここが戦場であることも忘れすっかり学校に興味津々ななまえにクロードは鏃を下げ面白おかしく日々の日常を語った。
彼の巧みな話術に心が弾み、笑って、感嘆して、私も行ってみたいなと願ってすぐ互いの身なりの違いに広げた夢を畳み目を伏せた。
私は傭兵だ。仕事も衣食住も働かなければ得られない。学びに時間もお金も割いている余裕はどこにもない。元いた世界へ帰る為に私がするべきことは学ぶことではなくしぶとく生き残ることで、今の私の夢は命の恩人であるジェラルト傭兵団に恩を返すことだ。さらに恩を積み重ね迷惑をかけなんて言語道断、厚顔無恥もいいとこだ。
「素敵なお話ありがとうございました。でも、もう十分です」
足並みを揃えろ。勝手な行動は慎め。
これ以上彼の話を聞いていたら叶わない夢ばかりが広がってしまうとなまえは素っ気なくもう十分だと掌を向け話を切り上げた。
気に触ったか?とクロードは顔を覗き込むが、なまえは煮え切らない様子でいえ、そんなことはとそっぽをむく。剣を握り直し深く息を吐き出しているとクロードは焦れったそうに癖が強い短髪をかいて「なぁ…」と肩がぶつかる距離までなまえに迫った。
「あの、近いです」
「気の所為だろ」
これを気の所為で済ませられるのは人たらしか天然くらいだ。普段ベレトと話す距離感とは比べ物にならない近さになまえは狼狽し腰を引く。険しく暗い表情ばかりかとおもいきや年相応の照れと人見知りを拗らせた性格をチラつかせるなまえにクロードは心の中でにんまりと笑い距離をとる気は無い。ここが戦場じゃなければからかっていた、そんな表情が真剣な顔から滲み出ている。
「なぁ、なまえ。こうして命を預け合っている者同士、クロード“さん”じゃなくてクロードって呼んでくれないか?かしこまった言い方もなしだ。聞いてるこっちがむず痒くなっちまう。ま、あの二人については別問だが、俺に気を使う必要は無いぜ。あの二人と比べたら周りから敬われたことなんて数える程度しかないからな!」
親しみやすさ故にって事なんだろうか。自虐的な告白が地味に憐れである。
こんな事を口にしたら怒られるかもしれないが、クロードさ...クロードはあまり貴族って感じがしない。貴族特有の傲慢さや卑しさをクロードからは感じない。
傭兵として活動しているといやというほど傲慢な貴族を相手に仕事をしできたもので、態度が気に入らない、もっと私を敬えと驕った人たちばかりだった。理不尽に殴られたことも何度か。だから貴族とつくものは全て苦手だった。けれど、クロードは私の知ってる貴族とは少し毛色が違うようだ。上手くは言えないが同じ土俵で物事を語り明かせる、一言で言うと『良い人』『害がない人』。落ち着かない様子で指を忙しなく動かすなまえは疑心暗鬼になりながらも「あなたが…そういうなら」と迷いに迷った末本人が望むならと折り合いを着けた。ただし後から言った言わないの文句は付けないで欲しいと条件付きで。
敬語を使わず会話するなんてだいぶ気持ち悪い。思えば同年代の子と話したのはこの世界では初めてだ。ずっと自分よりも年上の人を相手にしてきたものだから、ですます抜きの砕けた言葉が敬語よりも難易度が高く感じる。
前線を張っていた傭兵たちが帰ってき始めたので後衛組も緊張の糸を緩め茂みから縮こまった体を伸ばした。前線組の活躍のお陰でもうすぐ戦闘も終わりらしい。そろそろ片が着く頃だとクロードに続いて立ち上がり服に着いた葉を払う。完全に気が緩んでいた。だから背後に迫る危険にも気づかない。
「なまえ!後ろだ!!!」
ベレトさんの焦り声に弾かれたように振り返り剣を引き抜く。素早く襲いかかる影を視界の端に捉えながら振り返り様に剣を振るった。確かな感触と透明な音に足を前へと踏み出す。方向は分かるが距離までは測れない。遠方からの襲撃に走って仕留めに行くのは無謀だとなまえは飛来した方向へ掌をかざす。そうして口に馴染んだ詠唱を早口で唱えていると、突然ヒュんっと私のすぐ真横で風を斬った剣に瞬きを忘れ、それから数秒も経たず森の中を木霊する断末魔に首が取れる勢いで私は振り返った。
「大丈夫か?」
「は、い。平気です」
剣を投げるなんて…。少し吃驚したけど怪我はないと駆け寄ったベレトさんへ伝える。すると彼は念の為に持っておくといいと足でまといになる程の大量の傷薬を渡しすたこらと前線へと戻って言った。ありがたいけれど後方支援組がこんなに怪我をする予定はないと思うのだけど。
「あの人、過保護過ぎやしないか?」
「まぁ、否定はしない。かな」
クロードはベレトさんの優しさを過保護と上手く言い換えたが、どちらかと言うとあれは過保護と言うよりも世話好きと言った方が的を得てる。心配なんだろう。自分の視界の外で動き回られると助けに行くにも時間がかかるから。無表情に見えると思うけどああ見えて心配性も拗らせているのだ。
「なまえ後ろは任せたぞ。俺は増援を潰してくる」
ジェラルトの指示になまえは任せてくださいと大きく頷き武器を構える。飛んでくる矢の軌道を元になまえは仲間の兵と共に後方へと下がった。
背後の敵を倒してくるからクロードはここで待機してと伝えようとした。しかし口を開かよりも先に矢を放ち見事狙撃して見せたクロードを前に誰も待機してとは言い出せなかった。
危険だけど手を貸して。森に向かい魔法を放つなまえにクロードは仰せのままにとからかうように恭しくお辞儀し、矢を番え弦を引き伸ばし弓を大きくしならせる。武芸を学び戦場を知らない子供。その認識を誰もが放たれた美しい矢の軌道を前に『仲間』と変える。
一体どんな目をしているのだろう。微かに動いた茂みに向かいクロードは矢羽根から指を放す。すると宙を切り裂くように放たれた矢は薄く弧を描き、また1つ遠くから見事な悲鳴を上げてみせた弓兵になまえは目を丸くした。
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