貴女様のために


ーー怖いことばかりだけど、貴女が居るなら私は頑張れるんですよ。

鼻を擽る何とも美味しそうな匂いに食欲を刺激されながら目覚める朝は何回迎えても慣れそうにない。ぐう、と腹の虫が鳴ったのを少しばかり恥ずかしく思いつつ、鏡の前に行き身嗜みを整える。あの方の前に行くのだから、恥ずかしい格好は出来ねぇだ…っと、いけないいけない。敬語で話すようにしないと、ね!あまりにも大喬様大喬様と言ってるせいか、孫策様から起床係を任命されたのはきっと忘れることが出来ないだろうなあ、なんて思いながら私は足早に大喬様と孫策様の部屋へと向かう。部屋の前に着き、声を掛ける前に深呼吸。そしてーー…


「ーー大喬様、孫策様。朝です」


あまり大き過ぎないように気を遣いながら声を掛ける。寝起きの大喬様を驚かす訳にはいかないべ。孫策様は多分起きて来ない。…あの人の寝起きの悪さはどうなっているのやら…孫権様や孫堅様、尚香様は寝起きが良い方だし…孫策様、亜種過ぎるのでは??そんなことを考えていたら、そっと襖が開きーー少しばかり寝癖がある大喬様が顔を出した。思わずぎゅんっ!と胸を鷲掴みにされながらも口を開く。


「お、おはようございます…!」
「おはようございます、いつもいつも有り難うございます。朝から霞月の顔が見れて嬉しいです」
「ん゛っ…!!わ、私も嬉しいです!!えっと、その、失礼かも知れないですけど…その、ね、寝癖が…」
「え!?あ、し、失礼します!!その、な、内密にして下さいね!」
「も、勿論です…!ご、ごゆっくり!」


寝癖押さえて顔真っ赤な大喬様可愛い過ぎでは??なんて思いながらも部屋を後にする。いやあ、顔に出さない私流石だべ。これは珠華ちゃん褒めて貰えるかなあ、なんて。今度いつ会えるんだっけ。この不思議な世界に送り込まれてから、違う所属の珠華ちゃんや翠青ちゃんと会いやすくなった。そうなるのを分かっていて、大喬様の傍にいることを望んで呉に入ったのは私の意思だけど、やっぱり大好きな親友達と話せるのは嬉しい。皆が皆、元の世界に帰る為に色々と手を尽くしてくれてるけれど、私はこの世界でずっと過ごすのも悪くないと思ってますだ。…まあ、話したら困らせることになるのは分かってるから、あくまでも思うだけだけど、ね。


「…喧嘩も争いもない、こんな世界だけなら良いのに」


そんな世界にする為に孫権様達が戦うのは分かっているけれど、戦いには怪我は付き物だと私だって知っているから。大喬様は絶対に私が守りたいと思っているけど、それで私が怪我をしたら本末転倒だ。大喬様はとても優しくて慈悲深いお方だ。そんな人に自分を責めるようなことを言わせたくないし、言わせない。でも、私はまだ新米だし、強くない。珠華ちゃんや翠青ちゃんに教えを請うても二人は苦い顔をして頷いてはくれない。まあ、戦場に出ることを未だに良く思っていない二人だから仕方ないのかなあ…私だって、守って貰うだけじゃ嫌なのに。


「ーーそんな顔してどうしたの?可愛い顔が台無しよ!」
「へ、え、し、尚香様…!?お、おはようございます!」
「おはよう、霞月!兄様と義姉様を起こして来たの?いつも有り難うね!」
「と、とんでもねぇですだ!あ、ちがっ…」
「いつもの口調でも全然構わないのにー。可愛いくて素敵じゃない!今居るのは私だけよ?」
「か、勘弁して下さい…」
「あら、戻っちゃった。まあ、真面目な霞月らしいわね!今から広間に行くんでしょ?私もなの!良かったら一緒に行きましょ!」
「え、わ、は、はい」


腕を引っ張られ、困惑しながらも頷けば尚香様は嬉しそうににっこり笑いながら歩いて行く。聞けば練師様に何も言わずに散歩に行っていたらしい。今頃練師様慌てて居るんじゃないかなあ、なんて大喬様の為に持ち場を良く離れる自分のことを棚に上げながら思っていたりした。大喬様のピンチに誰よりも真っ先に駆け付けるのは自然の摂理ですだ。まあ、たまに孫策様に負けるんだけど。悔しいって気持ちもなくはないけれど、やっぱり大喬様が選んだ殿方だなあって気持ちが一番強いだ。


「いつも兄様と義姉様の為に早起きするの辛くない?私から言っても良いのよ?」
「え、つ、辛くなんてないです…!それに私、畑の為に早起きするのは慣れてますので!」
「あ、そうだったわね!…でも、辛かったらいつでも言ってね?兄様、寝相悪いもの」
「あー…ま、まあ殿方なら多少は仕方ないんじゃないですかね…?」
「そうかしら?孫権兄様や父様、劉備様ならそんなことはないと思うわ!まあ、豪快な孫策兄様らしいとは思うけどね!」
「ああ、確かに以前孫権様を起こしに行った時ありましたけど…寝相綺麗でしたね」
「そうでしょう?やっぱり孫策兄様が異質なのよね!」
「し、尚香様!?」
「大丈夫よ、霞月。兄様は朝はよわ…「だぁれが異質だって?」…あら、おはよう。今日はちゃんと起きれたのね!」
「誤魔化すんじゃねえ。ったく…おはよ、霞月。お前の声はちゃんと聞こえてたからなー」
「孫策様、身嗜みをもう少し整えて下さいませ!」
「…義姉様、首筋をちょっと隠した方が良いんじゃないかしら?」
「え?きゃあ!!そ、孫策様〜!」
「ははっ、悪い悪い!大喬が可愛くてついな」
「大喬様が可愛いのは自然の摂理だから当然のことですだ。けんど、誰でも見えてしまうところに痕をつけるのは些か問題なのでは??大喬様、これを使って下さい。ちゃんと新品です!」
「霞月、有り難うございます…!可愛い模様ですね…!」
「!大喬様に似合いそうだなと思って買ったんです!気に入って頂けたようで何よりです!」


はー、私があげたすかーふ、という異国のものに顔を埋める大喬様可愛い過ぎるだ…ふわふわの、えっと、確かふぁー?というやつが鼻を擽るのか、擽ったいとくすくす笑う大喬様たまらなく可愛い。すかーふになりたいなんて烏滸がましいこと思わ……や、無理かも。大喬様の白魚のように美しい首をお守りしたい…「相変わらず霞月は趣味が良いじゃねぇか!流石だずぇ!」わっ!?


「ちょ、孫策様!?せっかく整えた髪が乱れます!!」
「良いじゃねぇか!良い子は全力で褒めねぇとな!!」
「全力過ぎますだ!」
「そ、孫策様!力加減をしてあげて下さいませ!霞月の髪が少し抜けてます!!」
「ちょ、兄様!!霞月の綺麗な髪が抜けちゃってるから良い加減に…「やめんか、策」あ、父様!」
「親父!此処に居るとは珍しいじゃねぇか、寝坊か?」
「馬鹿を言うんじゃない、少し散歩をしていただけだ。…霞月、息子がすまなかったな。めまいはしないか?」
「あ、有り難うございます…大丈夫です…」


本当はちょっぴりクラクラするけど、助けてくれたのが有り難くて素直にお礼を言えば、困ったように笑った孫堅様が優しく頭を撫でてくれた。…孫堅様に頭撫でられたなんて知られたら、私はきっとただではすまされない…孫堅様を慕っている方々はかなり多いからね…でも、気に食わない彼奴に自慢するくらいなら許されると思いたい。私だってずっと頑張ってるんだし、ご褒美くらい貰っても良いよね!そんなことを考えていれば、慌てたように大喬様が駆け寄って来た。心配そうな表情の大喬様可愛い過ぎでは??


「霞月、お怪我はありませんか?体調が悪いとかは…!」
「大丈夫ですよ、大喬様!めまいとかもしませんから!」
「それなら良いのですが……孫策様、女性に接する時は優しくして下さいといつも言ってるではないですか…!」
「わ、悪かったって…!…手加減はしたつもりなんだけどなぁ…」
「兄様、手加減してたらあんなにブチブチ毛が抜けたりしないから。…霞月、本当にめまいとかしない?ちょっと休んだ方が良いんじゃない?」
「尚香の言う通りだ。何なら部屋に飯を持って行くが…どうする?」
「そんな!!大喬様と食べることに意味があるのに、それを奪うと…?ご無体な…!!」
「冗談だからそんな顔をするな。…策、お前は権と尚香の間で飯を食え。尚香、策の見張りを頼めるか?」
「勿論よ、父様!義姉様、霞月のことを宜しくね?」
「ちょ、ちょっと待っ「霞月は私と二人で食べるのは嫌ですか…?」嫌な訳ないですだ!!……あっ」
「よし、決まりだな」


したり顔の孫堅様の表情を見て、まんまと掌の上でコロコロされたのだと察する。や、だってあの大喬様が私の服の袖を掴んで首を傾げながら聞いて来るんだべ??断われる訳ないし、断った人に殺意しか湧かない…羨ましけしからんってこの気持ちを最初に考えた人凄いだ…私の言葉に大喬様は目尻を下げて嬉しそうな表情を浮かべていて……何でこの人はこんなに可愛いのだろうか。別に孫策様が嫌いな訳ではないけれど、こんな可愛い人を独占出来るのは素直に羨ましい…きっと私の知らない大喬様を、孫策様は沢山知っているのだろう。


(ーー出会うのが、もう少し早かったらなあ…)


可能であれば、大喬様が孫策様に出会う前に出会えてたら、少しは変わったのかな。…私が幸せにするような展開があったりしたのかな、なんて所詮ないもの強請りみたいな考えを振り払う。…叶ったら良いな、なんて思わなくもないけれど。でも、大喬様が一番可愛いくて美しくて素敵な笑顔を浮かべるのは孫策様と笑い合ってる時だってちゃんと理解してるから、仕方ないから許してあげますよ!ーーでも、たまには私が独占しても構いませんよね?


「大喬様、行きましょう!今日の朝餉は私が提供した野菜がふんだんに使われてるみたいなんですよー」
「まあ、本当ですか?それは楽しみですね。霞月のお野菜はとても美味しいですから」
「作るのも練師だからねー、練師の料理はとても美味しいから!」
「野菜っつーと、味噌汁とか漬物とかなのかも知れねえなあ。ま、俺はあまり野菜は好かねえが、霞月の作った野菜ならいくらでも食えるんだよなあ…魯粛のも美味いけどよ」
「やはり霞月が農家の出だから、というのも少しは関係があるかも知れんな。ま、誰かに喜んで欲しいという霞月の気持ちが力になってる可能性も否定は出来んが」
「うふふ、霞月は義姉様が大好きだものね」
「大喬に一目惚れして呉に来たんだもんなあ、あの時はびっくりしたけどよ。やっぱ霞月は見る目があるよな、大喬は美人だしイイ女だ!」
「そ、孫策様…!!そんな、は、恥ずかしいことを大声で言わないで下さいませ…!誰が聞いてるのか分からないのですよ…!」
「そんなこと気にしないで下さい、大喬様。何か文句がある方々には私が直々に殴…げふんげふん、お話しに行きますからね!」
「…あまり大事にはするなよ、霞月」
「分かってますよ、孫堅様。孫権様のお手を煩わせる訳にはいきませんからね」


まあ、度を過ぎなければちゃあんと手加減はしてあげるつもりってだけなんだけど、ね?
“自分が好きな人を侮辱されて許せる訳ないし…規律を乱しかねないと判断してさっくり退場して貰うのも手だよね”、と至極当たり前だという表情(後者はにやりとほくそ笑みながらではあったけど)でさらりと言い退けた珠華ちゃんの台詞が脳裏を過ぎる。さっくり退場は私にはちょっと難しいかも知れないけれど、二度と大喬様の悪口を言わないようにするくらいは出来るかな…?闇討ちとかのコツを教わっても良いかも知れない。教えてくれるかなー、珠華ちゃんも翠青ちゃんも私に対して過保護なんだよね。


「は?何で霞月ちゃんがやらなきゃいけないの。誰だか教えて?苦しまないように一瞬で仕留めるから」
「えっ、霞月ちゃんが大切に想ってる大喬殿の悪口を言ったの?それは許せないね…因みに誰だか教えて貰っても良い?大丈夫大丈夫、ちょっと火計の実験台になって貰うだけだからね!」


……有り得る。二人して笑顔で言ってるんだろうな、なんて予想が付くからね。あの二人は戦いに慣れてるし、私がやるよりも遥かに簡単にやって退けるんだろうな、なんて思いながらもやっぱり私自身の手で下したいと思ってしまう。だって、大喬様は他の誰でもない“私が”守りたい人だから。誰かにその役目を譲るつもりなんてないんだ。こっそりと隣を歩く大喬様の表情を盗み見る。ー…この笑顔を曇らせることがないように、私は全力を尽くそう。

だからね、ちょーっとくらい私を鍛えてくれても良いだ!私が!やりたいの!!目線を逸らすんじゃねぇべ!!



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