蜀の問題児、推参



ーー貴方が居れば、私はそれだけで十分なのです。

もう何回も感じた戦場の匂いや雰囲気を味わいながら、先頭をひたすらに駆けて行く大事な人の後を追いかける。その人こそ私の上司であり、誰よりも尊敬しているーー馬岱さんである。必死に駆け抜ける馬岱さんかっこいいなあ、なんて思いながらとりあえず向かって来る人達をメリケンサックで殴りながら口を開く。


「馬岱さん、こっちの方に進軍して良いんですか?軍師殿の策ではまだだったような気がしますけど」
「あれ、珠華ちゃん!?君も来ちゃったの!?あー、若がねえ、突っ込んじゃったから連れ戻さないとね」
「馬岱さんの隣が私の生きる場所ですから!…またあの人突っ走ってるんですか?あの人のことだから民に何かありました?」
「何で俺が良いのか分からないよ…そうだねえ、民が襲われてるのを見て放っておけなかったみたい。若らしいけど、怒られるの俺なんだよね…」
「馬岱さんを叱らせる訳には参りません、私が全ての責任を負いますよ」
「ゑ」
「ーーあのバカを連れ戻して参ります」
「ちょい!珠華ちゃん!?」


私を呼び止める馬岱さんの声に後ろ髪引かれつつ、私は前を目指してひたすら駆け抜ける。馬岱さんに迷惑掛けるなって何度も言ってるのに…あのバカの耳は飾り物なんだろうか。いっそのこと引き裂いてやろうか、なんて思っていればあの人の声が聞こえて来た。どうやら近いらしい。辺りを見渡せば、前方に意識を集中させているせいで背後の敵に気付いていないその人の姿がありーー…別にどうなっても良いけど、あの人が傷付いたら馬岱さんが悲しむからなあ…仕方ない、助けるか。私は小さく溜息を吐いてから地面を蹴り、あの人と敵の間に入り殴り付ける。う、倒したけど少し切られたか…隠さないと。そんなことを思っていれば誰か来たことに気付いたのだろう、振り向くような気配があった。


「おお、珠華!助太刀に来てくれたのだな!やはりお前は頼りに…うお!?」
「若、馬岱さんに迷惑掛けるなって何度も言いましたよね?何回言ったら分かってくれるんです?策を破って叱られるのは馬岱さんなんですけど?あのいけ好かない軍師殿に叱られる馬岱さんの身になったことあります?ありませんよね、あったらこんなことしませんもんね」
「す、すまない…しかし、仕方ないだろう!民が襲われてるのを放ってはおけん!」
「今此処に民は居ませんけど?まあ、若のことだから深追いし過ぎたんですよね…はー、後で殴らせて下さい」
「んな!?…それを外してくれるのなら許可しよう。俺が突っ走ったのが悪いしな」
「…貴方に怪我を負わせれば馬岱さんが悲しみますからちゃんと外しますよ。その代わり、一緒にあのいけ好かない軍師殿に叱られて下さいね!」
「勿論だ!…すまないな、珠華」
「…全ては馬岱さんの為ですから!」


貴方の為じゃありません。
そう付け足せば、若は愉しそうに笑いながら相変わらず素直ではないなあ、なんて呟いている。…一発だけにするつもりだったけど、何だか腹が立ったから気の済むまで殴ろうかな、と向かって来る人達を殴り付けながら考える。メリケンサックを外すほか言われてないし良いよね?ボコボコにし過ぎて馬岱さんに叱られないようにしないとなあ…程々が1番だよね、うん。

ーー結局、全ての戦いが終わった後、私は若の頭を殴り付ける。顔は狙わないから感謝してね。何回も殴った時は流石に焦ってはいたけど、素直に受け入れてくれたのは自分に非があるのを認めてくれてるからなんだろうなあ…気を付けてくれたら良いけど、戦好きの若が大人しくなるはずないから諦めるしかないか…と説教されながら思う。足痺れて来たなあ…正座じゃなきゃダメなのかな…あー、空が青い…鳥になって大空を飛びた…「こら、珠華!孔明様が話しているのですよ!」…五月蝿いなあ…


「はーい、ちゃんと聞いてますよー。もう良いじゃないですか、大体若から目を離した人だって悪いと思いますけど〜?」
「ちょい、珠華ちゃん!?」
「だってそうじゃないですか。私か馬岱さんが居なきゃ若の暴走を止められませんよー、って何度も進言したのにそれを聞き入れて下さらなかったのは軍師殿、貴方ですよね?」
「…ええ、そうですね…まさか彼処まで強引とは思いませんでした…その辺については申し訳ありません…しかし、忍である貴女なら、戦闘せずに引き下がることも出来たのではありませんか…?」
「最終的には落とす場所なんですから良いじゃないですか。若は暴れ足りなさそうでしたし、警戒されることなく狙えたんだから悪いことじゃないですよね?ちゃんと成果も上げてますし民だって守れましたし」
「そうだねぇ、確かに珠華の言う通りだ。あっしもそこまで怒らなくて良いと思うよ」
「龐統…貴方まで言いますか」
「諸葛亮、お前さんは少し頭が固いねえ、確かに順番は多少狂ったけど、目的は達成したし怪我人も出ていない。褒めてあげても良いと思わないかい?そうだろう、劉備殿」
「ああ、龐統殿の言う通りだな。珠華、馬超、大義であった。特に…珠華。突っ込む癖がある馬超の手綱を握りながら民に気を配るのは疲れただろう、良く頑張った。しかし…無理をするのは褒められたことではないな」
「、何のことでしょう」
「我慢は良くないな。ほら、出しなさい」
「〜はー、劉備様には絶対バレますね。この程度、ツバを付けておけば治ります」
「珠華ちゃん怪我してたの!?言ってよ!!手当てしなきゃ!」
「誰にやられた!?この馬超が仕返ししてやる!女子を狙うとは何と姑息な!」
「若が突撃しなきゃ怪我しなかったんですけどねー。…劉禅様、血はまだ止まってないので触れないで下さい。汚れてしまいますよ」
「…痛いなあ。珠華が傷付くと私は悲しい。無理はしないで欲しい」
「…善処します」


ああ、だめだ。劉備様と劉禅様が悲しい顔をするのはあまり見ていたくない。だから隠し通そうとしたのになあ、と馬岱さんに手当てされながら思う。最初は責任を感じたのか若がやろうとしてくれたんだけど、不器用だったから、ね…見兼ねた馬岱さんがやってくれてるんだけど、馬岱さんにやらせるくらいなら自分でやりたい…私の血で馬岱さんを汚すとか何なの?死んだ方が良くない?「変なことを考えてはダメだぞ」…はぁい、分かりましたー。劉備様にはどんな隠し事もバレるんだよなあ、不思議。他の人には隠し通せるのに。…まあ、だからこそ皆がこの人に賛同するんだろうな、私もだけど。


「お前さんが怪我するなんて珍しいじゃねえか、何かあったのか?」
「大方余所見でもしていたのではないか?お主は良く戦中に空を眺めておるからな。これに懲りたらもう少し集中するのだぞ」
「雲長、きっとそれは違う。珠華のことだ、馬超か民に忍び寄る気配に気付き、身を呈して間に入ったのだろう」
「…劉備様こっわ、見てました?ってくらい的確なんですけど…」
「何!?俺のせいではないか…!…あの男か?くそ、もう少し痛め付けるべきだったな…」
「若がもう少しでも背後に気を配ってくれれば良いんですよ…死体蹴りは良くないです。ね、馬岱さん」
「んー、そうだねぇ…でも、珠華ちゃんも無理しちゃダメだよ?女の子なんだからね!」
「私は忍ですよ、馬岱さん。主を守って死ねるのなら本望です」
「珠華」
「…ごめんなさい、言い過ぎました」
「分かれば良いんだ、珠華。私達はお前が居ないと寂しい。あまり悲しいことを言わないでくれ」
「…はい、分かりました」
「お前さんはもう少し自分を大事にするべきだねえ、お前さんだって蜀の一員なんだからね、自覚しておくれよ?」
「…はーい、龐統先生」
「おうおう、いつもそれくらい素直なら良いんだけどな!」


わしゃわしゃと張飛殿から頭を撫でられる。髪が乱れるー、なんて言いながら抗議すれば、張飛殿は愉しそうに笑いながら引き続き撫でて来る。翼徳、と私と張飛殿を見比べながらわたわたする劉備様と関羽殿に大丈夫ですよー、と答える。きっともうそろそろ星彩の雷が張飛殿に落ちる頃合いじゃないかな、と思っていれば…「父上、珠華は怪我人です」と静かな声が聞こえて来た。やっぱり今だったか、そんな気がしてたんだ。張飛殿が私から離れると同時に、張苞が私の顔を見ながら口を開く。


「鍛練不足じゃないか?久し振りに手合わせしようぜ!」
「あ、私もお願いしたいです!」
「張苞殿、銀屏殿、珠華殿は怪我人ですよ。今は治すことが最優先です」
「ええ、趙雲殿の言う通りですね。…しかし、貴女も貴女ですよ。1人で行かずに周りの者を呼べばその怪我もしなかったかも知れません」
「拙者が抑えきれなかったからこんなことに…未熟ですまない」
「大丈夫ですよ、関平殿。若がそう簡単に抑えれるなら私も馬岱さんも苦労しませんし。それに、私が着いた時はもう危なかったですし、呼んでる暇なんてないですよ。私、足速いですし」
「俺、馬に乗って若のこと追い掛けてたのにすぐに追い抜かれちゃったからねえ、困っちゃったよ」
「馬岱さんに苦労掛ける訳にはいきませんから!馬岱さんに苦労掛けるくらいなら舌噛み切って死にます」
「…愛が重いよぉ…誰かこの子止めて…」
「…迷惑でした?」
「そんなことないよ!?だからそんな泣きそうな顔しなくて良いんだよ!そうじゃなくて珠華ちゃんは可愛いんだし、鮑三娘ちゃんみたいに…まではならなくて良いけど、恋愛とかさー色々あるじゃない?そういうのに興味示しても良いんじゃない?」
「…んー…私は馬岱さんが居たらそれで良いんです。馬岱さんと若のお側で劉備様と劉禅様が天下を取る姿を見ることが私の全てです」
「…珠華に期待されているのだから頑張ればならんな。劉禅、お前も少しは頑張るのだぞ」
「…頑張りたくはないですが、珠華の為なら頑張ります…しかし、珠華。私と父上が天下を統一したらすぐに死ぬのはダメだぞ。分かってくれるだろう?」
「…はい、無理はしません。大丈夫です」
「うん、そうしてくれると私は嬉しい」
「無論、私も嬉しい。誰一人欠けることなく、仁の世を作っていこう」


劉備様の力強いお言葉に、その場に居る全員で力強く頷いて答える。ああ、だからこそこの人に着いて行きたいと人々が集まって来るんだろうな、なんて思いながら劉備様を見つめれば、劉備様は優しく微笑みながら今夜は宴にしよう、珠華の好きな料理を沢山用意しよう。と私の頭を遠慮がちに撫でてから言ってくれ…関羽殿と趙雲殿顔こっわ…劉備様大好きだからってそんなに睨まないで欲しい…なんて思いながら、劉備様に少しばかり近寄れば劉備様は甘えたい気分なのか?なんて言いながら私をまるで犬猫のように撫でてくれ…流石に此処までにしておこうかな、関羽殿と趙雲殿のお顔が敵に対する時の形相だ。…ちょっと調子に乗り過ぎたかなあ。


(…結婚、か)


考えたこともなかった。諸葛亮殿と月英殿みたいな夫婦に憧れない訳ではないけど、だからといってすぐにそんな関係になれる訳ないからねえ、そもそも相手が居ないし。…馬岱さんもいつかは結婚するのかな。その時は馬岱さんだけじゃなくて奥方や御子息様にもお守りせねば。やっぱりそう簡単には死ねないなあ、と思いながら私は関羽殿と趙雲殿から逃げる為に地面を蹴るのだったーー。