ーー殿の思いつきにはいつもびっくりさせられる。

今日は今までと同じように楽進殿や曹休殿と一緒に鍛練をしていたんだけど、今日はいつもと違った。部下の1人が私を見て走って来て曹操様が呼んでる、と一言。…ー私、何かやらかしたっけ?そんなことを思いつつ、殿の部屋に向かいノックしてから中に入れば、何やら機嫌の悪そうな郭嘉殿を必死に宥めている荀ケ殿の姿があり首を傾げる。…女性に甘い郭嘉殿を宥める為に私が呼ばれたのかな?そんなことを思っていれば、不意に荀ケ殿と目が合いーー…荀ケ殿は悲しそうに顔を歪めながら口を開く。


「…翠青殿…」
「翠青殿、だって?…ああ、やはり君は今日も可愛いらしいね。曹操殿に呼ばれたのかな?そんなの無視して私と村に出掛けないかい?」
「ダメですよ、郭嘉殿。…しかし、殿。彼女を呼び出したのはあの件ですよね?…あまり良い方法とは思えないのですが…」
「それは本人に聞いてみなければ分からぬだろう。翠青、こっちに…「来なくて良いよ、翠青殿」…郭嘉」
「彼女は魏の大事な将だよ。…手放したりなんか出来ない」
「その将としての実力を高める為だと言っているだろう。…翠青、お前の戦い方は火計が主であろう?」
「えっ、と……まあ、そうですね?」
「うむ。それでだな、孫呉に火計に詳しい武将が居るのは知っているか?」
「火計に詳しい……陸遜殿と朱然殿、でしたっけ?名前だけは知ってますがお会いしたことはないです」
「(郭嘉の仕業であろうな…あの二人はなかなかの美男子であるし、翠青と会わせたくなかったのかも知れぬな)うむ。…まあ、早い話が孫呉に異動して火計について学ばぬか、という話なのだが翠青としてはどうだ?」
「ーー孫呉に異動、ですか」


話には聞いていたし、一度は会って話してみたいと思っていた。此処は何より私達の世界ではなく、全員の敵である妖魔を倒すべく連携を図るべきだと思っているしーー…悪い話ではない、と思える。火計について色々知りたいし。…でも、異動か。元々家が殿の支配下だったからなし崩しに殿の軍に仕官したものの、それなりに頑張って来たつもりだけどーー…お役御免、なのかなぁ…


「…言い方が少し悪かったのかも知れぬな、少し変えよう。わしの覇道の為に力を付けてくれ、ということだ」
「…お役御免、ってことではないのですね?」
「何を言う、翠青。お主の武勇はわしの目指す覇道に必要な存在…わしが天下を統べ覇道の道を開いたとしても、翠青の存在はなくてはならぬものよ。孫呉には貸してやるだけ…嫌になったらいつでも帰ってくれば良いのだ」
「成程……殿の真意は分かりました。それで、郭嘉殿はどうして彼処まで嫌がっておられるのです?」
「彼奴は翠青と離れるのが寂しいそうだ」
「…翠青殿、行きたくないなら無理はしなくて良いんだよ?最初から行かなければ良いんだ、うん。それが一番良い」
「郭嘉殿、良い加減にして下さい。貴方の意見を押し付けては翠青殿が可哀想です。…翠青殿、私達に遠慮せずに選んで下さい、自分の気持ちに嘘を付いてはいけませんよ」
「…少し、考えさせて下さい」
「うむ、ゆっくりと考えてくれ」


殿は私の言葉に優しく微笑みながら頷き、もう下がって良いぞと声を掛けられる。私は頭を下げてから殿の部屋を後にする。ーー異動、異動かあ…学ぶ為とはいえ魏を裏切ることに繋がらないかとか色々不安だなあ…お母さんとお父さんは何て言うんだろう。殿の申し出なんだから受け入れるべき、かな?それとも絶対に断われ、かな?うーん、どっちも有り得なくはない…珠華ちゃんや霞月ちゃんに相談してみようかなあ…あの二人なら良い答えをくれそうな気がしないでもないなあ…なんて考えていれば、不意に両脇を逞しい腕に掴まれ、視線が一気に高くなる。驚いたもののこんなことする人と言えばーー…


「典韋殿、いきなりはやめてって言ってるじゃないですか!」
「はっはっは、良いじゃねえか!翠青が辛気臭い顔してるのが悪ィんだよ!…どうした、誰かに虐められたか?わしが懲らしめてやろうな」
「多分違うと思うぞぉ、典韋。殿の思い付きじゃねぇのかぁ?」
「殿の?」
「…良くお分かりで。私の火計をもっと学ぶ為に孫呉に居る陸遜殿と朱然殿の元に勉学の為に行かないかって話なんですよ…」
「孫呉だと!?…一体殿は何を考えてるんだ?」
「それは多分翠青が聞きたいと思うぞぉ…よしよし、翠青。びっくりしたなぁ…大丈夫だぞ、翠青の決定に文句を言う奴が居たらおいら達が懲らしめてやるからなぁ」
「勿論だ!一番困惑してるのは翠青だからなあ、当たり前のことだろうな」
「…典韋殿、許褚殿…有り難うございます」
「気にするなって。おら、甘いもんでも食いに行くか。許褚、良い店知ってんだろ?」
「おいらに任せて欲しいぞぉ!きっと典韋も翠青も気にいるぞ!」
「そいつは楽しみだなぁ。な、翠青」
「ーー…うん、楽しみです」


にっこりと笑いながら言えば典韋殿と許褚殿はホッとしたように笑いながら、私をおぶったまま歩き出す。典韋殿の背中は暖かいなあ…孫呉に異動したらこの温もりには暫くお別れしなきゃいけないのがつらいなあ…でも、火計の腕も学びたいし磨きたい。何より殿の為だし。殿からの提案を無碍にするなんて絶対に嫌、なはずなんだけどなぁ…どうしてこうモヤモヤするんだろう。…珠華ちゃんと霞月ちゃんに会いたいなあ、なんて考えていればお店に着いたみたいだ。ふと典韋殿の背中から顔を上げれば見知った顔が見えて思わず声を上げる。


「夏侯淵殿、夏侯覇殿!」
「お?翠青に典韋に許褚じゃねーか!まさかこんな所で出会うとはな!」
「相変わらず仲が良いなあ、翠青殿と典韋殿と許褚殿は!…浮かない顔してどうしたんだい?俺で良ければ話くらい聞くよ?」
「あー…あれだろ、殿だろ。孫呉の件か?惇兄は許可をしてないのになぁ、殿は翠青に話したのか…まあ、何だ。あまり抱え込まなくて良いんだからな、無理はするんじゃないぞ」
「夏侯淵殿は知ってたんですかい?」
「まあ、殿は何かあれば必ず俺と惇兄に相談して来るんだよ…まあ、惇兄の許可目当てだろうけどな。だから翠青を…ええと、何だっけか。確か陸遜殿と朱然殿だったような…あの二人と共に学ばせたら強くなるんじゃないかって言って来てな、惇兄が鬼の形相だったぜ」
「…鬼、ですか?」
「翠青は孫呉に行かなくても十分強いだろうが、孫呉にくれてやる訳にはいかないだろ、ってな。いやあ、彼処までキレてる惇兄はなかなかお目に掛かれるもんじゃねぇな!」
「…ひえ…」
「よしよしー、大丈夫だからなぁ、翠青。元気出すんだぞー」


夏侯淵殿から言われる言葉に思わず言葉を失っていれば、私が夏侯惇殿に対して苦手意識を持っていることを知っている許褚殿が頭をポンポンと撫でてくる。うう、無理ー…私がそこまで夏侯惇殿に認められてるのってどうして…?…一応釈明はさせて欲しい、私は別に夏侯惇殿が嫌いな訳ではないよ、うん。そんな失礼なこと言えないわ…ただ、怖いんだ。あの仕事へのストイックさとか、顔もそんなに穏やかではないし…何より、殿への態度が本当に怖い。モーヲタなんて一部で言われてるくらい殿が大好きで、それでもミス一つ見逃さないーー…あの人、どれだけ周りが見えてるの?本当怖い…苦手意識持ってることに気付かれているのか、夏侯惇殿がスキンシップ苦手だからかは定かではないけど、あまり会話はしていないから気に入られる要素はないはず…本当に不思議だ。内心首を傾げていれば、夏侯淵殿が楽しそうに笑いながら口を開く。


「惇兄さ、一度翠青を自分の部下に欲しいって殿に直談判した時があったんだよ。殿は翠青が惇兄のこと怖がってるの知ってるからそれっぽい理由付けて断わってたけどな!俺も翠青と仲良いし、惇兄からどうしたらそこまで気を許して貰えるんだ、とか言われたことあったなあ」
「な、何それ…寝耳に水なんですけど…そもそもそんなに会話してないですよ…?」
「夏侯惇の旦那は翠青の目に興味を持った、って言ってた気がするぜ。女にするには惜しいとも言ってたな」
「戦い方も無駄がないから良いって言ってたぞぉ!あとは、泳ぎも綺麗だって言ってたなぁ」
「めっちゃくちゃ褒めてるなあ…翠青、大丈夫?生きてる?」
「しにそう」
「はは、そんなに悪いことじゃねぇんだから。まあ、叔父さんって口下手だから誤解してるのかも知れないけど、話してみたら良い人なんだぜ?」
「まあ、無理に仲良くなれとは言わないけどさ。翠青を大事に思ってるのは本当だからちょっとだけでも気を許してやってくれたら俺は嬉しいぜ」
「…まあ、考えてみます」
「おう!有り難うな!」


私の言葉に夏侯淵殿は嬉しそうに笑った後、私の頭を優しく撫でてくれた。…それもそうか、優しい夏侯淵殿の従兄弟なんだから悪い人な訳ないか…そうだとしても、すぐには仲良くはなれないだろうけど少しは頑張ってみようかな…珠華ちゃんと気が合いそうなタイプだよねとは思っていたし、珠華ちゃんだと思えば良いかも……?あ、ダメだ。珠華ちゃんはあんなに怖い顔してない。無理だね、うん。絶対に無理だ。


(ーー…そこまで評価してくれてる人にかなり失礼だとは思うけど、ね)


私を評価してくれてることに関しては感謝しかしてないけど、だからと言ってすぐに苦手意識を消せる訳がないからね、そう簡単に消せたら苦労しないし。……ごめんなさい、夏侯惇殿。私が貴方を好きになることは多分そうそうないです……申し訳ないけど、ね。そんなことを思っていれば、目の前に美味しそうな練りきりが登場した。思わずぽかんとしていれば、典韋殿が笑いながら口を開く。


「まあ、まずは食え!翠青は練りきりが好きだろう?好きなだけ食え!此処はわしが奢ってやるからな!」
「え!そんな、悪いですよ!」
「気にするな、わしがしたいからするだけだ。今日は何も考えずに食え食え」
「んだ、典韋の言う通りだぞぉ。柏餅も美味いぞ!」
「お、お互いの好きなものを教える感じか?良いねえ、面白そうだ!俺はみたらしが好きだな!息子はどうよ」
「いやいやいやいや、ここは草餅っしょ!親父は分かってないなあ!」
「わしはわらび餅が好きだな、なかなか美味い!」
「ーーもう、そんなに食べれないですよ」


私の言葉に典韋殿達は楽しそうに笑いながらもそれぞれの好物を勧めてくる。とりあえず一口でもどうだってことでそれぞれ貰ったけど、どれもこれも甲乙つけがたいくらいに美味しい。幸せだなぁ、と改めて思う。この時間がずっと続けば良いのに…でも、それは殿の命に背くということ。反対意見が多いとは言え、あまり褒められたことではないだろう。それを分かってるからこそ、なかなかに難しい決断だったりする。殿もきっと考えがあるだろうし…その意図さえ分かれば少しは考える幅が広がるんだけどなぁ。


「まーた、深く考え込んでるな?翠青は真面目だからなあ、仕方ないか!なあ、翠青。そんなに難しく考える必要なんてないんだぞ?まずは行ってみたら良いんじゃないか、それでダメだなーって思ったら帰って来い、殿も言ってただろ?」
「…そんな簡単に言わないで下さいよー」
「ダメか?孫呉が合いませんでしたから帰って来ました、で良いじゃないか。帰って来てるし一度は行ってるんだから殿の命に背いたことにはならないだろ?なあに、この魏に翠青を責めるような輩が居たら俺が許さねぇよ。仲間だろうが射抜いてやるさ」
「ーー…夏侯淵殿〜〜!!」
「よしよし、お前は変に真面目だからなあ。そこも翠青の良いとこだが、考え過ぎるのはたまにキズだな。いつでも帰って来れば良いんだぜ。もし孫呉が居心地良かったら寂しいけど向こうに居着いても良い訳だしな。昔馴染みが居るんだろ?」
「…裏切り者、にならないですかね…?」
「なる訳ないだろーが!そりゃあ寂しいけどな?翠青の幸せが俺達にとって一番大切なことだからな。まあ、翠青を泣かせたりしたら殴り込みに行くかも知れないがそれくらいは許されるよな!」
「ーーふふ。何ですかそれ…」
「親父!?翠青泣かしちゃいけないっしょ!!」
「見損ないましたぜ…」
「翠青、大丈夫かぁ?虐められたのかあ?」
「いやいやいやいやいや、誤解だ!誤解だからな!!」
「嬉し泣きですよ」


慌ててそう答えたものの、庇ってるんじゃないか?と逆に心配された。う、泣いてるのが悪いのは分かっているから泣き止みたいんだけど、どうしたら良いの…夏侯淵殿の優しさが嬉しくて涙が止まってくれそうにない。嬉し泣きなのに間違いはないのに、これじゃあ説得力に欠けてしまう。ゴシゴシと目を擦っていれば、不意に優しく頭を撫でられた。思わず顔を上げればそこには夏侯覇殿達に頭を叩かれながらも優しく笑っている夏侯淵殿の姿があり、再び涙腺が刺激されてしまった。…こんなに大切にされてるなんて、私は幸せ者だなぁ…

 前へ 戻る 次へ