ーーせっかくの機会を不意にする訳にはいかないよね。

殿から孫呉行きの話を受けてから数日が経った。未だに決断は出来ていない。早めにしなければ、とは思っているんだけどーー…どうしても、迷いが出てしまう。私は自分で思ってる以上に魏のことが大好きなんだろうなあ…そんなことを考えながら歩いていれば、ふと見覚えのある後姿が見えて来た。その後姿に思わず私は駆け出し、大好きな二人の背中に飛びつく為に地面を蹴る。誰よりも気配に敏感なあの子は仕方ないなあと言いたげな表情をしながらも腕を広げてくれた。ぽすんと優しく抱き止められ、驚いたような昔馴染みの姿ににっこりと笑みを浮かべる。


「久し振りだね、珠華ちゃん!霞月ちゃん!」
「びっっっっくりしただぁ…いきなり珠華ちゃんが振り向くし腕広げるしで困惑してたら翠青ちゃんが飛び込んで来たべ…心臓に悪い…」
「あはは、ごめんね!まさかこんな所で二人に会えるなんて思わなかったからつい…」
「…何かあった?浮かない顔してるみたいだけど」
「隈が出来とる…ちゃんと寝なきゃダメだべ?」
「あー…ちょっとだけ、相談に乗って貰えたりしないかな、なんて」


流石に望み過ぎかな、なんて思いながら二人を見つめれば、二人は呆れたような表情を浮かべた後何やら耳打ちしている。何の話をしてるんだろう、仲間に入れて貰えないかな、と思っていれば優しい表情を浮かべている霞月ちゃんに右手を掴まれ、珠華ちゃんに左手を掴まれる。え?え?と思っていれば、珠華ちゃんが楽しそう……じゃないかな、うん。意地悪な笑みを浮かべながら口を開く。


「私達が翠青ちゃんの頼みを無碍にする訳ないでしょーが。どっかでお茶でも飲みながらゆっくりお話しよう」
「んだ!翠青ちゃんのお気に入りの店があれば教えて」
「…いいの?」
「昔馴染みの頼みを断わるほど私達は薄情じゃないのは翠青ちゃん自身が知ってるんじゃない?…まあ、私より霞月ちゃんの方がお人好しだけどね。宿探ししてたら私も翠青ちゃんもまとめて泊まらせるし。畑仕事楽しかったなあ」
「畑仕事楽しいべ!!二人とも放っておいたら死にそうだったからなあ、これくらい当然だべ」
「「死なないから」」
「本人はそう言うに決まってるだぁ…」


やれやれ、と言いたげに首を横に振る霞月ちゃんに解せぬ、と思っていたのは私だけではなかったらしい。まあ、そうだよね!ジト目になっている珠華ちゃんそっちのけで、霞月ちゃんは楽しそうに早くお店に行こうと誘ってくる。変わらない昔馴染みに癒されながら、私は自分が気に入っている甘味処へと案内する。実は此処はまだ誰も知らない穴場なんだよね…まあ、司馬昭殿は知ってそうではあるかな、なんて思ってはいるけど何も言われないから知られてないと思っておこう。甘味処に着き、それぞれが甘味を頼んでから珠華ちゃんが静かに口を開く。


「…それで?翠青ちゃんは何を考え込んでるの?」
「あー…まだ確定ではないんだけどね?殿から異動の話が出てて…あ、異動って言っても火計のことを学ぶ為に一時期行かないかって話なんだけど…どうしようか、迷ってて…」
「…火計って言うと、霞月ちゃんのとこの軍師ともう一人の仲良い人じゃない?確か…陸遜、だっけ。もう一人は朱然だったかな」
「さっすが珠華ちゃんだべ!!忍の情報量を甘く見ちゃダメだべなぁ…孫堅様が欲しがるのも無理ないべ…」
「え、何それ聞いてない」
「珠華ちゃん真顔怖いよ!?…まあ、その二人の元に学びに行かないかって話なんだけど……裏切りに、ならないかなあって。分かってるんだよ、殿から直々のお言葉だから受けるべきなのかなって。…でもさあ、急に言われても決心がつかないというか何というか…」
「…ううん、なかなか難しいべな。私としては翠青ちゃんが孫呉に来てくれるのは嬉しいだ。でも、あまり良い気しない人が居るのは否定は出来ねぇだ…」
「そうだねえ、暫くは魏からも呉からもあまり良い顔をしない人は多少居るだろうね。…異動じゃなくて視察的な扱いじゃだめなの?」
「視察?」
「そうそう。いきなり新天地に行けって言われても困るじゃん?裏切り者なんじゃないかとか間者なんじゃないかって疑われるのが関の山だし。だからこそ、最初は遊びに来ましたー、的な意味合いでも良いと思うんだよね。完全に籍を置く訳じゃなく、昼間だけ孫呉で朝晩は魏みたいな。それならいきなりじゃないし多少は周りからの目も軽減されるとは思わない?」
「…珠華ちゃん…天才…?」
「…忍ならではってことだべな…」
「そんな大袈裟な。初対面よりかは顔見知りの方が色々聞き出せたりするでしょ?そういうことだよ」


珠華ちゃんはカラカラ笑いながら届いた甘味に早速手を伸ばしている。草餅美味しそう…粒あんかな?霞月ちゃんはお団子を頬張っている。それも美味しそうだなあと思いながら、私は練り切りに手を伸ばす。うん、相変わらず美味しい。このお店が向こうにもあれば良いのになあ…此処だけにあるから良いのか。そう自己完結しながらも視察、という提案について考える。それなら郭嘉殿も納得してくれそうな気はするなあ…殿も受け入れてはくれそう…そう考えていれば、お茶を飲みながら遠くを見ていた珠華ちゃんが口を開く。


「…今はほら、蜀とか魏とか孫呉とか…呂布とか関係なしに元の世界に帰るまではって同盟組んでる訳だし、どうせ向こうに帰ったら記憶なくなるんだし好き勝手して良いんじゃない?利用出来ることはするべきだよ」
「…それじゃあ珠華ちゃんも孫呉に来る?いやあ、楽しくなるだ!」
「ゑ、行かないよ?」
「んだ!?」
「私じゃなくて翠青ちゃんの話だよ。…ど?少しは寝れそう?」
「…うん。有り難う、すっきりした。珠華ちゃん、魏にも来てぇ…」
「行かないから。にもって、私が孫呉に行くの決定みたいな言い方しないでよ」
「…だって珠華ちゃん、蜀に居たら早死にしそうなんだもん。馬岱殿や馬超殿に危機が迫ったらすぐに首突っ込む上に劉備様や劉禅様も守る対象なんでしょう?…死んじゃやだよ…」
「…んだ。最近の珠華ちゃんは生き急いでるようにしか見えないべよ。珠華ちゃんも息抜きがてらに孫呉に視察に来たら良いだ!畑仕事するべ!」
「…此処に来てまで畑仕事するの?」
「何言うだ、翠青ちゃん!畑仕事は至福の時だべ!大喬様や周瑜様、翠青ちゃんと珠華ちゃんと一緒に居る時の次に幸せな時間だべ!!」
「…変わらないなあ、霞月ちゃんは。ね、珠華ちゃん。たまには息抜きしよう?」
「…まあ、考えとくよ」


あ、絶対に考えてくれないやつだ。
そう確信しながらも、私は困ったように笑いながら言葉を濁す。こうなった珠華ちゃんは頑固なんだよねえ…それを知っている霞月ちゃんもまた歯痒い表情を浮かべている。…珠華ちゃんは優しいから、私達が泣いて縋ればきっと考え直してくれるだろう。だとしても、此処での記憶は消えてしまうから意味があまりない。向こうに行ったら敵同士になっちゃうし…どうしたら、良いのかな…珠華ちゃんに魏に来て欲しいけど、馬岱さんが居るから無理だろうし…いっそ馬岱さんごと勧誘してみちゃう?…無理だろうなあ…劉備様に心酔してるの分かるもの。…本当、上手くいかないなあ。


「ーーいやあー、翠青ちゃんが孫呉に来るなんてびっくりだべ!確かに火計だったら陸遜様や朱然様が詳しいから学びに行けって言うのも分かる気がするだ!…まあ、あの2人は面倒くさくなったらすぐに燃やそうとするとこがあるからそこは見習わないで欲しいべ…」
「え、陸遜殿は軍師じゃないの?」
「…策通りにいかなかったりするとすーぐ燃やそうとするだ」
「しゅ、朱然殿は…?」
「あの人はそもそも燃やすことが大前提だべ」
「…嘘でしょ…?奥の手みたいな感じじゃないの!?」
「はー…あの2人って最後の手段的な感じで火計を選んでる訳じゃなく、出来そうなら燃やそうって考えなのか…あんなに穏やかそうな表情で恐ろしいね…」
「…殿、私にもその大胆さを身に付けて欲しいからってのもあるのかも…?」
「…あー、どうだろう。知らない可能性もあるんじゃないかな?寧ろ知ってたら行かせない気がする」
「あー…確かに曹操様が知ってたら異動なんて話は出る訳がないべ」
「?どうして?」
「あの人が翠青ちゃんを手離す訳ないからね」
「曹操様は翠青ちゃんのこと翠青ちゃんが思ってる以上に大好きだと思うべ」


困ったように珠華ちゃんが笑いながら言った言葉に、霞月ちゃんが頷きながら賛同する。…好かれている方だとは思っていたけど、2人がそこまで言うほど好かれてるとは思ってなかった…珠華ちゃんと霞月ちゃんが私に嘘付く訳ないし、きっと真実なんだろう。…私、人妻でもないのに殿は何処が好きなんだろう。大喬様や小喬様に興味を示していたから私は該当しないと思っていたんだけど…そう心の中で呟いていたつもりだったんだけど、どうやら口に出していたらしい。それに私が気付いたのは、私を焦って呼ぶ珠華ちゃんの声と、いつの間にか肩を掴んでいた真顔の霞月ちゃんの存在だった。…やらかしたかな…


「か、霞月ちゃん…?痛いよ…」
「翠青ちゃん。…それ、本当?曹操様は大喬様に興味がある…?」
「かーげーつ、落ち着いて落ち着いて。ほら、翠青ちゃん痛いって。深呼吸しよう?ひっひっふー」
「珠華ちゃん、それちが…「ひっひっふー」やるんだ!?」
「…ん。落ち着いた。翠青ちゃん、急に肩掴んでごめん…」
「落ち着いたんだ……ううん、大丈夫だよ。私こそごめんね、びっくりしたよね」
「(翠青ちゃんが霞月ちゃんの地雷を踏みに行ったことに)びっくりしたよ…まあ、曹操殿が人妻好きなのは知ってたから意外ではないけど…息子の嫁さんにも興味あるんだっけ」
「……修羅場だべ!!」
「そうだね、修羅場も修羅場だ。…二喬にも興味示してるんだ?」
「…うん、一度でも良いから相見えたいものよ、って言って夏侯惇殿に頭叩かれてた…痛そうな音だった…夏侯惇殿怖い…」
「誰であっても大喬様に危害加えるなら容赦しねぇだ」
「霞月ちゃん顔怖いよ…!!た、多分大丈夫だから、ね!落ち着こうね!」
「ほーら、お団子また来たよー」


あーん、と霞月ちゃんの口元に団子を運び食べさせている珠華ちゃんに対し、いつの間に追加注文したんだろうと思いつつ黙って眺める。珠華ちゃんの忍だからかその行動一つ一つのが早い。注意してても見逃してしまう。…そういえば賈詡殿が味方の今は珠華ちゃんが頼もしいと言っていたけど、きっと敵になったら怖いって言いたいんだろうなあ……私も、そう思う。珠華ちゃんは一度懐に入れた人にはとことん甘いけど、敵だと認識した人には容赦ないからね…そこが良いところだけど。霞月ちゃんは戦は不慣れだけど、運が霞月ちゃんに味方しているというか…なかなかに幸運なことが多い。背後から狙われた時、偶々振り返った霞月ちゃんの肘が相手の目に当たったとか同じ戦場に居た夏侯淵殿が興奮しながら教えてくれたなあ…と懐かしみながらお茶を啜る。…早く戻らなきゃ、とは思うけれど敵対したくないしもう少しこのままで居たいなあ…


「翠青ちゃん?」
「、何でもないよー。視察って話、殿にも話してみる。聞いて貰えたら良いんだけど…」
「話聞いて貰えそうにないなら言って。無理矢理にでも聞かせるから」
「珠華ちゃん過激だべ…!!けんど、私だって何かしらで殴ってやるだ!」
「霞月ちゃんも十分過激派だね!?殿なら大丈夫だとは思うけど…何かあった時はお願いね。あ、でもお手柔らかにね!!」
「当たり前だよ」
「勿論だべ」


あ、これは聞いてくれないやつだ。そう分かってはいても、私を想うが故の行動だと思うと悪い気はしない。寧ろ、愛されているなあと幸せな気持ちになる。…まあ、飛び道具とかトマト投げれば良いかな?みたいな相談はやめてね!?あくまでも会話でお願いします!!私の幼馴染み達は過激だなあと思いつつも、私が同じ立場なら遠慮なく火計するだろうなあと実感する。大切な幼馴染みなんだもの、彼女達に危害を加えるような輩を許してはおけない…私も過激派か。
それからは他愛のない話をしていく。せっかく会えたんだから普通のお話もしたいよね!まあ、馬岱殿/大喬殿の危機を感じたとか言って駆け出して行ってしまうんだけど…どうして分かるんだろう…?そんなことを考えつつ、私は静かにお茶を啜っていたーー…

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