2.

2.

 これぞ春の気候と言わんばかりに天気が良かったので、譲葉は昼食のおにぎりを持って中庭に出ていた。その周りに連れの姿はない。
 譲葉は燐に勉強を教えている時以外は一人でいることが多い。とどのつまり、燐以外の友達がいなかった。
 譲葉は普段から積極的に周囲と関わっていこうとしない人間だった。その態度があまりにも徹底しているために、唯一自ら話しかけた燐のことも『先生が奥村君を注意することで授業が中断されることを嫌った』から『仕方なく』勉強を教えている、とさえ思われている。
 その空気を感じ取っていながら訂正しようとしない辺り、譲葉が他人に興味が無いのは事実なのだが。

 「──ななやーここのたり、ふるべ、ゆらゆらと、ふるべ」

 勝手に口から出てきたそれは、正十字学園の中庭の広さにつられていつもより少し大きくなった。周りに人がほとんどいなかったことも譲葉を調子づかせた。
 時折、近くを掠めていく小さな黒いものを弾きつつ、昼食スポットを探す。暫く歩いていると、大きすぎず小さすぎずのいい感じな木陰を見つけた。
 今日はそこで食べようと踏み出したその時、バタバタと走る足音が聞こえた。
 鬼ごっこでもやっているのだろう。
 高校生もまだまだ子どもだなと振り返りもしなかったのが悪かったのだろうか。

 「ひーふーみーよー」
 「さっきから何歌っとるん!? うわおっぱい……あいや、君可愛いなあ何年生? 連絡先教えてや! そんで良かったら俺と付き合って欲しいなぁなんて」
 「………」

 なんだこいつ。
 譲葉は変なピンク頭のチャラ男に絡まれた。


□□□□□


 折角のいい天気だからと、昼食を持って三輪子猫丸と志摩廉造と一緒に中庭に出ていた勝呂竜士は、その時少し遠くの方から歌うような声を聞いた気がした。

 「…………」
 「坊? どないしはったんです?」

 怪訝な顔をして立ち止まった勝呂を見上げ、子猫丸が尋ねる。

 「いや、なんか聞こえた気がしたんや」
 「ハッ、そない言われたら確かに向こうの方から女の子っぽい声が聞こえる気がする!」
 「……お前が言うんやったら女の声なんやろうなあ」

 自他共に認める女好きである志摩の発言であるからこその納得である。
 そうか、と勝呂が頷いたのも見もせず、突然その男は動いた。

 「ちょっと俺行ってきますわ!」
 「はあ!?」
 「ちょっ、志摩さん!?」
 
 耳を澄ましている様子を見せていたかと思えば、そう言って走り出した志摩を残された二人は呆然と見送った。が、そこは流石の幼馴染。二人はすぐに立ち直り、どんどん遠ざかっていくピンク頭を追いかけた。

 「おいこら待てやァ!」
 「誰かは分かりませんけど迷惑かけたらあきまへん!」

 全力で走った二人は、思った以上に早く万年色ぼけ坊主の幼馴染みに追いつくことができた。声の主はそこまで遠くにはいなかったらしい。
 木を背にして志摩に詰め寄られている人物が先程の声の主だろうか。
 年頃の女子の髪形としては珍しい艶やかな黒髪のベリーショートで、背丈もあった。女子の制服を着ていたからすぐに分かったが、遠目から見たら男子生徒と間違えていたかもしれない。
 近くまで来れば、遠目のシルエットとは異なり、しっかりと女らしい肢体をしていることが分かった。いかにも志摩が言い寄りそうな女子だと二人は眉を顰める。
 絶対に余計なことを言っている。
 産まれてからずっと一緒にいる幼馴染み達の勘は鋭い。

 「俺、同じ一年の志摩廉造て言いますぅ。ぜひぜひ仲良うしてやー。君の名前はなんていうん?」
 「木暮、ですけど」
 「へぇー、木暮さんかぁ! なな、下の名前も教えてや」
 「…譲葉、やけど」
 「おー可愛ええ名前やねぇ。訛っとるけど関西のお人なん? ちなみに俺は京都出身ですぅ」
 「そうですか」
 「えー、なんかつれへんなぁ」

 勝呂と子猫丸は近くまで来て聞こえてきた会話がまだまともなものであったことに胸を撫で下ろした。相手の木暮さんからは物凄く警戒した空気を感じるが、急に志摩のような男に話しかけられればそうなるのも自明の理だろうと心の中で頷く。

 「志摩!」
 「あ、坊、子猫さん。思ってたより来んの早かったですねぇ」
 「五月蝿いわ、こん阿呆!」

 呑気なことを言う志摩を怒鳴りつけながら、その頭に拳骨を落とす。いっったあ! と叫んで蹲った阿呆は放っておいて、急な勝呂の大声に驚いて肩を竦めている木暮さんに頭を下げる。

 「すんません、うちの阿呆がご迷惑お掛けしました」
 「ちょっ、坊掴まんといてぇ! いだだだだた!」
 「志摩さんはほんま…どうしようもない女好きで。よく言って聞かせますんで、どうか堪忍したってください」
 「いえ、そないに大したことはされてませんのでお気になさらず…」

 保護者よろしくピンクの頭を押さえつけながら謝った勝呂と子猫丸を手で制し、冷静な声が返ってくる。
 その返事に光明を得たとばかりに志摩は乗っかった。

 「せやんなぁ! 俺、変なことはしてませんって! ご本人様が言うんやで!? 俺嘘ついてません!」
 「やかましいっ! これに関しては俺らはお前を信用してへんのや! …過去、何度こういうことで俺と子猫丸が迷惑を被ってきたか、忘れたんか、志摩ァ」
 「ヒィ…」
 「そうですよ志摩さん。あの、木暮さん、ですよね。僕らがここに来るまでに志摩さんが何か失礼なことしはらんかったやろか?」

 蛇(勝呂)に睨まれた蛙(志摩)を尻目におずおずと子猫丸が譲葉さんに尋ねると、その子は少し考える仕草をしてから口を開いた。

 「最初に連絡先を聞かれて、交際を申し込まれました」
 「こいつはすぐにそういうこと言うんや、適当に断ってくれ。…そんで、ほんまにそれだけやったか?」
 「あー…あと胸を見られて、おっぱいとか言われたぐらい」
 「ほらやっぱりやらかしてはった! 何を言うてはるんですか志摩さん!!」
 「お前ぇ…」

 勝呂の追求にポロリと零された発言に子猫丸の糾弾が激しくなる。志摩を睨みつけていた勝呂の目付きがさらに悪くなった。
 
 「そ、それぐらいええですやん! パッと見でクール系スレンダー女子やと思ったら目の前にどーん! やで!? 思わず出てしもたんですぅ!!」
 「もうお前黙れや! 言うこと全部セクハラ発言やんけ!」
 「ほんまですよ! …木暮さん、ほんま失礼しました。僕らもう行きますね。志摩さんもちゃんと連れて行くんで安心してください」
 「悪かったなあ、この阿呆は俺らが責任持ってしばき回したるから堪忍してくれ」
 「はあ、まあ、任せます」

 いやー! 待ってせめて連絡先だけでもー! と、そんなことを叫ぶ志摩の首根っこを引っ掴み、勝呂は踵を返した。これ以上ここにいても状況は悪くなるばかりだからだ。時間も無駄にするばかりだし合理的じゃない。
 一方で子猫丸は心苦しそうな顔をしていたが、一つため息をつくと深々と頭を彼女に下げ、同じように二人を追いかけて行った。
 その後には、チャラ男に絡まれ、ヤンキーの怒声にビビり、坊主頭のいい子に癒された女子生徒だけが残った。


□□□□□


 「騒がしい人らやったなあ…」

 まるで嵐のようだった。
 三人を見送り、その場に座った譲葉は背中の木に寄りかかる。
 昼休みを無駄にしてしまった。
 ほんの少し怒りを感じながらも、志摩という男子生徒に可愛いと褒められたことを思い出す。
 可愛い、だなんて。
 そもそも人付き合いさえ上手くないのに、そんなことを言ってくれる人なんて譲葉の周りにはいなかった。幼少期以来の褒め言葉に思わず拒絶するタイミングを失ってしまったのは、自分らしくなかっただろうか。
 昼食のおにぎりをぱくりと口に含んで、あの三人組の姿を脳裏に浮かべる。
 
 「にしても、どういう組み合わせ…?」

 男の友情って奥が深いな、と譲葉は思った。


□□□□□


 「そういえば彼女が口ずさんどったん、布瑠ふることでしたわ」

 木暮女史から引き離し、昼食を食べる頃になってようやっと静かになった志摩がそんなことを言った。

 「は? なんやて」
 「ひふみとか布留部ふるべとか言うとったから合っとると思うんですけど」
 「布瑠の言やな…。なんでそんなもんを。あれは軽々しく口にしてええやつちゃうやろ」

 布瑠の言は神代に生まれた呪文として知られる名高い言霊である。十種神宝とくさのかんだらと呼ばれる神から賜った宝を揺らしながらそれを唱えると、死者さえも蘇らせる強い呪力があると言われている。
 今や神宝は失われ、現代においては退魔や鎮魂、結界の強化などに利用されることの多い呪文だが、その反面、使い方や唱え方を誤ると逆に悪しきものを寄せつけてしまう扱いの難しい呪文とされている。
 幼い頃からそういったものを身近に感じながら生きてきた彼らからすると、彼女の行為は褒められたものではない。

 「意味をよく知らんと唱える人はようけおりますから、彼女もそうやと考えれば不思議やありまへんけど……でも、あんななんもないとこで唱えるやなんて奇妙なお人ですね」
 
 取りなすように言った子猫丸の疑問に、ハッとした顔をした志摩は彼女に話しかける前に見かけたある光景を思い出した。

 「それは分からんけど、あのお人、魍魎コールタールを指で弾いとったからただの一般人やないのかもしれまへんよ」
 「悪魔が見えとったんか? なら祓魔塾の人間か」
 「いや、一年や言うてました」
 「ほなちゃうか。在籍しとって出席しとらんやつがおるなんて聞いたことない」
 「魔障を受けとっても祓魔師にならん人はたくさんいはるし、あの人もそういう人らの一人なんちゃいますやろか」
 「それが一番可能性あるか。…まあ、俺らには関係ないことや。人のことをどうこう言うてもええことないわ。二人とも、さっさと飯食うて教室戻んで」
 「おん」
 「はい」

 育ち盛りの男子高校生にとって、昼食抜きで午後の授業を受けることほど辛いことはない。
 三人は会話を控え、黙々と昼食を食べ始めた。



▽▽▽▽▽

蝦蟇(リーバー)授業の直後辺り