4.

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 別に私は"特別"じゃない。

 特別なのはあの人で、私はそのおこぼれを貰っているだけ。卑屈になっているわけではない。それは純然たる事実なのだ。

 自分の命に価値がないとは思わない。けれど、とりわけあるとも思わない。

 嗚呼、でも。

 もし自分が死ぬとして。その時に誰かの命やなにか命にも代え難いような大切なものを守って死ねたのなら。
 死にゆく中で"私という存在には価値があった"と、自信を持って思えたのなら。

 その瞬間初めて、私は自分のことを"特別だった"と叫べるのかもしれない。

 どこかで、哀しげな狼の遠吠えが聞こえた。



□□□□□



 「ゲコッ」
 
 大きな蛙のような姿をした悪魔の蝦蟇リーバーがふてぶてしい顔つきでこちらを見つめている。

 「…………」

 それに対峙するのは、これまた涼しい顔で蝦蟇を見返している譲葉だ。

 「木暮のやつ、全然動かねぇけど大丈夫かあれ」
 「蝦蟇が襲わんってことは心に隙が無いってことやろ。あーくそ…思い出したくないことを思い出してまうわ」

 そして、そこから離れたところで実技担当の椿と祓魔塾の面々が見守っていた。
 燐はクラスメイトが怪我をしてしまわないかとしきりに心配している。冷静に言葉を返す勝呂は自分がそれをやった時のことを思い出しているのか、少しバツが悪そうな顔をした。
 
 「意外と肝が据わってはるみたいやね」
 「うわー…めっちゃ見つめあってますやん」
 「どうでもいいけど、早く終わらせてくれないかしら」
 「ソウダソウダ!」
 「い、出雲、宝くん」
 「………」

 子猫丸は譲葉の落ち着きに感心し、志摩は理解できないと首を振った。出雲達はそもそも興味が無い。
 自分達の授業時間を使われていることへの不満を隠さない彼女達を控えめに窘めるのは朴ただ一人だけだ。

 「はっ!」

 眉を下げて譲葉のことを伺っていた燐が何かに気がついた顔をした。

 「ビビって逆に動けねぇとか!」
 「アホか! それやったらもう襲われとるわ!」
 「分からねぇじゃねぇか! もしかしたらってのがあるだろ!?」
 「…もう一度蝦蟇の習性を勉強してこい!!」

 勝呂に頭をしばかれてムスッと不貞腐れた燐(アホ)は、依然として動かないクラスメイトと悪魔の対峙を視界に入れる。

 「でもよ勝呂…」
 「ゆずちゃんは多分大丈夫だと思うよ」
 
 言い募る燐の言葉を遮るように、ぽつりとそう言ったしえみに自然と燐の視線がそちらを向く。周りの塾生達も同様に、しえみを見た。
 それに気づいたしえみはかあっと赤くなりながらも、彼女にしては珍しいほどのはっきりとした声で続けた。

 「……ゆずちゃんは、強いから」




□□□□□




 しえみの声は、というより塾生達の声はしっかり譲葉に届いていた。
 この授業が始まる前、襲ってくる蝦蟇から逃げることで悪魔の動きに慣れるというのがこの授業の目的だと説明された。
 筈なのだが。

 (全然襲ってこうへん)

 何故か全く襲ってくる気配のない蝦蟇に困惑していた。
 それどころか実は置き物だったと言われても信じてしまうのではないかという程に身動ぎしない。まるで石のように固まっている目の前の悪魔に、一体何をすれば正解なのか祓魔塾一日目の譲葉には検討もつかなかった。
 下手な手は打てない、と教師の椿から何かを言われるのを待とうとしたのだが、横目でそちらを窺うと彼は何やら幸せそうな顔で手元の携帯を弄っていた。時折何かを考えるような表情を浮かべて唸ったかと思うと、はっと閃いたという顔をして携帯を弄る。それを繰り返しては嬉しそうな顔をしていた。

 そっとしとこう。

 愛しの子猫ちゃんとの愛のメッセージのやり取りをする姿は、譲葉には奇妙な行動にしか見えなかった。
 ちなみに、椿へ目を逸らしたその間も蝦蟇は襲いかかってくる様子を見せなかった。
 この蛙に憑依する悪魔は、人の心の隙を感じ取って襲いかかってくるのだという。
 その隙というものが具体的にどんなものかは分からないが、大概はこの蝦蟇そのものに対する恐怖がそれに当たるのではないかと譲葉は考えていた。燐達もビビってる、ビビってないなどと話している辺り、この推測は間違っていないように思える。
 譲葉はこの蛙の悪魔よりも大きなモノを見たことがあるし、実はしえみを襲った悪魔を祓った時にも使っていた護身刀も隠し持っているのでいざと言う時はそれで抵抗できる。
 田舎の山奥で生まれ育ったこともあり、蛙のビジュアルに対しても何も思うことはない。なにせ、道を歩いている時、何かが道の上を大量に飛び跳ねてるなと思ったらそこら中を蛙の赤ちゃんが闊歩していた、なんていうのは日常だったのだから。
 せいぜいが「跳ね回られたら危ないな、鎖があるから無理だろうけど」とか呑気なものだ。

 しかも譲葉はちょっと変わったことに、蝦蟇のこと見て『ちょっと可愛い。カエルを食べる文化がある国の人が見たら喜びそう』とも思っていた。

 人の心の機微を感じ取るのに長けた蝦蟇がそれに気が付かないわけがない。間違っても食べられないように、祓われないように、譲葉という危険が過ぎ去るのをじっと待っているのである。
 それが置物状態の蝦蟇との見つめ合いが始まった真実だった。

 「…まあ、いっか」

 襲われるのは勘弁。でもこのまま睨めっこを続けるのも勘弁。教師は当てにならない。ならば仕方がない。

 勝手にしよう。

 結論を出してすぐに蝦蟇から視線を外す。
 神木達も時間がかかりすぎてイラついているようだし、待っていても進展もないのだからこちらが勝手に始めてもいいはずだ。
 待っていても蝦蟇は動かない。今だって目を外しているのにノーリアクションだ。

 「祓い給え」

 ジャケットの裏に隠し持っていた護身刀を取り出し、鞘を払ってそう呟く。制服のポケットに入れていたストラップの鈴を一振りすると、柄から切っ先へと一筋の光が伝った。
 外野がにわかに騒がしくなったが、気にせず手にそれを構えたまま蝦蟇に歩み寄る。
 蝦蟇に追いかけられることで悪魔の動きに慣れることがこの授業の趣旨なら、"追いかけることで"その動きに慣れるのもありだと思わないだろうか。

 まあ、とどのつまり、譲葉は思ったのである。

 歩いていた足に力を入れ、護身刀を突き出して迷うことなく蝦蟇に突進した。

 「ゲコッ!?」

 譲葉から明確な敵意を向けられた蝦蟇はその瞬間に全力で飛び跳ねた。譲葉の反対側へ全力で跳ね、己の命を守るため逃げた。
 悪魔の動きは凄まじく素早く、鎖が届くその限界まで跳ね回る。
 一方、譲葉の動きも悪くなかった。つかず離れずの距離を保つように蝦蟇の後ろを駆ける。一歩一歩の推進力が大きく、足首の捻りを上手く使って可能な限りの最短ルートで追いかけていた。

 (──今っ!)

 その瞬間をはっきりと目に捉えられたのは燐だけだった。

 「すげ…」

 人の目では見ることが困難なほどに速く、縦横無尽に飛び跳ねる蝦蟇の足が地面から離れるその一瞬。
 不規則な動きをする蝦蟇に翻弄されていたはずの譲葉が一歩、軽く踏み出して。二歩、前方へ一直線に跳ねて。
 三歩、踏みしめた足を軸に"丁度譲葉の目の前に飛び出してきた"蝦蟇の顎を体の回転を加えて蹴りあげた。

 「ゲェエェッッ!!?」

 蝦蟇の巨体の重さに負けることなく振り抜かれた蹴り。蝦蟇を仰け反らせ、ついには地面にひっくり返らせたその威力は推して知るべし。

 「いや刀使わへんのかーーい!!」
 「何をしているのだ木暮きみぃ!!?」

 蝦蟇の悲鳴、志摩のツッコミ、椿の驚愕の混ざった叱責の三重奏が響き渡った。

 『刀はただの脅しだった。斬るつもりは最初からなかった。悪魔だとはいえ、斬ってしまっては可哀想だと思ったので蹴りで仕留めるに留めた』

 後に椿からの問い質しにそう供述した譲葉に、斬るのが可哀想だから蹴るというのもどうだろうかと塾生達は流石に蝦蟇に少し同情した。しえみだけは、戻ってきた譲葉を見て嬉しそうにしていたのだが。
 まあ、そんなこんなで譲葉の祓魔塾での初めての体育が終わった。


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 「今日から祓魔塾生になりました、木暮譲葉です。よろしくお願いします」

 教壇に立っている雪男の紹介にそう言って軽く頭を下げたその女子生徒を見て、出雲は直感的に『神の気配』をそこから感じとった。狐神の巫女である出雲であったからこそ気づけたものだった。

 (どこかの神社の巫女なのかしら)

 私とは違う、正当な───。

 「木暮!?」
 「ゆずちゃん!?」

 その時、勢いよく立ち上がって叫んだ燐としえみの声に出雲の思考は中断された。
 なんでここに!? と燐に問われた編入生は曖昧に笑って、ちらりとしえみの方を見た。
 え? という顔をしたしえみには心当たりがなさそうだったが、どうやら何かしら関わっているらしい。

 その後は雪男がもう授業の時間だからと二人を宥め、編入生を空いている席に座らせた。志摩の隣だったために座った瞬間から話しかけられていた。出雲の二つ後ろの席なので、振り向かない限り編入生が今どんな顔をしているのか知ることはできない。

 少しほっとした。

 しかし、その後の体育の授業でまさかあんな光景を見ることになるとはその時の出雲は思いもしなかった。そして、その燐とも重なるような力業で解決する戦い方に本当に巫女なのかと唖然とすることになるのだが、それはまだ数時間後の話。



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しえみと出会った日の一週間後