0

0.


 私を父親だと思うな。私はあくまでもお前の後見人であり、親子ではない。
 
 それが、モルヴィスが初めて会った実の父親から言われた言葉だった。
 
 その日はいつも通り、家庭教師に与えられた課題をしていた。だが昼下がりを超えた辺りで屋敷が慌ただしく騒ぎだしたと思えば、怒号や悲鳴が聞こえ、モルヴィスはクローゼットの中に慌てふためく屋敷しもべ妖精によって閉じ込められた。
 
「お前がモルヴィス・カーチスか」
 
 静まり返って久しく、恐る恐るクローゼットから出た先に杖を突きつけられてそう聞かれた。ずっと近くにいたのだろうか。気配を感じられなかった。
 クローゼットの前にいた男は背が高いのか、かなり上からモルヴィスを見下ろしている。髪も目も着ているローブも真っ黒で、纏う空気はとても重々しい。鋭く見据えてくる眼光もあいまって死神のようだと思った。
 相手を刺激しないようにゆっくりと頷けば、杖を突きつけていた男はこちらを観察するように目を細めた後、焦らすようにローブの中にしまった。
 
「私はセブルス・スネイプ。お前の血縁上の父親だ」
「え……?」
 
 死神のようだと思った男は─なんとモルヴィスの実の父だという。モルヴィスのいるカーチス家は母親の実家で、今まで父親と会ったことはなかった。当主の祖父から聞いた話では、父と母の結婚は政略結婚であり、お互いに愛はなかったらしい。
  生まれたばかりのモルヴィスを母は愛してくれていたそうだが、産後の肥立ちが悪く程なくして亡くなった。それからカーチス家に引き取られるまでモルヴィスの世話を見てくれていたのは父だったそうだ。しかしモルヴィス達の様子を見に来た祖父が見たのは、全くと言っていいほど実の子への愛情を感じられない父の姿だった。
 それがあって、父には任せられないとカーチス家がモルヴィスを引き取ったのだと聞いていた。これまで一度でも会いにも来なかった父にその話が事実なのだと思っていたモルビスヴィにとって、この急な邂逅は予想外すぎた。
 なんの意図があってモルヴィスに会いに来たのか、全く分からない。実は気にしてくれていて、今日ようやく会いに来てくれたのかと思いたくても、自分を見下ろす冷たい眼差しを見れば決してそうは思えなかった。
 
「私を父親だと思うな。私はあくまでもお前の後見人であり、親子ではない」
 
 心臓が冷たくなった。
 後見人という言葉の意味は分からなかったが、父だという男が自分を疎んじていることは分かってしまったのだ。
 血縁上は確かに父親だというのに父として扱うなと拒絶した男は、急な展開に戸惑う実の息子に構わず、詳しい話は後ですると言って部屋を出ていった。
 ドアの向こうに消えた黒布を見送ると、入れ違うように部屋に入ってきた白い髭を蓄えた老人が呆然と座り込んでいるモルビスの前に膝をついた。きらきらと輝く純粋そうな老人の眼差しがモルヴィスを優しく捉える。
 そういえば、さっきの人はモルヴィスを見下ろしたまま目を合わせようともしなかったなと気づいて、胸の奥が軋んだ。
 その時には一瞬凍りついた心臓は正常に動き出していた。今までの日常が崩れ落ちていく予感にどくどくと鼓動が大きく耳に響いて、うるさい。
  
「君がモルヴィスじゃな」
 
 きらきらとした光を閉じ込めたスカイブルーの瞳がモルビスを捉える。穏やかな声に誘われるように頷いた。
 
「急なことで驚いたじゃろう。すまんの。もう少し穏やかにことを進められたらよかったのじゃが」
「あなたは……?」
「おお、すまんすまん。名乗っていなかったのう。わしはアルバス・ダンブルドア、ホグワーツ魔法魔術学校の校長じゃよ」
「ホグワーツの校長……?」
「ふむ」
 
 長い白髭をさすり、ダンブルドアは少し考え込む。
 すると、少し悪戯げな表情をしたダンブルドアはまだクローゼットの中にいたモルヴィスの脇の下に手を差し込むとそのまま抱き上げた。モルヴィスは七歳でまだそこまで重くないが、祖父よりもずっと歳をとっていそうな老人の細腕に抱き上げられるのは少し不安を感じた。しかし予想に反してダンブルドアの腕はしっかりとモルヴィスを支え、スカイブルーの瞳がより近くからこちらを見つめる。
 
「今から君には酷なことを話さねばならん。モルヴィス、君は今日からカーチスの名を捨て、モルヴィス・ウィンギンスと名乗るのじゃ」
 
 思いもよらないことを言われ、動揺する。縋るようにダンブルドアのローブを握る手に力が入った。
 
「どうして? ……お爺様は? 勝手に名前を変えたらお爺様が怒っちゃうよ」
「クラウンは─君のお爺様はアズカバンに行く。暫くは戻ってこれん所じゃ。他の大人達も同じ場所に行く。そしてウィルギンス家はカーチス家の親戚じゃ。カーチス家の子ども達を引き取ると言っておる」
「お爺様達、遠くに行っちゃったの? 僕たちを置いて……?」
「そうじゃな……うんと遠い所じゃ。しかしの、君達は置いていかれたわけではないぞ。仕方のないことだったのじゃ」
「仕方ない? ……なにそれ、僕全然分かんないよ」
 
 モルヴィス以外にもカーチス家には子どもが何人かいる。それなのに、みんなを置いて大人達はどこかに行ってしまうというのか。もしかして、大人達をどこかにやってしまったのは実の父だという彼や、この老人なのではないか。
 さっきまでの騒がしさや屋敷しもべ妖精の必死な顔を思い出し、モルヴィスは疑わしげに目の前のスカイブルーを見据えた。
 モルヴィスの疑いを読み取ったのか、ダンブルドアはゆっくりと瞬きして口を開いた。
 
「アズカバンとは悪いことをした者が行くところじゃ。そして、カーチス家は長いこと悪い行いをしておった。ずっとずっと昔からじゃ。それが先日分かってのう。今日、彼らは捕らえられ、アズカバンに送られることになったのじゃ」
 
 悪いことをしていた。だから捕まった。本当に?
 疑いを捨てきれないモルヴィスの心が分かったのか、ふっと目尻を下げたダンブルドアは信じられんのも無理はないとモルヴィスの頭を撫でた。
 その手には優しさしか感じなかった。
 
「……分かった。多分、あなたは優しい人。本当は信じたくないけど、信じる」
「そうか、ありがとうモルヴィス。詳しく話そうとすると難しい話になる。君がもう少し大きくなったら全てを話すと約束しよう」
「うん……」
 
 まだ子どもだから。
 その言葉を言って、教えて貰えないことがあることなんて七歳のモルヴィスはもう十分に知っていた。
 だから、別にいい。今はただ、いつかの日にその約束が守られることを信じるだけだ。
 
「ねえ……僕はウィンギンス家の子どもになって、そこで暮らすの?」
「うむ、それなのじゃが……。モルヴィス、君の父親のセブルスとは何か話したかの?」
「……名前を聞いただけ」
「そうか……実は君にお願いしたいことがあってわしはここに来たのじゃ」
「僕に?」
「そうじゃ。君にとある男の子と友達になってほしくての。君も知っておるかもしれんが、ハリー・ポッターという男の子じゃ」
「ハリー・ポッター!?」
 
 一歳の赤ん坊の時に"例のあの人"を倒した魔法界の英雄の名前。七歳の子どもであろうとも知っているのが当たり前なのほどに有名な名前を聞いてモルヴィスは驚愕した。
 
「英雄と僕が友達に? なんで僕が?」
「君の父親であるセブルスの家はスピナーズ・エンドという所にあっての。今ハリーが住んでいる家と近い場所にあるのじゃ。今、君にはウィンギンス家に行くか、セブルスの家に行くかの二つの選択肢が与えられている。じゃが、わしはの、君にはセブルスの家で暮らし、ハリーと同じ学校に通い、彼の友達になってあげてほしいと思っている」
「で、でも、ハリー・ポッターはマグルの家で暮らしてるって。学校もマグルの学校じゃないの?」
「そうじゃの。なに、何も怖いことはない。こちらとの違いは魔法を使わんことだけじゃ。ハリーは引き取られた先の家族に虐められておってな、友達がおらんのじゃ。頼れる親も、君も知っている通りもうおらん。寂しい思いをしておる」
 
 魔法界の英雄なのに、家族に愛されていない。一人ぼっちで毎日が寂しい。友達もいない。
 とくりと、心臓が跳ねた。
 カーチス家ではモルヴィスは大切にしてもらった。少し厳しい祖父と、実の子達よりは扱いは雑だが気にかけてくれていた叔父夫婦、彼らの子どもでモルヴィスの家族であり友達であったまたいとこ達に、意地悪なことを言う人もいたけれどなんだかんだ面倒は見てくれた優しい使用人達。
 モルヴィスは愛されることを知っていた。
 
 愛されないのは──哀しい。
 
 恐怖さえ抱いたあの暗く冷たい黒い目を思い出す。
 愛を知っているからこそ、本来身近にあったはずの実の親から与えられた感情が愛ではなかったことは、まだ幼いモルヴィスを心を大きく傷つけていた。
 
「君さえよければ、で構わんよ。先に言った通り、ウィンギンス家で引き取ってもらうということもできる」
 
 宥めるように頭を撫でるダンブルドアの手の温かさを受け入れながら、スカイブルーをじっと覗き込む。
 まるでそこに答えがあるかのように。
 
「君が決めなさい」
 
 スカイブルーの奥に喜ぶような光を見つけて、モルヴィスは答えを得た。
 
「僕、友達になりたい」 
 
 ハリー・ポッター、魔法界の英雄。 
 ねえ、君は僕と友達になってくれる?
 
 愛のある生活を期待できない父と暮らすことになる選択だったが、今はただ、英雄と友達になれるかもしれないという期待と希望がより強くモルヴィスの胸を包み込んでいた。
 もしかしたら今は無理でもいつか愛してくれるかもしれない、という気持ちに目を向けないように必死に英雄との友情を夢見た。
 穢らしいものを見るような父の目を思い出したくなくて。あの一瞬で、あぁきっと愛してなんて貰えないと気づいてしまった自分の直感を信じたくなくて。
 モルヴィスは仄暗い悲しみと絶望を新たな希望で塗りつぶして、自身の決意を伝えようと目の前の老人の目を見つめ続ける。
 モルヴィスの心、それを知るのはスカイブルーの眼差しを持つ男だけだった。