はじまりの朝を探す

子供の頃から、家の間取りを見るのが好きだった。

 我が家は所謂転勤族で、私が高校生になるまでは数年に一度、もっと早いと一年に一度引越しがあった。
 正直、小中学生の頃は友人達と仲良くなれてもすぐに引っ越してしまうことに寂しさも感じていたが、“新しい家”の存在はいつも私の心を明るくさせた。
 転勤先での家は社宅の時もあれば、賃貸で父の会社が家賃手当を出す時の2パターンあり、私は後者が特にワクワクした。
 父と母と共に賃貸情報サイトをにらめっこしたり、内見では広さや使い勝手だけではなく、日当たりだったり窓の数、大きさなんかもチェックして、「帰ってくる場所」として落ち着く空間なのかを確かめることが好きだった。
 と言っても、当時の私は子供なのでその決定権があるわけではなかったのだけど。
 新生活に必要不可欠な、スタートでありゴールでもある家を探すこと。そして、たくさんの選択肢の中から「ここだ」と思える場所を決める瞬間。かちりとピースがハマるような、その瞬間が私は好きだった。
 そして、その「好き」は大人になっても変わらなかった。
 短大を卒業して私が就職したのは、ごく普通の不動産会社だった。
 入社して数年。今では物件情報の入力や電話対応にもすっかり慣れ、賃貸物件の案内を任されることも増えた。
 不動産会社の仕事というと、物件を紹介して、内見に案内して、契約をする。そんな単純な仕事に思われるかもしれない。
 けれど実際は来店されたお客様の希望条件を聞き出したり、オーナーや管理会社に確認を取ったり、申込書類を揃えたりと、案外地味な作業の連続だった。でも、希望と理想にマッチした物件を見つけたお客様の表情を見られる瞬間、この仕事をしていて本当に良かった、とこちらまで嬉しくなってしまう。
 大変なことも多いけれど、仕事にやりがいを感じている。私は、この仕事が好きだ。
 
 今日も朝から、パソコンの画面に並んだ物件情報とにらめっこをしていた。

「この物件、まだ募集中ですか?」

 隣の席から声が飛んできた。

「うん。えーっと……あ、ここは昨日内見した人がそのまま契約したいってさっき連絡入ってた」

 後輩の佐藤ちゃんは私の返事を聞くなり、がっくりと項垂れる。今担当しているお客さんは、相当こだわりが強いらしい。

「じゃ、じゃあこっちは?」
「こっちは夕方に内見入ってるだけ!」
「よっしゃー!」
 
 そんなやり取りをしながら、私は画面をスクロールする。ネットに掲載されている情報が、いつだって最新とは限らない。昨日まで空いていた部屋が、今日には申込み済みになっていることも珍しくないし、逆にまだ掲載されていない新着物件が突然出てくることもある。
 
 問い合わせのメールに、一件、海外在住のお客様からのものがあった。
 ざっくりと内容をまとめれば、帰国に合わせて内見をしたい、というものだった。
 希望エリアや予算、間取りなど、いくつかの条件も記載されている。
 海外からの問い合わせ自体は珍しいものではないけど、普段は海外で暮らしていて、帰国のタイミングに合わせて住まいを探すという相談は、少しだけ珍しかった。
 私はメールに書かれた条件を確認しながら、いくつか物件情報を開いていく。

「……これ、いけるかな」

 候補になりそうな物件をいくつか絞り、問い合わせのメールに資料を添付しようとしていたタイミングで、店の電話が鳴った。

「お電話ありがとうございます。〇〇不動産の愛川でございます」
『お忙しいところ失礼いたします。先ほど、ホームページから問い合わせをした者なんですが』
「お問い合わせありがとうございます、確認いたしますのでお名前をお伺いできますでしょうか?」

 デスクの上に置いていたメールを確認しながら伝えると、受話器の奥で「千切です」と返ってきた。
 ちぎり様、チギリ様。
 頭の中で名前を繰り返しながらスクロールしていくと先ほどの、海外在住のお客様と一致した。
 
「千切様、お待たせしました。物件についてのお問い合わせでお間違いないでしょうか?」
『はい。日本に帰国した際に滞在する部屋を探していて』
「かしこまりました」
 
 受話器の向こうから、透き通った声が心地よく流れてくる。なんていうか、すごく綺麗な声なのだ。滑らかで聞き取りやすく、それでいて芯の強さを感じさせる。そんな話し方をするお客様だった。

『普段はイギリスにいるんですけど、日本に戻ってきた時に使える部屋を探してます』
「日本にご滞在される期間はどのくらいのご予定でしょうか?」

 希望エリア、予算、間取り、駅からの距離、入居希望時期。メモを取りながら、必要な条件を一つずつ聞いていく。

「その他、何かご希望はございますか?」

 内見や検討する時間もあまり長くは取れないであろう千切様の希望を、なるべく知っておきたい。
 千切様は私からの問いかけに一拍ほど間を開けてから、「結構あります」と答えた。……やっぱり、と納得した。
 私からの問いかけを皮切りに、千切様からは、日当たり、駅からの距離、騒音、防音、セキュリティ、洗面台の高さや浴室の使い勝手まで、こと細かく挙げられていくので、ペンを走らせながら、少しだけ笑ってしまった。

「かしこまりました」

 なるほど、やっぱりこだわりが強い。何となくそんな気がしてたし、むしろそうだったらいいなとすら思っていた。前に「こだわりを沢山上げてくれるお客様の方が楽しい」と佐藤ちゃんに話して「先輩って変態ですか?」と言われたことを思い出した。
 
『……難しいですか?』
「あ、いえ!できる限りご希望に添える物件をご紹介させていただきます」
『お願いします』
「はい。いくつか候補をお送りしますね」

 電話を切って、私はふう、と息を吐いた。
 一泊の宿とはわけが違うのだから、こだわりが多いお客様は珍しいことではない。内見をいくつかして、マッチしなければ不動産会社を変えられてしまうこともよくある。

「海外のお客さんなんですか?」
「うん、イギリスに住んでるみたい」
「イギリス!うわあ、いいですね」
「日本に帰ってきた時用の家を探してるみたいで」
「じゃあ、ちょっといい物件じゃないと駄目そうですね」
「そうそう。でも幸い、予算に条件がないみたいだから範囲が広がって助かるよ〜」
「お金持ちですね!」
「……ふっ、はは。そうかもね」

 佐藤ちゃんとそんな話をしながら、私はもう一度問い合わせ内容のメモを見て、条件を再確認した。
 セキュリティを重視されているということは、なにかセキュリティ面で困ることがあったのかも。洗面台や浴室も現居住の部屋の満足度が高いのか、はたまた不満があって新居に求めているのか。
 誰かがこれから帰ってくる場所を、まだ見ぬ間取りの中から探していく。
 私はこの時間が、仕事の中でも結構好きだ。――想像を膨らませすぎてしまう時もあるのだけど。
 
「……よし」
 
 千切様が、「ここだ」と思える部屋を探してみよう。
 まずは、先ほど伺った条件をもう一度整理する。
 帰国時の滞在用で、希望エリアは都心へのアクセスが良い場所。日当たりが良く、できれば角部屋。周囲の騒音が少ないこと。セキュリティがしっかりしていること。浴室や洗面台も、ある程度の広さが欲しい。
 そして、予算については特に上限を設けていない。これ、すごくありがたい……!
 
「うーん」
 条件だけを見れば、候補はそれなりにある。検索結果に表示された物件を上から順番に眺めていくだけでは、なかなかピンとこなかった。
 間取り図を開いて、写真を見る。住所を確認して、周辺の地図を開く。駅からの道のりや、近くに大きな道路がないかまで一つずつ確認していく。
 条件は、あくまで条件であり、本当に求めている理想に対しての最低条件だから。満たしているからといって、必ずしも「住みやすい家」とは限らない。

「……これ!いいかも」

 一件目。
 駅から徒歩八分。南向きの角部屋で、窓も多い。オートロックに加えて防犯カメラも設置されている。
 防音性は悪くなさそうだけれど、車の音が気になる可能性はある。
 
「……なんか違う」

 二件目。
 駅からは少し離れるものの、閑静な住宅街にある。浴室も広く、洗面台も独立している。
「窓が少ないなあ」
 千切様は日当たりを気にしていたし、これも候補からは外そう。
 三件目。
 駅から徒歩六分。角部屋。南向き。収納も十分で、浴室も広い。周辺も比較的静かで、セキュリティ面も問題ない。
 写真を見る限り、内装もシンプルで家具を選ばなそうだ。
「……これ、いいかも!」

 思わず声が漏れた。もちろん、実際に見てみなければ分からない部分はある。それでも、見ていた候補の中ではかなり優良物件だ。
 念のため、もう一度間取り図を開く。
 リビングに大きな窓が二つ。寝室にも窓がある。家具を置いても動線を邪魔しなさそうな広さがある。
 そして何より、角部屋なのだ。
 私はその物件を候補の一番上に置き、そのほかにも条件に近い物件を二件ほど選び、資料をまとめる。
 海外からの問い合わせの場合、何度も気軽に店舗へ足を運んでもらうわけにはいかない。
 だからこそ、こちらでできるだけ情報を揃えておきたい。ただ物件情報を並べるだけではなく、それぞれの特徴と気になる点も簡単に書き添えたものを、メールに添付して千切様へ送信した。

「いいところありました?」
 隣から佐藤ちゃんが覗き込んでくる。
 ふわりと香る柑橘の香りと、返事をする度にからん、と音がして、飴玉を舐めているのだと察した。
 
「うん。三件送った」
「どれが一番おすすめですか?」
「これ!角部屋で日当たりもいいし、駅からも近い。周りもそんなに騒がしくないから、私はここが一番いいと思う」
「へえ〜。じゃあ、ここに決まるといいですね」
「ね」

 先輩にも飴ちゃんあげます、と言いながら佐藤ちゃんはオレンジ色の小袋を一つ、私の手に置いた。
 
「ありがとう!」
 私はそれを胸ポケットにしまって、再びパソコンと向き合った。
 千切様から返信が来たのは、翌日の14時を過ぎた頃だった。
 
『ご紹介いただいた物件、ありがとうございます。どれも条件に合っていて、とても参考になりました』

 その一文を読んで、私はほっと息を吐いた。
 良かった。少なくとも、最初の候補選びは間違っていなかったらしい。
 続く文章には、内見希望であることと、来週の帰国に合わせて予約を入れたいという旨が書かれていた。
 私はすぐに社内の予定表を開き、指定された日時を確認する。タイミング良く、内見予定の入っていない時間帯だったので、心の中でガッツポーズをした。

『ご連絡ありがとうございます。ご帰国の日程、承知いたしました。当日はご希望いただいた三件を中心に、ご案内させていただきます』

 そこまで打って、一度手を止める。
 せっかく日本に帰ってくるのだから、できるだけ無駄な時間は使わせたくない。他にも条件に合いそうな物件を、いくつか探しておこう。

『また、当日までに条件に合いそうな物件がございましたら、追加でご提案させていただきたいです。』

 と、文章を付け足して送信する。すると、すぐに承諾の返事が返ってきて、スムーズなやり取りに感謝した。
 一時帰国なら、実家やホテルに滞在する人も少なくはないと思うけど、そんな中で部屋を探し、この会社を選んでくれたんだ。
 千切様の気に入る物件を、帰国した時に帰ってくる場所を、見つけられるといいな。