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海軍本部に着艦してなお、私室から姿を現さないアルディア中将を不思議に思い、部下の一人が様子を見に行った。
その数分後、ドアを蹴破るような音が聞こえ、中将の部屋へと駆けつけると、酷く焦った様子の部下が必死に中将を取り押さえていた。

「お、れに、さわる、な!」
「中将しっかりしてください!!」
「やめろ!くるんじゃない!」
「一体……一体、何が!?」

思わず怒鳴るように近くにいた部下に問いかければ、彼もひどく困惑した様子で首を振った。
ここにいる全員が、中将の怒り、いや、怯えについて何も知らなかった。

「あ、あぁ、ああぁあぁ……」

頭痛を堪えるようにこめかみを抑え、中将は糸の切れたマリオネットのごとく崩れ落ちる。

「中将!!」

叫んだのも、崩れる中将を受け止めたのも、一番傍にいたはずの俺ではなく、横をすり抜けて走って行ったスティング少佐だった。
固化した時間の中で彼だけが動けた、というのは、俺の言いわけだろうか。
周りがはっと我に返って中将へと駆け寄る。
俺は、何か一本踏み越えられない枠の外にいるような気がして、それがたとえ自分が引いたものだったとしても、そこに踏み込むことはできなかった。

「副官殿、中将は、中将は一体どうしたって言うんですか」
「……俺には、何も、分からないです」

血を吐き出すより重く、俺は少佐の僅かな頷きに瞬きを返した。

「ひとまず、ラーク中将の私室に運びますね。この件、何も分からない今の状態で大事になっても面倒ですから、他言無用で頼みますよ」
「……ええ」

簡易ベッドのシーツを引きはがした少佐は、中将にそれをかけて正体を隠して見せた。
彼は優秀だ。

「スティング少佐」
「……はい」
「中将を、頼みます」
「勿論です」

彼は足早に軍艦を降りて行った。
何人かがその後を追って、本部へと消える。
俺は、人気の少なくなった軍艦の中で、壁に凭れしゃがみこんだ。
スティング少佐は頭の切れる人間だ。
視野が広く、決してミスを見逃さない。
平時であるなら。
いや、というよりも、俺が今まで目を背け続けていただけだろうが。
駆け寄ったあの瞬間、服を撫で、肌をさすったあの様子は確かに、能力者が海水にぬれていないかを確かめる仕草だった。
海軍には能力者が多くいる。特に将校以上の階級の者たちには。
それを踏まえて、訓練では呼吸や脈拍を確認する動作に加え、ありとあらゆる状態確認の訓練が行われていた。
あの一瞬の中で、スティング少佐はそれらほぼすべてを行い、動かしても問題ないと判断したのだろうが、彼は、一つだけ重大なミスを犯した。
俺の前で、それを行うべきではなかった。
彼はただ、あまりに優秀だったのだ。

「アルディア中将……」

彼らは親しげに彼の人の愛称を呼び、何か強い目的をもって水面下を泳ぎ回っている。
きっとそのすべてを統括しているのは、、アルディア中将その人であろう。
立ち上がった俺は甲板に向かい、残った部下たちに各自休息を命じて、極秘と書かれたスーツケースを本部へと持ち込んだ。
元帥のいるであろう会議室へ向かう道すがら、俺は中将を思った。
あの人が海賊を殺さなくなったのはいつからだろうか。
あの人がぼんやりとした感情を拭い、覚悟を決めたのはいつからだろうか。
あの人がスティング少佐を使うようになったのはいつからだろうか。
スティング少佐に危うい匂いを感じたのは、いつからだろうか。
それが、あの人に移ったのは、いつからだろうか。
何もかもがゆっくりと狂いだし、あの人を追い詰めて、いつからか深い闇を呼んだ。

「センゴク元帥、極秘情報の搬送と護送完了報告に参りました」
「ああ、入ってくれ」

その言葉に従い、俺は大きな扉を押し開けた。
広い会議室には元帥以外誰もおらず、ペンの音だけが嫌に響いていた。

「そこに置いてくれて構わない」

スーツケースを机の上に置くと、元帥は顔を上げてペンを放した。

「さて、人払いはしておいた。例の件の続きを聞こう」

スティング少佐の背信疑惑について、と元帥は言葉を続けた。
俺は、アルディア・ラクハール中将の副官であり、そして海軍将校だ。
人々の平和と安心を守るため、正義を背に背負い、俺は今、この場に立っている。




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