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あの声は、姿は、温もりは……いや、この香りは!!
パッと顔を上げた。

「お味噌汁の香り!!」
「お前な、急に起き上がるなよ、頭の精密検査してないんだからな」
「うえ、風見先輩!?」

久しぶりに見た先輩を横目に、体は勝手にお味噌汁の香りに誘われて給湯室へとふらふら向かっていく。
あきれたような声が私の背中にかけられた。

「おい、挨拶くらいしたらどうなんだ」
「おはようございますー」
「ああ、おはよう。こんばんはだがな」

給湯室に着くと、マグカップに味噌汁を注いでいる上司がいた。
うわ、マグカップかよ。

「文句言うな。ほら、僕の味噌汁が飲みたいって言ってただろ」
「うわーい!ありがとうございます!なんか味噌汁恋しくて!」

他の人たちにも持っていってやれ、とお盆に幾つかのマグカップが乗せられた。
ふふん、私の恩恵に預かれ先輩たちよ!

「降谷さんのお味噌汁ですよー!一杯一万円です!」
「売るな」

仕方がないので先輩たちのデスクにマグカップをタダで配る。
絶対一万円出すのに。
財布を出しかけていた先輩たちに配り終えてお盆を給湯室に返しに行くと、上司が冷蔵庫に背を預けてマグカップを啜っていた。
おお、立ち飲み姿も絵になるな。
さすがイケメン。
飲んでるのはお味噌汁だけど。

「いただきます」
「召し上がれ」

温かい出来立てほやほやの味噌汁に口をつければ、ゆるゆるの涙腺がまた開いた。
涙が、溢れて止まらない。
ああ、そっか。
なんでだろうと思ったけど、心が、守っていた記憶が、食まれていく感触が怖かったんだ。
恋しくて、懐かしくて、ずっと私とともにあったこの世界。
けれど、これ以上私のものは奪わせてあげられない。
例え、優しさで、連れ戻してくれたのだとしても。
大好きで大切だけど、私はあの人も大切だから。
寂しくて、悲しくて、そして、さよならだ。
いつの間にか握りしめていた左手を開けば、そこには青い石があった。
どうすればいいのかなんて、分かっている。
私を取り戻す、隔絶する、優しい味噌汁を飲み切って、青い石を呑み込もうと口に運んだ。

「何をしてる!?」

上司が私の腕を掴み、奇行を止めた。
そりゃそうだ。
泣きながら石を食おうなんてまともな人間のする事じゃない。
でも、これが正解だと、私は知っている。
この世界は、あちらの世界からの作用をすべて拒絶している。
水と油のように相反しあう拒絶は、私の記憶にすら、手を伸ばして。
涙をぬぐって、笑った。
そんなの許せない。
私の大切な人を、恋した人との記憶を、取り返さなければ。

「降谷さん、私、好きな人ができたんです」

上司は面食らった様子で僅かに手を緩めた。
珍しい顔をしている。
それもおかしくてさらに笑った。

「だから、すみません、寿退社でお願いします!」

戻ってきて、初めて笑った気がする。
石を飲み込んで、世界の作用を遮断した。



「ユイ!!」