▽ 閑話:おぼろげな記憶
「ねえ、大倶利伽羅くん、見て」
大戦の終わった夜。
酷い消耗戦の後、辛くも生き残った15振りの刀剣は安奈の手入れによってその傷をまるで無かったものの様に綺麗に修復された。
疲労ゆえに短刀たちは広間で泥のように眠り、他の刀剣たちも皆思い思いの場所で寝入ったり鎮魂のために黙とうを捧げている。
審神者であるがゆえに最も傷が少なく、けれど物でないがゆえに最も多くの傷を残した安奈は頬や額に止血のガーゼを貼ったまま作りづらそうな笑顔で空を指さした。
「本丸から見える空はね、とっても綺麗なんだよ」
裸足のまま縁側を下りて庭に行く安奈を追って、仕方がなく俺も裸足で庭に下りた。
踏みあらされた庭は、かつての美しい見栄えなどもう面影すらない。
散らばった枝は、歪に割れた岩は、その柔らかな皮膚など簡単に傷つけるだろう。
「おい、怪我をするぞ」
「私、間違ってたかな」
安奈は俺に背を向け、桜を見上げた。
飽きることのない安奈は、いつも桜を見ていた。
けれどいま、桜に残っているのはわずかな花弁だけだ。
「でも、出来ないよ。出来なかった。目の前で折れかけている刀剣を、死にかけている人を、どうして無視できるの!!審神者は時代を守る、でも、じゃあ、審神者は、刀剣たちは誰に守ってもらえばいいの……?」
私は、と血を吐くように涙する安奈を左腕に抱き上げた。
安奈が審神者になったのは300と数年前。
当時18歳だった安奈は2年の訓練後に寿命を奪われた。
齢20のまま年を取るということがなくなった安奈は、その精神も不思議と変わらぬようであった。
審神者とは、そういうものなのかもしれない。
「つゆりさん、あんなに前線に立ってたのに、折れた刀剣は10にも満たないって。やっぱり、すごい。私、つゆりさんに師事してたのに、何も、学べてない……」
「遊川公はお前の望む通りにやれと言っていただろ。今更人の真似事なんてする必要はない」
「私の望む通りにやった結果がこれ!何人残ったの!たった、たったの十五……」
安奈は戦事が苦手だ。
荒事が嫌いという以前に、全体の先読みや狡猾な罠の発見など、指揮官として未熟だった。
だからこそ遊川公は、団体戦時は特に、中継、後衛、補給の仕事をこの上元隊に割り振ることが多かったのだろう。
しかし、それが安奈の凡愚を証明するというわけでは無い。
安奈は救出作戦や、人道作戦においては人一倍先見の明があった。
そしてそれは人望にも繋がっていた。
大和統括という役職はその証拠だ。
「私刑などは許されるべきでは無い。あの場で淀みなく言い切ることが出来たのは、あんただけだ」
「大倶利伽羅、くん……」
「終戦直後は誰もが殺意に満ちていた。後処理ばかりの政府など現場では無力だ。あの場でもう一度起ころうとしていた戦争を止めたのは、あんただ。誇るべきじゃないのか」
俺の肩口に顔をうずめて、安奈は泣いた。
失ったものは、あまりに多い。
安奈が落ち着くまで、俺は桜と星の煌めく夜空を見上げていた。
『本丸から見える空はね、とっても綺麗なんだよ』
安奈は以前にも同じことを言った。
しかし、その言葉には逆接が続く。
『でもね、きっと、現世のほうが綺麗。本丸よりずっと広くて、高くて、こんな、作りものじゃないの』
果たしてそうだろうか。
泣き疲れて眠るほどに他者を想い、悼むことが出来る安奈の霊気で構築されたこの本丸の景趣より、一体どれほど綺麗だろうか。
刀であったころに見た景色や、遡行軍との戦いの中で見た景色が、思いだせない。
どんな色で、どれほどの明るさだったか。
安奈の思い浮かべる空というのは、一体どれのことなのだろうか。
戦争はもう終わった。
安奈は望むように生きられるはずだ。
現世に出て空を見ることもあるだろう。
そうしたら、きっと安奈は俺たちに現世の空がどれほど美しいのかを語るのだ。
俺たちの守ったものが、どれほど美しいのかを。
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