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 白く、降り積もる雪はどこまでも行く手を塞ぐ。
 覚えているのはまっさらな色。
 鮮明な赤。
 ああ、はやくーーこのままじゃ、だめだ。

 せめて、”しるし”を。
 だれかに、とどけなきゃ。
 朦朧とする意識の中で、冷たくて感覚のなくなった身体に痛みを感じながら、歩いているのか倒れているかさえわからぬまま、そうして誰かの声を聞くのだ。

「ーー、ーーーーー」

 思い出せるのはただ、それだけで。



***



 ユクサス諸島、中心部森林。
 人が住む北側沿岸と違い、島の奥地ーーちょうど中心にある山頂をぐるりと囲むように広がる森林はほとんど道の補強もなく、獣道ばかり広がっているという。
 私はその獣道どころか、人里にすら行ったことはないけれど。人が住んでもいない、山頂から南側のことはこの一ヶ月の間で詳しくなったと思う。
 ……といっても、南側は人里から離れている分北側の森林よりも更に手入れがされていないだろうから、違いといえば二つしかないかもしれないが。

 大自然に似つかわしくない、丁寧に整備されている一本の道。南側の沿岸へ繋がる道。
 そしてその道を真っ直ぐ進んだ先にある、中心部の山のふもとにある洞窟。

 洞窟の横には小さな一軒の民家が建っていて、現状の住人は私のみ。ここが何のためにあるのかさえ忘れられているのではないかと思うくらい、人と交流をする機会もない模様。
 ーーというか、たぶん。忘れられてるんだろうなあ。ぜったい、かくじつに。
 はあ、とため息を吐く。言いたいことはシンプルだ。ーーつまり、大自然しかない生活に飽きている。

「……はやくきてくれないかなあ……」

 テーブルにつっぷしてぽつりと呟く。全体的に木材を使用されている家は正直外の自然と何も代わり映えがない。誰かが来てほしいと思う反面、誰もこないでほしいと願う気持ちもほのかにあって、私がここを出ていっても問題ないんじゃなかろうかという疑問は今日も尽きない。出てっちゃだめかなあ、だめだよなあ。

「やっぱりみんな気づいてないのかなあ、というか知らないのかなあ……伝わっている事象が確かなら、こここそがこの島にとって大切な心臓部なわけで……よからぬやからの目当てだっていうのに」
「へえ、団長の話本当だたか。無駄足ならなかたな」
「……へっ?」

 ばっと顔をあげて振り向く。家の鍵はかけていたはず。侵入者対策の罠もばっちりしていたはずで、何よりこの家は一歩歩くたびに床が軋むように設計されているはずだ。
 なのに、なんで。

「くそ、!」
「どこ行くか」 

 がん! 側頭部に割れるような痛みが走ると同時に、目の前がぐわぐわ揺らぎ一瞬意識が遠退く。
 次いで右腕が後ろに回され机に押し付けられた。一気に上半身の動きが封じられる。
 体格がいいようには見えなかったけれど、相手はおそらく男だ。目的が洞窟であるならば、やはりただの人でもないんだろう。
 明らかに、戦い慣れてる。

「お前、ここの管理人ね。鍵はどこか」
「いっ……たいんですけど……ッ!」
「言わなきゃもと痛いことなる。ワタシはそちのほうがいいね」
「いッ……!」

 ぎりい。締め上げる力が強くなる。腕というより肩が痛い。外れそうだ。
 鍵って、なんのことだ。知りませんけど。そう言いたいのはやまやまだけれど、この様子だと私の言葉は何を言っても無駄になるだろう。聞く気がない。でもたぶん、このままほっといたら余計に痛め付けられる。そういうの、躊躇ないタイプと見た。
 ーーといか、そっちのほうがいいとか言ってたし!

「痛いっ……つの!!」

 近くにあったテーブルの脚を思いきり蹴飛ばす! 元から切り込みつきだったテーブルががしゃんと崩れ、その隙に拘束から逃れようと身を捻る。捻る方向を間違えなければ、これくらいの拘束は簡単に緩ませられるんだ。身体を正面に向かせ、やっと相手を視界に捉えると、見えたのは口許が隠れた小柄の男。驚いた様子もなくじっと私を見ている。……全然余裕そうじゃんか!

「うおりゃあッ! ……あ、あれ……? ッいてててて!?」

 みし、みしし! 右腕から悲鳴があがる。
 私の右腕、拘束が一瞬緩まっただけで、まったく手離されてはいなかったらしい。
 掴まれたままの右腕は尋常ない力で握り締められ、殴るつもりで上にあげた左腕も手首をがっしり掴まれている。足はさっき使ったことで警戒されたのか、両足とも踏まれている。

 じわり。恐怖が這い上がる。ーー奇襲が、失敗した。
 四肢を制限され、逃げることも戦うことも許されず、出来ることは睨むことだけ。交わった視線の中じゃ、相手が何を考えているかもわからない。
 ぎゅ、っと。込み上げてくる何かを抑えるように、唇を噛み締めた。

「ーー『管理人自身が鍵の可能性がある』」
「……は……はい……?」
「怪我なくお前連れてくるように言われてるから、ワタシお前殺さないよ。着いてくるか?」

 ……一見親切そうな、その言葉は。

「……それ、後で殺すの意味では」
「長生きできるね」

 すう、と細い目が更に細くなる。どこか楽しげにも見えるその目の先には、狂気が見えた気がした。指先から冷えた血が巡っていく感覚に支配される。
 ーーこのままじゃ、殺され……る……?
 全く敵わない力。導き出せない対処法。じわり、じわり。脳が、理解をしていく。

 ずっと待っていた人にも会えず。
 なんのためにここで待たされていたかも聞けず。
 なんで生まれて、なんで生かされていたかさえわからないまま。この男にーーあるいは、その仲間にーー殺される。

 死ぬ、のだ。 


「い……や、だ」

 声が震える。喉が焼けるように熱くなって、視界が潤んで見え辛くなる。
 死にたくない。
 こんなところで、誰にも知られないまま死んでいくのなんていやだ。私はまだ、人生なんてものを楽しめてすらいないのに。
 いやだいやだ……! ぜったい、いやだ……!



「っあっちいけッ!!」


 ばん!
 ぎゅうと目を瞑って力いっぱい叫べば、何かが壁に打ち付けられたような音と、身体が解放されてふわりと一瞬浮くような感覚。
 ーーえ?
 ゆっくり、おそるおそる目を開けてみれば、壁に軽くめり込みながらもぴんぴんしている男。
 な、なにがあった……? 呆気にとられ口を開きかけるも、すぐに先ほどの恐怖が身体の中を駆け巡って口を閉ざさせた。
 ぴりっとした空気が、部屋の中を埋めた気がした。

「……お前、念能力者だたか」
「ね……ん……」

 は、と息をひとつもらして、目の前の男は自分の身体を一瞥した。何かを確かめるみたいに。

「な……に、言ってるか、知らない。私は、鍵のこととか、そんなの、そんなの……知るか。ここにいるように言われただけなんだから!」
「そうか。ならお前殺しても、ワタシ困らないね」

 ぐんと距離を詰められ首を絞められる。さっきとは違う意味で抉るような痛みを発した喉に呼吸が途絶えて、一気に涙がこぼれそうになった。
 けれど、それも一瞬の間だけ。もう泣いてしまいそう、酸素がなくなりそうと思うまでのたった一瞬の間で、男は手を離した。けほけほと咳き込む私に男は一度ぴたりと動きを止めて、もう一度、少し軽めの力で私の腕を引き反転させ、背中で腕が拘束される。最初と同じ体勢だ。

「なにしたか」
「けほっ……なに……?」
「ワタシになにした。さきお前が投げた、」

 ばきん! 低く鈍い音が、背中越しで響いた。
 再び、今度は緩くではなく完全に解放された腕を庇いながら振り返れば、左腕をぷらんと下ろした男と目が合う。様子がおかしい。

「……」
「ふごっ」

 むに。随分と優しい力でほっぺたがつねられた。すると、ぱん! という音と共に男がまたすぐ手を離して、左頬がぶたれたように赤くなった男の顔が目に入る。

「……えー……と……」

 これは、……もしかしなくとも、ですね……?
 どくどくとうるさく鳴る心臓に、徐々に安心感を覚えかける身体。なんとなく、この感覚には覚えがないことも、ない。
 ちらりと、男が私の足を見つめる。つられて見てみれば、今の間のどこでぶつけたんだろうか、左足には擦りむいた跡と僅かに滲む血。
 ついで男の視線はそのまま自分の足へ。先ほどまでびくりともぶれなかった身体は、ほんのり傾いていて、不調を来しているのが見てとれた。
 忌々しげなとも、不愉快そうなとも取れる鋭い視線が私へ向く。ぎしり、という第三者の介入を知らせる床の軋む音が聞こえたけれど、私と男はそのまま時が止まったかのようにお互いを見るだけであった。

「……お前使たの、怪我を相手に跳ね返す念か」
「おー、やられたな、フェイタン」

 びりびりした空気の根元に向かって呑気に音を響かせた別の男の声を聞いて、怖いもの知らずにもほどがあるのではと、顔を歪めた。

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