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 いつからなのかは、もうわからない。
 でも私はこの場所で、待っている人がいた。

 誰なのかはわからないけれど、私に書き置きを残していった人。
 その人に会ったら、聞きたいことがあった。

 雪が降る度に期待して、雪が降る度に家で待ち、外へ探しに行き。
 古い記憶が、頭の中を占めていく。
 どこまでいっても真っ白で、どこまでいっても終わりはなくて、いつのまにか始まりもわからなくて。
 どこに向かって、どこにいるのだろう。
 何もわからなくても、結局私はこの記憶から逃れられない。
 ──それでも進む意味はあるだろうか。記憶に繋がりが、あるだろうか。

 声がする。ただ一人の声。
 それだけがたよりで。やっぱり、それだけがすべてで。




『団長、トラブル発生。面白いものが見れるよ!』

 ──そんな電話での呼び出しを受ける相手の心境というものは、いかがなものなんだろうか。しかも、複数の笑い声をバックに。
 ぱちり、と目を瞬かせ現れた好青年のような男の人は、私の左右にいる和服の女の子と金髪の男の子を交互に見て、隅っこで笑いながら正座させられている二人の男たちを見て、最後に私を見た。
 ばちん。視線がしっかり交わる。へにゃりと眉を下げて椅子の上で体育座りをしている私は縛られてもいないし、怪我もしてないし、意識も正常。なんだこの状況と言いたくなるのは確かだというのに、好青年はじっと私を見つめたまま様子を窺っている様子。コンパクトな体育座りを更に縮めながら、どうしましょうかと言わんばかりの顔を女の子へ向けてみる。ヘルプミー。

「……まあ、一から説明するよ」

 はあ、とどこか疲れている様子の女の子に、ですよねと頭の中で労いを入れたくなる。女の子は私の味方ではないし、どちらかという敵のようなものなのだけど、この中で最も話が通じそうだということはこの数十分の間で学習していた。
 ……と、いうのに説明を始めたのは金髪の男の子の方だった。何故。

「いや、実はさ。団長の言った通り南側沿岸からの一本道に洞窟と家はあったんだけど、フェイタンがこの子の念に引っ掛かったみたいんだよね。俺たちの推測だと『自分のダメージを対象に同等、あるいは倍にして反映させる能力』」
「私、鍵とか念とか知りません」
「って本人はしらばっくれてるけど。家にいたのはこの子一人で、フェイタンになんか飛ばしてたのはフィンクスが見たって」
「フィンクスは何もかかってないのか?」
「うん、フェイタン一人。というか、フェイタン一人で行ったから俺たちは念にかかった時の様子を見てないんだよね。一気にオーラが膨れ上がった気配がしたからフィンクスが見に行って、その時にはもうって感じ。面白いよ、これ。鏡みたいに反映するんだ」
「鏡?」

 そう、と頷いた金髪の男の子が私の背後に回り、後ろから決して触れることはしないまま私の身体のパーツを指差して行く。
 触れてもいないのに、まるで操り人形にでもなったような気分でぞわりとする。この会話は嫌な感じがするなと本能的な何かが働いた気がした。

「この子が右足をぶつけたらフェイタンには左足に、右腕を押さえつけたらフェイタンは左腕が折れたって。合流してから俺も軽く頬っぺたつついてみたんだけど、殴られたみたいにフェイタンの顔に跡ついてさ。ほんとに軽くだったんだけど」
「……へぇ」

 好青年の視線がちらりと寄越され、すぐに男の子へと戻された。まるで見世物を見るかのような一瞬に、玩具のように人間を見ているのだとしたらたまったものじゃないなと顔をしかめた。
 ──ああ、嫌だな。この感じ。品定めでもされてるようで──何か身に覚えがある。

「お前は何ともなかったんだな?」
「うん、なんとも。フェイタンにだけ」
「そうか。……他に試したことは?」
「あんまり。拷問しようにも結局フェイタンにダメージいっちゃうし、話も通じないし。ああ、アンテナは刺さんなかったかな。鍵のことも結局わかってなくて、脅そうにもそれがさあ、……ふは、」
「シャル」

 女の子の咎めるような声が響く。急に吹き出した男の子に好青年は不思議そうな顔を向け、男の子はわかってるよと女の子に笑顔を向けてから改めて好青年に向き直った。
 一瞬嫌な笑みで私を見るのを忘れずに。

「泣いちゃうんだ、この子。それがフェイタンにも反映する」
「……フェイタンに?」
「フェイタンに」

 念を押すようににたあと弧を描いた男の子に、好青年はほんの少し呆気にとられたかのような顔をした。

「一瞬だったけど、ほんとに見事だったよねー。ちなみにすぐ吹き出したノブナガとフィンクスはフェイタンの餌食……の前にマチが止めたけど」
「それでか……今フェイタンは?」
「隣の部屋。フェイタン一人にしてマチと俺とでこの子慰めて、やっと落ち着いたところ」

 ねー? とにこにこした顔を向けたきた男の子にふいと首を振り、ふて腐れながら足の間に顔を埋める。
 慰める前に更に脅してきて爆笑してたの忘れないし、事態を納めたのは女の子のほうだということも私は主張したい。男の子とは断固として視線を合わせなかった。

「あれ、嫌われた。さっきトランプした仲じゃんか」
「いかさますごくされた。さいてい」
「そうだっけ? 君が弱いだけじゃない?」
「さいていだ。帰りたい」
「フェイタンの念といて鍵の情報を渡したらすぐ帰れると思うけどなー」
「それ死ぬやつじゃんかあ……」

 また上擦って掠れた声に、女の子ことマチさんが金髪のシャルナークこと性悪くんに睨みをきかす。何度したかわからないやり取りはいい加減飽きてもおかしくない。というか飽きてほしい。

「とにかく、膠着状態だったけどどうする? 団長」

 シャルナークさんがそう問いかけると、マチさんも正座をとっくに崩して話を聞いていた部屋の隅の二人も好青年に目を向けた。
 団長、という呼び名がどれほど偉い役職を示すかはしらないけれど、少なくともここにいる全員を統括しているのはこの何も害のなさそうな好青年なんだということは理解した。

「……そうだな。まず」

 口許に指を添えながら、団長さんは私を上から見下ろした。
 ぞっとするくらい冷たい目。それが普通であるような目だと思った。

「お前の目的はなんだ?」
「……答える義務はありますか」
「ないな。だが答えてもらう」

 横暴かよ。潤みそうな目が悔しさを訴えたけど、この人が偉い人である以上私が泣くことも構わないし、それであの小柄の人が泣くこともおそらく問題ないと判断したのだろう。
 なら、私は真っ赤になった目を晒す必要もないかもしれないけれど、やっぱりこれがこの集団の一人を傷つける武器だとわかっている以上、少しだって反抗したい。
 ──私も理解したことがある。
 状況はきっと、私が不利であり、私が有利である。今の私とあの小柄の人の繋がりがこのままでいる間は、私は交渉の権利が与えられている。
 目的を聞かれた。それはつまり、交渉する気があるということ。
 ならば──引くことは、死を意味するはずだ。

「答えることは……ありません。強いていうならこの島から消えてほしい。それで二度と私の前に現れないでほしい」
「それでフェイタンの念を解除する、と? その保証がどこにある」
「先に解除して見せろっていうなら、それこそばかな話をされてる。あなたたちは私を殺すのに」
「それが取引なら、俺たちも守るさ」
「私を誘拐して殺して洞窟に向かいたいってしてた人たちの常識と、平々凡々に暮らしていた私の常識が同じとはとても思えない。私はあなたたちより絶対よわいもん。数も違うし。絶対対等じゃない」
「わかった。なら俺たちは島をでて洞窟を諦める。そしたらお前はフェイタンの念を必ず解除する。もしお前が念を解除しなかったら俺たちはすぐに引き返してこの島の人間を一人残らず殺す。約束できるか?」

 は、と開きかけた口から息を詰めた音が発せられてしまう。
 しまった。二の句が告げない私を団長さんが見逃すはずがなく、光のない瞳が馬鹿にすように私を射ぬいた。

「平々凡々に暮らす女の常識が、命がかかる取引の重さを知ってる俺たちの常識と同じとは思えない」
「……謝る。ごめんなさい」

 心に影を落としたような深い罪悪感に声のトーンが落ちる。
 向こうからしたら仲間を助ける交渉だった。それなら、私は今のこの短い会話だけで完全に信用のできない交渉相手になったわけだ。
 別に、同情とか、見直す気持ちがあったわけではないけれど。
 私が泣いてあの小柄さんが影響を受けるのは構わなくても、あの小柄さんが傷を負ったり死に繋がることは避けようとするくらいの関係性が、この人たちにはあるんだと、思ったから。
 でも。……やっぱり、引けはしなくて。

「……それでもやっぱり、今の交渉は飲めない。ごめんなさいは、そのことに対してにする」
「……俺たちを殺すまで念を解く気はない、か」
「それは……ちょっと、違う……けど……」
「……」
「えー……と……」
「あ〜もうめんどくせーなあ! 結局何がしてェんだお前!」
「ちょっと、ノブナガ!」

 マチさんとシャルナークさんの制止を聞かず、かつん、と石ころを蹴飛ばしながら私のもとへやってきた隅っこ組の一人はサムライとかいうものっぽい人だった。
 私に向き直り、抑えた怒りを静かに視線に混ぜてくる。

「宝を盗りに来たやつは全員ぶっ殺す! てめえがそう言えば交渉もできなくてはい終わりっだっつの! 俺たちは除念師を見つけるまでお前を監禁! 島のやつらは皆殺し! どっちにしろお前が宝を守れることはねえ!」
「え……ええと、それつまり、最初から交渉の余地はなかったと……」
「……まあそうなるっ、……よな? 団長」

 あちゃーという顔でノブナガさんを見る周りの顔に、今の失言だったんだろうな……とは感じたが、どちらにせよ嘘ではないということだと察知した。

「めちゃくちゃよろしくない……生きる道がない……」
「ノブナガもノブナガだけど、君も君だよね。交渉向いてないと思うよ」
「……初めて、あなたに同意する気になった……」

 これ、解除の道があるんかい。ということが相手に認識されている以上交渉に意味はなかった。ならなんで交渉したんだよ。
 ふつふつと涌き出る不満に唇を尖らせながら、彼らの様子を観察してみる。さっきまでの会話を思い出してみる。
 頭を回す。よくわからない。

「……あれ、ちょっと待ってください」
「んだよ」
「これ、私が自傷したら私は生きてフィンタンさんは死ぬのでは」
「フェイタンな。そりゃ死ぬんじゃねーか。というかそれ前提で話してだろ今」
「う、えと、だからこれ、私に分があったんですよね? 自害するぞーって言ったら困るから。でも私に交渉するまでもなく解く方法がある……なら、なんで好青年は私と会話したんですか……?」
「ああ?」
「除念……ってものがすぐできるんならしてるわけで……」
「……」
「すぐできないから交渉してる……あるいは、私が先にフィ……フェン……タンさんをどうこうできる可能性の方が高い。私が生き残ったらまた第二陣があなた方を襲うかもしれないわけで……つまり」

 言いながら混乱してきた頭を落ち着けて、まとまった言葉を探す。

「私が交渉を飲まないと、やっぱり困るんだ」

 ぴしり、と固まったサムライさんを見ながら、なるほど間違ってなかったと確信する。
 完全服従に落ちそうだったルートはなんとか回復の兆しを見せたので、そのまま自分に有利な粗がないかをまだ探してみる。わからないことは多い。でもその中でも、なにか。

「私を殺すのは出来ないし、傷つけるのもできないし、きっと監禁もできない。完全に私が動かないようにするって手段はないはず」
「俺たちの方が君より早いし、多勢に無勢だよ。君が指を動かしたその瞬間に君を拘束できる」
「それはできない。フェイタンさんにダメージがいくから。軽い力でやればいいって思ってるならそれは間違ってる。だってさっき、あなたが言ったんだ。『同等か倍にして返す』って」

 空気がびりびりする。いつのまにか端っこにいたもう一人の眉なしの人も近くまできていて、完全に囲まれているのもわかった。
 それでもダメだ。もう一度、私が流れを持ったまま交渉しないとならない。
 ──いちか、ばちかってやつだけれども。

「……それにあなたたちは、指を動かした瞬間なんてものに、間に合わない」
「あ? どういう、」

 ばん!! ノブナガさんの言いかけた言葉を遮るように隣の部屋の扉が開き、私となんの縁か痛覚を共有しているらしい──フェイタンさんが、目で追うこともできない早さで私の前にきて忌々しげに見下ろしてきた。
 ざまあみろ、やっぱりだ。
 ぎりいと痛いくらいに噛んだ舌を守るように唇を横一文字にすると、鋭い眼光の他に青筋が見えた。マジでこわい。

「フェイ? なに、どうしたの」
「何してるか」
「え?」
「……」
「開け」
「ん〜」
「開け。裂かれたいか」

 むに、と人差し指が唇に押し当てられる。抉じ開けたいのはやまやまだろうが、それをできないのは本人がよく知っている。
 その様子に更に満足してにんまりと笑えば、爪先がその弧をなぞった。それやっても、痛いのはそっちだろうに。

「ッ口の中か!」

 やっと気づいたらしいシャルナークさんの声に一瞬マチさんが手を出しかけてやめた。
 フェイタンさんは普通に喋ってみせるからわかりづらかったんだろう。口許だって隠してる。でも殴る時と同じような反動がきてるなら、今ごろ口内は血まみれだ。

「ほら、一瞬じゃだめだった」

 べっと舌を出していたずら気に笑ってみれば、びりびりした空気が更に膨れあがる。あれ、やばい、やりずぎた? ちょっと不安になる。

「フェイタン」
「……これ、いかい痛め付けたほうがいいよ。ワタシたち舐めてる」
「まあ、気持ちはわかるがちょっと待て。痛め付けるにしても今は駄目だ」

 ち、と隠しもしない舌打ちをして私の前から退いたフェイタンさんの代わりに、本当の好青年のように人の良さそうな笑みを浮かべた団長さんが私に目線を合わせた。

「望みは?」
「ない。今のところは」
「お前の話を鵜呑みにするなら、お前は念も知らない、管理人でもない、あるいは念能力者であり管理人でもあるが宝を盗みにきたやつを殺したいわけではない。でも俺たちが素直に島をでてもフェイタンを殺す意思は変わらない。大分矛盾したことになるな」
「そうかなあ」
「さっきの続き。俺たちを殺す気とは違う。『けど』?」
「……えと」
「まどろっこしいのはなしにしよう。お前が念の知識がない初心者だってことはわかった。でも俺たちの言葉から、正しく自分の立場を理解する程度の頭と度胸があるのも認める」

 ぐっとまた息をつめる。返す言葉はない。余裕に満ちた笑みに、視線を合わせることしかできない。

「その上で。──俺たちとする交渉は?」

 ──この人は、正しい。
 例え私は、島の人をみんな殺されてあなたたちが洞窟に入っても、あなたたちが私を殺しても、何もできない。あなたたちは私を洞窟の管理人だと思っているみたいだけど、それも違う。正直、自分や人の命が優先されるなら洞窟なんてどうでもいい。それが本音だ。
 この会話は不毛だ。私はこの人たちから離れたいだけ、この人たちも私から解き放たれたいだけ。でもそれができない。できなくさせているのはまた、私である。

「……知ってることを、言ってもいい?」
「ああ」
「この島は、入るのは簡単。でも特殊な海域だから、出るのは難しい。北側の住人たちが波の流れを熟知しているけど、秘密を守るためなのか誰が海のことを知ってる人なのか住人たちも知らない。洞窟のとこに誰もこなかったくらいだから、誰も知らないかも。複数人がそれぞれ暗号化して持ってるのを組み合わせるのかも……とも、聞いた。ほんとかはしらない」

 だからあなたたちは、島の人を殺しちゃいけない。その意味を込めて団長さんをまっすぐ見つめると視線は反らされなかったので、そのまま言葉を告げる。

「それと、これは貴方がもう察したことだろうから、言わないけれど。でもその上で望みと交渉をというなら、一点だけ、私はヒントを出す。完遂したらきっと、この念も解けるよ。……たぶん」
「多分だあ?」
「いや、多分でいい。何だ?」
「私を調べてみるといい」 

 は? 誰かの声が響く。誰かの声でなくて、全員だったかもしれない。

「私が誰か、ちゃんと調べられたら交渉しなくもないよ。うん、そうだな、そうですね、そうしよう。それで!」
「……団長ぉ?」
「これ全然、解決してなくない?」

 ノブナガさんとシャルナークさんがぶーぶー言い出すが、私と団長さんはお互い見つめあったまま。
 しばし、無言が続いて。
 団長さんはゆっくりと口を開き、シャルナークさんがやれやれと首を両手をあげた。

「シャル、パクを呼べ。近くの港に待機してる。確か夜の便がまだあったはずだ」
「オーケー。伝える。それから?」
「この女の調査、頼めるか。名前から生い立ちまで、全部」
「いいよー。団長がそう言うなら」

 横にいたシャルナークさんがひょいと私の前に顔を出す。何度目かもわからない綺麗な笑みは、更に嘘を増していた。

「よかったね。簡単に死ねないと思う」
「……この方、やっぱり残虐ですか」
「大分ね。というか、俺たちの中で一番酷いから、君ほんとに運がなかったと思うよ。あ、うーん、だからこそ念をかける相手としては大正解だったのかもしれないけど、」

 にこり、今度は本当に楽しそうに、笑みをかたどって。

「やっぱり、死ぬには変わりないから、関係ないね」

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