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(3/3)
──シャーロット・クラッカーと私の関係を現すならば、たった一つ。幼馴染みという言葉が当てはまるだろう。
今は全く関わりの無い幼馴染み。けれど未だに私の進路にかなり影響を及ぼしている幼馴染み。相手は私のことなどもう忘れて、海賊業と大臣業に邁進していることだろう。
幼少期に彼から逃げた私は、その後クラッカー様がどのような成長を遂げたのかさえ手配書でしか知らない。いやあ、まさかの成長だったよね。正直好みでは無、……勇まし過ぎて恐れ多かったので、心底離れてよかったなと思ってる。うん、本当に。
まぁしかし、私は国民であるし、住む家も勿論お菓子の家なので、彼には遠く感謝はしているのだが。
「ありがとうございました〜」
ペロスペロー様によりキャンディ島ペロリタウンの端に設けて頂いた喫茶店は、まだ殆ど客足が無い。けれど、従業員が私しかいないのだから、まだ慣れていない今はとても有難いことだった。
店に滞在するよりは売っている茶葉やお菓子をテイクアウトする方のほうが多く、私は殆どの時間をぼんやりして過ごしていた。
さて、これからどうしようかな。念願であったシャーロット家から距離を置く道はどんどん達成出来ている。それが他ならぬシャーロット家の方々のおかげというのはまぁ、矛盾だが。
「あ、いらっしゃいませ〜」
からんからん。低い音のベルが鳴って、顔を入り口へ向ける。
きょとり。と瞬いたのは、入り口に立つその人が随分奇抜な格好をしていたからだ。
(あー、これは……海賊の人だ)
長年万国に住んでいればそのくらいの見分けはつく。だからといって変に怯えたりはしない。
シャーロット・リンリン様がどのような海賊か、私たちはよく知っているからだ。
「……」
「……? どうしました?」
ぴたりと、石よろしく。
まるで張り付けられたかのように入り口から動かないその人へ、声をかける。顔の傷が少々怖かったけれど、縦に纏められた不思議な髪型が気になるという気持ちが勝って、そんなに恐怖心は無かった。
寧ろ、何故か緊張しているのはお客さんの方で。引き結んだ唇は無駄な力が入っているとしか思えない。
「新しい店が……あると、聞いて……」
「あ、はい。二週間前にオープンしたんです」
私が答えると「二週間前……」と呆気に取られたように復唱された。髪型だけでなく言動も不思議な人らしい。
立っていても仕方ないのでどうぞどうぞと招き入れると、不思議なお客さんは躓きながら椅子に座った。……あれっ。座るということはテイクアウトじゃないのか。滞在なのか。そうだここ喫茶店だわ。
オープンして二週間、実に長い間滞在するお客さんがいなかったため、私はこの時初めて緊張が走った。このお客さんが、初めてのお客さんになると気付いたからである。
まだどこか上の空のようなお客さんを置いて、ぱたぱたと小走りでカウンターへと走る。えーと、確かこの辺りに置いたはずだ……レジ回りのバインダーを探ると、目当ての物はすぐに見つかった。
また駆け寄って、私を観察していたらしいお客さんに探し当てた物を差し出す。
「どうぞ。メニュー表です」
喫茶店ならばこれが重要であろう。初めてドーナツをカタクリ様にお渡しした日のようにドキドキした。
あ、あぁ……だの、いやおれは、だの歯切れの悪い言葉を漏らした私の初めてのお客さんは、やがて渋々とメニュー表へ視線を移した。
大きな図体が隠せるサイズのメニュー表ではないというのに、まるで叱られた子供のように顔を隠し、チラチラとこちらを伺う様子が何だか面白い。人見知りなんだろうか。こんなにかっこよくて強そうなのに、勿体ない。
「……あ。そうか」
「!? な、なんだ!?」
「いえ、その、目の前で待たれていたら決めにくいですよね。すみません、気付かなくて……カウンターにいるので、決まったら声かけてください」
すみません、ともう一度繰り返して頭を下げたあと、顔を上げればぽかりと呆気に取られた姿が見えた。
うん? 私が邪魔だったわけじゃなく、本当に人見知りだったかな。それとも他に気になることでもあったんだろうか?
どうしようかな、と迷いつつ、一度カウンターにいると発言した以上その通りにしないのは変かと思いお客さんに背を向けた。
「──待て!」。二人しかいない店内には不相応過ぎるほど大きな声が響く。
「待て、……聞……きたいことが、あるのだ」
「? はい」
ドキドキと鼓動が速まっているんだろうなとこちらが察してしまうくらい強張って緊張している面持ちに、私はただ聞く姿勢を取ることしか出来ずお客さんを見つめる。
唇は薄く開いているのにすぐに言葉は出ない。呼吸してるのかな、と私が心配し始めたあたりで、お客さんは息を飲んでから言葉を紡いだ。
「何故……店を、構えたんだ……?」
──本当に聞きたい事はそれじゃなかったんじゃないかな。
なんて、知りもしないその人のわかりやすい表情に、余計な事を思う。
「何故、と言われると……」
視線を逸らし、何もない壁を見て答えを探す。逃げてきました、一人で生きていくためです、という素直な言葉しか頭に浮かばないが、それは体外的にはよくないだろう。
どうしようかと間を空けてしまった私にお客さんも変な質問をしてしまったと気づいたんだろう。慌てて手を顔の前で振りながら「その、おれは兄からこの店を勧められたんだがっ」と何やらどもりながら弁解を始めた。
「だから……そう、そうだ! こんな辺鄙な場所じゃなくてもよかったんじゃないかと、思って……だな!」
「ああ、確かに営業には向いてない場所ですもんね」
「ああ、そうだ!」
コクコクと必死な形相で頷かれ、言葉足らずの人見知りな人なんだろうかと印象を改める。人は見かけによらないらしい。
「見たところ下積みを相当したように思えるし、その経歴を捨ててまで構えたいと思ったんだろう?」店の中のショーケースをチラ見しただけのお客さんの言葉は当てずっぽうなんだろうけど、実は当たっているから凄い。至極真っ当な疑問を受けた私はそうですねぇ……と間延びした相槌を打ちながら答えを探した。先ほどの質問よりかはよっぽど答えやすいように思えたのに、頭の中はあんまり上手いこと出来てないらしい。結局浮かんだ答えは、何も変わらない一言だった。
「会いたくない人が、いるからですかね」
ピンと、空気が張り詰めて凍る。
人の地雷を踏んだ時ってそうなるよねと他人事のように思いながら、でも私はそんな重い話じゃないんですよと示すためにくすくすと笑いながら窓の外を見た。海は船に乗っていたあの時のように、変わりなく綺麗だ。
「単なる思い出話で、笑い話なんですけど。一度避けてしまってから取り返せなくなったって感じですかね。だからその人に知られる事なくひっそりと、細々と生きていければいいかなーと」
「……取り返したいとは思わないのか?」
「思いませんよ。そんな、人生が狂いそうなこと」
吹き出してしまいそうになる。今更クラッカー様と過ごした日々を取り返そうとしたって、待ってるのはビッグ・マム海賊団という恐ろしい背景だ。何か裏があるんじゃないかと勘繰られて終わるだろう。
第一、クラッカー様が私のような一時期一緒に遊んだだけの人間の事を覚えているとも思えない。お互いに利点がないのだから、取り返すなんて発想は突拍子がなさ過ぎて笑える。
「忘れているだろうし、忘れたままでいて欲しいんです。私は会いたくないので」
「……それでお前が、影で暮らす事になってもか」
「寧ろ本望ですよ」
からからと笑いながら答えると、お客さんは苦いものを口にしたかのように顔をしかめた。「……不公平ではないか、そんなの」呟かれた声に首を傾げる。思った以上に感情移入してくる人なんだな。納得いかないとばかりに不機嫌面を晒したその人が、拗ねたような上目遣いで睨んできた。
「その……お前が会いたくないとか思っている奴が、会いたいと思ってたらどうするんだ。忘れてるだろうと思ってるだけで、本当は忘れてなかったとしたら。……いやそんなことはどうでもよくて、ああクソ、言いたい事が纏まらん……」
「ゆっくりでいいですよ」
「ああ。……そうだ、だから。相手がお前の事を忘れてるんだとしたら、尚更お前だけがこうして日陰にいることが、おかしいだろ。もっと明るい場所で、幸せな空間で、好きなように生きねぇと、」
きゅっと、何かに耐えるように視線を落としながら、
「……会わなくなった、意味がないんじゃねぇのか」
「……」
尻すぼみになったその言葉をぼんやり受けとる。別にそんなに深く考えて言ったわけではなかったのに、この人にはそんなに重大な事に捉えられてしまうのか。
私の初めてのお客さんは随分人情派なんだな。こんな人気の無い場所に小さな店を構えてるだけの、縁もゆかりも無い人間に真剣な言葉をくれるなんて。ペロスペロー様が統治する島なだけあるのかも。
お客さんがとても悔しそうというか苦しそうというか気まずそうというか。まぁとにかく居心地の悪そうな顔をしていたので、私はカウンターへ戻り冷えた水をグラスに注いだ。それをテーブルまで戻って差し出すと、小さなお辞儀が見えた。礼儀正しい、この見た目で。育ちがいいんだろうか。
うーんと遠くを眺めながら、この気まずい空気をどう消したもんかと考える。思えば私はこういう面倒事は全て避けてきたように思う。だって、私が対処しても良い事は一つもない。のろりくらりと生きていく事が、私にとって一番良い方法だったのだ。
だから私の言葉にも、行動にも。心配する必要などないんだ。
「十分、幸せなんですけどね」
ならちゃんとその幸せな姿を相手に見せてやれ、お前を避けたから今とても幸せなんだと叩きつけてやれ。じゃないと相手も浮かばれないだろうが。
お客さんが泣き出しそうになりながらそう言う言葉はよくわからなかったが、「お前の事は本当にわからねぇ」とお客さんも私に言ったのでお互い様だなと思う。私は全然変なことをした覚えがないけれど。
本当に笑い話でしかないのになあと思いながら「ならまた来て私が幸せにしてるって納得してくださいよ」と冗談のつもりで言ったら頭を抱えられた。何故。どこまでも話が合わない人だなほんと。
「お前がその会いたくない人に、大嫌いですを言えたら納得してやる」
「まさか、言いませんよ! 嫌いじゃないですし!」
「……なら何で避けた!?」
がばりと顔をあげて驚いている姿に私も驚く。そろそろこの人の謎の言動には慣れてきたようで、私もきょとりと瞬くだけで特に気にする事は他になかった。
何で、って。もう何年も前の事に今更理由をつけることになるとは思わなかったな。でもこれはきっと、後付けでも何でもなく当時から思っていた行動理由なはずだ。
話してもわかんないだろうに話を続けるお客さんに向けて、私もまた話の内容を曖昧にしたままあっけらかんとして答えた。
「踞って泣く姿を、もう見たくないと思ったからです」
あの夜踞って神妙に息を吐いたクラッカーはきっと、子供なりに深く気持ちに向き合い葛藤していたのだと思う。アホだが真面目でストイックでもある彼がそんなものと向き合い続けたらどうなるか考えただけで、私は悲しくなる。
私はクラッカー様を恋愛的な意味で好きだったわけじゃないが、幼馴染みとしては大好きだった。
不毛な恋に終止符を打てるなら、それが私の最善策だと思ったのだ。
お客さんは何言ってんだコイツと言わんばかりの顔をしていたが、そりゃ詳細を伝えてないのだからそういう顔になるよねと私は苦笑した。
冷えた水をまた一口飲んだお客さんはそれで少しクールダウン出来たようで、遠くを見つめながら少し憂いがある横顔を見せた。やがて何か考えがまとまったのか、ぼそりと言葉を溢す。
「…………また……」
「? はい」
「また、来てもいいか。……おれが納得するまで」
意を決したように静かに確認するお客さんに何か既視感を覚える。でも何も思い出せない。
「いいですよ」とあっさり返した私はやっとお客さんが頼んでくれた注文を受けとり、これまで高めた技術で作ったドーナツを提供する。少し目元が赤くなっているお客さんが「……うまい」と溢した一人言に笑みを浮かべながら、カウンターで食器を洗った。
やれやれ、新しい場所での再スタートは、この不思議なお客さんとの付き合いから始まるらしい。
──こうして再び吹き始めた初恋の続きを運ぶ風に私は何一つ気付かぬまま。
このお店をどうしていこうかな、と問題とは全然違う方向の未来を思い憂いた。
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今は全く関わりの無い幼馴染み。けれど未だに私の進路にかなり影響を及ぼしている幼馴染み。相手は私のことなどもう忘れて、海賊業と大臣業に邁進していることだろう。
幼少期に彼から逃げた私は、その後クラッカー様がどのような成長を遂げたのかさえ手配書でしか知らない。いやあ、まさかの成長だったよね。正直好みでは無、……勇まし過ぎて恐れ多かったので、心底離れてよかったなと思ってる。うん、本当に。
まぁしかし、私は国民であるし、住む家も勿論お菓子の家なので、彼には遠く感謝はしているのだが。
「ありがとうございました〜」
ペロスペロー様によりキャンディ島ペロリタウンの端に設けて頂いた喫茶店は、まだ殆ど客足が無い。けれど、従業員が私しかいないのだから、まだ慣れていない今はとても有難いことだった。
店に滞在するよりは売っている茶葉やお菓子をテイクアウトする方のほうが多く、私は殆どの時間をぼんやりして過ごしていた。
さて、これからどうしようかな。念願であったシャーロット家から距離を置く道はどんどん達成出来ている。それが他ならぬシャーロット家の方々のおかげというのはまぁ、矛盾だが。
「あ、いらっしゃいませ〜」
からんからん。低い音のベルが鳴って、顔を入り口へ向ける。
きょとり。と瞬いたのは、入り口に立つその人が随分奇抜な格好をしていたからだ。
(あー、これは……海賊の人だ)
長年万国に住んでいればそのくらいの見分けはつく。だからといって変に怯えたりはしない。
シャーロット・リンリン様がどのような海賊か、私たちはよく知っているからだ。
「……」
「……? どうしました?」
ぴたりと、石よろしく。
まるで張り付けられたかのように入り口から動かないその人へ、声をかける。顔の傷が少々怖かったけれど、縦に纏められた不思議な髪型が気になるという気持ちが勝って、そんなに恐怖心は無かった。
寧ろ、何故か緊張しているのはお客さんの方で。引き結んだ唇は無駄な力が入っているとしか思えない。
「新しい店が……あると、聞いて……」
「あ、はい。二週間前にオープンしたんです」
私が答えると「二週間前……」と呆気に取られたように復唱された。髪型だけでなく言動も不思議な人らしい。
立っていても仕方ないのでどうぞどうぞと招き入れると、不思議なお客さんは躓きながら椅子に座った。……あれっ。座るということはテイクアウトじゃないのか。滞在なのか。そうだここ喫茶店だわ。
オープンして二週間、実に長い間滞在するお客さんがいなかったため、私はこの時初めて緊張が走った。このお客さんが、初めてのお客さんになると気付いたからである。
まだどこか上の空のようなお客さんを置いて、ぱたぱたと小走りでカウンターへと走る。えーと、確かこの辺りに置いたはずだ……レジ回りのバインダーを探ると、目当ての物はすぐに見つかった。
また駆け寄って、私を観察していたらしいお客さんに探し当てた物を差し出す。
「どうぞ。メニュー表です」
喫茶店ならばこれが重要であろう。初めてドーナツをカタクリ様にお渡しした日のようにドキドキした。
あ、あぁ……だの、いやおれは、だの歯切れの悪い言葉を漏らした私の初めてのお客さんは、やがて渋々とメニュー表へ視線を移した。
大きな図体が隠せるサイズのメニュー表ではないというのに、まるで叱られた子供のように顔を隠し、チラチラとこちらを伺う様子が何だか面白い。人見知りなんだろうか。こんなにかっこよくて強そうなのに、勿体ない。
「……あ。そうか」
「!? な、なんだ!?」
「いえ、その、目の前で待たれていたら決めにくいですよね。すみません、気付かなくて……カウンターにいるので、決まったら声かけてください」
すみません、ともう一度繰り返して頭を下げたあと、顔を上げればぽかりと呆気に取られた姿が見えた。
うん? 私が邪魔だったわけじゃなく、本当に人見知りだったかな。それとも他に気になることでもあったんだろうか?
どうしようかな、と迷いつつ、一度カウンターにいると発言した以上その通りにしないのは変かと思いお客さんに背を向けた。
「──待て!」。二人しかいない店内には不相応過ぎるほど大きな声が響く。
「待て、……聞……きたいことが、あるのだ」
「? はい」
ドキドキと鼓動が速まっているんだろうなとこちらが察してしまうくらい強張って緊張している面持ちに、私はただ聞く姿勢を取ることしか出来ずお客さんを見つめる。
唇は薄く開いているのにすぐに言葉は出ない。呼吸してるのかな、と私が心配し始めたあたりで、お客さんは息を飲んでから言葉を紡いだ。
「何故……店を、構えたんだ……?」
──本当に聞きたい事はそれじゃなかったんじゃないかな。
なんて、知りもしないその人のわかりやすい表情に、余計な事を思う。
「何故、と言われると……」
視線を逸らし、何もない壁を見て答えを探す。逃げてきました、一人で生きていくためです、という素直な言葉しか頭に浮かばないが、それは体外的にはよくないだろう。
どうしようかと間を空けてしまった私にお客さんも変な質問をしてしまったと気づいたんだろう。慌てて手を顔の前で振りながら「その、おれは兄からこの店を勧められたんだがっ」と何やらどもりながら弁解を始めた。
「だから……そう、そうだ! こんな辺鄙な場所じゃなくてもよかったんじゃないかと、思って……だな!」
「ああ、確かに営業には向いてない場所ですもんね」
「ああ、そうだ!」
コクコクと必死な形相で頷かれ、言葉足らずの人見知りな人なんだろうかと印象を改める。人は見かけによらないらしい。
「見たところ下積みを相当したように思えるし、その経歴を捨ててまで構えたいと思ったんだろう?」店の中のショーケースをチラ見しただけのお客さんの言葉は当てずっぽうなんだろうけど、実は当たっているから凄い。至極真っ当な疑問を受けた私はそうですねぇ……と間延びした相槌を打ちながら答えを探した。先ほどの質問よりかはよっぽど答えやすいように思えたのに、頭の中はあんまり上手いこと出来てないらしい。結局浮かんだ答えは、何も変わらない一言だった。
「会いたくない人が、いるからですかね」
ピンと、空気が張り詰めて凍る。
人の地雷を踏んだ時ってそうなるよねと他人事のように思いながら、でも私はそんな重い話じゃないんですよと示すためにくすくすと笑いながら窓の外を見た。海は船に乗っていたあの時のように、変わりなく綺麗だ。
「単なる思い出話で、笑い話なんですけど。一度避けてしまってから取り返せなくなったって感じですかね。だからその人に知られる事なくひっそりと、細々と生きていければいいかなーと」
「……取り返したいとは思わないのか?」
「思いませんよ。そんな、人生が狂いそうなこと」
吹き出してしまいそうになる。今更クラッカー様と過ごした日々を取り返そうとしたって、待ってるのはビッグ・マム海賊団という恐ろしい背景だ。何か裏があるんじゃないかと勘繰られて終わるだろう。
第一、クラッカー様が私のような一時期一緒に遊んだだけの人間の事を覚えているとも思えない。お互いに利点がないのだから、取り返すなんて発想は突拍子がなさ過ぎて笑える。
「忘れているだろうし、忘れたままでいて欲しいんです。私は会いたくないので」
「……それでお前が、影で暮らす事になってもか」
「寧ろ本望ですよ」
からからと笑いながら答えると、お客さんは苦いものを口にしたかのように顔をしかめた。「……不公平ではないか、そんなの」呟かれた声に首を傾げる。思った以上に感情移入してくる人なんだな。納得いかないとばかりに不機嫌面を晒したその人が、拗ねたような上目遣いで睨んできた。
「その……お前が会いたくないとか思っている奴が、会いたいと思ってたらどうするんだ。忘れてるだろうと思ってるだけで、本当は忘れてなかったとしたら。……いやそんなことはどうでもよくて、ああクソ、言いたい事が纏まらん……」
「ゆっくりでいいですよ」
「ああ。……そうだ、だから。相手がお前の事を忘れてるんだとしたら、尚更お前だけがこうして日陰にいることが、おかしいだろ。もっと明るい場所で、幸せな空間で、好きなように生きねぇと、」
きゅっと、何かに耐えるように視線を落としながら、
「……会わなくなった、意味がないんじゃねぇのか」
「……」
尻すぼみになったその言葉をぼんやり受けとる。別にそんなに深く考えて言ったわけではなかったのに、この人にはそんなに重大な事に捉えられてしまうのか。
私の初めてのお客さんは随分人情派なんだな。こんな人気の無い場所に小さな店を構えてるだけの、縁もゆかりも無い人間に真剣な言葉をくれるなんて。ペロスペロー様が統治する島なだけあるのかも。
お客さんがとても悔しそうというか苦しそうというか気まずそうというか。まぁとにかく居心地の悪そうな顔をしていたので、私はカウンターへ戻り冷えた水をグラスに注いだ。それをテーブルまで戻って差し出すと、小さなお辞儀が見えた。礼儀正しい、この見た目で。育ちがいいんだろうか。
うーんと遠くを眺めながら、この気まずい空気をどう消したもんかと考える。思えば私はこういう面倒事は全て避けてきたように思う。だって、私が対処しても良い事は一つもない。のろりくらりと生きていく事が、私にとって一番良い方法だったのだ。
だから私の言葉にも、行動にも。心配する必要などないんだ。
「十分、幸せなんですけどね」
ならちゃんとその幸せな姿を相手に見せてやれ、お前を避けたから今とても幸せなんだと叩きつけてやれ。じゃないと相手も浮かばれないだろうが。
お客さんが泣き出しそうになりながらそう言う言葉はよくわからなかったが、「お前の事は本当にわからねぇ」とお客さんも私に言ったのでお互い様だなと思う。私は全然変なことをした覚えがないけれど。
本当に笑い話でしかないのになあと思いながら「ならまた来て私が幸せにしてるって納得してくださいよ」と冗談のつもりで言ったら頭を抱えられた。何故。どこまでも話が合わない人だなほんと。
「お前がその会いたくない人に、大嫌いですを言えたら納得してやる」
「まさか、言いませんよ! 嫌いじゃないですし!」
「……なら何で避けた!?」
がばりと顔をあげて驚いている姿に私も驚く。そろそろこの人の謎の言動には慣れてきたようで、私もきょとりと瞬くだけで特に気にする事は他になかった。
何で、って。もう何年も前の事に今更理由をつけることになるとは思わなかったな。でもこれはきっと、後付けでも何でもなく当時から思っていた行動理由なはずだ。
話してもわかんないだろうに話を続けるお客さんに向けて、私もまた話の内容を曖昧にしたままあっけらかんとして答えた。
「踞って泣く姿を、もう見たくないと思ったからです」
あの夜踞って神妙に息を吐いたクラッカーはきっと、子供なりに深く気持ちに向き合い葛藤していたのだと思う。アホだが真面目でストイックでもある彼がそんなものと向き合い続けたらどうなるか考えただけで、私は悲しくなる。
私はクラッカー様を恋愛的な意味で好きだったわけじゃないが、幼馴染みとしては大好きだった。
不毛な恋に終止符を打てるなら、それが私の最善策だと思ったのだ。
お客さんは何言ってんだコイツと言わんばかりの顔をしていたが、そりゃ詳細を伝えてないのだからそういう顔になるよねと私は苦笑した。
冷えた水をまた一口飲んだお客さんはそれで少しクールダウン出来たようで、遠くを見つめながら少し憂いがある横顔を見せた。やがて何か考えがまとまったのか、ぼそりと言葉を溢す。
「…………また……」
「? はい」
「また、来てもいいか。……おれが納得するまで」
意を決したように静かに確認するお客さんに何か既視感を覚える。でも何も思い出せない。
「いいですよ」とあっさり返した私はやっとお客さんが頼んでくれた注文を受けとり、これまで高めた技術で作ったドーナツを提供する。少し目元が赤くなっているお客さんが「……うまい」と溢した一人言に笑みを浮かべながら、カウンターで食器を洗った。
やれやれ、新しい場所での再スタートは、この不思議なお客さんとの付き合いから始まるらしい。
──こうして再び吹き始めた初恋の続きを運ぶ風に私は何一つ気付かぬまま。
このお店をどうしていこうかな、と問題とは全然違う方向の未来を思い憂いた。
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