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「ドーナツ! あ〜ん、ドーナツ!!」

 ……なんか、聞いちゃいけないような、予感がする…………。


 カタクリくんと仲直りして、早一週間。
 もやもや悩まされていたことが解消され、久々に朝までぐっすり眠れる日々が続き、あれ?もう夢見ないのかな〜?なんて思い出し始めた頃に、これである。
 随分ご機嫌な声音。絶対そんな歌存在しないだろうと言いたくなるドーナツの歌。もう語彙力を無くしてドーナツとしか言ってないうかれた様子。
 い、居たたまれない! 声だけでも聞いていられない! 気まずい!!
 極めつけは鼻歌を奏でるその声だ。最近耳に馴染んでいた声より少し低い。それが意味することは、恐らく変声期。大人カタクリさんほど低くはないから、変声期に入るか入らないかくらいの微妙な時期なんだろう。でも低いことには変わりない。い、居たたまれない〜!!

 何してんの、カタクリくん……さん!
 物陰に隠れながら、ひくりと引きつった頬を誤魔化すように手で揉みほぐし、このまま挨拶をせずに帰れる時までじっとしていようかなと真剣に考えはじめてしまう。ああもうせめて、まだかわいいと許せる子供時代ならばよかったものを!

「……誰だ」

 ひえっ。反射的にでかかった声の代わりに、びくりと肩を震わせる。ぬっと現れた影に怯えながら振り向くと、ドーナツを手にしたカタクリさんと目が合った。

「なんだ、かなでか」
「……あの……私……何も見てません」
「何のことだ」

 こちらこそ何のことですか……本当に覚えがないお姿なんですが……。
 カタクリさんはぱくりと大きなドーナツを口に含み、また幸せそうに寝転び始めた。どうやら私が物陰だと思っていたものはドーナツだったらしい。そりゃ居場所もバレる。
 もぐもぐ、もぐもぐ。ドーナツを食べる口は止まらない。た、確かに息抜きは必要だし、おやつをお勧めした覚えはあるけれど、ここまでの変貌を遂げてしまうとは思ってなかった……。どうしよう、もしかしてとんでもない悪影響を及ぼしてしまったんじゃなかろうか。

「? なんだ。何かあったか?」
「えっ……えーと、その……」
「……何回目だ」

 ドーナツを食べる手を置いて、カタクリさんが言う。
 そういえば、これは何回目になるんだろう……カタクリくんが怪我をした夢は十七回目だったけど、その後すぐ大人のカタクリさんに会った分はカウントする? カタクリくんと仲直りした夢も、日付で言えば十七回目と同じ日のはず。どう答えるのが正解なんだろう。

「……カウントの仕方がわからないんだけど、一日の内に私が何回も来た事ってある?」
「ある。連続する時もあれば、離れた回数の時もあったな。おれの知る限りじゃ、連続の場合もカウントは足されているようだったが」
「なるほど。じゃあ今は二十回目かな」

 カタクリくんが怪我をしたのが十七回目。直後のカタクリさんが十八回目。仲直りで十九回目。このカウントで合ってるはずだ。
 うーん、そろそろカウントが大変になってきた。本格的に日記でもつけようかな。正の字で数えてもいいけど、それも線足し忘れとかありそうだし。内容混乱しちゃいそうだし。
 考えながら指折りで回数を確認していると、頭上から「二十……?」と訝しげな声が降ってきた。
 見上げれば口をへの字にして複雑そうな顔をしたカタクリさんがいて。……あれ? そうだ、なんか、違和感が。

「……二十回なら、"おやつの時間"は初めてか?」
「めりえんだ? ってなんですか?」
「おれがこの社にこもっておやつを食べる時間のことだ。知らねェなら……おれの口を見るのも初めて、か……?」
「くち?」

 はたと。言われて、気づいた。
 ああそうだ──すごく、表情がわかりやすいと思ったら。違和感があると、思ったら。
 いつも隠れている顔が、よく見えるんだ。

 毎度毎度ころころと姿が変わるから、違和感はそのせいかと思っていたけど、そうじゃなかったみたいだ。いや、というか多分今回は、ドーナツへのはしゃぎ方に動揺してたんだろうな……こんな大きな違いにも気づけなかったなんて。でもそれほどまでにびっくり案件だったし、今も普通に会話しているギャップにちょっとついていけてない。ちょっとだけだ。

 じっと、私の様子を観察するように返事を待つカタクリさんにたじろぎながら「そうですね……初めて見ました」と答えた。なんでそんなに見るんだろう……気まずくてつい目を逸らしてしまった。

「……見た印象はどうだ」
「えええ? えーと、びっくりしまし、た?」
「他は?」
「えええ?」
「無いのか。──気持ち悪いとか」

 ワントーン低く、それでいてハッキリとした声に引かれるようにカタクリさんへ目線をつり上げると、存外真剣な顔がそこにあった。
 ──カタクリくんも、カタクリさんも、いつも口を隠していた。
 そして、私が初めて見た、彼の口は。

 (コンプレックス……なの、かな)

 引き裂かれたように横に広がる口は、正直私の世界では見かけるものではない。言い方は悪いが、連想したのは口裂け女。
 ファンタジーのようなこの世界だから、まだそういうものなのかなと受け止められるけど、受け入れられるかはまた別で。
 でも、ここで聞くということは、この世界でも珍しい……って、考えるのが、自然かな。
 人のコンプレックスに塩を塗り込む趣味は私にはない。

「気持ち悪くはないよ」
「気持ち悪く『は』、か。なら、なんだ」
「あっ……え、えーと……」

 馬鹿か私は!? 頭を抱えそうになった。我ながら隠し事が下手過ぎる。
 じっと私を見つめたまま答えを待つカタクリさんにどう誤魔化そうかと頭を捻らせる。けれど、良い返答を見つけるどころか、素直な感想ばかりが頭に浮かんでしまうし、それでいいとさえ思っている気持ちがある。
 真っ直ぐに、向けられる目。それを見ていると、ああそうか、と妙に納得してしまい、やはり誤魔化すことはやめようと小さな勇気な振り絞った。

「気持ち悪くはないよ。ただ……怖かった、かな」

 肉食動物に食べられてしまいそうな感覚というか、なんというか。やはり見慣れないものは怖い。
 でも、約束したばかりだった。まだ小さな彼と、今みたいな真っ直ぐな目を向け合って。絶対破らないと決めた。
 私はこの子に、嘘はつかないって。

「食べられたりしたらどうしよう、って一瞬思っちゃったけど、考えてみれば私は透けるし、カタクリくんはカタクリくんだし。見た目はペロスくんの方がずっと怖いからなぁ」
「……人の兄を悪く言うな」

 はぁ、とわざとらしく呆れたため息を吐いてみせたカタクリさんは固まっていた身体を解すように寝転んだ。知らぬ間にピリッとした空気が広がっていたんだなと思えば、今彼がこうして気を抜いてくれたことを嬉しく思う。
 良かったなぁ、安心したんだなぁ。にやにやと勘繰りながらカタクリさんの周りを飛び回れば、鬱陶しそうに顔を背けられる。けれどそれが本当に嫌がってるわけじゃないことも、今ならわかった気がする。

「今は何歳?」
「十五」
「十五、……大きくなったねぇ……」

 意地悪くふと笑みを浮かべ「年増のようだな」と告げてくるカタクリさんにムッとした顔を作りながら肩を叩こうする。すかり。当然すり抜けるわけなんだが、お互い予測してた流れだったから馬鹿らしくて吹き出した。
 意味の無い時間。他愛の無い話。けれど楽しいと思える時間。

 これが私の、日常になりつつあった。
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