第1話
初めて箒を手にした瞬間、すべてが身体の一部になった。

◇1973年5月

 いよいよ、だ。私は箒に跨がり地面を蹴った。
 頭上から浴びていた歓声が身体をすり抜け、ついに足下から聞こえるようになった。ドクドクドクと心臓の高揚が全身に広がっていく。
 私はほんの数秒だけ、競技場を見下ろした。

(ついに、彼と飛べるんだ!)

 ホグワーツのクィディッチ競技場が眼下に広がる。
 宙をかく両足、風に撫でられる頬、たなびくユニフォーム、箒の柄を握る震えた手さえも、すべてが心を昂ぶらせる。

『さあ! 始まりました今年最後のクィディッチ戦! グリフィンドール対レイブンクローです!』

 元気の良い実況が響き渡る。

『今年を風靡してきた期待の新星を紹介しましょう! グリフィンドールのチェイサー、初々しいはずの二年生! ジェームズ・ポッター!』

 赤と金の応援席から大歓声があがった。くしゃくしゃ髪の少年はクアッフルを負いながら、気取って手を振っている。

『対するはレイブンクローのチェイサー、こちらも二年生です! かの得点王が娘、その名もイザベル・ワドコック!』

 青と真鍮色の観客席が湧き立つ。高らかに呼ばれ、私は唇だけで笑った。

 見てろ、競技場の空を支配してやる。私は父のように得点王と呼ばれる選手になるのだ。心は燃やし、頭は凍らせ、瞳は鷹のように光らせろーー父の教えが頭に木霊する。いつの間にか手の震えは治まっていた。



◇1972年11月



 11月1日土曜日、私の初陣であるレイブンクロー対ハッフル戦は、見事にレイブンクローの勝利で終わった。いつも物静かなレイブンクローの談話室にしては珍しく、その夜はお祭り騒ぎになった。
 数々のお菓子とジュースが机の上に並べられている。

「いえーーーい! 私って天才!」

 私は興奮ぎみにカボチャジュースの入ったゴブレットを高々と掲げた。寮のみんなが機嫌良く褒めてくれる。隣にいたレイブンクロー代表チームのキャプテンが、私の頭を抱えて、がっしがっしとかき混ぜてきた。

「良い働きだった、イザベル!」
「ありがとうございます!」

 髪がぼさぼさになったけれど嬉しい。もちろん勝てたのは、二年生で新人ぴよぴよである私の功績よりもチームメイトの先輩たちの動きが素晴らしかったからだ。だけれど少しでも勝利に貢献できてよかった。

「初試合で50点もシュートを決める二年生チェイサーなど見たこともない! 私たちの未来は明るいぞ。さすがワドコックの娘!」

 キャプテンが私の腰を掴んで持ち上げる。そのまま先輩たちの手から手に渡されてもみくちゃにされた。私は宙に浮きながらキャプテンの言葉をかみしめる。

 『ワドコックの娘』ーークィディッチを始めたときから、このように冠されることは覚悟していた。

 父はパルドミア・ユナイテッド所属のプロのクィディッチ選挙だ。ポジションはチェイサー。1931年のバリューキャッスルバッズ戦において、全英シーズン今世紀最多ゴール数を記録したことで有名だ。
 父の名『ジョゼリン・ワドコック』は近々カエルチョコの偉人カードに加わるんじゃないかと噂されている。

 そんな国民的選手の娘がクィディッチをやるのだから、父の名前が付いて回らないはずがない。
 事実、空を飛ぶときには常に父の影響がある。
 私が最初に箒を使ったのは、父から一歳の誕生日に赤ちゃん用箒を貰って、すぐさま初飛びをしたときらしい。物心着く前から箒に跨って家の中を飛び回り、どんなに大泣きしていてもクィディッチの試合映像を流せばピタリと泣き止んで夢中になったという。
 初めて屋根より高く舞い上がった記憶も、父と共にある。父は小さい私を空の旅に連れて行ってくれた。飛び方も箒の選び方も、父の影響をいっぱい受けている。

 でも私クィディッチを始めた理由は父じゃない。チェイサーという父と同じポジションを選んだのも、父のポジションだからではない。私が空を飛ぶことが大好きで、チェイサーの役割と飛び方が一番好きだからだ。
 鳥のように空を飛び、次々とゴールを決める爽快な動きに痺れ、チェイサーを選んだ。
 今は『ワドコックの娘』と言われることすら緊張するけれど、私はいつか『イザベル・ワドコック』として父の名に恥じない選手になりたいと思う。

 私を担ぎ上げることに満足した同寮の人たちが私をソファーに戻した。ゴブレッドの中身を煽りながら、キャプテンが選手たちと次のスリザリン戦について相談し始める。
 今年のスリザリンは選手の入れ替わりが多いから、もう一度徹底的にチームを分析する必要があるらしい。十二月のグリフィンドール対スリザリン戦をしっかり見て作戦を練ろう、という話になった。

「・・・・・・ィンドール・・・・・・」

 横から幽霊のように弱々しい声が聞こえた。私の友達のパティ・パーキンスだ。
 彼女は真っ白い肌と重たい前髪のせいで今にも倒れそうな顔色に見えるけどこれで通常形態だ。いつもは賑やかな場所を避けるパティだが、今日は私のお祝いということで居心地悪そうにしながらも隣にいてくれている。

「パティ、何だって? もう一回言って」
「グリフィンドールにも・・・・・・二年生の選手が・・・・・・」
「ああ、ジェームズ・ポッターだな! ポジションどこになるんだろう?」

 パティが弱々しく首を横に振った。知らないらしい。
 私の疑問に元気よく応えたのはキャプテンだった。

「イザベルと同じチェイサーだ! なかなかの逸材だぞ、彼も」
「マジですか!? 練習してるところ見ましたか?」

 私は興味津々で身を乗り出した。
 グリフィンドールの問題児・ジェームズ・ポッター。1年生の頃から良い意味の噂も悪い意味の噂も流れてきている男の子だ。
 唯一の同学年選手だから、意識せずにはいられない。一体どんな飛び方をするんだろう。謎のベールに包まれた新人だが、キャプテンなら詳しく知っているかもしれない。

「練習を遠くから観察したが、カンは良さそうだ。それにすばしっこい。二年生とは思えない動きだった。だが、グリフィンドールと対戦するのは来年の五月までまだまだ研究する時間はある。十分に対処できるだろう」

 ベタ褒めだ。私とパティは顔を見合わせた。
 私と唯一の同学年選手で、同じポジションで、才能有り。なんだこのおあつらえ向き感。私はわくわくしてきた。

「良いではないか!」

 私はカボチャジュースを一気に飲み干して立ち上がった。私の好敵手として申し分なし!

「ジェームズ・ポッター!君は私のライバルだ!」



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