微熱


「リリー! リヴィを置いて行くの?」

 1階からチュニーの高い声が響いてきた。ああ、出掛けようとしたリリーを見咎めたんだ。わたしはゆっくりとベッドから身を起こし、上着を羽織り、ふかふかのスリッパを履いて布団から滑り出た。

 夏休みは半分を過ぎて8月になった。あれからセブルスとは四回会った。三、四日に一度会っている。夏休み中リリーは友だちと遊ぶ約束がいくつもあって習い事もあって充実しているから、スケジュールを思うと多いほうだ。

 わたしは公園で魔法について語らったり魔法の練習をしたりしている二人を見学している。たまにわたしが疑問を呟くとセブルスはリリーをチラリと見て、しぶしぶという風に答えた。話に入れない、魔法の練習はできない、ふたりの魔法に驚き続けるのも大変、なのでわたしは前回から本とスケッチブックを持って行き、すこし離れた位置で本を広げたり、静物を模写したりしていた。

 彼のことを知りたいと思ったけれど、なかなかうまくいかない。

 八月といえば一般的にそろそろ宿題が気になってくる頃だが、わたしは体調の良い日に出来るだけ進めていたら七月中に終わったし、リリーは計画的に毎日コツコツと取り組んでいるから大丈夫だ。
 いま気がかりなのはチュニーとリリーの仲良だ。チュニーへ「セブルスは本当の魔法使いだった」ということを正直に報告したところ、リリーとチュニーが大喧嘩になったのは、もう半月前だった。それからずっと冷戦状態だ。わたしとリリーが公園にいくたびに、チュニーの冷たい視線が刺さっていた。冷戦はわたしが昨晩から熱があって行けないせいで、直接衝突に発展したみたいだ。セブルスの件だとチュニーはわたしよりもリリーに厳しい。

「早めに帰ってくるよ。リヴィが帰りにプリンを買ってきてって」
「気を遣っただけでしょ! あんな変人に会うために具合の悪い姉を放っていくなんて−−」

 ふたりの言い合う声が頭に響いて顔をしかめる。パパとママは魔法云々はまったく信じていないものの、セブルスがリリーと同じことを出来るんだというわたし達の主張は信じてくれて、遊ぶこと自体は許してくれている。だからチュニーは今日まで強く言えなかったのだ。リリーはいつも「一緒に会いに行こう!」とチュニーを誘っていたけれど、今日ばかりはそうも言えないのだろうな。

 わたしは階段をとんとんと降りた。喧嘩中のチュニーは足音に気付いていないようなので、後から声をかける。

「チュニー、心配してくれてありがとう」
「リヴィ!」とチュニーが意外そうな顔で振り向いた。

「起きて大丈夫なの?」
「少し良くなったよ。チュニーも用事があるなら出かけてくれて大丈夫だよ。ひとりでへーき」
「ふらふらしてるくせに何を言ってるの。私は家にいるわ。別に一日くらい外出しなくても困らないわよ」

 リリーがバツの悪そうな顔をした。

「……やっぱり今日はやめておこうかな」
「そうしなさい」
「えっ。ただの風邪だよ」

 わたしは慌てて言った。二人に看てもらうほどじゃないーーと続けようとしてほんの少しためらう。でも。

「……二人に看てもらうほどじゃないよ。いつもより悪いわけじゃないから本当に平気。リリーは約束してるでしょ? セブルスが待ってるよ」

 遅かった。わたしが言い淀む姿をばっちりと見られている。リリーは赤毛を揺らして近寄ってきてわたしのおでこに手を当てた。

「今朝より熱が上がってるわ!」
「リヴィの平気は本当に信用ならないんだから」

 早く寝なさい! とチュニーにグイグイと背中を押される。わたしは肩越しにリリーを振り返った。

「リリー」
「セブルスにはひとっ走りして今日は遊べないとだけ言ってくるわ。プリンも買ってくる! 他に欲しいものある?」
「ううん、充分……」
「じゃ、いってきまーす」
「あ! あの、セブルスにごめんって伝えておいて」
「オーケー」

 リリーが軽やかに玄関を出て行った。とたんに家が静かになる。
 ああわたし、ズルをしちゃった。体調を理由にリリーを引き留めたくなかったのに。あったかくするのよ、とチュニーに言われて頷きながら階段に足をかける。

 チュニーは今の会話をどう思ったんだろう。どうしてわたしには注意しないんだろう。

「チュニー」

 わたしは数段を登ったところで振り向いた。

「わたしーー、わたしもセブルスと仲良くしたいと思ってる。できればチュニーも一緒に……そうしたらステキだと思うの。どうしてチュニーは怒るの?」
「あんた達が間違ったことをしているからよ。変な人に付き合うとあんた達まで頭がおかしくなる」
「もし、得体が知れないと思っているなら」
「自称魔法使いのことなんか知りたくない」

 チュニーも階段を登ってきた。私の部屋まで行くみたいだ。

「仲良くしたいってことは、あんたはまだ仲良くないんでしょ。あの様子だとリリーはすっかり打ち解けてるみたいだけど」

 す、するどい。

 わたしが『どうして態度があまりにも違うの?』と尋ねることも出来ていない一方で、リリーは順調に友情を育んでいた。
 リリーの前で質問したとしても、彼の本音は聴けっこない。かといってわたしとセブルスが二人だけで会う機会もない。仮に二人になれたとしても、リリーのいない場所でセブルスがわたしと口を利いてくれるのかも疑問だ。

 チュニーは沈黙を肯定と受け取った。

「それってもうそれだけでアイツの性格が最悪だって証拠じゃない。初対面でも私とリヴィのこと馬鹿にしていたわ。頭が変で性格も育ちも悪い子に妹が関わろうとしていて、どうして怒らないでいられるの?」
「心配してくれてるんだよね。えっと確かに性格は良くないかもしれないし育ちはわたしたちとは違うかもしれないけど」
「リヴィ」

 チュニーがわたしとリリーの寝室のドアを開けてくれた。わたしは二段ベッドの下段へむかう。

「そういう考え方がすでに毒されてるの。現代イギリスで『魔法』を真剣に語るなんて頭が変以外の何ものでもないんだから」
「リリーも同じことがーー」
「リリーも変になりかけてる。だからあんたはリリーに付き合ってスネイプと会ってるんでしょ。心配だから」

 わたしは布団を剥いでもぐりかけたところで静止した。

「……それでわたしには怒らないの?」
「そうよ。あんたはリリーが行かなきゃ行かない」

 そのとおりだ。
 わたしも魔法に興味があるし憧れもある。ただそれを知る権利があるのはリリーだ。魔法を使えない人、魔法使いの呼ぶところのマグルは魔法界を認知できないらしい。魔法の世界は秘匿されているのだ。セブルスによると万が一に一般人のマグルが魔法を目撃したら記憶を消されるという。知っていて許されるマグルは、政府の高官とマグル生まれの魔法使いの家族だけ。

 わたしがひとりでセブルスに会いに行って話してくれたとしても、それは魔女の家族だからだ。わたしは魔法の世界そのものと、リリーを介して触れている。

 それでも、自分が当事者になれなくても、わたしはリリーが行く限り彼女を見守りに行く。

「チュニーも心配なら付いてきてくれたらいいのに」
「心配だから行くなって止めてるでしょ」
「うーん、そっか。なるほど……」

 心配の仕方が異なるのか。
 わたしはもぞもぞと布団に入り込んだ。チュニーはリリーとセブルスを会わせたくなくて、わたしはリリーとセブルスを二人きりにしたくない。二人きりにしたくないという目的のためなら、わたしは今日、リリーを引き留めるべきだった。具合が悪いからそばに居てと言えばリリーはセブルスに会いに行かない。体調のことを理由にしたくないからその手段を使わなかった。結局、使ったようなものだけど。
 わたしはチュニーみたいにハッキリと自分の気持ちを表現できていない。

 布団の温もりに包まれるとあっという間に瞼が落ちてきた。おやすみ、と言ってチュニーが部屋から出ていく。今ごろリリーはセブルスとなにを話しているだろうか。リリー。と、セブルス。半月前たしかにわたしはセブルス・スネイプのことを知りたいと思ったはずなのに、何も行動できていない。







 いつの間にか寝ていた。窓の外の日差しは明るい。夏の明るさは時間が読めなくて少し不思議な感覚になる。汗をかいている身体は長いこと眠った気がする。
 
 深い赤毛の少女は、勉強机に向かっていた。わたしはぼんやりと妹の背中を眺めていた。けほけほっと咳が出た。彼女がぱっと振り向き、アーモンド形の緑がパチパチと瞬く。

「おはよう、気分はどう?」
「だいぶスッキリ。ごめんね。せっかく家に居てくれたのにずっと寝てて」
「なにいってんの」

 病人が寝ないでどうするのよ、と呆れられた。プリン食べる? と聞かれたので頷いたら、リリーがベットの横の簡易冷蔵庫から出してくれた。身体を起こして食べる。ひんやりとしてい滑らかな喉越しが美味しい。甘みが舌に染み渡る。

 時計を見れば、午後四時だった。
 何度も喋ろうと思って、勇気が出ないからプリン口に運ぶことで誤魔化して、そうしていたらすぐにプリンを完食してしまった。もう一個あるよ、と言われたので頂いてしまう。いや、これを食べ終わる前に言わなくては。

「……セブルスどうだった?」
「喧嘩した」
「え!?」

 予想外の返事だった。もしかして、

「リヴィのせいじゃないわよ」

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